大聖堂と賢者
リィドの上腕二頭筋発言に凍りついていた場を溶かしたのは、その場にいない別の人物だった。
「何事ですか。講堂は静粛厳正が基本ですよ」
コツコツと階段を降りてきたその人物は、修道服を身にまとった初老の女性だった。
「あ、マザーキルサ!! 失礼しました!!」
信者の一人が頭を下げる。
それにつられて他の信者たちも頭を下げた。
マザーキルサ。このロロ大聖堂の院長を務める女性だ。
信者達はリィドとシアがいる場所への道を開けるために、さっと左右に別れた。
その道をキルサは「ありがとう」と言いながら静かな足取りで歩いてくる。
そしてリィドに抱きついているシアの前でピタリと足を止めた。
「シア。何をしているのです。その抱きついている男性は一体誰ですか?」
「あ、マザーキルサ!!」
シアはそう言うとリィドを離して、キルサに笑顔で向き直った。
するとキルサは少し微笑み、シアの頭を軽くなでた。
だが少しその顔が寂しそうだったのを、リィドは見た。
「大賢者……が来たのですね?」
「はい!!! ついにシアも旅立つ時が来ました!!」
シアは心底嬉しそうで、今にも飛び跳ねそうだ。
一方リィドは置いてけぼりを食らっていた。
「そうですか……。大賢者……えーっと、名を何ていうのですか?」
混乱しているリィドにキルサは優しく声を掛けた。
同時に手を伸ばしてくる。握手を求められているのだと気づき、リィドは握手を仕返す。
「……大賢者リィドです、マザーキルサ」
「はい。よろしくおねがいします大賢者リィド。ではシア、少し私は大賢者リィドとお話があります。中庭の方で子供たちと遊んであげてくれませんか?」
シアはそれに不服そうな顔色を示した。
「シアも一緒に聞きます、マザー!!」
だがそれをキルサは許さず、首をふった。
シアは肩を落とし、だがそれ以上は追求せずに「はい、わかりました……賢者様、またあとでね!」と言って、信者達と中庭へと繰り出していった。
シアがいなくなるのを待ってから、マザーキルサはリィドに話しかけ始めた。
「大賢者リィド。少し付き合ってもらいますよ?」
「……はい。わかりました」
神妙な顔つきでキルサは言う。
リィドは何を言われるか不安になる。
多分シアのことだろうとは思うが、それ以上は想像できない。
(面倒なことじゃなければいいけどな……)
そしてキルサとリィドはぽつぽつと二階に向かって歩きながら、話し始める。
「大賢者リィド。あの子と旅に出るように王から勅命を受けた。そうですね?」
「そうです。もうこっちにも伝わってるんですね」
「はい。でしたら、これだけは言って置かなければなりません、シアのことを……」
ごくりとリィドは固唾をのむ。
重病でも抱えているのだろうか、それとも何か重大な秘密でも隠されているのだろうか。
ひょっとしたらリィドが知らないだけで本当に魔王は居て、それを討伐するためにシアの秘められた力が必要……とかがあるのかもしれない。
リィドは真面目な顔つきになる。
そしてついにキルサが口を開いた。
「あの子は…………ドジです」
「な、なるほど、それはたいへ……ん?」
リィドはあっけに取られる。
「もう一度言います、あの子はドジです。駄目な子です」
「いや大丈夫ですもう一度言わなくても、うん聞こえてます、はい」
リィドは逆にこっちが申し訳なくなってしまうほどキルサはドジを連呼する。
だがその顔つきは少し困っていた。リィドは質問する。
「えっと……何がドジなんですか?」
「そうですね、例えば料理。調味料の塩と砂糖を間違えるほどのドジです」
「あ、それはちょっと極まってますね」
ある程度のドジなら可愛い。例えばこの例だと、塩と砂糖を日常生活で間違われても「おいおい可愛いなシアちゃん」ですむかもしれない。
だがこれが実際の冒険だったらどうだ。もし重要な回復薬を別の薬と間違われてしまえば死ぬ可能性すらある。
それを想像して身震いするリィド。
「更にあの子は戦いなんてできません。ここに五年前"伝説の勇者の末裔"として連れてこられてからも、一度も戦ったことなどないのですから」
(確かに……あんな小さな女の子だ。戦闘経験もないのに戦えるわけないか……ん……?)
リィドは五年前?と首をかしげる。
確か国王が知ったのは今から二時間前と言っていたはずだ。
だがキルサは五年前に"伝説の勇者の末裔"として連れて来られたと言ったのだ。
リィドはそれを質問する。
「五年前? 今の国王は数時間前に知ったと言っていましたが……」
二人は二階の、中庭が見える窓の前で足を止めた。
キルサは窓から中庭の景色を眺めながら質問に答える。
「確かに、今の国王は数時間前かもしれません。彼女を連れてきたのは、前国王の密命でしたから。それからすぐに戦死なされて、引き継ぐ間もなかったのではないでしょうか」
「なるほど……」
少し引っかかるところこそあるが、リィドは今は考えないことにした。
リィドもキルサと同じく中庭を見つめる。
中庭では、信者と孤児であるだろう子供たちと仲良く談笑しているシアの姿だった。
皆笑顔で笑っている。シアの手には小さな植木鉢があり、それについて話しているのだろう。
「あの子は……シアは確かにドジです。ですが、自分よりも他人を優先し、困っている人は見過ごせない……。とてもいい子なんです」
「……わかります」
リィドは中庭を見ながらキルサと共に微笑む。
そこにいたシアとその周りは確かに幸せそうだった。
一朝一夕ではできない。あれはシアの積み重ねてきた人徳の成すところなのだろうとリィドは考える。
キルサがリィドに向き直った。
「どうかシアを頼みます。あの子、先日国王の使いのものからから今回の旅の話を聞いて舞い上がっているんです」
シアは今まで、王都はもちろん、大聖堂の外に出たことがないこと。
今回の旅の話を聞いてから、数分おきに大聖堂の扉を開けに行ったりしていたこと。
それだけ外にでることを期待していることを、リィドはキルサから聞かされた。
リィドは中庭のシアと目があった。
シアはリィドに手をブンブンとふっている。
それを見てリィドは、多少ドジでも悪い子じゃないならいいか……と手を振り返す。
「はい。頼まれました。マザーキルサ」
リィドはそう言いながらもう一度キルサに手を差し伸べる。
キルサも同じくその手を握り返す。
その時、外で手を振っているシアが、見事に片手に持っていた鉢植えを落としたことにリィドは気づかないふりをしていた……。
◆
そこから数時間後、ロロ大聖堂の扉の前。
そこにマザーキルサ、信者達、孤児院の子供たち、そしてリィドとシアが集まっていた。
「では行ってきます! マザーキルサ!」
「身体に気をつけるのですよ。あまり大賢者を困らせないように」
マザーキルサがシアの頭を撫でる。
シアは嬉しそうに目をつぶる。
「シアちゃん!頑張ってくるんだぞ!」
「シア姉ちゃん、絶対帰ってきてね!」
「お土産まってるよシアちゃん!」
「筋肉鍛えるんだぞ大賢者様!!」
信者と孤児院の子供たちが思い思いの言葉をシア(とリィド)に投げかける。
「みんなありがとう……旅が終わったら絶対かえってくるからね!!」
シアは信者一人ひとりに抱きついて「いってきます」と言って回った。
その間リィドは次にどうするかを考えていた。
さっそく旅立つ……にしては物資が足りなさすぎる。
冒険者キットも持っていなければ、シアに至っては武器も持っていないだろう。
(まずは買い物だな……でも今の所持金は……)
リィドは腰につけていた革袋から貨幣を取り出す。
先程王城から貰った銀貨六枚である。
そんなことを考えていたリィドだったが、服の裾を引っ張られた事で思考から現実に戻された。
裾を引っ張っていたのはシアで、信者や孤児の子供達に挨拶を済ませたようだった。
「賢者様!! 行きましょう!! はやくはやくっ!」
太陽のような笑顔でぴょんぴょんと飛び跳ねるシア。
リィドはそれを見て、とりあえず歩きながら考えるか……と王都の中心へと向かってあるき始めた。
少し追記しました!