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月の夜には怪談を  作者: ゆらぎ
悪魔の胎動
8/13

7 転がり、そして、堕ちる

痛む体を引きずって、走り続ける。

どこまで行けばいいのか?それすらわからないけど。

ただ逃げ続ける。

しかし、普段運動などろくにしない体には、長距離を全力で走り続ける体力などあるわけもなく。

「っ!?」

何かにつまづき倒れこむ。

地面に擦れる頬の熱と、肺を突き破りそうな息切れが、妙に思考を冷静にさせた。

僕は何から逃げてるんだろうか?

決まってる。あの悪魔に堕ちた少年からだ。

――本当にそうかな?

他に何があるんだ?

本当は先輩の

「違うッ!!」

虚しくこだまする自分の叫びを聴く奴なんていなかった。

僕自身以外は。

「何が違うんだ?」

しかし、違った。

本当は僕を見下ろす悪魔の影が聴いていた。

「良かったな。九死に一生を得るとはこの事だぞ?いくら低級といえども、お前のようなただの人間が悪魔と対峙して生を拾うなどありえぬ事だ。お前は実に運がいい」

メフィストはただほくそ笑みながら語る。

実に正確で真実味のある話を。

「お前は頭がいい。いや、生き方を知ってると言ったほうがいいのか?人間が生きる筋道をよくわきまえている。社会の枠組みの中にある残虐性、自己の満足を満たすための偽善、周囲と自分の生きる領域をよくわかっている」

大げさに、大きな手振りで、芝居がかった語りは続く。

「我を押し殺し、陰にも陽にも思われぬように生きるなどその歳ではできることじゃないだろう。実に天晴れ。人は時に悪魔より外道になる、それをよく理解しているお前の勝利だ」

勝利?何と戦い、何に勝ったというんだ?

それは僕の中の何かを激しくかき回し、一人語りする悪魔と会話する気力を生み出した。

「何が…言いたいんだよ?」

弱々しくも荒い僕の言葉を聴き、まってました言わんばかりにメフィストの顔がほころぶ。

「何も。ただ、あやつの中の偽善をお前の中の定義が上回っただけだ!見事な決断だ!お前は今実に人間らしい顔をしているぞ!」

その言葉に引っかかる。

あやつとは誰だ?偽善?

答えは出ているのに僕はそれを否定する。

「黙れよ…そんな気分じゃない」

するとメフィストの笑顔は消えた。

あまりに一瞬の事で、僕には理解できなかった。

「何言っている?今お前は他人の命を生贄に生を勝ち取ったんだぞ?それを喜ばないとはどういった思考だ?むしろ、してやった。そう思うべきだろ?」

僕にはメフィストの言葉の意味がわからなかった。

「な、なにを…言っているんだ?」

痛みなど忘れて体は無意識にメフィストと向き合っていた。

夕暮れの日差しの中、大きな体をしている悪魔の影は、普段より何倍も大きく、より醜悪に映った。

「おいおい、知らないフリをしてるんじゃない。お前はあの女の自己犠牲を嘲笑い逃げおおせたのだろ?…まさか、都合よく全員助かり、大団円なんて考えてないだろうな?」

悪魔は三日月のようにつり上がった口で笑う。

その笑い声は呪いの歌だ。

僕を呪う歌だ。

「ばかいうな…先輩は契約してるんだ!あんな乗っ取られただけのやつに…こ、殺されるわけがないじゃないか!」

震える体で絞り出した声は闇に吸い込まれるように落ちていき。

大きな影が僕の体にまとわりつき、陰湿な炎がこの身を焼き尽くす。

「舐めてるのか?あの女は契約した悪魔を連れていないんだよ。なぜだと思う?契約違反なんだよ。今は残った力を使ってるに過ぎないんだよ」

体の感覚がどこまでも落ちる。

「ど、どういうこと?」

「あいつの契約は一日に3冊以上の本を読む。日頃本を読んでばかりのあの女にはうってつけの契約だわな。だが、だがしかし。先程見た奴の周りには悪魔なんざいないし、力も感じない。これはどういうことか?契約破棄されてるしかないわな」

そんな馬鹿な?

だって先輩は本を読んでばかりの人間なんだろ?

僕と会った時だって隙さえあれば本を読んでいるような…

「なんだろうな?本の中に潜り込み、仮想の世界の人物に己を重ねる事で、現実の自分から逃避するような者がそのアイデンティティを手放すような出来事とは?」

なぞかけのような口調に惑わされる僕を、ただ一つの鮮明な記憶が襲う。

嫌だ、見たくない。認めたくない。

そんな…だって…。

「そういえばお前…今日の朝の屋上の出来事覚えているか?」

「やめてくれ!」

ありえない!

僕のようなクズとの会話で起こったいざこざを気にして、自分の世界を守る行為である読書に気がまわらないなんて。

ありえないんだ!ありえないはずなんだ!

「人間ってのは面白いなぁ本当に。いつ見ても俺たちが考えたショーより愉快なショーを演出しやがる」

目の前に写る悪魔の姿は、昨日までの不抜けた存在ではなく。

コイツが数世紀を渡り歩いた悪魔なんだと実感した。

「クソっ!そんな事…僕には関係ない!」

何から逃げたのかわからない。

ただ、僕は走り出した。

今度は止まらないだろう。


切尾が走り出して早20分。

たかだか20分あまりの時間だが、切尾を逃がした張本人――野眼菜々子には永久にも思える長さであった。

目の前の鎮座する存在がただの人間ではないことは安易に想像できる、それが現在の自分より危険な力を持つことも。

「なんだお前?いきがって出てきた割に、手応えがねぇナ?」

悪魔が呆れるのもわけない。

たった今菜々子には契約している悪魔がいない。

それは自分の不注意が原因で契約条件を達成していないからだ。

契約している状態でどれだけできるかわからないが、すくなからず今より状況は悪くないだろう。

「だが。お前の目はいけ好かなイ。殺す」

その言葉と共に、目の前の少年の腕に黒い瘴気が集まっていく。

一般人の目にどう映るかわからないが、契約の時の残滓が残っている菜々子には禍々しい渦がよく見えた。

あれはダメだ。あれを当てられると死ぬだろう。

それがわかってしまうほどに、どす黒い塊は危険な気配を放っていて。

死ぬかも知れない。そんな予感が心身を硬直させる中、菜々子の脳裏に浮かんだのは自分が逃がした少年の姿だった。

彼はちゃんと逃げれただろうか?

かなり怪我をしていたから、素早く逃げることは叶わないだろうが、これだけ時間を稼げばかなり遠くに逃げれたはずだ。

死の恐怖が襲う中でなぜか安堵してしまう。

彼は自分をひどく卑下している。

それはいろんな原因があるだろうが、一番深いところにあるのは、他者への拒絶。

きっと酷い仕打ちを受けたことがあるのだろう。

だから、自分のことを卑下してまでも、他者の介入を避ける。

誰かに認識されることが怖い。

それはきっと善意も悪意も同じ。すべてが最後に帳尻を合わせるようにこの身を傷つける刃になる。

ならば最初から一人のほうがいい。

そう考える気持ちは誰よりもわかった。

なぜなら、菜々子も同じ、同種の人間だからだ。

小さい頃から本が好きで、自分もその中の住人のような気分でいれる本は生活の一部となった。

それは歳を重ねても変わらず、それどころかより深まるばかり。

しかし、いつしか気づいて周りを見渡せば、そこには本の海に漂う自分の姿しかなかった。

それに焦るようなことはなかったが、それからさらに本に没頭した。

そして高校にあがった頃に気づく。

自分が読書に逃げていることに。

それは別に良かった。

だが、自分が好きだから読んでる本が、自分の逃げ道になっていることは許せなかった。

決してそんな事のために本を読んでるんじゃない。

それを証明したい。

そんなぐらついた意識の中で出会ったのが神木澤切尾である。

自分のように悪魔を連れる少年は、やはり自分と同じような影を感じさせる。

話ていればそれはよくわかる。

だから菜々子は思った。

この人を救済するのが私の役目だと。

自分のような日陰の彼を救うことこそが、自分の中の矛盾を解決する方法だと。

菜々子は盲信的に思ったのだ。

それを決心し、自分の中にある勇気をふりしぼり、普通に、そして優しく接するように心がけた。

しかし、普通も優しさもわからない。

それもそのはず、菜々子自体そんな風に人に接されたことがないのだ。

わからないものはできない。

それでも菜々子は頑張ったのだろう。

しかし、今朝方の屋上でそれは崩れた。

切尾に対してぶつけた怒りは本当だ。

それは自分への怒りでもあった。

切尾の言ってることが分かりすぎて。

まるで自分自身と喋ってるような気分になったのだ。

思わず菜々子は逃げ出した。

それからこの一日。

菜々子は自分の間違いを知った。

自分が助かりたいから優しく接してくる人間なんて一番自分が嫌なものじゃないか。

気づいてしまえばもう遅い。

後悔、懺悔が心を飛び回り、自分の好きな本を読むことすら忘れていた。

ただ、ただ切尾に謝りたい。

それだけを思いながら一日を過ごした。

だが、その機会は訪れないだろう。

しかし、それでもいいかもしれない。

ここで死ぬのは嫌だが、誰かを守って死んだなんて上出来じゃないか?

それが切尾なら尚更。

あぁ、本の中のお話みたいだなぁ・・・そんな風に考える時間も終わりを告げる。

これは懺悔と後悔の為の走馬灯。

菜々子の瞳に映る拳がゆっくり自分の胸をめがけて進んできて。

その身を貫く感触が広がった。



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