6 侮蔑
人は所詮短い糸をたぐる傀儡。
醜悪な見世物を観る側ではない。演じる側。
なら誰が傍観者?
そんなもの決まっている。
悪魔だ――。
「お前も死ぬべきだ…そうじゃないと不条理だ、だって…お前も誰かの不幸を見て、自分の平穏に安堵している!」
その少年の言葉と共に僕の頬を熱が襲った。
あ、殴られた。そう感じた時には景色はまるっきり代わり、グラグラと揺れる視界で捉えたのは無感情に笑うメフィストの顔だった。
「ざまざみやがレ!お前らなんか社会のゴミダ!」
少年…いや、もうそこにいるのは元の彼ではない。
その心に悪魔を宿し、悪魔と成り果てた被害者だ。
その証拠に、その体から黒い霧のようなものが立ち込め始めている。
あれが、メフィストの言う陰気な匂いの正体か?
ならば納得。
あれほど禍々しく、醜悪なものは今まで見たことない。
「もう体の大半を乗っ取られておるな。今あやつの存在が残っているのはマイナスの感情のみ。まさに悪魔の操り人形だ」
虎視眈々と、しかしどこか楽しそうな印象でメフィストは語りかける。
地を這う僕としてはそれどころじゃないんだが、その言葉でようやく命の危険を知った。
あれはもう人間ではない。人間の皮をかぶった悪魔だ。
「死ねよぉ!!」
走り込んできた…というのは事実だが、僕の目には瞬間移動してきたようにしかみえない速度で、少年は僕の目の前に現れ、その勢いを載せる形で前蹴りを繰り出す。
途端、体中の神経という神経が腹部へ集中されるような衝撃が走った。
蹴り飛ばされて宙を浮くなんて経験は人生でしないだろうと思っていたが、こんなにも息ができず、苦しいものだとは思わなかった。
痛みなどない。
ただ、膨大な熱量が腹部を多い、叫ぶことすら忘れた。
そしてきっかり10秒たって、ようやく脳が危険を察知。
遅れてやってきた痛みはあまりに重く。内蔵ごと吐き出すんじゃないかという気分で嘔吐した。
血液混じりの吐瀉物に跪き、死というものをあまりにリアルに感じる。
これが死ぬほどの痛み?
まるで拷問。
今の一撃で死ねたらどんなに楽なんだ!
「苦しメ…そのまま永遠に苦しんで…もがいて死ネ!!」
痛みは恐怖を伴う。
僕の体はもはや死の恐怖だけで殺されるほどに硬直し、逃げるなんて事をできないほどだった。
殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!
え・・・死ぬ?なんで?僕は何をしたの?
僕と君は何が違うの?
君が受けていた悪夢をしる側の人間じゃないか?
むしろ君も理解できるだろ!?
あの場面で君なら助けに出たのか!?
違うだろうが!?
なぜ糾弾されなきゃならない!?
ふざけるなよ!逆恨野郎め!お前こそ死ね!なぜ俺が死ななきゃならない!
お前のようなクズが…僕と同じようなクズが…力を持つとこんな理不尽が許されるか!?
そんな思考の嵐を吐き出せれば良かった。
しかし、僕の身体が物理的にそれを行えない。
痛すぎる!殴られるのも蹴られるのも…!もうたくさんだ!
だから僕は一人でいることを選択したのに…一人で生きても…こうなるのか!?
だったら僕の人生は虐げられるだけじゃないか。
「糞みたいな目しやがっテ。ゴミ虫が。僕はもうお前のような弱い虫じゃない!お前みたいなゴミじゃない!」
悪魔は力に酔いしれて、僕の体をいたぶった。
先程までのダメージに比べれば、かなり優しいダメージで。
それは僕の身体が痛みになれたのか、この悪魔が遊び始めたのか。
ふざけるなよ…どっちがゴミだ!
そんな怒りを糧に耐えていた僕にとんでもないものが目に入った。
「…」
それは特徴のなさが特徴のような地味な出で立ちで、日陰の生き方が染み付いている奴ら。
学園でこいつや僕のように虐げられている者、阻害されているもの、無力を片手に何もしない者。
そいつらがこの惨事を見ていた。
なんだよあれ?
何見てるんだよ?
わからないのか?この状況?
どうみてもおかしいだろ!?
助けろよ!?殺されるだろうが!?
しかし彼らは何もしない。
それどころか、カミソリのような目で僕を文字どうり切った。
それはまるで虫を殺してる少年のいたずらを見てるような。
同情のさらに下。
自分の安全を喜び、生贄をみて蔑む目。
そのビジョンは僕に暗い真実を叩きつけた。
こいつらに今僕は何を思った?
そして、僕はさっきどんな態度で、この場に居合わせた?
こいつらの行動と僕の行動…何が違う?
「あ・・・あ・・・ああ」
もう僕の体からはうめき声しか出なかった。
それほどにまで心身共に痛みすぎていた。
どこか遠くのできごとのように感じていたのかもしれない。
もうどうでもいい。そんあ言葉が心にさしはじめた。
「あ・・・あ・・・あぁ?」
しかし、おぼろげな視界が晴れる。
目の前に立ちふさがった影で。
「や、やめてください!」
その声には聞き覚えがあった。
そのシルエットには見覚えがあった。
極めつけは震える片手に握られた古い本。
「彼が何をしたんですか!?こんなひどいことをして!」
それは紛れもなく野眼先輩だった。
恐怖で震える体を押さえつけるかのように立ちふさがり、母猫が子猫を守るように僕と悪魔の間に立ちふさがっている。
「なんだよお前は!?」
奇っ怪な出来事に悪魔は動かない。
ただ、いらだちが伝わって来るばかりだ。
僕自身もわけがわからない。
こんなことに何の得がある?
僕なんかをまもってどうする?
僕は・・・あそこで傍観してる奴らと同じなんだ。
そんなクズを守ってどうなるんだ!?
「友達が傷つけられてるのを黙って見てるなんてできません!」
意味がわからない。
友達?何を言っているんだ?
僕は今日あんたに何を言ったと思う?
それで最後でいいだろう?
もう構わないだろ普通?
「バカが!そういう見せかけの偽善が一番腹が立つんだ!」
悪魔は怒り狂う。
なにせ自分は悪いことをしていないと思っている。
自分を虐げていた者、それを傍観しながら笑っていた者への復讐がなぜ弾圧されねばならぬと。
「見せかけではないです!友達です!私の大事な友達を傷つけるのは許せません!」
凛と言い放つ先輩の姿はとても弱々しく、吹けば消えそうな姿だ。
でも、迷いなき一言はあまりにも衝撃的すぎて。
「ふざけるな!僕が・・・僕が食いつぶされてる時は誰もそんなこと言わなかったのに!!」
悪魔は爆発するようにその姿を変えた。
もはや人間という器に狂気を入れただけの憎悪の塊に。
標的だった僕など目に入らないというようにただその怒りを先輩にぶつけた。
しかし先輩は身を翻すようにその拳を避けた。
「!?」
これには悪魔も驚きを隠せなかった。
僕だってそうだ。悪魔の力で怪物と化した少年の身体能力はあまりにも強力で、空想上の話かと思うほど危険なもの。
それをあんなにドジで天然な先輩がかわせる道理など全くもってないはず
しかし、続く攻撃もかわしていく。
「くそっ!なんだっていうんだよ!」
思いどうりにならないいらだちゆえに、悪魔も距離をおき、こちらを見据えている。
そんな時に先輩は僕の耳元に小声で語りかけた。
「大丈夫ですか!?早く逃げてください!私はしばらくの間注意を引きます。だからその隙ににげてください!」
そう言い切ると、僕から距離を置き、先輩は立ち向かっていった。
ここで僕は先輩のとんでもない回避に一つの仮説が走った。
それは先輩も悪魔と契約しているということ。
それがどんな悪魔で、どんな力を発揮するかは知らないが、こんな出鱈目な動きを出来るのはそうに違いない。
そんなことを知らない悪魔は、ただ気に食わない乱入者を迎え撃つ。
そんな両者以外に注意など向けられていない。
まさにサシの戦い。
逃げるなら絶好のチャンス。
だから僕は。
「う、うわああああああああああ!」
痛む体を引きずって。
「あああああああああああああああ!!」
その場から逃げた。