4 周りと自分
よくわからない事件に巻き込まれ一週間が過ぎた。
あれからずっとアイツは僕につきまとっている。それはもう生まれたての雛のように。
夏の暑さは本格的になり、その日差しだけで人を殺せるんじゃないかとすら思う。
そんなさなか、僕が最も忌み嫌う夏休みの一日が始まった。
「あー体がだるいなぁー今日はもうねてようかー。うんそーしよー。」
「ぬ。何を言うんだ?ついさっき俺とマリオカートしてたじゃないか。あんなに元気だったのにいきなり不調を訴えるとはなんぞや?」
とってもラッキーマンは読みながらこちらを訝しげに覗くメフィストの言葉は最もである。
それもそのはず、体調は至って良好。今ならフルマラソンもできそうなほどだ。
しかし、僕にだってそれなりの理由があってこんな事を言っているのだ。
「いやー夏バテってやつかなぁ?やっぱり普段から運動をしてないとこういう時にガクッときちゃうよね~。いや~恥ずかしい。」
「なるほど、確かにその軟弱な肉体では、この暑さはきつかろうな。最近のもやしっ子はだめだな。ゆとり乙。」
顔をお見せできないのが非常に残念だが、上司に向ければ一発でクビにされるほど鬱陶し顔だ。本当にコイツ人を馬鹿にするのうまいな。
しかし、そんな素振りを出すわけにもいかず。
「そうなんだよ。だから今日は寝てることにしよう。いやー情けない。」
そう言って布団に包まり壁際に寝返りを打つ。
よし、これで大丈夫だ。あとは適当に時間を潰せば…
「お兄ちゃん!いつまで寝てんの!今日は登校日でしょ!ズル休みなんかさせないんだからね!」
勢いよく扉が開き、さながらマシンガンのような勢いで怒号が飛んできた。
恐る恐る扉を見ると、プリプリ怒った妹が仁王立ちしていた。
「お、妹ちゃんか。相変わらず可愛らしいな。」
珍しいものを見たようにメフィストは関心しているが、この妹はそんないいものではない。
なにしろ今のセリフだって…
「…これでいいの?ホント面倒な生き物よねオタクって。わざわざ母さんが起こしてこいというから、アンタが一番喜びそうな起こし方してあげたんだから、さっさと起きてよね。まぁ、私からしたらアンタが学校行こうが、ボッチだから引きこもって膝を抱えてようがどうでもいいんだけど。ともかく学費払ってもらってる身分なんだから迷惑かけないようにしなさいよね。私にまで変な目むけられるから。」
「・・・ぐぬぬ。」
僕は無言で立ち上がった。既に妹は下に降りていった後だ。
内包する塵芥の感情を全て攻撃力に変えて壁を殴りたい気持ちだった。
これが妹の正体だ。ツンデレでもブラコンでもない。僕を兄とも思っていない。
それに関しては何も言うまいが、なにより腹が立つのはあの見下した態度である。
「…なんというか。現代の女はすごいな。」
かの悪魔メフィストもこれには驚いてる様子だ。無理もない。
しかし、あれが現代女子の標準だと思ってるなら、それは間違いだと言うざるを得ない。
「あいつだけよあんなのは。でも、僕自身何も言い返せないんだ、情けないことにね。」
普通兄ならここで何かしら言うべきだろうが、僕に至ってはそんな発言力はない。
我が妹様は、学年一位の成績を持ち、陸上部のエース。男女ともに友好関係は広く。毎日下駄箱にはつなげれば広辞苑ぐらいになりそうなほどラブレターが入っている。
かたや僕は、中の下ぐらいの成績、帰宅部、ぼっち、彼女イナイ歴=年齢(むしろ女子にはクスクス笑われる存在)、オタク、おまけに根暗。そして最近では悪魔付きときた。
こんなにも差があれば何も言い返すことなど出来ない。
「そんなもんかなー?俺は人間の価値ってそんなところじゃないと思うぜープライスレス的な意味で。」
「お金で買える価値のほうがよっぽどよかったよ。」
それなら僕は全部買い占める。
無言で用意をすまし朝の食卓につくと、母も父も妹もすでに食べていた。
静寂の中、食器の音だけが響き、なぜか居心地が悪かった。
逃げるように飯をかきこみ席を立つ僕に、誰も声をかけることはない。
これは別段家庭環境が悪いわけではない。
僕があまり誰とも喋らなくなり、自然とこうなっただけだ。
その様子を見ていたメフィストは何か言いたそうだったが、それを無視して家を飛び出した。
路地に面した一戸建てを出れば、今日もうだるような暑さだと再確認させられる。
「んで、今日はどこ行くんだ?あ、その服装だと学校だろ?馬鹿だなー夏休みだぞ。」
「今日は登校日なんだよ。さっきも言ってただろ。」
登校日…それはぼっちな僕にとって一番嫌いな日である。
普段毎日あるものとは違い、休みを挟んで改めて登校しないといけないなんて、あまりにも面倒だ。
なにより、教室の浮かれたムードはあまりにも濃い。胸焼けしそうになる。
クラスには僕以外にもぼっちが数人いるが、彼らでさえ休みの中で何かを会得しているのだ。その顔は健やかになっていることが多い。
いっそ僕がDQNだったらこんな思いはしないのにな。
…それはまた違う話か。
「…なんだかわからんが体調悪かったんじゃないのか?」
しばらく黙っていたメフィストが、思い出したかのように訪ねてきた。
「…別に。もう大丈夫なんだよ。」
ホント。空気を読んで欲しいよな。
教室についてみれば、案の定浮かれムードだ。
それだけでもうんざりするというのに、これから校長の長い話を聞かないといけないと思うとさらに気が滅入る。
久しぶりについた自分の席ですら、僕を拒否してるように感じる。まるで灰色の世界で自分だけ迷い込んだように。
いや、灰色なのは僕か。
「そういえば昨日楽しかったよね~。」
「皆でBBQってなかなかいいアイデアよね。登校日前日になったのはなんだか疲れちゃったけど。」
「今度は皆で肝試しやろうよ!」
「いいねー賛成!」
「んじゃあ、俺ん家寺だからさ!皆でその日来いよ!」
「おー!盛り上がってきた!」
何やら盛大に盛り上がっている様子だ。どうも昨日はクラス全員でBBQをやったらしい。
あ、僕はいってない…というか呼ばれてないから全員ではないか。
クラスが一丸になって何かを決めてる様子は外からみれば微笑ましいのだろうが、そこには淘汰された者がいるのもまた事実。現に僕以外にも…
「田中もくるよな?」
「…あ…い、いいの?」
「おう!こいよ!俺ん家バイオ6買ったから攻略手伝ってくれ!」
そこには輪に混ざり照れくさそうに話すほかのボッチの姿があった。
そのほかのボッチも輪の中で笑い合っている。
そうか。このクラスにボッチは僕だけなのか。ほかの奴は大人しくて引っ込み思案だっただけのなか。
なんだそれ。僕恥ずかしいやつだな。勝手に仲間意識持ってさ。
「どうした?何やらあっちで楽しそうにしてるぞ?お前は入らんのか?」
光景を眺めていたメフィストは不思議そうにしている。
「うるさいよ。いいんだこれで。」
「ぬぅ…。」
窓の外を眺めて話を終わらす。これ以上何も言うなと言わんばかりに。
言ってどうなる?彼らは彼らのコミュニティがあるんだ。
僕はいじめられてるわけじゃない。認識されてないだけだ。
無視じゃなくて、無意識。僕もそれでいい。気を使われて誘われるのも癪だ。
「しかしな。お前これでいいのか?」
話は終わったと思っていたのに、メフィストはしつこく続けた。
「せっかく仲良くなれるチャンスかもしれないのに自分から拒否してどうする?お前のように一人で過ごしているやつもいたかもしれんが、きっと自分から歩み寄ってあそこにたどり着いたのだぞ?お前はそのままでいいのか?」
どこかの教師物のドラマみたいなセリフはく悪魔にたいして、なんでもない事のように告げる。
「うるさいな…なんでそんな熱血教師系な発言なんだよ。別に僕はこれで文句はないし、彼らもそれでいい。ほら見ろ利害は一致してるじゃないか。むしろいまさら話しかけられても困るのは彼らだ。僕はこれでも気をつかってるつもりだぜ?」
「そうか。まぁ俺にどうこう言う資格はないがな。しかし寂しい奴だなぁ~せっかくの機会だというのに。」
「ほっておいてくれよ。別に僕はあいつらと仲良しこよししたいわじゃないんだ。一人がいいから一人でいるんだ。まあ、寂しいやつと言われても仕方ないけどな。」
諦めたのか呆れたのかは知らないが、メフィストはそれ以上喋らなかった。
それでいいんだ。僕はもう余計なことはしたくない。このままじっと待ってさっさと家に帰りたい。
そんな気持ちで外を眺めていると、ヒソヒソと声が耳に入ってきた。
「ねぇ、何かあの人さっきからブツブツ独り言いってない?」
「なんか怪しいよね?ていうかキモイ。」
「そもそもあいつ誰だっけ?」
「えっと…神…なんちゃらって名前だった気が…。」
「どうする?誘う?」
「えー…別にいいけど…。」
確実に僕の事を言っているのだろう。
しまった、そういえばメフィストは僕にしか見えないんだ。これじゃあ人ごと喋ってるキモイやつと思われても仕方ない。
ひっそり過ごしてたのに、とんだミスをやらかした。
なにやらクラスは気まずい雰囲気になっているので、僕は何か言われる前に席を立つ。
このまま情けで何か話しかけられても困る。冗談じゃない。
正直僕がこの場に居づらかっただけっていうのが正解だが。
別に卑屈になってるわけじゃないのだ。
友達がいないまま。誰にも注目されないまま静かに過ごしていたい。
それは本音だ。
だが、今ので僕の姿を認識されてしまった。このまま何か噂されるのはさすがに堪える。
だから一度僕が視界から姿を消せば、また教室は何事もなかったかのように通常どうりに戻るだろう。
僕なりに気を使っているつもりでもあるのだ。
ぼっちも大変だぜ…やれやれ。
さて、このまま屋上にいって黄昏てみるか。といっても実際落ち込んだりしてないから黄昏ようがないがな。
しかし
そんな僕の思惑は予想外の方向ではずれる。
今日はオンラインゲームのアップデート日だな、なんて口笛吹きながら教室を出ようとしたら、廊下側から扉が開いた。
あれ、僕まだなんにもしてないぞ?それとも僕の眠れる才能が開花したか?だとしたら嫌だなぁ。扉が開く能力なんて。
「神木澤さんじゃないですか!同じ学園だったなんて知らなかった!びっくりです!」
僕の前には目を輝かせ、手をとり喜ぶ眼鏡女子の姿があった。
というか野眼さんだった。
「え…っと…ですね…。」
いきなりの出来事に目をそらししどろもどろしてしまう。
もちろん僕が感じているのは背中に当たる視線。目の前の悪魔付き眼鏡少女なんか気に留めてない。
問題はクラスの空気がピシャリと変わったことだ。
しかし、そんなことお構いなしに野眼さんは続ける。
「もう言ってくださいよ!たまたま廊下を歩いてたらお顔が目に入って駆け寄ってしまいました!でも…ここは二年生の校舎ですよね?…えっ!?神木澤さん二年生なんですか!?私より年下!?」
目まぐるしく変わる表情とはうらはらに、声のトーンは興奮したまま。むしろ上昇しているように感じる。いや、もう弁論する隙が…。
「はっ!?」
しどろもどろしてる間に、背後からヒソヒソ声が聞こえてきた。
「あれって、野眼先輩だよな?」
「間違いない。あの眼鏡に巨乳…そしてトレードマークと言える片手に本!間違いなく野眼先輩だ!」
「なんだアイツ?普段本しか読まない、本にしか興味ないと言わんばかりの読書美少女の野眼先輩と話しているぞ!?」
「う、うらやましぃ!」
「クソ!俺狙ってたのに!」
主に男子の声しか聞こえないのは、彼らの発する禍々しいオーラが原因だろうか?
やばいぞ。すごく注目されている!!
今すぐ弁解したい!がしかし、弁解できる要素が無い!
あ~この人はたまたま悪魔つながりで喋ったことがあるだけの関係さ~ホントこまっちゃうなぁ~HAHAHA~ なんて言えない!!
ここは白を切り通すしかない!
軽く決心をし、僕の思考中もずっと興奮しながら話している(今もなお)野眼さんに向き直った。
「ひ、ひぃと違いじゃあ~りませんかぁ~。」
多少声が裏返るのはこの際仕方ない。むしろこれでごまかせればおつりがくるぞ。
さぁ、キョトンとしてる野眼さんよ。そうでしたか~と言って回れ右するんだ!
「アハハ!何言ってるんですか!そんな事言っても私は騙されませんよ!現に今も後ろにメフィストさんが・・・」
「さぁて!先輩!体育館はこっちですよー!え、何!?道を忘れた!?よろしい!僕が連れて行きましょーーい!!」
大声ですべてをもみ消すように叫びながら、野眼さんの首根っこを掴んで僕は走り去った。
「あのね先輩。僕を見つけて大声で話しかけてくるだけでも注目されてるのに、悪魔のことをそのまま話すのはやばすぎるでしょ・・・。」
場所を変え屋上。野眼さんをひっぱり走り、ようやく落ち着けた。
いきなりの行動にもー!びっくりするじゃないですかー!なんて言いながらぷんぷん頬を膨らませていた彼女も、僕の発言を聴いてわかってくれただろう。
「びっくりしたなーもー!いきなり引っ張るなんてらんぼうですぅ!」
「いやだから、あれは仕方なくですね。あの場でメフィストのこと喋ったりしたら先輩だって変な目で見られるんですよ?」
「それが・・・・・・・・・あぁそうでした!悪魔のことは話しちゃダメなんでした!」
「今頃!?遅いよ!!」
本当に天然だと思う。アワワワといまさら口を両手で塞いでいるあたりが。
萌えるなこの人。
「す、すいましぇん!私思っても見ないところで神木澤さん見つけて嬉しくなっちゃって。」
「いや、もういいですけど・・・。ホント気をつけてくださいね。悪魔の事もそうですが。教室にいきなり入ってきて僕に話しかけたりとかも。」
今頃クラスではどんな話になっているののだろうか?想像したくない…。
だが、僕の発言を聴いて野眼さんは首をかしげる。
「…悪魔の事はわかりますけど・・・教室で神木澤さんに話しかけるのはどうしてダメなんですか?」
本当にわからないといった様子で、無垢な瞳がこちらを向く。うっ、そんな目をするな。
「いや、その…やっぱりいきなり上級生と親しげに話してたら驚かれるし…何か皆実際びっくりしてたし…。」
「それじゃあ、教室の外でならいいんですね!分かりました!廊下や食堂なら皆いませんよ!」
よかったーと胸をなでおろし喜ぶ野眼さん。いや、そういうことじゃないんだが…。
「いや、それもまずいですよ!だれが見てるかわからないし。俺と喋ってたらその・・・変な噂たつかもしれないし・・・。」
「変な噂ってなんですか?」
酷なことを聞いてくれる。わざとやってるんじゃないかこの人?
「えっ!?・・・その、ま、まぁ僕と先輩が・・・そういう関係みたいな・・・?」
「そういう関係?わからないです!」
「・・・と、とにかく!僕なんかと喋ってたら変な奴だと思われますよ!」
すると野眼さんは途端に笑顔を消して黙った。
僕はそのままの勢いで続けた。どこまで深く。
「ほら、僕ってこの通り冴えない姿だし、なんか暗いですし、クラスでも浮いてますし。」
僕はなぜか言葉が止まらなかった。濁流のように続いていく。
「オタクですし・・・なんかこう家族ともうまくやれてないし…クラスの中でも同じようなやつ探して、自分は大丈夫だなんて思って喜んでるような奴ですし。成績も悪いですし…それに…」
「…の…ません。」
「えっ?」
まくし立てるような僕の言葉を黙って聴いていた野眼さんは、うつむいたまま何かを呟いた。
僕が喋るのをやめて顔を伺うと、睨むようにこちらを見ていた。
「そんなの関係ありません!!」
大きな声で彼女は叫んだ。その顔には少し涙が滲んでいた。
「周りの人がどう思うとか、そんなこと関係ないじゃないですか!私はあなたと喋ろうと思って話しかけてるだけです!それを周りに人がどうこう言う権利なんてありません!」
彼女は怒っていた。そりゃあもう怒っていた。
あまりに勢いに僕はたじろいでしまう。
「そ、そりゃそうだけど」
「なんでそんなに自分を卑下にするんですか!あなたは周りに言われた評価をそのまま飲み込むんですか!?そんなの評価でもなんでもないです!」
「いや、別にそういうことをいうんじゃ。」
喋る隙など与えてくれない。この辺はいつもと変わらない。
ただ、怒ってる彼女はいつもの数倍隙がなかった。
「私のことが嫌いならそうと言ってください!そんな言い方で濁して欲しくないです!」
もはや感情的すぎて手のつけ所がない。正直僕はこんな会話したことないし。
「そ、それは違いますよ!僕は先輩のことをおもって…」
「私はあなたと話したいだけです!」
あまりにきっぱり言われ。言葉を失った。
「それに…。」
ひと呼吸おき。彼女はその言葉を告げた。
「お友達と話すのになんで変な噂をされないといけないんですか!?」
僕は完全に何も言えなかった。
本当に思考が止まったのだ。
たった一言で。
涙を拭って屋上から走り去る少女を目で追うことしかできず、その場で岩のように固まってしまっている。
いつまでそうしてたのだろうか?
今まで黙殺を決めていた背後の悪魔が口を開いた。
「あーあ、泣かしやがって。あんなに素直な子なのに。」
そんな悪魔の一言にも何も返せない。
「なんつーかさ。お前の言いたいことはわかるし、言ってる意味もわかる。でもさ、何が正しいかはお前が決めることじゃない。お前は全部に対して妥協してるだけだ。あの子にはあの子の正義がある。それを曲げることなんざ、神だろうが悪魔だろうがやっちゃいけねぇ。」
悪魔の声はあまり優しく、あまりに厳しかった。
僕にはそれが胸にささって。
言葉が出なかった。