バレンタインデーの奇跡
「ねぇ!矢神くんって甘いもの平気?」
「大丈夫だけど一体どうした?」
「うんうん、なんでもないよ!ただ気になっただけ!」
「そっか」
……なんでもないわけないのに突っ込まないんかい!時期を考えて時期を!今日は2月7日。バレンタインデーの1週間前ですよ!
「矢神くん、今日バス?」
「うん」
「じゃあ方向違うね」
「篠原さんは?」
「今日は迎え来てもらうの」
「そっか……じゃあね」
「ばいばい」
昇降口を出たあたし達は裏門と正門へと別れた。
矢神くんは隣のクラスだけどよく話す人。共通の友達を通じて今の関係に至る。俗に言う『友達以上恋人未満』って関係かな。……って周りがそう言うだけだから本人達からすれば分からない。でも少なくともあたしは彼を『友達』だとは思ってない。あたしは彼と話すようになって、彼のことを知るようになって、彼に恋してしまった。彼と接するようになって約半年。彼を好きになって約3ヶ月。
あたしは、彼にバレンタインのチョコを渡すと決めた。好きだから、って理由もあるけどやっぱり一番の理由は彼にまだお礼をしてないから。彼には感謝してもしきれない程助けてもらったことがたくさんあるから……。
***
バスの中で揺られてる時ふとさっきのことを思い出していた。
ヤバい、一瞬すごい驚いた。まさか彼女にそんなこと聞かれるなんて思わなかったんだ。今日はバレンタインデーの1週間前。さっきの質問はその日に関係してるのかとドキッとしてしまった。
でも、俺と彼女にはその日のことなんて関係ないとすぐに思った。俺達の関係を考えたら一目瞭然。俺と彼女は付き合ってるわけではない。クラスも部活も違うのによく一緒にいるからそう勘違いする人もいる。俺だってそうなりたいさ。俺は出逢った時から彼女が好きだった。彼女のそばにいるうちにもっと好きになってしまったんだから。でも彼女は俺をそういう目で見てはくれない。きっといつまで経っても『友達』止まりだ。
もし、もし彼女が来週俺にチョコかなにかをくれたら俺は気持ちを伝えようと思う。それが本命じゃなく義理だとしても俺は彼女に伝えよう。今の関係が崩れるのを恐れていたらきっと前には進めない。
正直、気持ちを伝えるつもりはなかった。でも彼女に気がある男子は俺の他にも複数いる。しかもそれは同じクラスだったり、同じ中学だったりと俺より共通点がある人ばかり。
嫌なんだ。彼女が別の誰かの隣にいることが。別の誰かと笑顔で話すことが。俺の隣にいて笑顔で話してほしいんだ……。こんな想い、純粋な人からすれば歪んでるって思うかもしれない。でもこれが俺の本音。
正直に気持ちを伝えて断られることが怖いと思ってないわけではない。少しは怖いさ。でも、彼女を別の誰かにとられるのはもっと怖いんだ。だから俺は言うよ。彼女が好きだから。
***
数日後――。バレンタインデー前日。
「ごめんね矢神くん!今日は用事あるから先に帰るね!」
放課後、彼が部活に行く前に彼のいる教室に向かって彼にそう告げた。
「あぁ分かった。わざわざ言いに来なくてもよかったのに」
「だってほぼ毎日一緒だから……」
「それもそうだな。……明日は?」
一瞬ドキッとした。だって明日の帰りはチョコを渡そうと思ってたから。
「明日は大丈夫!」
「そっか。じゃあ俺は部活行くから」
「うん、頑張ってね!」
彼はあたしに向かって笑顔で手を振って部活に行った。
さぁ、あたしは帰ってお菓子作らなきゃ!友達の分だけじゃなく彼の分も……。
帰り支度をして帰路についた。
「よし、出来上がったー!」
思いの外作るのに時間がかかってしまったお菓子。友達に渡す用と彼に渡す用は同じにしてたけどやっぱりやめた。最初は彼に渡すのは買ったのにしようと考えてたけどそれもやめた。彼には、ちゃんと渡すとしたらどうしてもちゃんとしたやつをあげなきゃいけない気がしたから。
「うー……。ちゃんと焼けたかな?なんか、少し不安……」
見た感じ一応ちゃんと焼けてる気がするけど……。いや、外はちゃんと焼けてても中は生焼けってこともあるし。よし、不安ならもう少し焼いてみよう!
そして待つこと数分、再びオーブンの扉を開ける。
「うーん!いい匂いっ!これなら大丈夫かな!」
粗熱をとっている間にいろいろ使った用具を片付ける。
とうとう明日はバレンタインデーか……。かれこれ5年以上異性にチョコ渡したことなかったから緊張するなぁ。でも多分彼は渡しても義理って思うんだろうなぁ。まさか自分があたしから本命チョコをもらうなんて思わないだろうし。いや、あたしが彼に渡すチョコは本命と義理のどちらでもある!好きだからって意味の本命と助けてもらったお礼って意味の義理。あたしの思いはどっちの方が強いのかな?自分のことなのに自分の気持ちがよく分からないよ。
……届くかな、あたしの想い。届いて欲しいと思ったから一生懸命作ったの。
でも自分から好きだなんて言えない。絶対言えないよ。だって怖いんだもん。彼に振られて関係がギクシャクするのが。だから前に進みたくても進めないの!振られてギクシャクするくらいなら片想いの方がましだよ……。あたし、こんなに臆病じゃなかったのに……。前までこんなに後ろ向きじゃなかったのに!恋をするとこんなに臆病になってしまうものなの?
「もう分かんないよ……。あたしはただ、矢神くんが、好きなだけなのに……」
気がついたら目には涙が浮かんでいて、その場にしゃがみ込んで泣き崩れてしまった。
***
「今日は一緒じゃないんだって?篠原さんと」
部活終了後、着替えをしてると彼女と同じクラスの奴に声をかけられた。
「あぁ。用事があるみたいだな」
「用事とか珍しいな。もしかして彼氏でも出来たのかな……」
彼氏、という言葉に思い切り反応してしまった。着替えをしていた手が動きを止めた。
「そしたらショックだなー。俺、結構マジだったんだよな、篠原さんのこと」
「……へぇー」
「なぁ、お前ホントに付き合ってないの?篠原さんと」
きたこの問い。ここ半年で一体何回聞いたんだろう。
「あぁ。付き合ってないよ。付き合いたいと思ってはいるけど」
「そうなのか!?俺初耳なんだけど!」
当たり前だろ。今初めて口外したんだから。
「はぁー……お前が相手なら俺は絶対無理だな。クラス同じなのに全く話さないし」
「……そうなのか?」
ペットボトルのふたを開けて水を飲んだ。
「あぁ。篠原さんが男子と話すなんて多分お前くらいだな。きっと篠原さんもお前が好きだぜ」
いきなりそんなことを言われ、危なく水を吹き出しそうになった。おかげで吹き出しはしなかったものの変なところに水が入り、咳き込んだ。
「お、おい、大丈夫か?」
「ゲホッゲホッ!いきなりなに言い出すんだよ!」
「だってそうとしか考えられないだろ?同じクラスの男子とは話さないのに隣のクラスのお前とはほぼ毎日一緒に帰ってんだろ?」
「まぁ、そうだけどさ……」
「だから明日、絶対チョコ貰うだろ」
「まさか。そんなわけない」
「いや分かんないだろ?もしかしたら用事はチョコ作るための材料買ったりとかチョコ作ったりとか」
「まさか。友達には作ってるかもしれないけど俺には――」
「なぁ、少しくらい期待してもいんじゃね?」
ふとそいつは俺の胸に拳をあてた。
「頭のいいお前ならよく考えれば分かるだろ?話したり毎日一緒に帰ったりしてるってことは少なくともお前は篠原さんに嫌われてるわけじゃない。むしろ好かれてるんだよ。うらやましいくらいにな!」
そう言って俺は強く胸を叩かれた。
「いって!今結構本気で叩いただろ!?」
「当たり前だろ?うらやましいんだよお前は!篠原さんに好かれやがって……」
「……じゃあもし俺が告って振られたりしたら本気で殴らせろよ?」
「いいぜ?多分そんなことないだろうからな!」
なんてつまらない賭けをして俺は部室を出た。
***
バレンタインデー当日。
もう朝からドキドキ。だって彼に渡すんだもん!やっぱり緊張する……。いつも一緒に帰るくせにこんなにドキドキするなんて初めてだよ。
「お疲れ様、矢が――」
『矢神くーん!部活お疲れ様ー!』
あたしが声をかけるより先に彼のファンの女子達が彼に駆け寄った。
「バレンタインのチョコ、受け取って貰えないかな……?」
「矢神くんのために作ったの。よかったら食べて!」
やっぱり彼は人気なんだなぁ。あんなに女子に囲まれてチョコを渡されて。受け取るのかな?ちょっと気になる。
「……悪いけど本命以外から貰わないつもりなんだ。気持ちだけ受け取っとくよ」
『そんなぁ……』
本命以外……?彼には本命がいるの?知らなかった。今まで一緒にいたのに知らなかった。だけどそんな話は一度もしたことないから当然と言えば当然。
手元にある紙袋を見る。この中には彼に渡そうと思ってたチョコが入ってる。でも彼は本命以外から貰うつもりはないんだ。ということはこれも受け取って貰えないんだ……。
きっと彼は本命の子からチョコを貰えることを期待してるのかな?それとももう貰っちゃったのかな?でもどっちにしろ本命の子がいるならその子と一緒に帰ればいいのに。ダメだよ、『女友達』を優先にしちゃ。その子に誤解されちゃうよ。
「篠原さん、お待たせ」
いつの間にか着替えを終えた彼はあたしの元へ駆け寄ってきた。そしてあたしの手元の紙袋を見た。
「……それは?」
「あっ、こ、これは……」
『篠原さん!』
複数の男子があたしを呼ぶ声がしたので振り向くとそこには彼と同じ部活の人が数人いた。
「もしかしてその袋の中身ってチョコですか?」
「もし余ってるようであればください!」
「篠原さんの作ったチョコ食べたいです!」
……えっ?何故それをあたしに言うの!?別の人に言ってください!これは、彼にあげるための……。
「篠原さん」
彼があたしの名前を呼んで耳元に顔を近づけてきた。
「逃げるよ」
「えっ?……きゃっ!」
いきなり腕を掴まれて走り出す彼に連れられ走る。
『おい矢神!』
『矢神くん!』
男子や女子を無視して彼は走り続ける。
「や、矢神くん……?」
声をかけても彼は反応してくれない。……真剣な顔をして走ってる。それも腕を掴んだままで。
ねぇ、貴方は誰が好きなんですか?あたしのチョコも受け取ってはくれないんですか?悲しいよ、矢神くん……。
心の中でそう呟いた。
***
あいつらよくも俺が気になってたことを堂々と聞きやがって!なんかすごいイライラする。
「あの、や、矢神くん……?」
彼女に名前を呼ばれてはっとして手元を見る。……彼女の手を握ったままだった。
「あっ!ご、ごめん!つい……」
「うんうん!大丈夫!別に、嫌じゃなかったもん……」
顔を真っ赤にしながらそういう彼女。……ヤバい、可愛い……。
……ってあれ?彼女今、『嫌じゃなかった』って言わなかったか?聞き間違いじゃなかったら言ったよな。
「篠原さん、え?嫌じゃなかったの……?」
「あっ!いや、あの、その……」
はっとした彼女は急に下を向いた。
「正直に言って。篠原さん」
俺は彼女に優しく言った。すると彼女は今にも泣きそうな顔をしていて潤んだ目で俺を見た。
「矢神くん……好きな子いるの?」
「……えっ?」
彼女はいきなりなにを言い出すんだ?
「好きな子いるなら、その子と帰りなよ……。女友達より好きな子を優先した方いいよ?」
「ちょっと待って。え?どうして?」
俺は彼女に好きな子がいるなんて一言も言ったことないのに何故?
「聞いちゃったよ。矢神くんがファンの子達に本命以外からは貰うつもりないって言ってたの……」
「っ!」
いつの間に聞かれていたんだ?まさかあの時近くに彼女がいたなんて思わなかった。まさか、誤解させてしまったのか?
「だからきっとあたしのチョコも受け取ってもらえないって分かってる!でもこんなふうに、あたしの手を掴んで真剣な顔で走る矢神くんを見たら期待しちゃうの!」
そう言って彼女は俺に持ってた紙袋を差し出した。
「あげる!矢神くんのために一生懸命作ったの!本命以外から受け取って貰えないと分かってるけど『友達から』として受け取ってほしいの!」
ちょっと待ってくれ。そんなこと言うなんてもしかして彼女は俺のこと……?まさかそんなわけない。でもそしたらこれはなんだ?
潤んだ目で俺を見て紙袋を持ってる手は震えてて……。これが友達に対する行動には見えない。
「……やっぱり受け取っては貰えないんだ。無理言ってごめんね。あたし今日は1人で帰るね」
彼女は消えそうな声でそう言うと俺に背を向けて歩き出した。
このままほっとくのか?誤解されたままにしておくのか?彼女とは『友達』のままでいいのか?
彼女に気持ちを伝えなくていいのか?
そんなの、嫌に決まってるだろ!歩き出している彼女の元へ走っていった。
***
チョコは受け取って貰えなかった。あたしは彼の好きな子ではないってことが分かったよ。『友達』としてでも受け取って貰えなかった。これが彼の気持ち、彼の答えなんだ。それじゃああたし達の関係は一体なんなんだろう?
もう嫌だ。涙が止まらないよ……。好き。彼がこんなに好きなのに伝えられないよ。気持ちはもう溢れ出しそうなのに。
「篠原さん!」
彼の声がしたと思ったら腕を掴まれた。
「……ごめん矢神くん、離して」
「嫌だ。絶対離さない」
「なんで……?」
好きな子以外にこんなことしちゃダメだよ。分かってても好きって気持ちが溢れちゃうよ。優しくしないで。あたしは、あたしは……。
「なんでって、篠原さんは俺にとって大切な人だから」
大切な、人……?一瞬嬉しかった。でもあたしが思ってるのと意味が違うんでしょ?『友達』として、なんだよね。
「……だからそれは好きな子に――」
「そうだよ。だから言ってるんだよ」
「えっ……?」
どういうこと?好きな子に言うべき言葉をあたしに言うなんて。ダメ、頭が混乱してる。
「篠原さんが好きだ。誰にも渡したくない」
ふわっと体が温かくなるのを感じた。彼の手に引かれ、彼の中にすっぽりとはまっている。
「初めて逢った時からずっと好きだったんだ。でも、言えなかった。今までの関係を壊したくなくて。でも、誤解されたままギクシャクするくらいならいくらでも伝えてやるよ。篠原さんが好きだ」
頭の中がクエスチョンマークだらけ。分からない、分からないよ。本当なの?あたしが彼の本命の子だなんて。嘘だよね?
……嘘じゃない。彼は好きでもない子にこんなことしない。それは学校の女子の中であたしが一番よく知ってる。あたしが一番彼の近くにいたから。
「だからさ、それ俺にくれない?俺、元々篠原さん以外の女子から貰う気なかったんだ。篠原さんが俺にチョコ渡してくれるかなんて分からないけど篠原さん以外からは絶対貰わないって決めたんだ」
「……あたしの気持ち迷惑じゃないの?」
「迷惑なわけない。むしろ嬉しいよ」
いつもの矢神くんだ。いつもの優しい声で優しく接してくれる矢神くん。
「だって俺は、篠原さんが好きなんだから」
そんな、いつもの優しい声と優しい口調で言われたらあたしは……正直に言うしかないじゃないか。
「あたしも……好きなの」
怖くて怖くて今までずっと言えなかった言葉。伝えられなかった素直な気持ち。やっと言うことができた。やっと伝えることができたよ。あまりにも嬉しくてまた涙が出てきた。涙が止まらない。
「泣くなよ、篠原さん。俺だって、泣きたいくらいなんだから……」
「えっ?」
なんで彼が泣きたいの?
「嬉しすぎるんだよ。俺のためにチョコ作ってくれたり、両想いだってことが」
「じゃあ……受け取ってください」
「ありがとう、篠原さん」
彼はあたしの手から紙袋を取った。
「さぁ帰ろう。1人では帰らせないよ。送ってくから」
「えっ、でも……」
「いいだろ?彼女のこと家まで送るくらい」
『彼女』。その響きがすごくくすぐったい。『友達』から『彼女』になっただけでこんなに嬉しいなんて思わなかった。
「それじゃあ、お願いします」
あたしがそう言うと彼はあたしの手を握った。手袋をしてないのに温かくて大きな彼の手は冷たく冷えたあたしの手を優しく包み込んでくれた。