はじめての下校デート よん
キス、しよっかーー
自分で口にしたことなのに、そのあまりに大胆な内容に今更ながら頭の中がぐちゃぐちゃになった。どさくさに紛れて何を口走ってるんだろう、わたしは。
「は?」
目の前にいる幼なじみはキョトンと目を見開く。
思考が追い付かないらしく、しばらくそのまま食い入るようにこっちを見てた。もしかして……、今の発言に気づいてない?
「いや、違うの。えっと、だから……」
わたしはマゴマゴと言い訳を始めた。間抜け面した幼なじみに向かって、それはもう必死で。だって恥ずかしいじゃない。何だよキスって、飢えたオッサンか?
それにしてもこいつってば、一々動作が可愛いんだけど。てか、わたしってば本格的に変になってる。可愛いだって? 本気で健太相手に考えてるの?
「は……あ? 何が?」
健太が訝しんで首を傾げた。その瞬間、わたしは大きな声で奴の言葉を遮る。
「何でもない、何でもない! ね、どっか行こうか? わたし奢ってあげる。お腹空かない? なんか食べに行こうよ」
驚いて呆気にとられてる男相手に、一気に捲し立てた。口を挟む余裕を与えないほど、息継ぎなしで喋ってやった。
「え? 俺、用事が……」
「大丈夫、大丈夫。そんな時間かからないから、すぐ済むから。彼女らしいことしたげるって言ったでしょ。わたし憧れてたんだ、学校帰りに彼氏とお店寄るの。いいでしょ、短いちょっとした時間くらい」
お願い、とわたしは健太の前で手を組み頭を下げた。これじゃ彼女らしいことをしてあげるどころか、彼氏らしいことを要求しているみたいだ。
いや、まさにそうか。だって健太はわたしとの時間なんか、希望してなどないんだから。
絶対断られると覚悟を決めて目を伏せたわたしに、軽いため息が届く。
「……ちょっとだけだよな?」
「いいの?」
目を開けてすぐ側にある顔を覗き込んだ。
うっと呻いて健太が後ろへ瞬時にのけ反り、慌てたように言葉を続ける。
「本当にちょっとだけだからな」
妙に反応が大袈裟だ。
「分かった、分かった」
わたしは口笛でも吹きそうなほど浮かれて立ち上がった。健太はそんなわたしの態度に不信感を覚えながらも、諦めたのか少し遅れて足を伸ばす。
認めたくはないけど、その顔付きからは後悔している様子がありありと浮かんでいて、きっと鋭い勘でもって嫌な予感を感じ取ってるに違いない。
でも、もう遅いけどね。わたしはこっそりほくそ笑んだ。
何故なら、この時わたしは決めていたのだ。今日は下校デートを成功させて、最後にキスーーが出来るよう頑張ってみせると。
未知の領域に、このまま一気に攻め入ってやるんだから。
「で、結局ハンバーガー?」
こっちをチラリと一瞥した幼なじみは、照り焼きバーガーにかぶりついた。
「いいでしょ、別に。美味しいしお腹いっぱいになるし」
それにお財布にも優しいしね。
「別にどこでもいいけど」 意外と男っぽくどんどん食を進めていく健太から、わたしは視線を外して周囲に目を向けた。
学校帰りの学生で、店内はそこそこ賑わっていた。
女の子同士で来ている集団を見つけると、自然に顔がにやけてくる。ちょっと前までのわたしは、彼女達と一緒だった。いつもいつもいつだって、相も変わらず女連ればかり。
それが今はどう?
窓際席に並んで座る、横の幼なじみを視界に入れる。ガツガツとハンバーガーを平らげているのは、どこからどう見ても間違いなく男だ。見てくれはこの際どうでもいい。大事なのはカップルだってことなのだ。
しかも健太の制服は偏差値の高い進学校。なんかあんた後光がさしてない?
「何が可笑しいんだよ」
「えっ?」
「ずっと笑ってて……キモいよ、お前」
ニヤニヤと笑うわたしがさぞかし不気味だったらしい。健太は軽々とハンバーガーセットを口に運ぶと、コーラを飲み干して毒づいた。
こんな嫌味でも端から見たら、仲良しカップルの甘い会話に見えるだろう。だから別にいいよ、今日は貶しても。前にカフェでも言われたことだしね。
「どうでもいいけど、すっごい食欲だよね。夕食前にそんなに食べても大丈夫?」
太らないのか? 女の敵め。
「これぐらいなら余裕。旨かった、サンキュー」
健太は軽く笑いながら指についたソースを舐めとる。その時歯の隙間からチラリと覗く赤い舌が見え心臓が激しく鳴った。
ドッキン! ーーて嘘でしょ?
ドキドキと忙しくなる心臓に、同調したように全身が落ち着かなくなる。頭の中で今は全く必要のない知識が、グルグルとこれみよがしに踊ってた。
ずっと以前、どこかで聞いたことがあった。
多分美波あたりから聞いた、女同士で盛り上がれるちょっぴり色っぽいウンチク。
それは、食欲と性欲の深い結び付きの話だ。食欲を満たされた人間は、次には性欲が湧いてくるらしい。
て、ことはあれかな、食欲を満たした健太は今……。
「香澄」
「な、何?」
いきなり呼ばれて悲鳴のような声が出た。
「何だよ、おい。ボーとしやがって」
「う、うん」
わたしは急いでオレンジジュースを一気飲みした。喉で蒸せて咳込む。
ああ、おかしい。変だよ、わたしの頭。病気にでもなったんじゃないの?
自分がとんでもなくイヤらしい人間になったような気がした。健太が悪いんだよ。なんだか今日の健太、変なんだもん。
「大丈夫かよ?」
「う、うん。平気だから……」
咳の治まったわたしに、健太は柔らかい声で告げてきた。
「じゃ、いいか? そろそろ出るぞ」
トイレの上に食事のあとを全部乗っけると、彼はそれをさっさと片付け出口へと向かう。その後ろ姿に思わず声をかけて引き止めた。
「健太、待って。わたしトイレ行って来ていい?」
いやもう、ちょっと一息入れて落ち着かなくちゃ駄目でしょ、わたしは。今からこんな泡食ってたら、なんにも成功なんてしないよ。
早くしろよ、とこちらの企みなど何も知らないのんきな返事が、トイレへ走るわたしの背中を追いかけてきた。
店の前の道端で、健太がどこかへ電話をしている。わたしが近づくと会話が終わったのか、彼は携帯をポケットにしまった
「電話?」
「ん……もう終わったからいいよ」
誤魔化したように会話を終わらせて、目の前の幼なじみは歩き始めた。
なんとなく変な感じ。そう言えばさっきまで用事があるとか言ってたよね。それなのかな? 先約があって困ってるとか?
浮き立つようだった気分がみるみる沈んできた。
なんだかつまんない。
わたし一人が盛り上がってるみたいだ。みたいじゃなくてそうじゃないよ。だって、本物の彼氏じゃないんだから。こんなんでキスなんか出来るわけないじゃない。無理に決まってる、馬鹿みたいだ。
「何してんだよ」
健太が振り向いて立ち止まった。なかなか追い付かないわたしにやっと気がついて、こっちを向いたままじっと待っている。
「何でもない」
わたしの力の抜けた声に質問を続けてきた。
「どうすんだよ、これから。もう帰るのか?」
「だって用事があるんでしょ」
なげやりな言い方で答えを返す。
そんなわたしを見て、頭をかきかき健太が近づいて来た。
「何だよお前。コロコロと態度が変わって変な奴だな」
「知らないわよ」
わたしだって分かんないよ。何でか知らないけど、さっきから気分が浮いたり沈んだりと、ちっとも安定しないのだ。
「ーーで、今は沈んでるわけ?」
「そうみたい、どっぷり沈んでる」
「カラオケ行けなかったから?」
「え? ……違うと思う」
カラオケとか全然忘れてた。てか、あのあとむしろ浮き浮きしてなかった? そうだ、どっちかと言えば浮かれていた筈だ。
「ふん」
健太は鼻を鳴らしてわたしを見下ろしてくる。
「じゃ、帰るか? せっかくだから付き合ってやってもよかったけど」
えっ?
「それ、本当?」
「ああ……、でもお前そんな気分じゃないんだろ? 帰ろーぜって、何だよその顔?」
「元気になった! もうちょっと付き合ってよ!」
急に復活したわたしに、奴は目を丸くして噛みつく。
「何だよお前、情緒不安定か!?」
「いいじゃん、付き合ってくれるんでしょう?」
自分でも不思議なくらい浮上してた。
どうしてなんだろう? さっきまでのアンニュイな気分はどこへ?
疑問には思ったけど深く考えるのはやめ、露骨に嫌な顔をする健太の腕を引っ張って歩いて行く。奴は文句をぶつくさ垂れながらも、素直に後を付いて来た。
少しずつ暗くなって行く帰り道を、まるで子供の頃みたいに手を繋いだまま、二人でいつまでも歩き続けた。
やっと下校デートが終わりました。
色々と拙い二人で、何事もなく終わってしまいました……。