はじめての下校デート さん
「や、だからね。今日は無理みたい」
わたしはスマホを耳に当て、健太の学校近くのコンビニ前で電話の相手と会話をしていた。
『ちょっとお、無理ってどういうこと?』
電話の向こうで、喚くようながなり声を上げているのは優花だ。間違っても図々しくて口煩い美波じゃない。でも、本当に優花? 美波とキャラ被ってるよ。
『こっちはあんたが来るのを皆で待ってるのよ! カラオケ行くの、どうなったのよ』
「や、だってね、健太ってば今日塾があるんだって。さすが進学校、わたしらとは違うのよ。だからさあ、皆で楽しんできてよ。わたしのことは気にしないでいいから」
『はあ? 何よそれ。あんたが来ないんじゃあ、つまんないでしょ』
「いいからいいから、気にしない気にしない。じゃっ、切るね。バイバイ」
『ちょ、かすーー』
わたしはスマホの電源をブチッとあっさり切ってやった。それから引き続き長押しして、電源そのものも落として鞄にしまった。
だってさ、また鳴らされたら煩いじゃない? まあ多分、そんなことしてこないとは思うけど。
それにしても優花ときたら信じられない。もしかしてわたしに、一人でカラオケに参加しろと? いや、もう冗談でしょ。友達とは言えカップルの横でポツーンとか、あり得ないよね。
「用事って、約束かなんかか?」
電話をやめたわたしに健太が話しかけてきた。なんか微妙に不機嫌みたいで、眉をしかめたその顔は見ようによっては睨んでいるみたいだった。何で?
「う……ん」
だけど、わたしも変だ。健太の顔がまともに見れない。だからこっちまで、素っ気ない態度になってしまう。
「前にも言ったことあったでしょ。優花達と遊ぼって約束してるって、それだよ」
「ふうん」
健太はわたしの顔付きに気分を害したのか、知らん顔をして歩き始めた。
「どこ、行くのよ」
さっさとコンビニ前の駐車場から出て通りへと足を進める幼なじみを、わたしは駆け足で追いかけて行った。
「別に」
「別にって、何?」
「別には別にだよ」
「えぇ〜、何それ?」
「煩いな!」
突然キレたようにこっちに顔を向け、健太は大声を出した。
「あのなー、お前だろ? 彼女らしいことしてあげるとか言ったの。何で俺に聞くわけ?」
えっ?
「だって、わたし分かんないんだも……、何したらいいか……、ねえ、何して欲しい?」
何これヤバい。かなり、かなりヤバい。わたしの顔、どうなってるだろう。激しく不安だ。取り敢えず耳まで熱いのは気にしないようにしなきゃ。
わたしの問いかけに健太からの答えはない。
なんで黙ってんのかと顔を上げると、健太ってば怒鳴ってたくせに固まってるよ。どうりで返事をしない訳だ。
「……ねえ、ないわけ?」
勇気を振り絞って再び隣の男に尋ねるわたし。
「し、知るかよ。俺帰るから」
健太はわたしの手を振り切って脱兎の如く逃げた。無駄に多いボサボサヘアを揺らして、焦ったようにすごい勢いで走って行く。
「ちょっと待ってよ!」
だけどあいつは止まらない。もう無視だ無視。わたしの存在無視して行く気なんだ。
ちょっと、負けないわよ。こう見えても足には自信あるの、こっちは。勉強とアニメばっか見て、運動まるっきりしてこなかったあんたなんか、わたしの敵じゃないんだから。
わたしは肩から掛けてる鞄を振り落とさないように脇にしっかり挟むと、ワタワタと逃げてく幼なじみに照準をピタリと合わせた。
それから息を吸って深く吐き呼吸を整える。そして深呼吸のあと、地面を思い切り蹴って駆け出した。
「わたしを……撒こうだなんて……百年早……いのよ」
数分後に近くにあった公園で、へばってる健太に追い付き奴を捕まえた。
息を切らしてしゃがみ込む情けない幼なじみの制服を、指でしっかと握り締めわたしも隣に座り込む。
「体力だったら……負けない……んだから」
本気で逃げる気だったんだろうか、全く。いつだって『かけっこ』で、わたしに勝てたことなんかなかったくせに生意気。
でも正直、今回はやばかったかも。この公園を見逃してたら多分見つけられなかった。て、言っても帰る場所はお隣さんだから、はっきり言って知ってるんだけどね。
俯く健太は汗で濡れた前髪で目元を隠すと、意外と通った鼻筋を晒して荒い息を漏らしていた。
普段は不健康に見える青白い肌も、走ったせいか血色がよくなりほんのりピンク色に染まってる。
不思議だ。
まるで知らない男の子みたい。
無精で伸びた髪の毛も、筋肉のない頼りない印象の体つきも、何もかも健太でしかないって分かってるのに。何で? 何でなんだろう?
わたしは魅せられたように、苦しげな呼吸を繰り返す目の前の男子を見つめる。何だか胸がドキドキしていた。
「……うる……さいな」
健太の唇が掠れた声を出す。
「どうせ俺は……、体力ねえよ」
前髪が動いて潤んだような瞳が表れ、悔しげに歪めたその目にわたしを閉じ込め離さない。
息も出来なかった。
突然自分を襲う衝動に、訳が分からなくて混乱していく。
「……香澄?」
健太が怪訝な顔をしてこっちを見た。
変だ、変だわたし。
「ねえ……」
馬鹿、何を言う気?
喉があり得ないくらいカラカラに渇いてて、うまく声にならない。なのに、わたしの上擦った声はしっかり外へと出てしまっていた。
「キス、しようか?」ってーー。