闇のいる町
闇がでるのは近くの町だとあの王子は言っていたが、土地勘のないわたしにとってはこの町があの場所から近いのかも遠いのかもよく分からなかった。
「お前の素性は地方に住む貴族の令嬢ということになっている。村人に会うことは極力ないようにするが、それらしい振る舞いをしてもらえたら助かる」
……いちおう言うがわたしは一般庶民なのだ。そんな貴族の令嬢のふりをしろって言われたってそうそうできるはずがないだろう。
もしわたしに説明しているのがレヴォラではなくて、後ろで嫌々ながらわたしを護衛しているあの衛兵たちだったらわたしは絶対に文句を言っていたいと思う。
「努力はします」
努力はしても出来ないことがある。と思いながらわたしは小さくため息をついた。
レヴォラが王子にわたしの護衛になりたいと言ってくれたことはかなり意外であったが同時にうれしくもあった。
あの後、わたしからもレヴォラの護衛をお願いしたところ案外すんなりとレヴォラの護衛としての同行は認められた。
レヴォラに立場が悪くなったのでは?とこっそり聞いてみたと思ったがなかなか機会が訪れず、出発の3日後はすぐに訪れてしまい今日に至る。
町までは馬車を使っていくということでそれに乗ったわたしは微かに幼い頃の夢物語を思い出し柄にもなく胸をときめかせたが乗って数分後にはかなり後悔した。
道が現代のように舗装されていないため所々でこぼこしていて、それに馬車の不安定な揺れが加わり、乗って数分で酔いはじめてしまったのだ。
今はだいぶ落ち着いたものの、一刻でも早くこの馬車から降りたいと言うのが本心だ。
本当にこの国にはいいことがない。
「あともう少しで着く。ついたら町長にあいさつをしてその後は部屋にこもっていてもらって構わない。今回の闇が出てくるのは基本的に日が落ちてかららしいからな。それまではゆっくりしていろ」
「わかりました」
本当にレヴォラがついてきてくれてよかったと思いながら、わたしは揺れる馬車の中で目を閉じた。
闇とは一体どういうものなのか?
やっとそれを知ることが出来る。
「狭く汚いない町ですが、どうぞごゆるりとおくつろぎ下さいませ」
町の町長は以外にも年配の女の人で、少々ぎこちないわたしを優しい笑顔で迎えてくれた。
「ありがとうございます」
わたしは先ほど教えてもらったばかりの貴族の礼をとると、なるべくそれらしく微笑んで見せた。本当に無理がある。
なんとか挨拶を済ませた後、つれて行かれたのは今日の宿となる店。店主は「貴族の令嬢を泊めるなんておこがましい部屋ですが……」と言いながら案内してくれたが、わたしに言わせればあのボロ部屋に比べたら数倍マシな部屋だった。
あちらでの自分の扱いの悪さあらためて確信し心底イライラさせられたのは言うまでもない。
「花音殿」
部屋にたどり着き荷物を置いて一息ついたわたしにレヴォラが話しかけてきた。
「なんですか?」
「いや、思った以上に移動に時間が掛かってしまって申し訳なかった」
そういわれて外を見てみればもう夕方のようだった。あちらの屋敷を出た時間もそこまで早くなかったので当然と言えば当然だが、夕方ということはもう直ぐ夜が来ると言うことである。
「それで、夜まで余り時間がない。ここは日が落ちるのが早いから夕食を食べたら直ぐに出発となるかもしれないんだ。身体は大丈夫か?」
そう言われて、わたしは軽く身体を動かしてみた。
確かに疲れはたまっている。出来ることなら今日はこのまま眠ってしまいたいが、今回は闇に会うことが目的でここに来ているのだから仕方がないだろう。
「大丈夫ですよ、たぶん」
「そうか……本当に申し訳ない。行くのは明日の夜にと交渉してみたのだが、王の部隊の人間が頷いてくれなくてな」
やはり王側の人間は天子を人一倍嫌っていると言うことなのか。うんざりする。
わたしはそうですかとだけ呟いた後、レヴォラに出て行ってもらった。ホンの少しの時間でもいいから眠りたかった。
「大丈夫か?」
仮眠をとった後、一人で夕食を食べすぐに出発となった。護衛にはレヴォラと王の手先の兵が着く。
「大丈夫です。それで……これはどこに向かっているのですか?」
レヴォラの問いに答えながら辺りを見わたせば、生い茂る緑が目に入る。たいして歩いてはいないものの、これはどう見ても森の中だろう。
「この町にでる闇はこの森の中にある湖に居座っていると町長が教えてくれた。そんなに離れていないらしいからもうすぐ着くだろう」
「そうですか…………あっ」
そう言っているうちに森が開けて美しい湖がわたしの目に入った。微かに光を放つ湖は幻想的で、ついつい見とれてしまう。
「綺麗ですね……」
素直にそう感想を述べるたが、レヴォラはなかなか返事を返してくれなかった。不思議に思い湖に向けていた視線をレヴォラに戻すとそこには眉を寄せた厳しい顔のレヴォラがいる。
「どうか……したんですか?」
もしかしてすでに闇がいるのかと思って辺りを見わたすが、美しい湖が目に入るだけで特に変わった様子はない。王の衛兵に目を向けてみれば彼らもかなり険しい顔つきをしていた。
いったい何があるというのだろう?
「……天子、のん気にしていると食われるぞ」
疑問に思いながらも何も分からないわたしに、衛兵の一人がそう低い声で呟くと同時に彼らは次々と剣を引き抜いて構えていった。何人かは何やら呪文のようなものを唱え始めている。となりに立つレヴォラもゆっくりと剣を抜きそれを構えた。
その光景にびっくりしながらもわたしは冷静になり、状況を理解しようとする。
彼らが見る先は同じだ。わたしはゆっくりと彼らの視線の先に視線を向けて、目を凝らした。
そこでわたしは初めてその存在に気がつく。
あまりにもこの夜の世界になじんでいて気がつかなかったようだ……
そこにあるのは夜に溶けるようにしてこちらを見つめる無数の目……
「来るぞ!」
誰かの叫ぶような声が聞こえた。
あれが…………“闇”