最初の違和感
神谷悠斗は、事故現場の電柱を見つめていた。
昼間の住宅街は静かだ。
子どもの笑い声。
自転車の音。
遠くを走る車の音。
夜になれば、ここであの事故が起きるとは思えない。
「……誰かが起こしている」
悠斗は玲奈の言葉を反芻した。
事故ではなく、事件。
しかも、毎回まったく同じ形で起きる。
それは偶然では説明できない。
玲奈は電柱の根元を見ながら言った。
「私、三回ともここを見ました」
「でも、昼の時点では何もおかしくなかった」
悠斗もしゃがみ込む。
アスファルト。
ガードレール。
電柱。
目立った傷や細工は見当たらない。
「ブレーキが壊れてるとか、そういう話じゃないのか」
玲奈は首を横に振った。
「それならもっと前に異変が出るはずです」
「でもあの車、事故の直前まで普通に走ってるんです」
悠斗は眉をひそめた。
確かにそうだ。
黒い車はまっすぐ走ってきて、最後の最後で制御を失っていた。
最初から暴走していたわけではない。
「……じゃあ、原因は運転手か」
玲奈は少し間を置いて言った。
「私もそう思って、昨日はもっと早い時間から周辺を見てました」
「そしたら一つだけ、変なことがあったんです」
悠斗は顔を上げる。
「変なこと?」
玲奈はうなずく。
「20時55分ごろ」
「事故の車が、この前の交差点を一回通るんです」
悠斗は目を細めた。
「一回?」
「はい」
玲奈は事故現場から少し離れた、道路の先を指さした。
「でもその時は普通なんです」
「スピードも普通」
「運転も普通」
「ただ――」
玲奈はそこで言葉を切った。
「運転手が、誰かを見てるみたいだった」
悠斗は聞き返す。
「誰か?」
「分かりません」
玲奈は首を振る。
「フロントガラス越しだったし、距離もありました」
「でも、前を見てる感じじゃなかった」
「横を気にしてるように見えたんです」
悠斗は立ち上がった。
「その交差点、見に行こう」
二人は歩き出した。
事故現場から百メートルほど離れた十字路。
信号機。
小さな公園。
古いクリーニング店。
そして、交差点の角にあるバス停。
玲奈は立ち止まった。
「たぶん、この辺です」
悠斗は周囲を見回した。
ごく普通の町並みだ。
怪しいものなんて何もない。
だが。
「……あれ」
悠斗の視線が止まる。
バス停の時刻表の横。
掲示板の端に、紙が一枚だけ貼ってあった。
町内会のお知らせのような紙だ。
だが、そこに書かれている文字を見て、悠斗は違和感を覚えた。
「玲奈、これ見てくれ」
玲奈が隣に来る。
紙にはこう書かれていた。
『7月14日 午後9時 公園利用禁止』
二人は黙った。
玲奈が先に口を開く。
「……こんなの、昨日ありました?」
悠斗は首を振る。
「いや、見てない」
「というか、午後9時に公園利用禁止ってなんだよ」
玲奈は紙をじっと見つめている。
「日付が今日だけ指定されてる」
「しかも事故の直前」
悠斗は公園を見る。
ブランコ。
すべり台。
ベンチ。
昼間は子どもが遊んでいて、何もおかしくない。
だが、夜9時直前にここで何かがあるのなら。
「……運転手が見ていたのは、この公園かもしれない」
玲奈は低く言った。
「行きましょう」
「今日は20時台からここを張るべきです」
悠斗もうなずく。
ようやく手がかりらしいものが見つかった。
事故の現場ではなく。
その少し手前に。
玲奈は紙の端を指でなぞった。
「でも、これ妙ですね」
「町内会のお知らせにしては、新しすぎる」
悠斗も気づく。
紙は真っ白で、貼られたばかりのように見える。
しかも。
画鋲ではなく、透明なテープで四隅を留めてある。
「……誰かが急いで貼ったみたいだな」
玲奈は静かに言った。
「神谷さん」
「この町、やっぱりおかしいです」
悠斗は公園の奥を見る。
昼間なのに、妙に暗く見えた。
木々の影が揺れている。
その時。
背後で、自転車のブレーキ音がした。
キッ、と乾いた音。
二人が振り返る。
制服姿の男子高校生が、自転車にまたがったままこちらを見ていた。
見覚えのない顔。
だがその目は、妙に鋭かった。
高校生は二人を見るなり、すぐに視線を逸らす。
そして何事もなかったように走り去っていった。
玲奈が小さく呟く。
「……今の人」
悠斗も同じことを思っていた。
あれは、偶然こちらを見ただけの顔じゃない。
「俺たちを見てた」
玲奈はうなずく。
「しかも」
「ちょっと驚いた顔をしてました」
悠斗は胸の奥がざわつくのを感じた。
このループを知っているのは、自分と玲奈だけじゃないのかもしれない。
そう考えた瞬間、空気が一気に重くなる。
悠斗は掲示板の紙をもう一度見た。
『7月14日 午後9時 公園利用禁止』
事故の直前。
謎の貼り紙。
こちらを監視するような視線。
全部がつながっている気がした。
そして二人はまだ知らない。
今夜、その公園で。
事故より先に見るべきものが現れることを。




