03
「桂樹!助けてくれ!頼むよ!」
そう叫ぶ男とは顔見知りではあるが、友人とは呼べない。
そこまでの関係値が無いし、あったとしてもそれは僕が無かったことにしてしまうから。
だけど、ここで何も言わず立ち去ったところで、あの光る眼が逃がしてくれるとも考え難い。
この男が何をしたのかとか、そんな事には全く興味が湧かない。
むしろどうでもいいとさえ思っている。
「おい、黙ってないで助けろって!」
それが人に頼む態度かよ?舐められたもんだな。
そう思いながらゆっくりと近付く僕を見て男は少し安心したような顔した。
「助けろって何をすればいいの?」
あと数歩で男の手が僕に届く。
だからあえてこの場で立ち止まった。
別に味方というわけでも、助けると決めた訳でもないから。
「あ、あのさ。悪いんだけど金貸してくれない?」
あぁ、借金か。返済が出来なくてこの状態ってわけか。自業自得だな。
僕が踵を返し立ち去ろうとした時、男の情けない声に混じって「ちょっと待ちぃや。」と陽気な声が聞こえてきた。
立ち止まり振り返ると、横たわる男の上に跨り腰を下ろす男と目が合った。
「友達なんやろ?見捨てんのか?」
「友達……ってなんでしょうね。」
僕が男に返事をすると、一人はニタリと笑い、下の男は声を荒らげた。
そもそもだ。
そもそもの話、友達にこんな事は頼まないだろう。
僕よりもお前の方が僕を他人として見ているだろう。都合の良い他人だと。
「まぁ、俺はお前らが友達やろうがそうじゃなかろうがなんでもええんやけど。代わりに払う気無いんやったらもう帰ってええで。こいつが払わなアカンもんやしな。」
ケラケラと笑う男は、下の男の髪を掴み上げて「なぁ?」と低い声を放った。
「もし払えなければどうなるんですか?」
僕は疑問を口にした。
ただ、疑問に思ったことを言っただけ。
別にその答え次第では助けてやろうとか、そんな事は思っていない。
まず人を助ける余裕なんて僕には無い。
「用意してもらうだけや。」
「用意ってどうやってするんですか?犯罪ですか?」
「いやぁ?犯罪ではないんちゃうかな。なんや、気になんのか?」
男は立ち上がると僕の方へと歩み寄る。
横たわる男はケホケホと咳き込み、涙目で僕の方を睨み付けた。
「気になります。」
男は、正直に話す僕の顔をジロジロと眺めた後、「ほんなら一緒においでや。お前なんかおもろいし特別に見学させたる。」と僕の肩を軽く叩いた。
「どこに?」と聞くと、「ついてきたら分かる。」と、答えになっていない返事をされた。
どこに潜んでいたのか、三人の男が暗闇から姿を現すと、横たわっていた男は腕を引かれ闇に飲み込まれていった。
「おいで。」
闇の手前で手招きをする男。
ニコニコとしているけれど、目は全く笑っていない。
逃げるなら今だろう。
だけど、逃げたところで帰るのはあの家。
そしてあの家で待つのはあの女。
どちらに転んでも地獄なら、新しい地獄を見てみたい。
もしかしたら、そこは地獄じゃなく天国かもしれないから。
僕は自ら闇の中へと潜り込んだんだ。
そんな僕を見て男は少し驚いていたように見える。
こんな馬鹿は珍しい、そう言いたいのかもしれないな。
だけどもう、なんでもいいんだ。なんでも。
──────────────
「桂樹やっけ?名前。」
「はい。」
揺れる車内。後部座席には僕とあのケラケラと笑っていた男。
運転席と助手席には横たわる男を連れて行った男が一人ずつ。
僕が乗る車の後ろには、もう一台の車。
「俺はレイ。よろしくなぁ。」
「レイさん……よろしくお願いします。」
僕は差し出された手をそっと握り返した。
そこで思わず驚いてしまったのは、今まで気付かなかった自分の震え。
小刻みに震える手は、レイさんの手にギュッと包み込まれ落ち着きを取り戻していった。
「桂樹は下の名前はなんなん?」
「あ……桂樹月雲です。」
「月雲?つくねみたいでええな。美味そうや。」
褒められているのか馬鹿にされているのか分からない言葉を発したレイさんはケラケラと笑っていた。
ガタガタとした揺れに気分が悪くなっていく。
レイさんはニタニタとしながらスマートフォンを取り出して誰かに連絡しているようだった。
後ろから来る車には、あいつが乗っているのだろう。
僕は気持ちの悪さを軽減する為に静かに目を閉じた。
「なんや?寝たんか?肝座ってんなぁ。」
目を開けて、寝ていないと言いたいところだが、気分が悪いと自覚してからその思いは加速する一方で、今は目を閉じてなるべく情報を遮断したかった。
「他の奴やったら車乗った時点で震えて懇願する……いや、月雲みたいな立場やったらそもそもついてこーへんか!」
レイさんはまたケラケラと笑っている。
前からも笑い声が聞こえてくる。
僕は一人目を瞑り暗い空間の中で逃げ回る不快な感情を追い出そうと必死だった。
追い詰めるとそれは込み上げてきて、思わずウッと声をあげる。
「あ?吐くんか?袋どこや。」
レイさんの”吐く”という言葉を聞いた僕の脳内は吐瀉物に塗れた。
ガサガサと袋が擦れる音と同時に僕は息もできない程に溺れていき、気付いた時には口から涎を垂らし、ゼェゼェと息を切らしていた。
「うわぁ、手にかかった」と言うレイさんの手には袋が握られており、その袋の中からは異臭が漂う。
「す、すみませ……ウッ……」
「まだ出るんか!?」
吐くつもりはなかったが、レイさんが僕の口元へ先程の袋を持ってきたもんだから、その臭いに刺激され僕はまた込み上げる不快物を吐き出した。
「も、もう……大……じょぶです。」
「ほんまか?とりあえずこれはもう捨てるわ。」
レイさんは窓を開けるとキツく縛った袋を外へと放り投げた。
普通なら「ポイ捨てなんかしちゃいけない!」と注意すべきところなのだろうが、あれは僕が吐き出したものだし、あの臭いから早く解放されたかったから何も言えなかった。
窓から流れ込む風が心地良くて、ぐたりと体の力が抜ける。
口元にヒヤリとした感触。
「口周りについとるやんけ。」
そう言いながら拭いてくれる。
「これでうがいせぇ。」
そう言って新しいミネラルウォーターを渡してくれた。
「うがいってどこに吐き捨てれば……?」
「そんなもん窓開けて外に捨てたらええねん。水やしええやろ。」
さっき水では無いものを投げ捨てていただろう。と思ったが、僕は黙って窓を開けうがいをした。
口の中に溜まった不快な水を吐き出した時、なぜか心まで軽くなったような気がした。
二度、三度と繰り返すと口の中はスッキリとしており、僕の中から不快感も消え去っていた。
「スッキリしたか?」
隣で煙草に火をつけるレイさんに僕は「はい!」と自分でも驚くほど元気な声で返していたんだ。




