陰キャの幼馴染を幸せにしたい
私、ルル・マーティンは伯爵家の令嬢としてとても幸せな生活を送っていた。あたたかい両親に、優しい人たちに囲まれ、文句1つのない、順風満帆な人生を送っていた。
そんな彼女の婚約者である、イアン・サデルトは侯爵家の長男で、引っ込み思案で人見知りな性格だが、両親が仲がいいためよく小さな頃から一緒に遊ぶルル・マーティンには少し心を開いており、たまにくれる優しさと、控えめな笑顔に、可愛いな、守りたいなと思っていた。
だから、そんな彼との婚約に文句はなかった。なかったのだが……彼は違っていた。
私と婚約を結んだ後から彼は素っ気なくなった。私と目が合うたびに視線を逸らすし、月に一度ある2人でのティーパーティーでも気まずい沈黙が流れるだけ。
前よく話題にしていたイアンがよく見ている本の話や、前は楽しそうに聞いてくれた私の好きな花の話を振ってみても「うん」や「そう」しか返ってこない。
な、なぜ?……いや、原因は明らかだ。彼は、私と婚約してから様子が変わった。つまり原因は私との婚約。
…………そんなに、私との婚約が嫌だったのだろうか。確かに、両親に決められた契約結婚だけど、私はそれなりに嬉しかったのに。
……でも、イアンの表情が暗いのは、婚約が嫌がられているであろう現実よりももっと嫌だ。
そんなことを思ってたある日、月に一度のティーパーティーへイアンのお家に向かっている時、窓から見えたイアンの表情に驚いた。
すごい、笑っている。え、私、そんな顔見たことない……そう思いながら隣にいる人をちらりと見る。
その人は、サデルト家の夫人の連れ子であり、イアンの義妹であるアイリス・サデルトだった。綺麗で、美人で大人っぽい。私とは、全然違うタイプの女の子。
……そっか、イアンはあの人が好きなのか。妹への恋。禁断だけど2人は血がつながってないし、大人っぽいイアンともお似合いだ。
…………目の前で繰り広げられる悲しい真実に、納得する自分と、受け止めきれなくて呆然としてしまう自分。そんな風に呆然としながら歩いていたのがいけなかったのだろう。私は、歩き慣れていたはずのイアンとたくさん過ごしていた庭の階段で、派手に転んでしまったのだ。
目を開ける。そこには、医者であろう白衣を着た老紳士と、ガタッと立ち上がるイアン。そして、「ルル!!」と抱きつくお母様と「よかった」と涙目になるお父様。後ろの方ではサデルト侯爵様にサデルト夫人が涙目で抱きついている。こりゃまた随分と心配かけたようだ。
「ルル、大丈夫!?あなた、昏睡状態で3日も寝ていたのよ!もう、こんなに心配かけて……本当に、よかった!」
そう涙目になりながら抱きつくお母様。3日も!?そりゃまた随分と長く寝てしまったようだ。…………そんなに、長く寝たからだろうか。嫌に冴える頭が、苦しそうな顔で私を見るイアンと、ツキンと痛む胸に対する最適解を導こうとしている。……ああ、イアン、私、最近イアンにそういう顔ばっかりさせてるな。
あなたの幸せそうな顔が見たい。そして、これは、この現状は、チャンスかもしれない。
私は、「お父様、お母様」と声をかける。2人は即座に私の方を見て「どうしたの?」と首を傾げる。
私は、痛む胸を押さえながら、イアンの方に視線を送った。
「……この方は、どなたですの?」
イアンは、私の言葉を聞いて、目を大きく見開いた。
私の作戦は名付けて『記憶喪失(イアンに対してだけ)という訳あり状態にしてイアンから婚約を破棄してもらおう大作戦』だ。
サデルト侯爵家は名家なので、記憶喪失の訳ありを嫁にしたくないだろうし、私の両親は私に対して甘いのできっと、知らない人の嫁にするぐらいなら他の仲の良い同年代の男の子と婚約させたほうがルルの負担も少ないはずと思ってくれるだろう。
私は幸い男女共にお友達は多い方だ。社交界に出て、事情を説明したら、協力してくれる人もいる筈だ。
そして何よりイアンも、これを機に婚約はやめたいと言いやすくなる筈だ。婚約をやめ、本当に好きな義妹のアイリスちゃんを嫁にして、幸せな生活を送り、そして私にもいつか、笑顔を見せてくれるかもしれない。
そう思い演技を始めたはいいものの、状況がおかしい。婚約は破棄されないし、イアンが私に会う頻度がすごく高くなったし、私への距離も近くなった気がする。そして何より……。
「そこ、段差。気をつけて。手、繋ご?」
「顔色悪い。大丈夫?」
「……寒くなってきたし室内に行こう。ほら、中に行くまで僕の上着着て。」
過保護!過保護でイケメンなことばっかり言ってる!なにそれ!イアンらしくなさすぎる!
前のイアンは、寧ろイアンの方が段差に転ぶから私がハラハラさせられてたし、本の読みすぎで常に顔色悪かったし、寒がりで私のマフラー貸していたし……。
……え、私本当に記憶喪失になってる?婚約者の人格が変わってて本当に知らない人に見えるんだけど。……いや、いやいや。イアン以外の人達は私の解釈と一致してるし、きっと私が派手に転んだ上に変な記憶障害があるから優しいイアンは心配してるだけ。そう、その筈なんだけど……。
「……イアン様、どうしたのですか?」
そう私をじっと見つめてくるイアンに問い掛けると、イアンは恥ずかしそうにしながらも、私の目を見て言う。
「ルルが……可愛いなって見てた。見過ぎだよね、ごめん」
…………ひぇ、無理。何これ。うちの幼馴染が可愛すぎる件。……ええーー!こんなんされたら婚約解消してほしくなくなるんですけど!?!?なに、イアンは私をどうしたいの!?あんたアイリスちゃんはどーーーすんのよ!?こんなチャンス滅多にないのに……無いのに……。
イアンは今日も私を見て優しくはにかみ、照れながらも私の好きな花をプレゼントし、優しくエスコートしてくれる。
…………まずい。だめだ。これは駄目だ……。私はこれ以上自分が傷ついてしまう前にと、両親を呼び出した。
「……婚約…………破棄……?」
イアンはそう、信じられないかのように呟いた。ああ、どうしよう、イアンの顔が見れない。
でも、仕方がない。これ以上イアンにあんな風に優しくされ続けてしまったら、私、イアンから婚約破棄を言い渡された時に頷くことができなくなってしまう。
……あなたの敷地で転んだのよと、私を傷物にした責任を取ってと、脅してでも一緒にいようとするかもしれない。
……やだ。そんな汚い私を見せたくないし、イアンには幸せになって欲しい。
だから私から婚約破棄をお願いした。状況も状況だ。私の両親はあなたが決めたことならと頷いてくれた。
そもそも、イアンが悪い。アイリスちゃんが好きなのに、私にあんなに優しくするなんて……あんな……あんな………………愛おしそうなものでも見る顔を、向けるなんて。
勘違いしそうになるし、離れがたくなってしまう。だから、勇気を出した。私のためにも、イアンのためにも、これが一番いい選択のはず……と……思っていたのだが……。
「……い、イアン……?」
イアンは……絶望したような、そんな顔をしてうつむいた後、何かを覚悟したかのように、じっと私を見据えた。そして、私を見て、にっこりと、笑う。
「駄目」
それはシンプルで、簡潔で……あまりにも強い拒否だった。
イアンは戸惑う私に近づき、手首を、掴む。
「ねぇ、どうして?……誰か、好きな人でもできた?よく一緒に話している伯爵家のアイツ?それとも男爵家のアイツ?……ああ、ルルは公爵家のアイツとも仲良かったね……それだと身分は敵わないけど……きっと公爵夫人は生きづらいよ?僕といた方が幸せなはず。ね?僕にしてよ」
イアンはそう言いながら私を壁の方まで追い詰める。暗い顔で、何かを諦めているような、そんな中でも一筋の希望を諦めきれないような、懇願しているような、そんな顔で。
「……ね、お願い。頷いて?僕と、結婚しようよ。……でないと…………僕、君に酷いことする。ここで、既成事実を作って、君を永遠に閉じ込めて、そして、そして……」
そこまで言ってイアンは俯いた。
私は、驚いた。イアンって、もしかして……。
「……ねぇ、イアン」
私の問いかけにより彼は顔を上げる。今にも泣きそうな、そんな顔の彼に、私は言った。
「…………私のこと、好きなの?」
その言葉に、イアンは驚いたかのように目を見開いた。そして、焦ったかのように、何を言っているんだとでも言うかのように、私に言う。
「好き……好きに、決まってる。君が、僕の婚約者になった時、嬉しくて、嬉しくて……君が、目の前にいる朗らかに笑う君が、婚約者だなんて信じられなくて……夢みたいだとはしゃぐ気持ちを隠すために少し避けたりしちゃったけど……」
その言葉にハッとする。あの時の彼の様子は、そういう意味だったのかと。……でも、それでも1つだけ疑問があった。
「……でもイアン、アイリスちゃんといる時、凄い楽しそうだったじゃない。……あれは、どういうことなの?」
その言葉にイアンは「?」と首を傾げ暫く考えた後、「あ!」と閃いたかのように私に言う。
「……もしかして、君に贈る珍しい花の入荷の手筈が整った時のこと?……アイリスは外交が得意だから頼んでて……君の喜ぶ顔を想像したら嬉しくて……」
そう、顔を綻ばせるイアン。………………なんだそれは。なんなんだそれは。そんな顔して……そんな……可愛い顔して……ずるい。
思わずイアンに抱きつく私に「えっ」と驚くイアン。「え……は?……なにこれ夢?」と呟く言葉ですら愛おしい。
私は一度イアンから離れ、真っ赤な、信じられないとでもいうような顔のイアンに言った。
「……ごめん、記憶喪失も、婚約破棄したいっていうのも、嘘なの」
その言葉にイアンは「……エ」と小さく戸惑いの声を呟いた。
お互いの誤解が解け、婚約者のまま過ごす穏やかなイアンとのティータイム。いつも通り本の話をしたり、花の話をしたり、楽しくて、あたたかな気持ちになる時間を過ごしている中、ふと疑問に思って聞く。
「イアンって……前はよく転んだり、本の読みすぎで顔色悪かったり、寒いって言って私の防寒具借りてたりしてたけど………最近はそういうのないね」
その言葉にイアンはびくっと肩を上げ、少し考えた後、「言っても怒らない?」と私を見つめる。なんだその上目遣いは。可愛いなと思いながらも頷く私に、イアンはまるで罪を告白するかのように恐る恐る言った。
「ルルは社交的だし、可愛いから、絶対僕なんかの婚約者になるとは思ってなくて……だから、ルルがフリーのうちに話題作りのために本をたくさん読んだり、わざと転んでルルに触れ合ったり、わざと寒がってマフラー借りてルルの匂いを楽しんでましたごめんなさい」
そう頭を下げて縮こまる私の婚約者。「ヤバい言っちゃった……」「婚約破棄されたら……既成事実作るしか……」とブツブツ呟いている。私はそんなイアンに「ちょっと顔を上げてくれる?」と声をかけた。イアンは何故かぶたれると勘違いしたようで、目をぎゅっとつむりながら顔を上げる。
そんなイアンに私は……
「…………へっ!?」
真っ赤になって口を押さえるイアンに私は悪戯大成功!と笑った。
「イアン、好きだよ!だーいすき!」
その言葉にイアンは顔を覆いながら「僕も好き」と小さく呟くのであった。




