それでも墓標に名を刻む
今年も無事、実りの季節を迎えた。
山は赤く黄色く色づき、たくさんの木の実や果物を抱えている。
早く収穫に来いと呼ばれているような、見事な景色だ。
「今年こそは俺が一番だぞ!」
村の掟で選ばれた男達が背中に籠を背負い、勇んで雑木林の中へ入っていく。
「おいユーグ、そんなにちんたらしてると日が暮れるぞ!」
「ちゃんと良い物を拾わないと後が手間だろう」
「相変わらず真面目な奴だな。仕分けなんて女子供にやらせりゃいいだろうが」
カネリの発言にユーグは少しカチンときたが、無視してより良い木の実を選びながら、丁寧に籠へ入れていく。
「お、こいつはデカい! これやめてこっちにしよう」
カネリはユーグの唯一無二の友人で、かなりの目立ちたがり屋である。
今もせっかく拾った小粒の木の実を全て捨てて、鮮やかな黄色の果物を乱暴にむしり取り、籠に放り込んでいる。
「よし、こんなもんだろう。みんな、そろそろ引き上げるぞ!」
ユーグが叫ぶと男達は手を止め、下山の準備を始めたが、カネリだけは動き回り、さらに奥へ行こうとしている。
「おいカネリ! 聞こえなかったのか?」
「まだ明るいじゃねえか。それよりも上から良い匂いがするんだ」
「やめろ! 猛獣が出たらお前1人では太刀打ちできないだろう」
その直後、猛獣達の遠吠えが山肌に響いた。
「……ちっ、分かったよ」
ユーグは全員が揃ったことを確認して下山を始めたが、カネリはずっとぶつぶつ文句を言っていた。
「帰ってきたよー!」
村人が大勢でユーグ達を出迎えた。
今年の初収穫ということもあって、どの顔も喜びに満ち溢れている。
「おらっ、こんなに大きい果物が山盛りだぞ!」
ユーグが村長に報告している間、カネリはゴザの上に収穫物をこれでもかと広げ、自慢している。
「どうだ、凄いだろう」
「流石っすカネリさん! 今年も凄えや!」
子供達はカネリを尊敬の眼差しで見つめ、カネリは得意満面で家に帰っていった。
「良い加減にしてほしいですよね」
「ほんと、手間ばっかりかかって嫌になっちゃう。ユーグさんからもびしっと言ってやってください」
カネリの収穫物はサイズこそ大きいが、一部が腐って傷んでいたり、虫喰いの穴があちこちに開いていたりして、とても食べられない物がほとんどだった。
仕分けをしながら、女性達はカネリへの不平不満をユーグにぶつけた。
「すまない。何度もお願いはしているんだけど……」
ユーグは弁明したが、彼女達の口は止まらない。
「最近のカネリさん、ちょっとムカつきません?」
「ユーグさんが次期村長になって拗ねてるんでしょ、どうせ」
先日、村を襲った猛獣を男総出で退治した時、指揮をとったユーグの功績を称え、村長が村人全員の前で宣言したのだ。
常々、自分こそ次期村長になると息巻いていたカネリは、その日も一番槍で立ち向かっていったにも関わらず、完全に肩透かしを喰らった格好になった。
その日以来、引き攣ったカネリの顔がユーグの脳裏に焼きついている。
――次期村長だなんて言ってほしくなかったな。
ユーグは苦笑するしかなかった。
翌朝、ユーグは村人の悲鳴で飛び起きた。
「な、なんだこれは……」
猛獣だと思い急いで矢を背負って外に出ると、空一面に巨大な石盤のような物体が隊列を組んで浮かんでいた。
そのうちに石盤から光の柱が現れ、鋼鉄の鎧を身に纏った二足歩行の生き物が次々と地上へ降り立った。
「逃げろ!」
鎧達は無言のまま、手に持った槍や斧で村の住人を斬りつけ、家を破壊し始めたのだ。
「おいユーグ、なんだあれは?」
「知らんな。見たこともない」
勇敢に戦おうとした男達は無惨に切り裂かれ、辺りは血まみれになっている。
あちこちから火の手があがり、悲鳴は彼らの標的となってしまうが、すぐに聞こえなくなる。
ユーグは助けに行こうと駆け出そうとしたが、カネリが遮る。
「何やってんだ、早く逃げろ!」
「しかし、女性や子供達を連れて行かないと」
「そんなこと後にしろ!」
カネリが強引にユーグの腕を引き、村を出て山の方へひた走った。
「ここまで来れば大丈夫だろう……」
山の中腹に洞穴があり、生き延びた人達が身を寄せていた。
ここは太古から火を噴く山として知られていて、常に硫黄の匂いと白いガスが立ち込めている。
ガスは山頂に近づくほど濃くなるので、逃げられるのはここが限界だった。
「カネリ、私は村に戻って逃げ遅れた人を助けてくるよ」
「馬鹿、やめろ! お前は次期村長なんだぞ、もし死んだら誰が村を取り仕切るんだ」
カネリがユーグを睨みつける。
ユーグは言い返そうか迷ったが、こんな所で言い争っている場合ではないと、カネリの言葉に従って洞穴に留まった。
「くそっ、もう敵がきやがった。女子供は奥に逃げろ!」
鎧の軍団が音を立てながら斜面を登ってくる。
――くっ、あれだけの数は厳しいな……。
ユーグは全滅を覚悟した。
だが信じられないことに、あと数メートルで洞窟かと言う所で、敵の一糸乱れぬ行進が止まったのだ。
それどころか、苦しそうに悶えるような仕草を見せ、じりじりと後退しだした。
「どうなってんだ……?」
――もしかして。
ユーグは敷いてあった一枚の毛皮を取り、敵に向かって仰ぐように上下に振った。
すると、明らかに敵側の足並みは乱れ、激しく咳き込んだり、逃げ惑って転倒する者まで出始めた。
「チャンスだ! 一気に攻め立てろ!」
ユーグ達は雄叫びをあげながら斜面を駆け下りたので、敵は慌てふためき、一目散に逃げていった。
「よっしゃー!」
それは、ユーグ達が初めて手にした勝利だった。
彼らの勝どきは山びことなり、幾重にも響いた。
「なんで毛布を振ったんだ?」
洞窟に戻り、開かれた初勝利を祝う宴の席で、カネリがユーグに尋ねた。
「敵はこのガスが弱点なんじゃないかと思ったから、仰いでみただけさ」
「なるほど、これで奴らが攻めてきても簡単に撃退できるな」
「だといいんだがな……」
そう簡単に敵が引っ込むとも思えない。
ユーグの予感は的中し、敵は近接武器から飛び道具に切り替え、ガスの届かない距離から猛攻を仕掛けてきた。
こちらも負けじと火矢を放って火事を起こしたり、岩を投げ落としたりして抵抗を続け、戦局は一進一退を続けた。
「くそ、キリがねえ……」
「だな……。物資も尽きそうだ」
ついにユーグ側は、あと1日か2日凌ぐのがやっとという所まで来てしまった上に、ユーグが左足に被弾して負傷し歩けなくなっていた。
武器も食料も、麓にいる敵の方が圧倒的に有利だった。
「こうなれば決めるしかないな。潔く降伏するか、最後まで戦い抜くかを」
議論は白熱を極めた。
これ以上の犠牲は無意味だから降伏せよと主張する者、講和を申し込むべきだと提案する者、徹底抗戦を叫ぶ者――。
「ユーグ、どうするんだ。俺はもう分からん」
「無念だが、降伏するしかないだろうな……」
「分かった。俺が使者になるから、夜が明けたら敵陣に行ってくる」
「すまん」
カネリが宣言すると、あちこちから啜り泣く声が聞こえた。
翌朝、カネリは一切の武器を持たず、丸腰の状態で洞窟を出て斜面を降り始めた。
「ぐはっ!」
敵の放った弾丸がカネリの肩を貫き、カネリは悶絶しながら斜面を転がり落ち、複数の敵に囲まれて姿が見えなくなった。
「カネリ様!」
様子を見守っていた男達は、敵陣へ殴り込もうと武器を手にする。
「待て!」
敵の1人が叫び、武器を捨てて斜面を登ってくる。
「我々もこれ以上の犠牲は出したくない。そちらの王と話がしたい。案内されよ」
鎧の奥からくぐもった声が聞こえたが、男達は無言でじりじりと後退りした。
「ユ、ユーグ様、敵が話をしたいとこちらへ来ていますが……」
「なんだと?」
確かに、鎧の擦れる音が段々と近づいてくる。
やがて、男達に囲まれた鎧の兵士が洞窟の中に入ってきて、ユーグの前に胡座を組んで座る。
そして、兜を脱いで脇に置いた。
赤い肌に赤い瞳。そして、長く靡く赤い髪。
自分達とは全く違う種族であることは一目瞭然で、全員が息を飲んだ。
「そなたが王か?」
「王というほどではありませんが……」
「私はイゴランティス星軍大隊長、セルペンスだ」
「ポルカ村村長代理、ユーグです」
敵陣地のど真ん中にいるとは思えないほど、セルペンスは堂々として落ち着いており、ユーグの方が圧倒されてしまっている。
――かなり戦い慣れているな……。
ユーグは内心焦っていた。自分で戦略を立てたり状況を判断することは得意だが、他人からの意見を整理して返答するのは苦手だった。
それはむしろカネリの方が得意であり、彼がこの場にいないのは大きな痛手だった。
「さてこの度の戦、見事であった。火山ガスが我々の弱点であることをいち早く見抜き、ゲリラ戦に持ち込んだことは賞賛に値する」
「はあ、どうも」
「我々の目的は、女王陛下であるイサラーグ様が病に倒れ、その治療に必要な血液を確保することにある」
そのために、先程捕らえた御仁の血を女王のために分けて頂きたい――。
それがセルペンスの言い分だった。
「しかし、一方的に我々の村を壊滅させておいて、血までよこせと言うのは虫が良すぎはしないだろうか……」
「村は我が軍が責任を持って修復する。犠牲者への追悼も行うと約束しよう」
話し合いは終始セルペンスのペースで進み、ほとんどがイゴランティス側にとって都合の良い内容だった。
「カネリはどうなるのですか。血を取った後は解放してくれるのか」
「当然だ。これから精密検査などを行って女王に輸血する。それが終われば、彼の傷を完治させた上でこちらに返す」
代わりとしてイゴランティスの先鋭10人を人質として差し出すと言い出したので、ユーグは仕方なしに承諾した。
――これほど必死になるなんて、女王はよほど慕われているのだな。
かくして、イゴランティスとポルカ村との間で講和が結ばれ、戦は終結した。
イゴランティス側は約束通り村の再建に取り掛かり、荒れ果てた家や畑はみるみる修復されていった。
復興も終盤に差し掛かる頃、ユーグは正式にポルカ村の村長に任命された。
――あいつはきっと、僕が村長になったことを愚痴るだろうな。
ユーグはただ純粋な気持ちでカネリの無事を祈り、帰りを待った。
「ちくしょう、俺をどうするつもりだ」
「騒ぐな」
地面に倒れて取り囲まれたカネリは、あっという間に手足を縛られ、担架に乗せられた。
被弾した左の肩口は血で真っ赤になっていたが、意識ははっきりとしているだけに、カネリは言い知れぬ不安を感じた。
カネリを担ぐイゴランティス軍の兵士達は、空に浮かぶ石盤のうち、最も大きいものの真下で止まった。
「うわっ!」
石盤から光の柱が舞い降りたかと思うと、体が宙に浮かび、ゆっくりと上昇していく。
動きが止まると、カネリは別の担架に乗せ替えられ、そのまま奥へと運ばれる。
やがて、消毒液の匂いが充満する、眩しいほど明るい部屋に入れられた。
「被験者を搬入しました」
「ご苦労。容態は?」
「概ね安定しています」
初めて聞く敵の声に、カネリは身震いした。
白衣を着た集団がカネリのストレッチャーをぐるりと取り囲む。
カネリの腕をまくって注射針を刺し、電極パッドを両胸に貼り付け、忙しなく動き回っている。
「どうだね、様子は」
眼鏡をかけた恰幅の良い男が、カネリの顔を覗き込む。
「侍医長、ちょうど結果が出ました。成分上は99%合致しています」
「結構、さっそく輸血だ。女王陛下をここに」
カネリの横に、もう一台のストレッチャーが運ばれて来た。
そこには、絹のように柔らかな髪と、雪のように白い肌をした女性が横たわっている。
兵士や医師達が赤茶色の髪や肌をしているので、ひときわ目立って見えた。
――なんて美しい人だ……。
村中探しても、これほどの女性は見たことがない。
女王の美貌にすっかり魅了され、カネリの恐怖心はどこかに吹き飛んだ。
気づかれないように少し首を横に向け、女王の姿を盗み見るたびに胸が高鳴った。
「よし、初日はこれで終了。経過を見つつ、明日も続ける」
輸血治療は数週間にも及んだ。終わる頃には、カネリは立って歩けないほど脱力していた。
女王の病はすっかり完治し、治療にあたった侍医長や医師達の労をねぎらい、最後にカネリを呼ぶよう命じた。
「そなたのお陰で私は助かった。イゴランティスを代表して深く感謝する」
「お、お役に立てて何よりで」
女王が未知の病にかかって長い間苦しんでいたことを、カネリは輸血後に医師達から聞いていた。
「ついては、何か褒美をとらせようと思うのだが、何か望むものはあるか?」
女王の凛とした声が玉座に響く。
「そんな、褒美なんて何も考えてねえです……」
「遠慮するな。申せ」
「あー、強いて言うなら、これからずっと女王様のお側にいさせて頂けりゃ」
――なんだと?
女王は目を丸くした。
彼の発言は、自分の故郷を捨ててまで、イゴランティス軍への転属を望んでいると言ったようなものだからだ。
「ふむ。欲がないのかと思えば、とんでもない強欲だったという訳だな」
「へ、へへへ……」
「二度と村には帰れなくなるぞ。それでも良いのか?」
「構わねえです。女王様に惹かれちまって、もうどうしようもないんで……」
カネリが顔を真っ赤にしながらもじもじと話すので、女王は声を出して笑った。
「そうか、まさか異星の者に惚れられるとは思わなかった。それならば、お前は私の王配となるがよい」
「……え?」
「我が夫となり、イゴランティスの発展に尽くすのだ」
女王は即座に側近や軍の指揮官を招集し、カネリが自分の配偶者としてイゴランティスの一員となることを高らかに宣言した。
「イサラーグ女王陛下、カネリ王配殿下、ばんざーい!」
まさか王座に自分が座ることになるなんて、想像できるはずがない。
ポルカ村では常に2番手だった男が、一夜にして一国の王に成り上がったのである。
数えきれないほどの異星人が、自分の元へ歩み寄って忠誠を誓っている。
――たまんねえな。
悦に浸るカネリの影で、異常ともいえるカネリの待遇を快く思わない者も少なからずいた。
地上でユーグと講和条約を締結させたセルペンスもその1人である。
「どうしたセルペンス、浮かない顔をしているな」
威圧感のない穏やかな表情を浮かべながら、侍従武官長のドラグルスが声をかけた。
「そうでしょうか」
「大方、カネリ殿の王配着任に不満なのだろう?」
セルペンスは肯定も否定もしなかったが、罰が悪そうな顔を隠そうとはしなかった。
「確かに、いくら命の恩人とはいえ、あそこまでされるのはやり過ぎな気もするがな」
すっかり気分をよくして、王座でふんぞり返るように座るカネリを、ドラグルスは顎でしゃくった。
「ドラグルス殿、あの男は危険です。いくら我々と近しい種族とはいえ、文化や思考はまったく違います。受け入れられるとは思えません」
「考えすぎだろう。ここまでほとんど抵抗もせず、状況を冷静に判断しているあたり、大した方だと思うがな」
「しかし……」
ドラグルスはセルペンスの口元を手で塞いだ。
「やめろセルペンス。着任早々非難するものではない。それ以上続けるなら反逆罪とみなすぞ」
「失礼いたしました」
セルペンスは深々と頭を下げたが、心の奥底のカネリに対する不信感は燻ったままだった。
祝宴は三日三晩続いたが、兵士達にとっては戦疲れを癒す絶好の時間となり、イサラーグとカネリへの支持はさらに高まった。
「さて、そろそろ宴は終わりだ。講和条約の通り、明日から村の復興作業に当たってくれ」
イゴランティス軍の約半分が地上での作業に従事し、村は徐々に元の姿になりつつあった。
「ふん、あんな村を元に戻したって、どうせ猛獣にでも襲われて全滅しちまうさ」
窓から様子を見ていたカネリが吐き捨てる。
「随分な物言いだな。何か恨みでもあるのか?」
「俺はいつも村の発展のために尽くしてたんだ。収穫量なら誰にも負けなかった。……なのに誰も俺を讃えようとしねえ」
イサラーグが問いかけると、カネリは一気に捲し立てた。
脳裏に浮かぶユーグの顔を振り払うように。
「そうか。正当に評価されていなかったのだな」
「俺は奴らが憎い。高度な文明を持つイゴランティスの王配になれる人間を見下してきたのだから」
カネリはイサラーグの正面に立ち、目を見つめながら切り出した。
「俺はポルカ村を滅ぼし、そこに我々の王道楽土を創り上げたいと考えている。ここは気候も温暖で、食糧に困ることはない」
「講和条約を破棄しろと言うのか」
このまま母星に帰るだけで何十年と費やすよりも、この星に留まり種族の繁栄を最優先にすべきであると、カネリは熱を入れてイサラーグを説得した。
「わかった。軍の指揮権はお前に託す。大いにやるが良い」
「仰せのままに」
直ちに軍の指揮官が招集され、作戦が伝えられた。
作戦開始は新月の深夜、二手に分かれてポルカ村を左右から挟み撃ちにせよ。逃げ道を示すことになるので火は使うな。
作戦内容を聞いたセルペンスは下唇を強く噛んだ。
――こんな非道な作戦で、ユーグ殿を犠牲にする訳にはいかん。
ユーグは何度もカネリの身を案じていた。それなのに、カネリは彼もろとも滅ぼそうとしている。
曲がったことが許せないセルペンスは、秘密裏にユーグと面会し、イゴランティス軍が攻め込もうとしていることを伝えようと決意した。
夜になるのを待ってから、石盤から地上へ降りる装置を見張る衛兵には報酬を握らせて退かせ、単身地上に降りてユーグのいる家を目指した。
真夜中の予期せぬ訪問者にユーグは心底驚いたが、ただ事ではないと察して急いで着替え、セルペンスを出迎えた。
「なんということだ……」
カネリが敵の王配となり、自分達を全滅させようと攻め込む準備をしていると知り、ユーグはしばらく言葉が出なかった。
「総攻撃まであまり時間がない。早急に例の洞窟へ避難するのがよろしいかと」
「いや、避難はしないでおきましょう」
ユーグは息を止め、目を細める。
「我々は全力でイゴランティス軍と対峙しますが、そこで鍵となるのは、あなたです」
作戦内容を聞いたセルペンスは、その突拍子のなさに目を見開いた。
「それは……」
「こんなことを頼むなんて正気でないことは承知しています。しかし、あなたの信念を正義に変えるには、これが一番手っ取り早いと思いましてね」
セルペンスは右往左往しながら唸り声を出し、考えに考えた。
ユーグの作戦は至って単純、セルペンスがイサラーグとカネリに反旗を翻し、王座から引きずり降ろすというものである。
――確かに不意打ちならば勝機はあるだろうが、一個師団ごときで王政を覆せるとも思えん……。
「その考えはなかったが、私がイゴランティス軍を制圧できたとして、またあなた方に襲いかかったらどうする?」
「確信はありませんが――あなたはイゴランティスに帰りたいと願っている。違いますか?」
ずばり言い当てられて、セルペンスはぐうの音も出なかった。
イサラーグ女王への忠誠を捨てるか。
カネリの傍若無人に物申すために立ち塞がるか。
軍人として、これほど迷ったのは初めてだった。
刃向かえば、ドラグルスとも戦うことになる。
イゴランティス軍随一の戦略家で、陛下や部下からの信頼も厚い彼との戦闘は、なんとしても避けたかった。
そして何より、イサラーグ女王のことである。
イゴラン人の象徴として君臨する女王に弓を引くなど、そう簡単にはできない。
「すまん、ユーグ殿。私はイゴランティスを裏切ることはできん。この話は忘れてくれ」
セルペンスは席を立ち、ユーグに背を向けた。
「良かった。あなたは誇り高き軍人だ」
――お願いだ、これ以上心を揺さぶるようなことは言わないでくれ!
ユーグに対する敬愛の気持ちが、確実にセルペンスの胸に芽生えていた。
だからこそ、総攻撃では一切の躊躇なく攻め込み、彼をこの手で討ち取る。
それが軍人たる自分にできるユーグへの最大限の敬意だと言い聞かせ、セルペンスはユーグの前から去った。
セルペンスが石盤に戻り、自分の部屋へ向かおうとした瞬間、背後から冷徹な声が浴びせられた。
「よう、セルペンス」
声の主はドラグルスで、部下達が一斉にセルペンスを取り囲んだ。
「地上でのお茶会は楽しかったか?」
「何のことですか。私はただ外の空気を吸いに出ただけです」
「とぼけるな。お前の軍服にはカネリ殿下の指示で小型の盗聴器が仕掛けてあるんだ。敵から反乱を起こすようにそそのかされたらしいな」
――くそっ、俺としたことが迂闊だった。
セルペンスは自分の軽率な行動を悔やんだが、こうなってしまってはどうすることもできなかった。
「その話は断りました。だから戻ってきたのです。私は忠誠を尽くし、村の殲滅に全力を捧げます」
「では何故悩む必要があったのだ。即答せぬは反逆者と同等だ。これは命令だから悪く思うなよ」
あっという間にセルペンスは捕らえられ、罪人として王座に突き出された。
「セルペンス、お前には失望したぞ」
にやにやと薄ら笑いを浮かべるカネリが、セルペンスを見下ろしながら吐き捨てた。
「敵に作戦を漏らしたばかりか、寝返ろうとするとは何事か。この裏切り者め」
周りにいる侍従や軍人が次々と声を上げ、セルペンスを口汚く非難した。
「セルペンスを三日三晩拷問した後、磔にして火炙りにせよ。祖国を裏切った罪の恐ろしさを骨の髄まで叩き込ませるのだ!」
一斉に湧き上がる、カネリを讃える歓声と拍手。
セルペンスは牢屋に監禁され、休むことも許されず、ひたすら暴力と暴言を浴びせられた。
――俺ももうおしまいか。人生とは随分呆気ないものだな。
こんなことになるなら、最初から堂々と裏切って王政と戦えば良かったのだ。
牢屋の奥で、セルペンスは目を閉じた。
これが最後の夜になるだろう、と。
――がちゃっ。
不意に牢屋の鍵が外され、微かに布の擦れる音が響く。
「誰だ?」
「私だよ、セルペンス」
――まさか、幻覚でも見ているのだろうか?
暗闇にくっきりと浮かぶ白い髪と肌。
その凛々しい姿を見て、セルペンスは絶句した。
「陛下、なぜこのような所に!」
「決まっておる。お前を助けに来たのだ」
拷問のせいで耳がいかれたのかと思った。
女王は手探りで手錠と足枷を外し、自力で立てなくなっているセルペンスを抱き起こした。
「どうして……」
「私なりの詫びだ。命の恩人とはいえ、カネリに付け入る隙を与えてしまったのだからな。奴は王配などではなく、もはや厄災だ」
カネリが王配に即位してからというもの、恩を盾に軍の最高指揮官となり、自分の政策を強引に推し進めようとしている。
己の軽薄な考えで王政を滅茶苦茶にされている現状を、女王は酷く悔いているのだ。
「頼む。お前は地上に降りて村と手を組み、総攻撃に抵抗してくれないか」
「陛下……」
「勘違いするな、これも作戦だ。カネリを徹底的に絶望させるためのな」
石盤の中で反乱を起こしても、すぐさま鎮圧されてしまうことは目に見えている。
それよりも高をくくっている敵から反撃され、追い詰められる方がよほど精神的なダメージは大きい。
「しかし、ドラグルス殿をはじめとして戦力の差は圧倒的です。そう簡単に行くとは思えませんが……」
「なに、ドラグルスさえ突破すればあとは取るに足らん。お前の知恵と経験で、憎きカネリを打ち取って見せるが良い」
イサラーグはにやりと笑い、セルペンスの背中をぽんぽんと叩いた。
「守衛は退かせてある。今のうちに地上へ降りるがよい」
セルペンスは深々と頭を下げ、牢屋を出て地上に降りた。
傷だらけの皮膚が地上の風に当たってひりひりと痛むが、そんなことを気にしている場合ではない。
セルペンスは鬼気迫る表情で夜道を歩き、再びユーグの家を訪ねた。
事情を聞いたユーグはセルペンスの加勢を歓迎し、早速作戦会議を開いた。
「やはりあの洞窟に立てこもり、持久戦に持ち込むしかないだろう」
「それも良いですが、おそらく敵は山の麓に降り立って洞窟を目指すでしょうから、背後から奇襲攻撃を仕掛けたいと思います」
ユーグは簡潔に作戦を示した。
まず麓に砦を建て、軍旗を掲げさせるが、中身は空にしておく。
さらに洞窟にも小隊を配置し、敵を挑発する。
主力は村に潜ませ、敵を追い立てて挟み撃ちにする、という内容だ。
「セルペンス殿には、村側の主力部隊の指揮をお願いしたいのですが、どうでしょう」
「それは構わないが、ユーグ殿は?」
「私は洞窟の小隊を率います。私がいると知れば、敵もほいほいと洞窟を攻めようとするでしょうから」
セルペンスは頷き、両者は固い握手を交わした。
作戦は実行に移され、ユーグは村人を総動員して砦を建てさせ、セルペンスは強固な鎧を打ち砕く新しい武器の開発に没頭した。
一方、イゴランティス側では牢屋にいるはずのセルペンスが脱走したことで大騒ぎだった。
「その……一瞬のうちに気を失い、気づいたら牢屋はもぬけの殻となっておりまして……」
「ふざけるな!」
カネリは激怒して刀を抜き、守衛をその場で斬り捨てた。
それでも怒りは収まらず、徹底的に調べろと怒鳴ったが、ドラグルスが歩み出てカネリを止めた。
「貴様、俺に逆らうのか!」
「恐れながら、総攻撃を実行する新月の夜が明日に迫っております。セルペンスの脱走は単独ゆえ、捨て置いても問題ないかと存じます」
どうかご冷静に、とドラグルスが深々と頭を下げる。
「……ちっ、分かった。そのかわり、お前がセルペンスを必ず仕留めろ。良いな」
「御意」
カネリは刀を納め、全軍を王座に集結させるよう命じた。
「聞け! 裏切り者セルペンス、そして村長ユーグ。この2人を打ち取った者には階級の区別なく、三つの山と奴隷10人を与える!」
何万という大軍の前で、カネリが声を張り上げる。
「立って歩くほどの知能しかない奴らに代わり、我々がこの星を治め、王道楽土を創り上げるのだ!」
閧の声が地鳴りのように響く中、イサラーグは腕を組み、目を閉じた。
――セルペンスはうまくやってくれるだろうか。もしこいつらが挑発に乗らず持久戦となれば勝ち目はない……。
「これでイゴランティスも安泰ですよ、イサラーグ陛下」
「そうだな」
「戦を終えたら、王政継続のために新しい王を迎える準備をしようではないか」
――そんなことしか頭にないのか。下衆な奴め。
イサラーグは、もう勝った気でいるカネリを冷徹な目で睨みつけた。
「進め、勇敢なイゴランティスの戦士達よ! 今度こそ村を殲滅させるのだ!」
カネリの檄で、強固な鎧に身を包んだ兵士が次々と地上に降り立った。
「来たぞ、火を焚いて旗を掲げろ!」
ユーグの命令で、砦の周囲に隙間なく配置された篝火に火が入れられ、砦は昼間のように明るくなった。
「ふふん、敵はあの砦に籠城しているのか。洞窟からは進歩したようだな」
総攻撃作戦の総大将に任命されたドラグルスは村を挟み撃ちにする作戦を変更し、全軍で砦を破壊するよう命じた。
「さあ、出てこい裏切り者!」
ドラグルスは息を巻いて砦に突撃した。だが、どこを見ても敵の姿はない。
「ドラグルス様、例の洞窟に灯りが!」
部下の報告にドラグルスが目を凝らすと、確かに山頂の近くで揺れ動く光が見えた。
「くそっ、こんな砦は捨ておけ! 全軍洞窟に侵攻するのだ!」
洞窟に近づくと、入口に1人の男が仁王立ちしていた。
「これはこれは、結構な人数でお越しになりましたね」
「その声はユーグだな。セルペンスはどこだ」
「彼は中にいますよ。火山ガスにやられて寝ています」
「馬鹿な奴め。今すぐ楽にしてやる」
イゴランティス軍が大挙して押し寄せてきているが、ユーグは一歩も引かず、兵士達に突撃命令を出した。
彼らはセルペンスが開発した新しい武器――先端に鉄のスパイクが付いた短い棍棒を手に、雄叫びをあげながら斜面を駆け降りた。
動きの遅い重装甲の敵に対し、素早く懐に飛び込んで装甲の薄い目や首元を狙って棍棒を突き刺す。
いくら重装甲でも、目を潰されては一溜りもない。
おまけに、今夜は火山ガスの噴出量が多いため、イゴランティス軍の動きはほとんど停まってしまった。
「うおおーっ!」
そこへ追い打ちをかけるように、麓からセルペンスの軍勢が襲いかかったので、イゴランティス軍は完全に混乱し、逃げ出そうとする者まで現れた。
「なんだこの様は!」
圧倒的な劣勢に立たされたのを見て、カネリは立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。
「だからセルペンスを探し出せと言ったのに! ドラグルスの大馬鹿野郎!」
独りで荒れ狂っているカネリの振る舞いに、イサラーグは堪らず声を出して笑った。
「なぜ笑う、何がおかしいんだ!」
「いやはや、ここまで王の気質がないとは思わなかったのでね」
「なんだと?」
「セルペンスを牢屋から逃したのは私だ。おかげでとても面白いものが見られたよ」
イサラーグの挑発的な笑みに、カネリは全身の血が頭に上り、あろうことか刀に手をかけてイサラーグの胸を突き刺した。
「私は……女王として……間違って……」
「知るか」
カネリが剣を引き抜くと、イサラーグの体は土嚢のようにどさりと音を立てて床に落ちた。
「何をなさるのです殿下!」
「黙れ! 俺を裏切る奴は女王だろうと処刑する!」
カネリはさらに喚き散らし、怒りの矛先をドラグルスに向け、奴を呼び戻せと命じた。
「お呼びです……か……」
敵の猛攻を掻い潜り、命からがら王座に馳せ参じたドラグルスは、目の前の惨状に声を失った。
――女王陛下が、倒れている?
「ドラグルス、なんなんだこの有様は!」
カネリが戦況の責任を取れと怒鳴り散らしているが、ドラグルスはまるで聞く耳を持たず、女王をじっと見つめている。
「聞いているのかドラグルス! 貴様も処刑されたいのか!」
「――女王を殺したのは、殿下ですか?」
「だから何だと言うのだ。そいつはセルペンスを逃した張本人だぞ。当然の報いだ」
「左様ですか。ならばこれも当然の報いとしてお受け取りください」
ドラグルスは目を見開き、瞬きする間もなく抜刀し、カネリの喉元に切っ先を向けた。
「な、何をする!」
「曲がりなりにも貴様は王配だ。遺言があれば聞いてやる」
「やめろ、俺はまだ死にたくない!」
ドラグルスが凄むと、カネリは子供のように情けなく泣き叫ぶ。
「助けてくれ、ユーグ!」
――この期に及んでその名を出すとは……。
ドラグルスは呆れ果て、カネリの首を刎ね飛ばした。
「う、ううう……」
最も護らなければならない女王を失い、ドラグルスは一瞬で深い絶望感に苛まれた。
「陛下……申し訳ありませんでした……」
せめて女王のためにこの状況を逆転すべく、ドラグルスは予備兵をかき集め、再び地上に降りて戦線に戻った。
しかし、どうしても女王の最期が脳裏から離れず、警戒を怠ったまま火山ガスの濃い地帯へ踏み込んでしまった。
「ドラグルス様!」
「うぐっ、ぐ……」
息ができなくなったドラグルスは、助け出そうとした部下もろともガスの中で絶命してしまった。
総大将を失ったイゴランティス軍の戦意は一気に喪失、武器を捨てて逃亡したり、捕虜となる者が続出した。
「もはやこれまでか……」
残ったイゴランティス軍の将軍達は臨時の会議を開き、直ちに戦闘を停止させてポルカ村に降伏する決断をした。
かくして、イゴラン人にとって歴史上最大の敗北となった戦争は、呆気なく幕を閉じた。
「ひでえ有様だ……」
血の海と化した王座を見て、ユーグとセルペンスは深いため息をついた。
「ったく、とんだ疫病神だったなこの野郎」
セルペンスは、カネリの亡骸をこれでもかと蹴飛ばした。
「女王陛下とドラグルス殿は盛大に葬らせてもらうとして、こいつはどうするかな」
「彼は私が引き取るよ」
「正気か? お前さんだって酷い目にあったじゃないか」
「だとしても、僕の友人であったことに変わりはないからね」
――全く、大した人だ。
セルペンスはユーグの背中に向けて最敬礼した。
村に戦死した人々を葬る墓地が造られ、物悲しげな音楽が奏でられる中を、女王とドラグルスの遺体がうやうやしく運ばれていく。
一方のカネリは、誰からも見送られることはなく、ユーグが自分の家の裏庭に掘った穴へこっそり運び込まれて埋められた。
「ポルカ村の青年カネリ、ここに眠る」
墓標とした木の棒に刻まれた言葉は、あまりにも素っ気ないものだった。
いつイゴラン人に見つかり、荒らされないとも限らないだろうというユーグの配慮だった。
――許せ、友よ。
ユーグは墓に小さな花を添え、静かに立ち去った。




