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第一章 黒歴史と魔法 (1)

暗澹たる此の世界に鮮血の雨を降らす。


そう決意したのは何時頃であったか。最早、霞のように消え忘れ去られたが、其れは何物にも代えがたい記憶だった事は幾年経った今でも憶えている。

我は魔竜国一の魔導師でありながら剣闘士最高ランク“聖帝”の称号を唯一手にした男であり、銘を『ブラック・ブラッド・ブレード』略してトライブと呼称され《漆黒の魔導剣士》の異名を持つ者。

我は今、勅命により仙境の地である鳳泉峰(ほうせんほう)にて囚われの身となった魔竜国の皇女エリーゼを救出する為の旅に出ている。国の従属では無い孤高の我が其の様な勅命なぞに何故従っているのかと云えば、皇帝との間で或る物の所有について取引をしているからだ。

其の或る物とは我の心臓である。

心臓には世界を終わらせる魔竜バハムートが宿っており、国は我の死と共にバハムートが降臨するのを恐れた。其処で心臓をどうにかしたい皇帝は我に刺客を送り込んできた。そして戦いの末、国の一級魔道士数百名に敗れた我は不死の呪いをかけられた後、不意を突かれて切除された心臓を王宮の地下に封印されたのだ。

そんな身の上だった折に皇女が対立国に攫われた。八方手を尽くして如何しようも無くなった皇帝は藁にも縋る思いで我に皇女を救ってくれと頼んできた。我は其の涙で濡れた容貌の醜さ、滑稽さには、どんな道化者も敵わないだろうと嘲笑い断ろうとした。だが其の時、或る一つの閃きが我の頭の中を駆け巡った。

そう、心臓の取引である。こんな機会を利用しない手はあるまい。正に僥倖である。

だからと云って仙境と呼ばれる程の場所に辿り着くのは決して楽なものではない。ほんの少しの油断で死に至ること間違いなしだ。現に皇帝に遣わされた同伴者は一人残らず死んだ。指折りの強者共がである。或る者は女人の化物に唆され谷底に落ち、或る者は砂漠にある巨大蟻地獄へと足を掬われて呑み込まれ、骨すら残さず砂塵の一部へと変わり果てた。そして或る者は難敵との決闘の末、相討ちとなり朽ち果てていった。

そんな、あらゆる犠牲は我にとっては些末な出来事に過ぎない。何故ならば我は何時も独りだったからだ。慣れていた事だ。我の能力に恐れをなす者、我の思考を理解しない者、衆愚が我を忌避する過程で数多の賢人達が血涙を流していった。我を想う者、我を慕う者、我一人を残し誰一人として残らなかった。だから慣れてはいた。然し、

我の中には少なからず苛立ちがあった。

此れは仲間意識などから来るものでは勿論なく、我の矜恃が逆撫でされた事によって生まれた感情であった。強者共の命が散っていく様は、少なくとも我の眼には国から使い捨ての道具にされたとしか映らなかったのだ。一人一人の散り際が脳裏に焼き付いて離れない。其れ其れの顔を思い返す度、怒りが炎に焼かれていく古書のように理性を呑み込んでいった。

其の様な憤りを募らせていく過程で我には一つの考えが漠然と浮かぶ。


此の旅が終わり心臓を取り戻した暁には、魔竜国を出て放浪の旅に出よう──────────と。


……………………………………………………………………………………ん


「お前ら〜、新しいクラスメート紹介するぞ〜。静かにしろ〜」

俺はそんな声によって微睡みの中から醒めた。背中に冷や汗がじっとりと滲み出ているのを嫌でも感じる。この冷や汗はとんでもない悪夢を見てしまったせいで出たのだろう。その悪夢とは具体的に言うなら昔の真っ暗で、イタい記憶で、中学の時のどうしようもない恥ずかしい思い出で、いわゆる黒歴史ってヤツ。忘れよう忘れようと強く思っても、たかだか半年そこらじゃ十五歳の灰色に染まる大脳皮質からは、どうやったってあのトラウマを洗い流すことは出来ないらしい。

若いってのは中々に残酷だ。

私立欅ヶ丘学園高等部在学、俺こと黒崎司は入学してからもう一ヶ月も経っているのにこれといった友人も作れず、いつものように朝のHRまでの暇な時間を使い、惰眠を貪っていた。

黒板の上の方に掛けられている時計の針を見れば、いつの間にやらHR時間を指しており、これまたいつの間にやら一年B組担任の田中夏愛先生が教壇に立っている。どうやらさっきの悪夢から俺を気だるく救ってくれた女神のような声は田中先生のものだったらしい。そんな面白味のない、当たり前と言えば当たり前の現実ぶりに俺は軽く落胆してしまった。女神なんて幻想の中の存在でしかないと理解してから半年も経つのに。

現実も中々に残酷だ。

そんな若さと現実の厳しさに絶望している俺とは裏腹に教室の中は賑やかで騒々しい。このクラス、つまり一年B組の連中は他の3クラスであるA組、C組、D組と比べるのも馬鹿らしくなるほど活気があり、常に和気藹々としていて常軌を逸してるレベルでうるさい。ぶっちゃけ、異常。そんな喧騒の権化みたいな奴らを空に漂い浮かぶシャボン玉のように、ふわふわとした話し方で田中先生が指揮を執っているというのは、初めて見る人には大変すごいことのように映るのだろうが、ただ単に超マイペースで天然な姿勢を崩さないだけだと俺は思う。

まぁ、それもある意味では凄いことなんだけど……。

「し・か・も、ただの転入生じゃないぞ〜。なんと外国から来た子で〜す」

「どこのですかー?」

「それは今から本人の口から言ってもらいます〜」

「えーっ、けちー!! ヒントぐらいくれたっていいじゃん、なっちー先生」

「はいはい、いくらでも罵ってもらって結構ですよ〜。さぁ、もう入ってきていいよ〜」

田中先生が生徒たちのヤジを軽快に受け流しながら廊下の方に声を掛ける。すると引き戸のざらざらとした半透明の窓にうっすらと現れた人影が柳のように揺れたと同時、静かに戸が開かれて──────

俺は時間の流れが遅くなるのを感じた。

それはあまりにも遅く感じるので、まだ夢の中にいるかのような気分になった。もしかして白昼夢というものを見ているのだろうか。……そんなまさか。高校入学前に中学時代の記憶と共にそういう妄想や幻想にふける悪癖は葬り去ろうと決意したはずだ。

なのに、まだ俺は何かを期待しているのか?

教室内は今までの喧騒が嘘だったかのように静まり返って、唯一聴こえるのは壁に掛けてある時計の秒針の音だけになった。

時間が引き延ばされているのか、感覚が鋭敏になっているのか、そんなことを考える暇もなく、華麗に、ゆっくりと一人の女生徒が時間の流れに遡上してるかのように教室へと入ってくる。それらの視覚情報を受け取った俺の脳味噌は、この時に自分がある種のスローモーション現象の真っ只中にいるのだと理解した。(これは後で知ったことなのだがこのような事象をタキサイキア現象と言うらしい)

教室に入ってきた女生徒はありえないくらい、今ある現実と乖離されている存在と言えた。次元が違うと喩えてもいいかもしれなかった。触れたくても触れられないような感じ。そんな彼女は古びた校舎に新しい風を吹かしながら、薄汚れた白い壁を鮮やかな朱色に染め教壇を目指して歩いていく。

最初に目についたのは赤毛の長い髪で、これが教室の壁を朱色に染めあげて見えた素因に間違いなかった。手入れが行き届いているのか、満遍なくラメでも入っているかのような輝きを放つ艶が美しい。次に目につくのは容姿端麗な横顔で、そのフォルムは凄腕の彫刻家が人生をかけて彫り上げた芸術作品としか言いようがなく、眺めることすらおこがましく感じた。そして最後は碧い双眸。まるで朝の陽光に照らされて緑に光り輝くアレキサンドライトそのもののようだった。

女生徒が教壇にて歩みを止める。

「はい、自己紹介お願いね〜」

田中先生の呑気な言葉に小さく頷くと女生徒はこちら側に赤みがかった残像をなびかしながらくるっと背を向け、色白の細く長い指でチョークを持ち、黒板に自分の名前らしき日本語を流麗に書き走らせていく。そして彼女が横にずれ動きながら板書する事で、その鮮やかな赤い後ろ姿により隠されていた文字が悠然と一文字ずつ現れた。


紅野 エル


優雅な線で端正に書かれたその文字には不思議な魅力が溢れており、魔法陣に書かれるルーン文字のような妖艶さとでもいうべきオーラを放っていた。

名前を書き終えた彼女はこちら側に向き直ると、呆けている俺を横目に教室のクラスメート全員を見渡してから明朗快活とした声を皆にしっかりと聞こえるようにハキハキと発した。

「私の名前は紅野(くれの)エルです。出身はアイルランドで父が日本人、母がアイルランド人のハーフです。よろしくお願いします」

彼女が小さな頭をしゅっと下げて、もう一度上げる。容姿だけではなく自己紹介ですらスマートに済ませた彼女に圧倒され、教室の中は先程よりもさらなる静寂に包まれた。

その不安な空気に耐えられなくなったのか、彼女の顔が少し翳り、ぽつりと、

「あれ? また私、失敗したかな……」

直後、そんな彼女の呟きを吹き飛ばす歓声が教室を越えて学園中に響き渡った。誇張でもなんでもなく俺の左横にある、風に舞う青葉をその長方形の枠の中に収めた窓がガタガタと震えたのだから音圧は相当なものだった。

「めちゃくちゃ美人〜〜っ!! 鼻も高くて、まつ毛も長くて、肌も真っ白で人形みた─い。羨ましい─なー」

「スゲーかわいんすけど!! Fooooooooo──────!! 天使───────っ!!」

「神様ぁ……あぅ、ありが、とう…………っ!! うぅ…………っ」

教室の中は喧々囂々。

「お前ら、うっさいぞ〜。紅野さんの席は〜……黒崎くんの後ろ空いてるから、そこね。黒崎くん空き教室から余ってる机持ってきて〜」

両耳を人差し指で塞ぎながら先生がさらりと俺に指示を出してくる。

「あ、はい」

それに何とか返事して席を立ち上がると、

「私も一緒に行きます」

前から歩いてきた紅野さんが鞄を後ろの棚に置きながら言ってきた。

「いいよ、俺が持ってくるからさ」

「ううん、自分の机なんだもん自分で運ぶよ。だから案内、お願いしていいかな?」

手を合わせてお願いしてくる紅野さんに、俺はついドキっとしてしまった。

何だ? この胸の高鳴りは。もしかして心臓が悪いのだろうか。あぁ、きっとそうだ。そうに違いない。帰りに行こうかな、病院。仮に行くとするならこの症状は何科を受診すればいいんだろうか? 循環器内科? 心臓血管外科? それとも精神科かな?


そんなことはどうでもいいから言葉を返せよ、と胸中で自分に発破をかけ、

「そういうことなら……」

と、突飛な方向にいってしまった思考をなんとか元あった場所へと戻し、紅野さんの考えを尊重することにした。

案内人としての役目を果たそうと廊下へ出て二人、肩を並べて歩き始めると、後ろの一年B組教室からは誹謗中傷まがいの暴言と煽り、嘆きの入り混じった罵詈雑言がこれでもかと俺の背中へ叩きつけるように浴びせられた。

「うらやましーっ!!」

「くそぉ! なんであんな奴が。この俺の方が優しくエスコートできるのにぃ」

「なっちー先生、今からでも僕を黒崎くんと代わらせてください!」

「おい、黒崎ー! 手出すんじゃねぇーぞ!!」

「そーだ、そーだ」

「陰キャ〜〜!!」

なんともまぁ元気なクラスだこと。

「ごめんね。なんか……」紅野さんが申し訳なく言う。

「全然、紅野さんが謝ることじゃないよ。ウチのクラスはみんな血気盛んなんだ」

「アハハ、それは退屈しなさそうだね」

困り顔で謝罪をする紅野さんに他愛ない冗談で返すとすぐに笑顔になったので、なんと表情筋の優れている人なのだろうかと感心してしまった。

そうやって紅野さんと軽い会話をしながら目指している空き教室はまたの名を余裕教室と言い、B組教室を出て右へ別クラスの教室を素通りし、真っ直ぐに行って階段を挟んだ突き当たりの右側にひっそりと存在する。昨今は少子化によって教室の空きが徐々に増えているらしいのだが、そういう問題をうちの学校では授業内容によってクラスを分けた際の別教室として存分に有効活用することで解決していた。いわゆる、一人間としては感心はすれど一生徒としてはあまり嬉しくない、というやつだ。

そんなあまり嬉しくない目的の場所に到着すると、空き教室は朝なのにも関わらず、薄暗く、寂しさを感じさせた。それはカーテンを閉めっぱなしにしてるせいもあるのだろうが、普通の教室と比べ、机の数が半分ぐらいになってるのも大きな要因を占めているのだろうと思う。

すると早速、後ろの方にある比較的綺麗な机と椅子を適当に見繕って紅野さんが待ち上げだす。それを見て俺は何か手伝わないといけないと思い立ち、提案を投げかけた。

「椅子だけでも持とうか? なんか申し訳ない気持ちになるからさ」

「いいよ、いいよ。軽いし大丈夫っ!」

笑みを絶やさずに応える姿に気圧されて結局、俺は何も手伝えず、申し訳ない気持ちを抱えながら紅野さんに机と椅子を運ばせたままB組の教室に戻った。教室に入る俺達を大仰にうるさく歓迎してくるクラス連中を無視して窓側の後ろ隅にある俺の席の後ろに運んできた机を置き、二人揃ってそれぞれの席に着くと、

「じゃあ、全員席に着いたことだし出席とるよ〜」

田中先生の緩やかな出欠確認が始まった。


HRが終わりチャイムが鳴ると同時、俺の後ろにある紅野さんの席周りに人混みが発生しはじめた。それもそうだろう。あれだけの美人を活気溢れるクラス連中が放っておけるわけがない。男女双方、混ざりに混ざりあって騒然としながら紅野さんを囲むのを見て、騒がしいのが苦手な俺は仕方なく次のチャイムが鳴るまで廊下にでも出て時間を潰そうと思い、自分の席から立ち上がり離れる。すると、直ぐに人間が作る壁が並び立って俺の席は視認できなくなった。

授業開始前には俺の席は無事でいられるのだろうか。

「ねぇ、あのお祭り騒ぎは何なの?」

居場所を失い廊下に出ると、隣のC組教室からB組の騒ぎを伺うように出てきた短い黒髪の小柄な女子生徒が話しかけてきた。

芦屋遥(あしや はる)だ。

遥とは家が隣同士で小さい頃からの幼馴染でもある。

「転入生が入ってきたんだよ。しかも、とびっきりの美人が」

「ふーん、もしかして、さっき司と一緒に廊下歩いてた人?」

「うん。見てたのか?」

「そりゃあ、ホームルームだったし。うちのクラス、みんな見てたよ。すごく目立ってた」

「マジか。あんまり目立ちたくないのにな」

廊下の壁に体を預けて、美人転入生のオーラに引き寄せられてできた人垣で隠れた自分の席がある場所を上の空で眺めていると、不意に脳の奥底に閉ざしたはずの暗黒な記憶がフラッシュバックした。


中学生の頃、俺は病に侵されていた。

世間ではその思春期特有の病のことを「厨二病」と言うらしく、人によっては大人ぶりたくてブラックコーヒーを飲んだり、洋楽を聴いてると他人に吹聴したり、タバコや酒をやるといった非行に走ったりするなど、実に多種多様かつ複雑怪奇で十人十色に及ぶ。そして、そんな不安定だった精神が成長と共に安定し、あの頃の自分はおかしかったんだ、と先に挙げた恥ずかしい言動たちを頭の中でダンボール箱に詰めて押し入れの隅の方に寄せ隠した、忘れ去りたい記憶というものを多くの人達は「黒歴史」と呼称し、誰しもが持っているに違いない。

俺にとって、中学三年間の全ての記憶がそれに該当する。

厨二病なんて今どき珍しくもないし、笑い飛ばせばいいじゃないかと第三者らは思うだろう。しかし、俺の場合はかなりの重症で笑い話にすらできないことばかりで、もっと言うならそれしかないのだ。

思い出したくもないが具体例を挙げれば、木製の掃除用具入れから箒を持ち出して「我の名はブラックブラッドブレード略してトライブッッッ!! 我が剣の餌食になりたい者はかかってくるがよい。今宵の羅刹の竜牙剣(デビルドラグ)は血に飢えている!!」と廊下に轟くほど叫んだり、体育館の壇上でポーズを決めて声高らかに|《黒炎破滅砲》《ブラックルーイン》と必殺技を勇猛に叫んだり、学校だけではなく外出する際も黒の革手袋、黒い眼帯、黒い外套を身にまとい妄言の類を滔々と吐きまくり、またあるときは親の前で卑──────いっそのこと、誰か俺を殺してくれよ。

そんなパンドラの箱である暗黒記憶を開けてしまい、大量の涙が溢れ出そうな男の肩を横で小突いてくる小さな存在によって俺はなんとか現実に引き戻された。

「もー、また妄想の世界いってたでしょ。チャイム、鳴ったよ」

そう言い残して遥が自分のクラスに戻っていく。その小さな後ろ姿を見て俺は嫌な記憶から気を取り直し、人が疎らに散りその姿を確認できるようになった自分の席に戻ることにした。

一時限目の授業が終わると、すぐさま紅野さんの周りには数人の取り巻きが集まって尋問とも言えるぐらいの質問攻めが始まった。その様子はまるで餌に群がる鯉のようであり、必死の形相でひたすら口をぱくぱくとさせて質問をするだけの生き物と化している。そんな人達からの質問を一人ひとり丁寧に明るく対応していく彼女を俺はただただ凄いなと思うばかりだった。

昼休みになってもその勢いは留まることを知らず、ゆっくり飯も食えないと俺が困り果てていると、会話の途中なのにもかかわらず唐突に、「私、自分の席に戻るねー」「また次の休み時間に話そう」「ごめんねぇ……」と次々に紅野さんの周りの人だかりが霧散しだした。当然、彼女は何が起こっているのか全く分からず色んな表情を顔に浮かび上がらせている。

……お気の毒に。

そのクラス連中がとった不可解な行動の理由を嫌というほど一番よく理解っていたのは誰であろうこの俺である。なに心配することはないさ。また一人、被害者が増えるだけのことだ。

そんな諦観の念を抱く俺の真横に、一つの人影がかけている眼鏡を光らせながら颯爽とそれでいて泥濘のように湿潤な気配をまとって現れた。そして────、

「オレの名はガード・オブ・レジェンズッ! ブラック・ブラッド・ブレード略称をトライブ、此処で逢ったが悠久の刻!! 貴様を討ち堕とさせてもらおうぞ!!」

頭痛が痛いという二重表現は、この時のためにあるのだろうと思った。

案の定、紅野さんは小さな口を少しだけ開けてポカーンとしながら目の前で何が起こっているんだという顔でこちらを見ている。遠巻きの生徒達は「またか」と、いつものように無視を決め込むつもりらしい。まったく、素晴らしいと賞賛したくなるほど早くて正しい判断だ。できることなら俺だってそうしたい。でも、それは俺にはできないんだよな。こいつとは何べん切っても結ばれる、切り離せない腐れ縁というものがあるからな。

「如何した、決闘では名乗りをしなければならぬと申したのは貴様ではなかったか? 疾く名を言わぬか!!」

全身が萎んでいくような深い深い溜め息しか出ない。

この空気を全く読まないうえに俺の平穏な高校デビューを破壊した……いや、破壊しつくした忌まわしきコイツの名は、ガード・オブ・レジェンズもとい本名、森下嵐と言い、中学の時のクラスメートで俺がかつてトライブという名を語っていた頃の良きライバルだったらしい男。らしい、と言うのはそれぞれが自分の作った設定で話をし合っていたため世界観に微妙なずれがあり、会話は全く噛み合っておらず、俺はコイツをライバルと認識してなかったから。なのに何故かコイツにとって俺は好敵手と書いてライバルと読むみたいな関係ということになっていた。

「森下、お前とは縁を切ったはずだ。俺はお前に二度と関わりたくないね」

「オレ達はかつてクレーの地下洞窟に住む魔物バジリスク・ナダルを共に倒した仲だったが、貴様はオレの妹を惨殺した。確かに妹は敵国の密偵ではあった、しかし! 其れは拐かされたからに過ぎん! オレは貴様を許すことなど出来ない、たった一人の身内を殺した貴様をな!!」

やっぱり話は噛み合わない。

いや、噛み合わないどころかこちらの話を聞こうともしていないし、会話にすらなっていない。だがしかし、どこかの有名テニス選手を元にしたであろう架空ダンジョン名を恥ずかしげもなく叫んでいるだけなのにその一挙一動には鬼気迫るものがあった。こいつ役者にでもなった方がいいんじゃないか? アカデミー賞の大賞は受賞確実だろう。

そんなまったくもってどうしようもない奴だが、俺はコイツの対処の仕方を長い付き合いのおかげで心得ていた。それは実にシンプルな方法で、

時計を指して一言。

「チャイム、鳴るぞ」

すると、あっという間にガード・オブ・レジェンズこと森下嵐は自分の教室へと走り去っていった。昔のヤツなら今の手は通じなかっただろうが、アイツも今や高校生。いつまでもバカをしていられなくなる年齢になった。周囲から取り残される不安、補習、進路問題etc……。俺も一歩間違えていたら、あんな風になっていたのかと思うと怖気が立ってくるというものだ。

奴の退場により徐々にクラスの活気が戻り始めていく中で、あんな奴でも立派に大人の階段を上っていくんだなと感慨にふけっていると、呆気にとられていた紅野さんが開いていた口をわなわなと動かし始めて大きな碧い瞳を一段と輝かせて俺に訪ねてきた。

「ねぇ、もしかしてアニメとか好きなの?」

「えぇ!?」

驚きのあまり声が大きめに出てしまった。恥ずい。取り繕おうと言葉を急いで結ぶ。

「う、うん。す、好きだよ。……えーと、もしかして紅野さんも?」

「うんっ! だから、日本に来たんだよ!」

と、紅野さんは俺の手を両手で包み取りブンブンと上下に振る。その白い手のすべすべとした柔らかな感触に健全な男子高校生が耐えられるはずがなく、顔が熱く赤くなっていくのが自分でも分かった。

ぴきっ。

────ダメだ。

一ヶ月、ろくに人と会話もしてないのに、この刺激は余りにも良くない。

────やめろ。やめてくれ。

赤い激流は、生きている限り留まることを知らない。

────それ以上は、マズイ。

イメージとしてはマグマがグツグツと火山から吹き出る感覚に近いそれは俺の顔の中心にじんわりと集まってきて…………

ヤバい、なんか出る!!

ぽたっ。

紅野の机に真紅の液体が二粒ほど滴る。

「きゃっ! ……え? 鼻血が出てるよ!?」

紅野さんは慌ててスカートのポケットから取り出したまだ開けてもいない新品のティッシュを手渡してくる。それを受け取り、急いで鼻をかんで穴に詰め入れながら俺は心の中でありったけの感謝をしたくなった。

まず初めにこんなみっともない俺にティッシュを差し出してくれた素敵な紅野さんに、

そして、

ありがとうガードオブレジェンズ、ありがとう日本のサブカルチャーよ──────と。


放課後になった。

机の中の物をとりあえず全部、スクールバッグに適当に詰め込む。外は真っ赤な太陽が沈み、空を赤くしては窓から染み込んできて教室までも朱に彩っていた。そんな見慣れたはずのなんてことない光景が、今日に限ってやけに俺の心を動かす。これがエモいという情緒なのだろうか。

もちろん、地球の自転や土地や教室の位置が変わったわけじゃない。仮に掃除をした影響によって机の位置がいつもよりも微妙にずれ、奇跡的な反射をした陽光が教室にある種の黄金比を生み出したとしても、今感じているこの気持ちには到底及ばないだろう。なぜならばそれは空間が変わったからではなく俺の心が変化したからで、もっと具体的に言うなら紅野エリという同志と出会えたからだ。クラスでひとり孤立し一ヶ月間、自堕落で怠惰的な日常を過ごしていた俺に唯一、なんの偏見もなく対等に接してくれる存在が現れたのだ。

そんな素晴らしい出会いのあった今日という日を記念日として残さなければいけないような気がして、俺がスマホで教室の写真を撮っては削除しを繰り返しながら苦心していると、教室後ろの出入口にいつの間にか立っていた遥と目が合った。

「何してるの?」

「今日という特別な日をスマホの中に収めたいんだ。見て分からないのか?」

「……そんなの分かるわけないじゃん」

「そうか、それは残念」パシャ。

「いや、パシャじゃなくて、早く帰ろうよ。電車乗り遅れるよ」

「わかった、わかった。そう焦んなって。ゆっくり帰ろう」

結局、イマイチにしか撮れなかった画像を確認した後、スマホをズボンのポケットに滑り込ませ、教科書類で想像以上に重くなったスクールバッグを肩に掛けながら遥の元へと歩いていく。

廊下に出ると暖色の空間が広がって昼間よりも窮屈な印象を与えており、運動部の掛け声と遠くから聴こえるカラスの鳴き声が木霊していた。

遥とはいつも一緒に帰るようにしている。それは幼馴染で家が隣同士ということもあるが、それ以上に家まで電車で一時間半という距離を女の子ひとりでは帰せないと思っているからだ。────建前上では。

本意は別だ。なんでそんな家から電車で一時間半もかかる距離を二人して通うことになったのか、この話の重要な点はここにある。

どういう事かと言うと遥と俺は昔からの口約束で同じ高校に行くことを決めていたのだが、それなのに俺は自分本位な理由で進学する学校を無理やり勝手に一人で選んだのだ。ここでいう自分本位な理由というのが、勉学に励むためだとか、部活に集中するためだとか、そういうご立派な理由であったのなら俺もここまで負い目を感じることもなかっただろうし、そうであって欲しかった。

しかし残念ながらその自分本位な理由はあまりにも酷く脆弱なもので、それは────自分の黒歴史を誰も知らない場所に逃げたい。そのためにできるだけ遠くの高校へ、しかも念を押して私立の高校に進学しよう。そしたら一から普通の人間として再出発できるだろう────という、俺の軟弱さが悪い方向に表出した進路決定理由なのだった。

だというのに、なんと遥は律儀にも口約束でしかなかったはずの「同じ高校へ進学する」を守り、俺についてきて欅ヶ丘学園に入学してしまった。まぁ、なぜかよりにもよって森下も金魚の糞みたいにセットでついて来たが……。

取り敢えずそうして俺は遥に対して負い目を感じるようになり、その償いのかわりとして登下校時に用心棒さながらの付き添いをすると固く誓ったのだ。────結局、この決意も独りよがりなものでしかないのに。


遥に今日あったことを話し聞かせながら駅に着いた。俺が話をする間、遥はずっと真顔でしか反応を返さないので変な違和感を抱いたが、プラットホームに足を踏み入れた際の目を刺す眩しい西日により、そんなものは撹拌されて霧消してしまった。

プラットホームには人はあまりおらず、数分も経たぬうちに定刻通り停車した電車に二人して乗り込み、直ぐに空いている座席へと並んで腰を掛けた。右を見れば遥は俺の隣にてバッグを膝の上に乗せて座っている。

「やけに嬉しそうだね」

遥が俺の目線の下から上目を光らせ、話しかけてきた。

「そんなことないさ」

咄嗟に誤魔化すが、

「いーや、絶対転入生と仲良くなったからでしょ」

さすが幼馴染、バレてら。それを向こうに気取られないようとしてぶっきらぼうに言葉を返す。

「遥には関係ないじゃん」

「それは、そうだけど……で、でも…………」

「でも?」

走る電車内に架線を支える電柱の影が落ちて同じテンポを刻みながら明滅を繰り返す中、次の言葉を待つ俺。すると突然、

「あぁ、もういい! 自分で考えなよ!!」

膝枕していたカバンを勢いよく叩き潰して、こちらに向けていた顔を反対側に背ける遥。

「何だよ、それ」

俺は訳がわからず独りごちる。

それ以降、無言が続き、険悪とまではいなくても空気は重さを増してしまった。電車の線路を踏む音だけが耳に残響し、足元に目を落とせば俺の運動靴には遥の影が斜めに寄りかかっていた。

最近、遥とはなにかと衝突することが多くなってきた。それは小さい軋轢が解消されないまま長引いてしまい、憤懣が積み重なっているからだろう。どっちかが謝れば済む話なのだろうけど謝るほど悪いことをした訳でもないし、された訳でもないのでどちらからも謝れずにいるのだ。

そうして関係が拗れたままの二人を乗せた電車はゆっくりと動きを止めた。どうやら目的の駅に停車したらしい。俺達は電車を降りてホームを足早に歩き駅を後にする。俺は遥の後ろを黙って俯いたままついていく。遥の揺れ動く影を眺めながら歩いていると、いつの間にか家に辿り着いてしまった。

空が二人の関係をわざと真似して嘲笑うかのように薄明るい中をそれぞれが自分の家の門扉を抜け、玄関ドア前まで歩く。

────これが最後のチャンスだぞ。

心の中で一滴の雫が水面に落ちて波紋が徐々に広がっていくように、何か、何か言わなければいけない、そんな気が強まって、

「また、明日」

なんとかその言葉だけを捻り出し、遥に投げかける。

「……………………うん」

消え入りそうなぐらいの小さい声が返ってきて、そのまま遥は家へと姿を消してしまった。

その姿を見て言葉を呑んでしまった俺は、大丈夫、返事があるということは明日になれば元通りになっているだろうと心の中で自分に言い聞かせ、掛けていた鍵を開けて誰もいない家に上がった──────────。

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