第三章 調査 (2)
学校で情報を集めると言ったって俺には友人どころかよく話しをする奴すらいない。いや、それは語弊があった。訂正しようか。つまり俺には幼馴染みと好敵手らしい男の二人だけしか知人がいないのである。一応、この二人に話は訊いてみるが、これじゃ紅野に顔が立たない。
紅野は俺より一ヶ月も遅れて入って来たにもかかわらず早くも数多くの友人ができており、情報を集めるのなんて魔法を使うよりも容易なことだろう。そう考え出すと俺要らなくね? などと捻くれて卑下してしまうがなんと困ったことに、自分の問題なのである。しっかりやらなきゃ、自分の運命に関わるかもしれない事案を俺は今、抱えてしまっている。全くもって厄介。
「はぁ……」
嘆息しながらとぼとぼ歩いていると、校舎一階の廊下で遥を見つけた。とりあえず自分にできることは最低限しようと思い改め、遥に話しかけてみる。
「おーい、遥。ちょっと話があるんだけど」
周りには誰もいない。廊下はとても昼休みとは思えない静謐さを孕んでいた。
「な、なに? 話って」
遥が何故かそわそわとしながら俺の言葉を待つ。前髪を整えたり、耳に髪をかけたり実にせわしない。
「えっと、最近、なんか変わったこととか変な噂とかあったら教えて欲しいんだけど、何かある?」
その言葉を聞いた途端、遥はがくんという効果音が鳴るぐらい肩を落とし、その小さな顔に落胆の表情を浮かび上がらせた。なんか俺、変なこと言ったっけ?
「なに、ソレ?」
「なにそれって、そのまんまだけど……」
「はぁ……、用がそれだけなら、私、行くから」
遥は突然、機嫌を悪くして俺の横を素通りしていく。
「あっ、おい!」
俺が振り返って呼び止めても小さな背中はぐんぐんと遠くに離れていき、やがて遥の姿は曲がり角に折れて消えた。
なんなんだアイツは。俺が原因で機嫌が安定しないことなんて幾らでもあるが、今回に関しては本当に何もしてないぞ。ただ普通の質問をしただけだぞ。
静寂。
「……しょうがない。他を当たるか」
遥のことはほっといて次に行こう、そう思うことにする。が、足が鈍重になって移動が遅くなってしまう。それもそうだろう。次の話しを聞く相手が奴では誰だって二の足を踏んでしまうに違いない。あの万年厨二病森下相手にろくな会話なんか成立しようはずもないのだから。
そこで俺はあいつを居ないものとして扱い、パスしようかなどと考え始める。考え始めるのだが、情報を聞ける奴をたった二人しか知らない俺がそんなわがままを通せるわけがなかった。それは俺のために頑張ってくれてる紅野へ面目が立たないから。
しかもことさら厄介なことに俺がスルーしようとしている森下は学園内屈指の情報通で、あいつの耳早さは尋常ではなく、面白そうなことにはピラニアの如く食らいつき貪り尽くす。あいつになら何か面白い話を聞けることは間違いなしなのだ。でも、それでも、あいつの元までこっちから出向くだなんて死んでも嫌だ。それこそ、誰かが一緒でないと、
「どう? 進捗状況は」
俺が跳ねるように声のした方へ振り返ると、そこには微笑を湛えた紅野が立っていた。その綺麗な立ち姿を見て俺は思いつく。そういえば森下は紅野のこと苦手だったな、これは使えるぞ、と。
思いついたなら即実行あるのみと言わんばかりに紅野と一緒に森下を捜す。全ての校舎を一階から三階まで隈なく巡るが、全然奴の姿は見当たらない。なんで会いたくないときには嫌でも会えるのに、会いたいときには会えなくなるんだよ。とことんまで人をイライラさせる存在でいるらしい、アイツは。
一階の渡り廊下で俺と紅野は足が止まった。
もうすぐで昼休み時間が終わってしまう。
「まったく、アイツどこいるんだよ」
募った怒りが言葉となって口から零れた。
「うーん、どこにいるんだろうね」
隣で紅野は腰に手を当て空を仰ぎ見る。雲一つない青空は春の暖かい風を俺たち二人に送り込んできた。そして長閑な空気を堪能した紅野が青空からアイレベルを地平線に戻したとき、
「あっ! いたーっ!!」
興奮した紅野が指差した方向────体育館へ目を向ければ、そこには今まさに体育館裏へと消える森下の後ろ姿が見えた。あれは間違いなく森下だ。それなりに長い付き合いの俺が言うんだから間違いない。
「早く行こう!」
紅野にそう呼びかけて俺は走り出す。紅野も俺のあとを追い、二人して体育館裏に駆け込んだ。
「森下ぁ!!」
名前を大声で呼ばれ、お目当ての人物は肩をびくっとさせてこちらを振り向く。その驚きの感情を携えた顔の持ち主は、やっぱり森下嵐だった。いつもかけている眼鏡が俺の姿を反射させていた。森下の後ろには紅野が隠れていた白い正方形の倉庫があり、その下の地面にはタンポポが根強く咲いていた。
「な、何用だ、トライブ。オレは貴様に用向きなぞない」
森下は明らかに動揺していた。いきなり呼び止められたからか、はたまた……
「あのね、森下くんに訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
紅野は俺の後ろから森下に話しかける。話しかけられた森下はバツが悪そうに後じさり。よほど紅野のことが苦手な様子。これは面白い。苦しめ苦しめ、さっきのイライラさせられたぶんのお返しだ。
「ま、まぁ、悪くは、ない……かな」
森下は肯定の意を歯切れ悪く返す。紅野の浄化力によって森下は本来の自分を取り戻しかけているのだろう。本来の姿なんか見たこともないけどな。
「なら、時間もないし手短に訊くけど、最近変な話とか風の噂とか耳にしてない?」
「変な話? 鳴海殿の鬼火の事か」
「えっと、それって……」
俺は困惑する紅野のため、森下の言葉を訳する。
「あいつは鳴海神社での人魂騒動の事を言って──────」
「それはもういい!!」
紅野の唐突な激昂に森下はもちろん、俺も驚いてしまった。場に流れていた緊張感が別の緊張感へと一瞬にして様変わりし尽くした。
肩越しで目を丸くして紅野を見やる俺を紅野はチラリと一瞥し、
「コ、コホン! 他には?」
何事もなかったかのように笑顔を作り、話を続けだした。同じ場に立つ二人の男は戦慄からか姿勢をきりっと正してしまう。もはやこの場における生殺与奪の権は紅野が握ってしまっていた。
「ほ、他は……此処より北方に少々行った所に在る廃墟に──────」
「他には?」
笑顔による圧力で別のことを言え、と脅す彼女にびびった森下は慄然とした挙措で必死に頭を働かす。自分が知っている情報を大脳皮質のニューロンとシナプスを総動員させてかき集めようとする。しようとするのだが、逼迫としたこの状況で緊張するなという方がどだい無理な話であり、緊張すればするほど呼吸は浅くなっていく。そして必然的に酸素不足に陥った頭は回転を遅めてしまう。
つまり──────
今、奴の頭の中はさぞかし真っ白になっていることだろう。
「森下くーん?」
「……………………」
紅野が森下の目前で手を振るが反応はない。まるで大阪の道頓堀にあるマスコット人形の様。
「頭がパンクしたらしいね」
「そうみたい」
「……………………」
今すぐ赤と白のストライプ模様の服を着せたくなるような佇まいの眼鏡学徒は無言のまま銅像と化す。
すると程なくして昼休み終了五分前のチャイムが鳴った。
「そろそろ戻るか」
「うん、残念だけどね」
「……………………」
俺と紅野は踵を返して校舎へ戻ろうとするが、流石に森下をこのまま放置するのもどうかと思ったので、一応、
「おい、チャイム鳴ったぞ。俺達も戻るから、早く自分のクラスに戻れよ」
「……………………」
結局、硬直した森下を残して俺たち二人はB組の教室へと戻った。
「ごめん、遥。俺用事があってさ、今日一緒に帰れない」
「いいよ、別に。強制的なことじゃないんだし」
午後五時十分。太陽が隠れるまであと数時間に迫るオレンジ色の放課後、教室で遥に約束を守れない旨の断りを入れた俺は何か当てこすりを言われると覚悟していたのだが、すんなりと了承されたので少し拍子抜けしてしまった。
「本当にごめん。今度埋め合わせするから」
「いいって、言ってるちゅーに」
遥は俺の頭にチョップをかます。痛みはなく、遥の手刀の重みと触れてるところの熱だけを感じた。カイロのように触れているところから俺の体全身に熱が染み渡る。不思議な感覚。
「それじゃ!」
「あぁ、うん。また明日」
遥はこちらに手を振りながら廊下の奥に消えていった。
「じゃ、やろうか」
俺は遥を見送った廊下から振り返り、教室内で沈みゆく橙の太陽を眺めていた紅野に声をかけた。情報収集で収穫を得られなかったため、今から罠の準備に取り掛かるのだ。
「結界を学校全体に張るのも面倒だし、この校舎だけにしようかな。それでダメなら徐々に拡大していけばいいだろうし」
「そんな適当でいいものなの?」
「狙われてるのは黒崎くんなんだから、ここに結界を張るのはあながち見当違いでもないはずだよ」
「……たしかに」
「それに包み隠さずに言うと、結界張るのあんまり得意じゃないんだ、私。こういう陰湿な術より正攻法のシンプルな術が私の専売特許だから」
「とても魔女の言うこととは思えないね」
「うるさいなぁ、魔術って術者の性格や性質によって不得意がある程度決まっちゃうんだから、しょうがないじゃん」
「じゃあ、紅野さんは魔法使い、向いてないのかもね」
「あっ、言ったなー。そんなこと言うならもうやめようかなー、魔術師探し」
ぷりぷりしだす彼女に、
「ごめんごめん」
笑って謝意を表する。いつの間にやら俺達は遠慮会釈のないやり取りをするぐらいまで、すっかりと打ち解け合っていた。
その割には相変わらず“紅野さん”とさん付けで呼ぶ距離感のままだが、今さら変えるのも気恥ずかしいので呼び捨てをするのは心の中だけにしておこう。これを恥ずかしがらずにさらりとできるやつがモテるんだろうけど、俺がやると絶対キザったらしくなるし、しない方が得策というものだ。
「よし、行こう!」
鞄を持って教室を出ていく紅野の後に続くため、俺はスクールバッグに入れていた方位磁針を取り出す。この方位磁針自体は小学校の時に買った算数セットに入っていたもので今朝、紅野から学校に持って来てと言われ持ち込んだ。どうも結界を張る際に使うらしい。
そんな方位磁針を握って廊下に出ると制服や体育服や部活のユニフォームを着た生徒がまばらにおり、外からは統率の取れた声が聞こえてくる。かなり近い。窓から外を見下ろすとバトミントン部の連中が声を出しながら走り込みをしていた。
珍しい。いつもならこの地方一番の川に架かる大橋を走り込んでいるはずなのに……。
「何してるの、早く行くよー」
「あぁ、うん」
急かされたので俺は思考を停止することにし、廊下の奥まで先行していた紅野の元へ走って向かう。合流したあとはそのまま下駄箱まで一緒に降り、靴に履き替えて校舎の外に出た。
「コンパスは?」
訊かれたので俺は右手に握りこんでいた方位磁針を紅野に見せる。
「北はどっち?」
「えーと、あっちかな」
「よし! じゃあ、そのコンパス貸して」
「うん」
方位磁針を渡す。紅野はそれを見ながら慎重に歩き始めたので俺も彼女の横について歩き始める。そこで湧いて出てきた疑問を彼女に投げかけた。
「結界って外に張るの?」
「うん。校舎が収まるようにね。結界の形って円だからさ」
「円? あの丸い?」
「そう、その円。校舎が全部入るぐらいの大きな円を地面に敷くの。うーん、日本だと魔法陣って言えばわかりやすいかな? 本当は魔法円って言うんだけどね」
「魔法陣……ってことは五芒星とか六芒星とかが入った円だよね?」
「そう、ソレ!」
歩きながら紅野が正解と言わんばかりに人差し指で俺を指す。それで熱が入ったのか、さらに説明を続ける。
「基本的な魔法円は五芒星と六芒星のものがあって、結界を張るには五芒星の魔法円を使うの。ほら、日本にもいるじゃん。あの、よく五芒星を使う昔の人達。アニメに出てくるからそれで知ったんだけど、オン、オンミャー……何だっけ?」
「もしかして陰陽師?」
「あぁ、それそれ。そのオンミョージも五芒星で結界とか張るじゃん。あんな感じに近いことをこれからするんだよ」
「なるほど」
捉えようによっては陰陽道も魔術みたいなものだよな。
「えーと、ここら辺かな」
歩いていた紅野が立ち止まる。
そこは俺たちの教室がある校舎から北に約15メートルほど歩いた場所で、何もない地面が広がるばかりだった。雑草すら生えてない。
「ここに最初の星の楔を設置して、B組教室を中心に72°の角度で校舎周りに円環を描くように残り四つの楔を配置していけば、五芒星が出来上がるでしょ? それが魔法円になるわけ」
……ん?
違和感。その違和感の理由を紅野の発言に見い出して彼女から出た言葉を思い出す。
────校舎が全部入るぐらいの大きな円を地面に敷くの。
ん?
「でも、それって半径15メートルぐらいの円だから校舎全体は囲めてなくない?」
そうなのだ。B組教室がある校舎はとてもじゃないが半径15メートルの円には収まりきらないし、欅ヶ丘学園内にある全ての校舎だって、それに該当するものは一つも無い。なんなら全国にあるほとんどの学校にだって全長30メートルの校舎なんか無いだろう。
生温い風が二人の間に流れた。時間と音をも流したかのように静かになり、
「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」
紅野は真顔で言った。どこぞのキメラ錬成の研究者みたいなセリフを。
「まぁ、細かいことはいいじゃん! アハハハ」
笑って誤魔化す紅野。
……コイツ。
絶対、面倒くさがって適当にやってやがる。
そこで、うっすらと感じていたことが段々とはっきりしてきた。
紅野が真面目である一方でそれと比肩するぐらいにグータラでもあるということに。これまでの彼女の言動をよくよく思い返してみれば、やる気はあっても手を抜こうとするような節がところどころに感じ取れたことに俺は今更ながらに気づいた。
紅野が普段どれだけ猫を被って過ごしているのかがそこで存分にわかってしまった俺は、彼女に対してまだ少しばかりはあったであろう尊敬の念を投棄してしまう。
「と、とりあえず、魔法円を敷く作業に入るからさ、やろうよ、ね?」
紅野が手を合わせて言う。
「…………わかった」
俺は紅野を睨めながらもこの彼女お得意の手合わせ攻撃には抗えず、やっぱり心が折れてしまい「やる気はあるわけだし、ま、いっか」と甘受して結界張りの手伝いをすることにした。それに俺だってなんだかんだ言って内心はワクワクしているのだ。正真正銘の魔法使い美少女と結界を学校に張るイベントなんて、誰にでも経験できることじゃない。宝くじ一等が当たるより確率が低いかも。中学の時の俺に教えてやったら、きっと感涙にむせび泣き失神してしまうだろう。
しゃがみこんで作業する紅野の手元を覗いてみると何かを地面に埋めようとしていた。
「何してるの?」
「オームを刻んだ石を埋めてるの」
「オーム?」
紅野の手にはタリーマークのような記号を刻みこんだ石が握られている。
「うん。英語ではオガムっていうアイルランドの古い文字でね。魔力を込めることが出来るんだ」
「ルーン文字みたいな?」
「そうそう。これをあと四つ、五芒星の角にあたる場所に埋めれば準備OK」
それから二人で校舎外をぐるぐる周り、他四つの楔設置場所にオガム文字が刻まれた石を埋めた。その間、紅野はずっと方位磁針とにらめっこしながら慎重に移動するので俺が痺れを切らして理由を訊くと、楔の位置がずれると結界はうまく効果を発揮しないから慎重にやらないといけないと聞かされた。だからといって下ばかり見て歩くのは危ないはずで、実際、色んな人達とぶつかりそうに何回もなった。それを俺が必死こいてカバーするから良かったものの、俺は疲労困憊でどうにかなりそう。
そして教室に戻った。
丁度、日直当番の女子生徒が鍵をするところだったので紅野が忘れ物しちゃったから、最後、代わりにやっとくよと鍵を貰い、無事に教室を占拠できた。
時間は午後五時五十五分。
「じゃ、いくよ」
「うん」
誰もいない教室、静かな放課後。
紅野は教室の真ん中に立ち右手を下にかざす。
俺は人が来ないか教室後方の引き戸から廊下を見張る。幸いにも人影は見当たらない。
そして、儀式は始まった。
『────今、緞帳は下りて天蓋を覆い、地と空は我が円環にて躍動する────』
紅野が詠唱を始めるとエレベーターに乗ったときに近い感覚が俺の全身を包み込む。浮遊してるのか墜落してるのか判然としない感覚。今にも世界がひっくり返って、床と天井が逆転したっておかしくはないぐらいの恐怖感が俺の肌を刺激する。
紅野の足元からは鈍い光が発生し、紅野の顔を下からライトアップして光らせると、その光は白から鮮血のような赤へ変色して彼女の足元で光の輪になったかと思えば、すぐさま波紋のように俺の足元すら通り過ぎて広がっていった。恐らく設置した楔のところまで広がっていくのだろう。校舎を呑み込む直径30メートルの魔法円になるために。
教室のありとあらゆる窓は振動し、紅野の赤い髪はたなびき、俺は固唾を呑んでしまう。魔力の流れによる痺れが肌をちりちりと走り、校舎全体が別の存在へと変わっていくのを実感させた。一卵性双生児が外見は一緒でも中身は別物のように。
そして、いつまでも続くように思われた儀式はやがて悠然と穏やかに終わり、
「ふぅ……」
紅野が一息つく。
午後五時五十八分。
たった三分間の出来事だった。
「結界は張り終わったから、次は罠を仕掛けに行こうか」
こちら側に振り向きながら紅野が言ってくる。
そうだった。まだ、これは罠を仕掛けるための前準備の段階でしかないのだ。魔法使いの結界張りという凄い光景を目の当たりにして、本来の目的を忘れてしまうところだった。そういうのは気をつけなければならない。彼女とはこれから行動を共にするんだ。なら、あんなのは日常茶飯事になってしまうだろう。だったら、少しずつでも慣れていかないとな。
俺達は教室を後にする。
「黒崎くんが仕掛ける所、決めていいよ。私がそこに罠を仕掛けるからさ」
紅野が勧める。しかし、そんなこと言われたって罠の仕掛け場所など皆目見当もつかない。だから俺は手当り次第、適当に各階の階段踊り場、各教室の出入口、職員室前、靴箱周辺などに乱雑と節操なく仕掛けてもらう。──────あっ、
「あと、トイレも」
「もうっ! ほぼ全部じゃん!」
紅野が眉根を寄せて文句を言い放った。
「言ったよね。私、あんまりこういうのは得意じゃないって」
物凄く憤っているのか、愚痴が止まらない。
どうして紅野がこんなにも怒りをあらわにしているのか。それはもうかれこれ一時間以上、校舎内を永遠と歩き回っているからだ。とっくに闇は廊下全体の侵略を静かに始めている。
目的もなく思うがまま、罠を仕掛けたい場所へ引き返す行為を散々と繰り返していれば同じところを何回歩いたかなんて歩いている本人でも把握できてないはずで、本人ではない紅野ならなおさら把握してないに決まっている。これじゃ彼女が憤慨するのも無理はないだろう。
それでも、俺は一応の言い訳をしてみる。
「だって俺に決めてって、紅野さんが言ったから……」
紅野は顔をしかめながらも努めて冷静に言葉を返す。
「……それはそうだけどさ。すごく疲れるんだよ、魔術行使って。生体エネルギーである魔力を消費するから。罠を仕掛けるのにも魔力は使うし、得意な魔術じゃないと燃費も悪いし……。あと、これが終わっても、廃墟に荷物を取りに行かないといけないしさ……」
────そうだった。
荷物のことがあるんだった。まずい。
「な、ならさ、罠は充分仕掛けたんだし、早く荷物取りに行こっか」
忘れてたことを悟られないよう、紅野をなだめるための発言をする。なんてズルいんだろう、俺って奴は。
「ほら、行こう行こう!」
「あ、ちょっと待ってよ、疲れてるって言ったばかりじゃん、もーっ!」
彼女の気を少しでも逸らそうと足早に靴箱へ向かう。歩く廊下の窓に見える空はだいぶ薄暗く、スマホで時間を確かめると午後七時二十分になっていた。




