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第三章 調査 (1)


「あああぁ~~~~〜~~~ぁああ」

鏡の前で大あくびをする。

太陽は白さを纏って世の中すべてを明るく照らそうと姿を覗かせている。俺の右にある窓から差し込む陽光は容赦なく顔側面を横から炙るように熱する。赤外線が憎い。

俺は低血圧なのか知らないが朝はかなり弱い。

あらゆる行為が死に直結しているかのように、知力、気力、体力が大きく下振れる。

目覚めてから時間の確認と自分の今日やることを整理し、死。起きようと神経を集中し、死。なんとか体を起こし、死。

洗面所に来るまでに俺は今日、三回死んでいるのだ。お、なんかカッコイイな。死んでも復活する正義のヒーローみたいで。

そんなしょうもない妄想を繰り広げながら俺が歯磨き粉を歯ブラシに捻り出していると、

「ぉはよ──…………」

左にある引き戸を開けて、何百回、何千回も死んだであろう戦いの女神アテナが姿を現した。いや、アイルランド的にはマッハか?

その女神の赤い髪はボサボサに毛羽立ち、目は開けずにいるのに口は半開きで、枕を胸元に抱き抱えたままの悲惨な姿がそこにはあった。

────これが、あの紅野なのか?

俺は目前の存在に驚愕した。

彼女は目を瞑りながらフラフラとこちらに歩み寄ってくる。その歩みを邪魔してはならないと本能的に直感し、俺は洗面所の前からどいて彼女の歩む方向から逃がれる。

そして彼女は鏡の前にて停止。

昨夜、使っていた歯ブラシを目を瞑りながら、器用に歯ブラシ入れから抜き取る。その際に抱きしめていた枕が彼女の足元にぼふっと落ちた。彼女は気づいてないのか、無視してるのか拾おうとはしない。そして半開きの口に歯磨き粉をつけた歯ブラシを突っ込んで磨き始める。目は頑なに閉ざされたままだ。

これは、酷い。

俺でも流石にここまではいかない。彼女には魂というものがまるで入っておらず、がらんどうそのもので、条件反射のみで動いている。

開いた口の端から歯磨き粉をボタボタと垂らし、首をカクンカクンと揺らしながら歯を磨く彼女。今まさに生と死を彷徨っている最中なのだ。

そんな彼女の足元に落ちた枕を俺は抜き取って拾い上げる。

まったく、人の家の物を粗末に扱いやがって。

落ち着きを取り戻した俺は紅野を残し脱衣室から出て戸を閉める。そこで自分がまだ歯を磨ききってないことを思い出し、台所で歯磨きの続きをしていると、ガラガラと脱衣室の戸が開かれ────────────

俺は度肝を抜かれた。

脱衣室から出てきた彼女はさっきまでとは別人のように輝いていた。 それはもう、とんでもなく眩かった。

目はぱっちり開かれて煌めき、唇はしっかりと閉じられて朝の陽光を照り返し、赤い長髪に艶美を取り戻した紅野の姿がそこにはあった。

その変わり様からくる吃驚によって呆けてしまう俺へ彼女は怪訝な視線を向けて問いを投げかける。


「何してるの? 変な顔して」




さて、困った。

俺は遥と一緒に登校するという日課の約束事を完全に失念していた。

時間は午前六時五分。遥がインターフォンを鳴らすまであと五分という時間になっている。

紅野が俺の家に住んでいることは誰にもバレたくない。たとえ幼馴染みであろうと、それは例外ではない。うら若い男女が二人で屋根の下、ということ自体が不健全そのもので隠匿しなければならない事態だからだ。

だのに俺の隣に立っている紅野は、マーガリンを塗りたくって焼いた食パンを齧りついており、実に優雅で呑気なものである。

「紅野さん。さっき説明した通り、俺が遥と一緒に家から出たら後からついてきてね。これ、鍵」

紅野に予備の合鍵を渡す。これで家を出るとき鍵を掛けてもらうのだ。

「うん。分かった」

彼女の簡素な返事を聞き、俺はそこで気になる。

なぜか紅野の物分りが、やけに良かった事に。


ピーンポーン。


来た。

「じゃあ、そういうことでお願い」

俺は紅野にそう言い伝え、玄関で遥と合流し、そのまま一緒に家から離れた。このとき、俺は徹底的に遥を騙し通すために家の鍵を本鍵で掛ける。

あとは紅野が上手く事を運べば万事OKだ。

ところが、俺は心の焦りから足早になっていたのだろうか、遥が目を光らせながら、

「なんか、いつもより歩くの速くない?」

心臓が跳ねた。

「そうかな?」

「なんか隠してるんじゃないの?」

「いや、ぜんぜん」

「怪しーなー」

なんで、俺の事になるとこんなに鋭いんだコイツ。

嫌疑の視線を送る遥の顔を見つめる。

そんな幼馴染みの顔を見ていると、これまで自分がこの女の子にしてきた酷い事が思い起こされ、彼女への罪悪感が今更ながら滲み出てきた。

俺はなんて心が弱いんだろうか。遥にならバレてもいいんじゃないかと心が揺らぎ始めたのだ。

しかし──────────────赤い長髪が脳裏で揺れる。

よし。

漱石先生、俺、意地通します。窮屈だろうがなんだろうが嘘を貫き通します。

俺はこの詰問される場から逃げるため走った。

幼馴染みを裏切る道を。

唇を噛む気持ちで。

「あっ、ちょっ……」

遥が後ろから追走してくる。

走りながら俺は切に思う。

────あとは頼んだぞ、紅野。



■■■



「……行ったかな」

私は二人の姿が遠くにあるのを見定めてから家をゆっくりと出て鍵を閉める。ちゃんと鍵が掛かったか念のためプッシュブルハンドルを引き、確認。……よし、大丈夫。

門扉をそろりそろりと抜けて二人の尾行を開始した。尾行することならここ二日ぐらいでかなりマスターしたから、自信なら充分にあるもんね。

私は電柱や塀、挙句にはゴミ袋の山に隠れながら後を追っていく。さながら全身オレンジで渦潮模様の名前をした忍者が主人公のアニメみたい。私って実は忍びの里出身なのかも。ま、そんなわけないどころか、正真正銘の魔法使いなんだけどさ。

黒崎くん達の後方20メートルぐらいの距離をキープし駅への道を辿っていく。

私は少し手持ち無沙汰になったので昨日の出来事を思い返すことにした。

昨日はいい経験が沢山あった。まぁ、悪い出来事もいっぱいあったけど。

その中でも特に日本に来てから日本食というものをろくに食べてなかったせいなのか、昨夜の肉じゃがの味はものすごく私の心に残った。アイルランドにもアイリッシュシュチューという肉じゃがに似た家庭料理があるけど、それが物足りなくなるぐらい舌鼓を打った。あんなのを日頃から食べてるなんて、日本人ズルい、羨ましいと思ったぐらい。

パパが日本の料理は世界一美味しいと思う、と言っていたけれど、どうやらあれは本当のことだったらしい。しかも、そんなものを作ったのは黒崎くんで同じ歳の男の子だ。私なんて何も作れないのに。なんだか負けた気がして悔しい。

それなら私が黒崎くんに料理の作り方を教えてもらってもっと美味しいものを作れば良いのでは? などと考慮していると、()けてる二人が目指していた駅が目に入ってきた。

二人が通った改札を私も無事に通り抜け、ホームまでバレずになんとか至り着く。昨日は気付かなかったが、駅名看板には爪で引っ掻いたような雨筋汚れが目立って「吾妻駅」と書かれており、屋根やグレーの鉄柱、白い壁にはチラホラと赤錆が覗いていた。

それなりに古い駅なんだろうけれど、全体的に見れば駅のホームは綺麗な印象を受け、朝の春空とのコンビネーションは最高としか言いようがなかった。

そんなホームで遠く楽しそうに談笑している黒崎くんと遥ちゃんの姿を私は凝然と眺めて、

「お似合いだなぁ……」

つい口から独り言が小さく漏れ出た。

そのぐらい、笑い合う二人は駅というロケーションと合わさり、いい感じに絵になっていた。

五分もしないうちに電車は予定時刻と寸分の狂いもなく到着し、私は黒崎くん達とは別の連結された車両に乗り込んだ。

そして欅ヶ丘学園のある清武町まで様々な駅を通り、ゆらり揺られながら運ばれて目的の清武駅まで辿り着く。二人が降りて少ししてから私も降り、清武駅を出て移動を始める。

ここまで来ると他の学生らも姿を見かけるようになり、

「紅野さん!? おはよーっ」

「あれ? いつもと来る方向、違くない?」

「一緒に行こっ、紅野さーん」

「あのね、昨日さ──────」

同じクラスの人達だけじゃなくて見たことのない人達にも挨拶をされたり話しかけられたりする。私は出来る限り一人ずつしっかりと挨拶や話を返した。

そこで一緒になった同じクラスの女子生徒数名と教室まで行くことになり、これで隠密行動しなくて済むようになったと私が肩の荷を下ろしていると、

もう、あの二人の姿はどこにも見当たらなくなっていた。


朝のHR時間の後、黒崎くんと聞き込みの段取りについて話し合う。数分の話し合いの末、手分けして聞き込みをした方がいろんな情報を仕入れられるだろうという結論になり、それぞれの知人、友人から話を訊く算段を立てた。

それからあっという間に昼休みになり、黒崎くんは足早に教室から出ていった。情報収集に行ったのだろう。それなら、と私はまずクラスのよく話す人達に尋ねてみることにした。

「ねぇ、最近、学校で変な噂とか聞かないかな?」

「えっ、変な噂? ……うーん、そうだなぁー」

一人が考え込むと、もう一人の女子生徒である美里ちゃんが閃いたように言う。

「あ! あれは? 鳴神神社の人魂っ」

それ、私です。

「ほ、他には?」

華麗に誤魔化すことにした。

「他にぃ? ……えっと、なんかー、学校近くの廃墟アパートで夜なのに灯りが見えたって友達が言ってたような気がするー」

それも、私です。……ダメだこりゃ。

「わ、わかった。 ありがとうねっ」

私は逃げるようにして話を終わらせることにした。

別の人を当たろう。そう思い、私は他の人数名に話を訊くが、誰もが先程と同じ旨の話しかしなかった。

「はぁ──────っ」

大きな大きな溜め息を一人ぽつねんと空を仰ぎ見て吐く。

こんなんばっかだと私の肩身が狭くなるばかり。私に耐えることができるのだろうか。けれど、諦めるわけにはいかない。黒崎くんには無理を言って家に住まわせてもらっている恩義があるし、しかも自分でその代価として謎の魔法使いの正体を突き止めると宣言したのだから尚更だ。

自分の言ったことには責任を持つ、それが私のポリシー。

「よし、いくらでも人はいるんだし、こんなところで弱音ばっかり吐いてられない」

自分を鼓舞して情報収集を再開する。

でも心のどこかでは黒崎くんの方、順調だといいんだけどなー、などと淡い期待はしつつ、私は一歩踏み出した。

このときの私は知らなかった。

その後も同じ内容の噂話を聞く羽目になることを。

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