おめでとう、イケメン君。冷徹受付嬢と初心者ソロデビュー
3月21日(金)
あぁ、バトルスーツの女性冒険者、かっこいい!
俺の安アパートのワンルームは、デュアルディスプレイの画面から放たれる光で薄っすら照らされていた。画面いっぱいに広がるのは、「ダンジョン実況:汎用型戦闘服が魅せるスタイリッシュ討伐」の録画配信。多分、知る人ぞ知る、ヤバめなエリアを攻略してるんだろう。
「ふぅ~む、この構え……無駄がない」
配信の中の彼女(だって、あの体つきは間違いなく女性だ)、アサルトライフルを軽々と扱い、まるでダンスでも踊るかのように魔物をなぎ倒していく。全身を覆うツヤ消しの黒い戦闘服は、彼女のしなやかな肢体を際立たせ、そこに映えるメタリックブルーのラインが、もう、たまらない。
俺は思わず、持っていた懐中電灯を握りしめ、まるで応援グッズのように振り上げた。
「くぅ~、避けた! 今の、避け方が、またスタイリッシュ!」
汎用型戦闘服って言うけど、こんなにカッコいいのは、中の人が最高だからに決まってる。顔はバイザーで隠れてるけど、この洗練された立ち振る舞い、きっと、オフでもスーパーモデルみたいにクールに違いない。
「いいなぁ~」
独り言が、ボソッと漏れる。俺なんて、今着てるスウェットの膝が伸びきってて、もうすぐ大穴が開きそうだ。戦闘服なんて遥か遠い夢。せいぜい、ダンジョン潜る夢でも見るのが関の山だ。
「よし、ちょっとポーズだけでも真似してみるか」
俺は、勢いよく立ち上がった……つもりだったが、長時間同じ体勢でいたせいで、足が痺れてグキッとなる。
「痛っ!」
体勢を崩した俺は、床に散らばった漫画雑誌の山に突っ込んだ。
「俺のアサルトライフル(注:リモコン)はどこだ……」
漫画雑誌の海からリモコンを拾い上げ、画面の中の彼女がクールに構えるポーズを、膝を抱えたまま、なんとか真似てみる。
「ふっ……こんな感じか? スタイリッシュ……とは、程遠いな」
画面の中の彼女が、最後の魔物を倒し、静かに銃を下ろした。その瞬間、画面の向こうから、視聴者の熱狂的なコメントが押し寄せる。俺もその熱狂の一部だ。
「はぁ、来週には、あんな風にスタイリッシュに魔物を倒す冒険者になりたい……せめて、このスウェットをスタイリッシュなものに変えるところから始めるか……」
俺は、伸びきった膝を見つめながら、深いため息をついた。とりあえず、憧れを燃料に、明日はちょっと良いバトルスーツでも買いに行こう。それも、俺にとってのささやかな「冒険」だ。
◆
3月22日(土)
中学校を卒業してすぐの春休み。俺、佐藤 通は、人生の大きな一歩を踏み出すため、生まれ変わったような気持ちで、渋谷の探索者ギルドの扉を叩いた。
最も、『生まれ変わったような気持ち』というのは本音だ。早朝、俺は激しい頭痛を覚え目が覚めた。そこは、安アパートのワンルームだった。
「今度こそ、あなたにも幸せが訪れますように……。」
そう女神さまの”捨てゼリフ”が記憶に残っている。再び、異世界転移させられたようだ。部屋を見回した限りでは、異世界転移後の現世帰還といったところか。
前世の異世界に居場所がなかったわけではない。それなりに他人との交流もできた。ほんの少しだけお別れのあいさつもできた。
まあ、女神さまの『きまぐれ』は致し方ないのだろう。そうでも思わなきゃやってられない。
◆
さて……
昨日まで中学校のブレザーに袖を通していた少年が、今、胸に抱くは「探索者」という名の夢。世界がガラリと変わって手に入れた力、そして何よりこの現世そのものが、俺の新しい舞台だった。
「これで、俺の現世サバイバル、いや、大冒険が始まるんだ!」
興奮で熱くなる胸に手を当て、俺は探索者ギルドの分厚い扉を押し開けた。
受付カウンターの向こうには、スタイリッシュな制服に身を包んだ、切れ長の目の綺麗なお姉さまがいた。昨日配信で見た、あの女性冒険者もこんなクールな人なんだろうか、と勝手に憧れを重ねる。お姉さまは、まるで世界中の塵が彼女に触れることを恐れているかのように、微動だにしない。
この体の、前の持ち主の記憶が「天涯孤独」という何ともドラマチックな設定を俺に提供してくれたおかげで、しがらみはゼロ。身軽さだけが俺の武器だった。
「あの、個人でダンジョンに潜りたいんですけど!」
俺は、喉から絞り出すような、勢い任せの、裏返りかけの声でそう告げた。
お姉さまは、優雅に髪をかきあげながら、冷ややかに、しかしどこか面倒くさそうに俺を見下ろした。その視線は、「ゴミを見るような目」という言葉がぴったりだった。
「はい、まず、『探索者登録』が必要です。身分証と、こちらへの記入をお願いします」
彼女はそう言うと、一枚の申請書を俺の方へ滑らせた。
「あの、えっと……チームじゃなくて、ソロで潜りたいんですが、可能でしょうか?」
お姉さまは、俺の手元にある書類を指先でトントンと叩きながら、まるで幼稚園児に話しかけるかのような抑揚のない声で答える。
「探索者ギルドの規定上、パーティー編成は必須ではございません。登録さえ完了すれば、単独でのダンジョン潜入は可能です」
「おおっ!」
思わずガッツポーズが出そうになるのを、俺は寸前でこらえた。これで、いきなり夢の「ソロ探索者」デビューが叶う!
「ただし」
お姉さまは、急にトーンを一段下げた。
「単独潜入は、推奨されません。何かあった場合の自己責任はもちろん、緊急時におけるギルド側の救助活動は大幅に遅延します。万が一、魔物に食い散らかされたとしても、ギルドは遺族への賠償責任を一切負いません。特に貴方のような、いかにも今日初めてギルドに来たといった風情のヒヨッコは……たいてい一週間以内にお肉になります」
彼女の言葉は、氷のように冷たく、一切の容赦がなかった。
「お、お肉……」
俺の喉がヒュッと鳴った。しかし、ここで怯むわけにはいかない。昨日までブレザーと学ランしか知らなかった自分とはもう違うのだ。
「で、でも、俺、能力があるんで! 大丈夫です! あ、ここに書いてある、『個人情報保護のための誓約書』は、何でしょうか?」
俺は、自分の持つ唯一の異世界チート能力を心の支えにしつつ、書類の山から一枚の紙を取り上げた。
お姉さまは、心底うんざりしたといった様子でため息をつく。
「……それは、万が一貴方がダンジョンで死んで、貴方の持ち物が魔物の胃袋から発見されたり、あるいは回収班にサルベージされたりした場合、貴方の個人的な嗜好品や恥ずかしい日記などが、公にはならないと保証するための書類です」
「ひ、ひえっ……」
「ほとんどの探索者は、この書類を遺書代わりにしています。ちなみに、その裏には保険の申込書もありますが、貴方のようなノービスが申し込めるプランは、『遺体確認料免除』程度です。せいぜい、ご家族の方の負担が減るくらいですね」
お姉さまは、書類一式を俺の手元に戻し、最後に釘を刺した。
「ま、一人で潜るんですから、魔物に食べられずに無事帰ってきてくださいね。貴方の血でこのギルドの床を汚されるのは、掃除が面倒ですから」
「は、はい! 必ず、無事帰還します! そして、最強のソロ探索者になってみせます!」
まずは、一歩、夢の入り口に入らなくちゃ!
そして、わずか15分後。
「佐藤 通、初心者探索者番号R-24458。おめでとう、イ・ケ・メ・ン君。はいこれ、あなたのIDプレート」
冷ややかなお姉さまの口から放たれた「おめでとう」という言葉と、冷たい金属のIDプレートが、俺の手の中で、まるで秘宝のように輝いて見えた。
「よっしゃああああ!」
俺はギルドのロビーの真ん中で、プレートを天に掲げて叫びそうになったが、隣のお姉さまの「静かにしなさい」という無言の圧に負け、心の中で叫び声に変換する。
(ダンジョンだ! ダンジョンだぞ、俺! 今日から俺は、この春休み、世界を股にかける探索者になるんだ!)
俺の心臓は、まさにダンジョン最深部のボス戦前のように高鳴っていた。
俺はまだ、この体の、前の持ち主の記憶が色濃く残っていて、精神的には大分そちらに引っ張られてしまった。




