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廃屋桜花奇譚

ホラー要素は特にありません。




 ときは華やかな王朝文化が花開いた時代。

 宮中は美しく洗練された女房たちが行き交い、都のあちらこちらから優美な楽の音が聞こえてくる中、都の端の端のさらに端に、華やかさとは無縁の廃屋があった。

 まるで都の栄光から取り残されたような、今にも朽ち果ててしまいそうなぼろ屋敷だ。

 そして、そんな華やかさと程遠い廃屋の前で、こちらも華やかさとは程遠い印象の、困り顔を浮かべた束帯姿の男が一人立ち尽くしていた――。




***




 ことの発端は、少し前に遡る。

 宮中では連日のように華やいだ宴が繰り広げられ、平穏すぎる世に些か飽きた公達が何か面白いことはないかと言い出し、誰かが思い出したように言った。


 ――都の端に、化物桜の廃屋があるらしい。


 何でも、ずいぶん前に人が住まなくなり今にも朽ち果てそうな屋敷の奥に、それはそれは見事な桜の木があるらしいが、見に行った人々がそろって化け物を見たと言って逃げ帰ってくる曰くつきの桜だという。

 それを聞いた誰かが続けて言った。


 ――面白い、誰か行って桜の枝を持って参れ。


 面白いのならば自分が行けばいいのに誰か誰かと騒ぎ始め、ほとんど酒も飲まず隅にいた一人の下級官吏に白羽の矢が立った。

 それが、今まさに廃屋の前で立ち尽くしている男で、名を行信(ゆきのぶ)という。

 大内裏に勤める下級官吏だが、仕事はできるがいささか真面目過ぎる性格のために、いつも面倒ごとを押し付けられてばかりだった。

 そのため、夜空に月が浮かぶ頃に、件の化物桜がある廃屋まで行くこととなってしまったのだ。


「なぜ私がこんなことを……」


 廃屋の前で、困り顔のまま零す。

 今日だって残業をしており、さあようやく帰れるとなったところで行きたくもない宴に引っ張られ、聞きたくもない上司の自慢話に付き合わされていたのだ。

 その上、無理やり行かされることになった噂の廃屋は、確かに化け物が出そうな雰囲気だった。

 元は見事な屋敷であっただろうが、土壁はところどころ崩れ落ち、敷地の周囲も屋根の上にも草が生えて好き勝手に伸びている。

 これは、化け物以前に蛇が出てこないだろうかと不安になった。


「そもそも住んでいないとはいえ人の屋敷に勝手に入るというのは……」


 ぶつぶつと零してみるが、返ってくるのは鳥の鳴き声だけだ。

 その鳴き声さえも、この朽ちそうな廃屋を前にして聞くと嫌に恐ろしく感じられる。

 と、そのときだった。


「な~お……」

「ひっ!」


 背後から聞こえた声に短い悲鳴を上げながら振り返れば、行信がやってきた道を同じように猫が歩いていた。

 猫の鳴き声で悲鳴を上げたなど、それこそ酒の肴にされそうな醜態だ。

 行信はばくばくと震える胸を押さえながら、白い毛並みに黒ぶち模様の猫を見つめた。

 しかし猫の方は行信を気にする素振りもなく側を通り過ぎると、目の前の廃屋へと進んでいった。


「あっ、これ! 猫よ、勝手に入ってはならぬ……っ」


 どこまでも真面目な性格ゆえに、見ず知らずの猫にそう言って、化け物も蛇も出てきそうな廃屋に入っていこうとする跡を追った。

 門をくぐれば草がさらに鬱蒼と茂っており、沓の下で小枝をぱきりと踏む音がした。

 その次の瞬間だった。


「食っちまうぞー!!」

「ひいぃぃぃ!!」


 敷地の中から響いてきた声に、行信は驚いて今度こそ大きな悲鳴を上げて飛び上がった。

 飛び上がった拍子に足がもつれて体が傾いてしまい、その先にあの猫がいるのを見つけて、踏み潰してはならないと慌てて体をひねったせいで、地面にべちゃりと尻もちをついた。


「いたっ」


 情けない声が上がる。

 廃屋で猫を追いかけて転んだなど、ひと月は酒の肴にされてしまいそうだ。

 尻もちをついてしまった腰を押さえていた、そのとき。


「――こら、やりすぎですよ」


 行信の前に、先ほどとは違う静かな声音が聞こえ、どこからともなく香しい一陣の風が吹いた。

 思わず目をつむり、再び開いたときには、目の前に若い女人の姿があった。

 月明かりで浮かび上がる顔は透き通るように白く、夜空のような瞳がまっすぐに行信を映す。

 風で揺れた袿は紅色から薄紅色へと流れるような美しい襲色目で、宮中で華やかな女房たちを見慣れてきた行信の目にも非常に優美に見え、まるで月に住むという姫君のように思えた。

 思わず見惚れていると、白い手が静かに行信の目の前へと近づいた。


「お公家様、妹が失礼いたしました。お怪我はございませんか?」


 心配げに声をかけられて、行信は慌てて傾いていた烏帽子を被り直した。

 すると女人の側から、小さな女の童が唇を尖らせながら顔を覗かせた。


「姉さま。私のせいじゃないもん。おじちゃんが勝手に転んだんだもん」

「おじちゃん……」


 女の童の言葉が、行信の心にぐさりと刺さる。

 行信はまだ二十五という年齢だが、子どもからすればおじちゃんなのかもしれない。


「こら。あなたが驚かせたから転んでしまったのですよ」

「勝手に入ってきたのが悪いんだもん!」


 静かにたしなめる姉に対して、妹は頬を膨らませてぷんと横を向きながら反論する。

 だいぶ雰囲気の異なる姉妹らしい。

 自分のせいで喧嘩になっては大変だと、行信は慌てて姉妹の間に割って入った。


「いえ、こちらこそ姫君のお住まいに勝手に入ってしまい申しわけ……姫君……?」


 ふと、周囲を振り返って、ここが廃屋だったことを思い出す。

 崩れ落ちそうな壁や、ぼろぼろになって風よけにもならない御簾など、到底住めるような場所ではなく、ましてや姫君たちだけで暮らせるものではない。

 そもそもここは無人の廃屋だったはず……と呆然としている行信に、姉の方が静かな声音で告げた。


「私たちはヒトではありません。桜の精でございます」

「桜の、精……?」


 姉がそう言いながら視線を動かした先に行信も目を向ければ、月明かりに照らされた庭の中央に、見事な桜の木が植わっていた。

 あれが件の化物桜だろうか。

 大きく枝を広げる姿は確かに見事なもので、その側にはそれより若い桜の木が寄り添うように並んでいる。

 行信がもう一度視線を戻せば、姉妹が同じように並んでいた。

 大きな桜の木の方は儚げな白っぽい花の色をしており、若い桜の木は鮮やかな濃い紅の花の色をして、姉妹の印象とよく似ていた。

 なんと、月に住む姫ではなく、花の姫らしい。

 思わぬことではあったが、行信はなぜかすんなりと納得できた。

 特に姉の方は人ならぬ雰囲気を持っていて、桜の花のような美しさそのものだった。


「姉さま。教えていいの?」

「このお方はぶちを避けようとして転んでしまったの。きっと悪いお方ではないわ」


 行信が追いかけたあの猫は、ぶちという名らしい。

 そういえばどこに行ったのだろうかと辺りを見回せば、あの猫は自分は関係ないと言わんばかりにいつのまにか屋根の上に登って丸まっていた。

 一人で転んだだけだったが、尻もち一つで猫を踏まずにすんだのだからまあいいかと、行信は自嘲を浮かべずにはいられなかった。


「あの、私などが聞ける立場ではないのですが、勝手に入ってくる者がよくいるのですか?」

「ええ。肝試しだったり桜を見に訪れたりするヒトが多く……そのたびに妹が驚かせているのです」


 それで化物桜なんて言われているのか……と行信は考えた。

 こんな人気のない廃屋で大声が聞こえてこれば、確かに桜の精というより化け物がいると思われてしまうだろう。


「お公家様も肝試しに?」


 姉の方が行信に尋ねた。

 行信は血筋だけならば公家に繋がる高貴な身なのだが、真面目すぎて立ち回りがよくない万年下っ端官吏だ。


「いえ、私は公家なんて大層な立場ではありません、どうぞ行信とお呼びください」

「では、私のことは桜寿(おうじゅ)と。この子は桜嵐(おうらん)と言います」


 桜の姉妹は、姉は桜寿という名前で、妹は桜嵐というらしい。

 何とも雅な名前だと行信は感じた。


「今宵は宮中で開かれた宴の途中で、桜の枝を取って来いと無茶を言われて来たのです」


 偽っても仕方がないので、正直に経緯を説明すると、桜寿は白い指先で口元を押さえながら小さく笑った。

 それは嘲笑といったものではなく、花がほころぶような柔らかな笑みだった。


「まあ、そういうことでしたか。では、桜嵐が驚かせてしまったお詫びに、一枝持って行ってくださいませ」


 そう言って桜寿は、大木から伸びた枝先に手を伸ばした。

 しかし、行信は「いえ、結構です」と首を横に振って止めた。


「けれど、手ぶらで帰っては叱られるのでは……?」

「私が桜の枝を持って戻ってこられるなどと、誰も期待しておりませんから良いのです。このように美しい桜を手折ってしまうのはもったいない」


 あれだけ酒が入って騒いでいるのだから、行信が桜を取りに行ったことを覚えているかも怪しい。

 帝も公家たちも実際に桜を見たいわけでなく、ただ面白いことがないかと暇を潰しているだけなのだから、そんなことのためにこの美しい桜の枝を手折るなど無粋に思えた。


「それに、持ち帰って大勢の者にこの桜の美しさを知られてしまうのも、非常にもったいないです」


 行信は月明かりに照らされ美しく咲き誇る桜の大木を見上げ、それから桜寿の方を遠慮がちに見つめた。

 桜寿の白い頬が微かに赤らむ。

 互いに無言になり、どこかそわそわとした雰囲気が流れ、二人の間を香しい風が通り過ぎた。


「ねっ、ねっ! さっき言っていた姫君って、私のこと?」


 そのとき、桜嵐が二人の間に割って入った。

 どうやら姫君という言葉がお気に召したらしい。

 桜の精といえど子どもらしい様子に、行信は屈んで視線を合わせた。


「ええ、桜の小さな姫君」

「わー! 姫君だって、私のこと姫君だって!」


 行信がそう呼びかければ、桜嵐はきゃっきゃっと飛び跳ねて喜んだ。

 何とも元気のよい姿に、行信と桜寿は顔を見合わせて笑った。

 屋根の上で猫のぶちが「な~お」と鳴いている。

 月が大小の桜の木を照らし、来た道の憂鬱さとは打って変わって、穏やかで楽しい時間だった。


 結局、行信は手ぶらで戻った。

 猫に驚いて逃げ帰ってきましたと言えば、帝も公達も声を上げて笑い満足し、すぐに廃屋の桜からは興味をなくしてしまった。

 行信はそのことに内心安堵した。







 それから、行信は暇さえあればあの廃屋へと足を運んだ。

 実際には真面目過ぎて面倒ごとを押し付けられやすい行信には暇な時間などなかったが、時間を捻出するためにさらに仕事に励み瞬く間に終わらせるようになった。

 その上、桜の精を訪ねたい一心で、時にはきっぱりと面倒ごとを断り切れるようにもなり、周囲からは少々驚かれたりもした。


 姫君たちの元を尋ねるのに手ぶらでは……と思い、菓子を手土産にするようになった。

 桜の精はヒトの食べ物を食べることができるらしく、甘い菓子に喜んだ。

 特に桜嵐の方は菓子をいつも楽しみにしており、そのおかげもあってか行信にとても懐いた。

 行信は仕事で遠出したときなどには市に立ち寄るようになり、桜貝の装飾品などを見つけると買って帰り、桜寿に土産として渡すと頬を染めて喜んでくれた。

 しかし桜嵐の方には菓子が良いと言われ、土産選びには仕事以上に気合いが入るようになった。


 最初以外は昼間か夕刻くらいに訪ねるようになり、日差しの中で見ても朽ちそうな廃屋はなかなかの雰囲気だったが、桜の精にとっては朽ちるということはあまり気にするものではないらしく、自然の移り変わりと言われればそんなものかという気持ちにもなり、桜の木を眺めながら茶を飲み話したりした。

 話を聞けば大きな桜の木の方は数百年以上前からここに植わっているらしく、十数年前に屋敷が無人となってからは姉妹が自由に過ごしているらしい。

 風が吹くと桜吹雪が舞い、桜嵐が元気よく庭を走り回り、ときおりどこからともなく猫のぶちがやってくる。

 真面目な行信にはこののんびりとした雰囲気がとても居心地よく感じた。

 そう思い濡れ縁に並んで座る隣を見れば、桜寿が白い頬を微かに赤らめて笑顔を返してくれて、ここは極楽浄土だろうかと、そう思う日々だった。




***




 そんな風に三人と時おり一匹で過ごして、花のときを過ぎ、枝に青葉が色づくようになり、少しずつ北風を感じるようになってきた頃――。


「今日も急いで帰るのか?」


 定時に仕事を終え意気揚々と帰り支度をしていた行信に、同僚が声をかけてきた。


「ああ」

「最近楽しそうだよな。何だ何だ、おなごの元にでも通っているのか?」


 同僚が肩を寄せてきて興味津々といった様子で聞いてくる。

 通っている先は桜の精の住む廃屋なのだが、そんなことを言ったら物の怪に取りつかれたと思われてしまうので、行信は曖昧に笑ってかわした。

 同僚もそれ以上しつこく聞くことはなく、急ぎ足の行信を早々に解放してくれた。


「そういえば、このところ盗賊集団が出るというから気をつけろよ」

「盗賊?」

「ああ。貴族の屋敷に盗みに入っているらしい。ほら、お前が春頃に宴の途中で桜の枝を取りに行かされた廃屋があるだろう、あの辺りを拠点にしているとか……あっ、おい!?」


 同僚の話を最後まで聞くことなく、行信は大内裏を飛び出した。

 桜の精たちが住まう廃屋は都の端にあり、確かにもともと治安の良い場所ではなく、肝試しに使われるくらい鬱蒼としているから逆に盗賊には都合のいい場所かもしれない。

 女こどもだけで住まう廃屋にもしも盗賊が押し寄せたら――そう思うと行信は走る足に力を込めた。


「――な~お」


 その途中で、聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。


「ぶち!」


 廃屋に出入りする猫のぶちが、道の真ん中にいた。

 ぶちは行信を見ると、くるりと背を向けて歩き出し、それから足を止めてもう一度振り返ってということを繰り返した。


「ついて来いということか……? もしや、盗賊がすでに……!?」


 行信がそう零すと、ぶちは急に駆け出し、行信は急いでその跡に続いた。

 頭に浮かぶのは、桜の精の姉妹たちのことだ。

 大丈夫だろうか、盗賊に怯えてはいないだろうか、怪我をしていないだろうか……不安になりながら急いで廃屋へと向かう。

 何度も通い見慣れた門がようやく見えてきた。


「姫君たち!! 大丈夫で――……」


 そう声を上げながら廃屋の中へと飛び込んだ。

 しかし、行信がその先で見たのは、盗賊らしき雰囲気の厳つい男たちが地面に倒れている姿だった。

 十数人はいるだろうか、全員目を回しているようだった。

 そのすぐ側に、桜嵐が小さな体で逞しく腕を組んで立っており、行信の存在に気づくとぱっと顔を輝かせた。


「あ! おじちゃん!」

「あ、あぁ……」


 いつものように呼ばれ、行信はそう言うしかできなかった。

 ぶちが盗賊らしき男たちの側を「な~お」と鳴きながら横切っている。

 いつものようにのんびりとした様子と変わらなかった。


「あら、行信さま。息せき切って、どうかされたのですか?」

「桜寿殿……」


 朽ち果てそうな家屋の中から、桜寿が穏やかな表情で出てくる。

 その様子もいつもと変わりない。

 しかし庭には盗賊らしき集団が倒れており、行信はそれらと花の精たちを交互に見た。


「盗賊が出るという噂を聞いて急いで来たのですが……」

「盗賊だったのですね。桜嵐がいつものように驚かせてしまったようです」


 行信が最初に訪れたときと同じように桜嵐に驚かされたようで、目を回して倒れている盗賊たちの姿を見て、行信はもはや苦笑を浮かべるしかなかった。


「私が駆け付けるまでもなかったですね……」

「心配してきてくださったのですか?」

「ええ。盗賊が出ると聞いて居ても立ってもいられず……何の役にも立てませんでしたが……」


 盗賊を字のごとく倒したのは桜嵐の方だ。

 そもそも行信は腕っぷしには自信があるわけではないので、考えてみれば駆け付けたところで役に立たないのは明らかだった。

 行信は真面目過ぎて面倒ごとを押し付けられやすく、要領が良いわけでもないので物事がとんとん拍子に上手くいったこともなく、喜んでくれるからと菓子を持っていくことくらいしかできない。

 今日は急いでいたため手ぶらなので、あとで桜嵐に怒られるかもしれない。

 そんな、普通で平凡な男だ。


「な~お」


 そのとき、ぶちがいつものように間延びした鳴き声を上げ、行信の方を一瞥すると、背を向けて歩いて行った。

 桜嵐が「ぶち、待って」と言いながらそのあとを追いかけていく。


「――あっ、あの」


 ぶちが桜寿と二人きりにしてくれて、行信は意を決した。

 桜寿に声をかければ、初めて会ったときと同じようにまっすぐな視線が行信へと向けられる。


「私は、何の取り柄もなく、きっと桜の精であるあなた達の方が強い力も持っているかと思います。けれど、あなた達だけで暮らすこの屋敷に、またならず者が来たらと思うと心配で仕方がありません」

「行信さま……」

「私はこれまでただ真面目に過ごしてきましたが、あの春の日にここへ来られたのは僥倖と思っています。あなたと出会うことができたので」


 この廃屋へ通うようになって数か月、行信は思っていたことを初めて口にした。

 桜寿の白い頬が、じんわりと桜の色味を帯びて、二人の間がまるで春爛漫のような雰囲気になる。


「頼りないところもあると思います。けれども、あなた達を守ると約束しますので、その、つまり……わ、わ、私とけっこ――」

「盗賊たちめ、そこまでだ! 観念しろ!!」


 勇気を振り絞って言い出そうとした行信の言葉を、突然響いたけたたましい幾つもの足音と声が遮った。

 屋根の崩れそうな門から飛び込んできたのは、都を守る検非違使たちの姿だった。

 しかし仰々しくやってきた検非違使たちは、すでに地面に倒れている盗賊たちに驚くと、ぽかんとした表情を浮かべながら行信に目を向けた。


「こ、これは一体どういうことだ……。貴殿が一人で盗賊たちを……?」

「え?」


 検非違使の言葉で行信が周囲を見回したときには、桜の姉妹も、猫の姿も消えていた。

 残されたのは、目を回して倒れている盗賊たちと、その側に立つ行信と、盗賊を捕縛しようと駆け付けた検非違使たちのみだった。




***




 その後、行信は盗賊集団を一人で倒したという噂が広がり、一躍時の人となった。

 おかげで役職も上がり、数多の名家から婿へと請われたが――行信はそれらを全て丁重に断った。

 その代わり、盗賊を捕らえた功績で貰った報奨金であの廃屋を買い取り、住める程度に直して引っ越した。

 力ある名家の婿になれば大出世の機会だったのにと、周囲はなんて勿体ないことをした馬鹿な男だと噂したが、行信にとっては気にならなかった。


 仕事を終えた行信は、今日もいそいそと大内裏をあとにする。


「ただいま帰りました」


 崩れかけていた土壁も屋根も直した家に帰ると、中からいくつもの声に出迎えられた。


「お帰りなさいませ」

「義兄さま、お帰りなさい!」

「な~お」


 桜の精の妻と。

 明るい義妹と。

 ときどきやってくる猫。

 豪奢な屋敷でもなく大出世もしていないが、この穏やかで楽しい日々に、行信は己を三国一の幸せ者だと思った。


 都の端に化物桜の廃屋があるという噂はいつしか消え、静かに花を咲かせる桜の木があった――。




読んで頂きありがとうございました!

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