秘めた想い
澪依視点です。
家に帰ると、真っ直ぐに自室へと駆け込みベッドにダイブした。
いつも使っている枕をギュッと抱きしめて悶絶する。
「紫苑君と2人っきりでお話ししちゃったぁ〜」
足をバタバタとさせながら堪えきれないとばかりに「くぅ〜」と声を漏らして。
その顔は喜びに満ちていた。
何故なら、澪依は紫苑に恋をしているのだから。
瞼の裏に浮かぶのは幼き日の記憶。
こちらに伸ばされた小さな手。私の問いかけに答えるか細い声。潤んだ瞳に重なる、深い悲しみの色。
雨に濡れたこの街で澪依たちは出会った。
学校に入ってからはあまり話してこなかったけど、彼のことはよく知っている。
ずっと、見てきたから。
紫苑は特別な人間だ。勉強もスポーツも音楽や芸術に至るまで全て器用にこなす。その上、他人を見下す様な態度も取らず、むしろ誠実でとても優しい。まさに聖人。
しかも容姿まで優れている。整った顔。高い身長。スラっとした体型。日本人には珍しい淡い薄紫の瞳も儚げでとても美しい。
彼を見た多くの少女が胸をときめかせ、心を奪われる。
そんな絵に描いた様な王子様である紫苑がまさか、まさか私の敬愛する影園先生だったなんて! 興奮で頭がおかしくなりそうだと澪依は思った。
影園先生の作品との出会いは中学に上がる直前の春休みまで遡る。
色々あって塞ぎ込み自室に引きこもっていた頃、親友が持ってきてくれたのが影園先生作の『夜明け』だった。
小説なんて読める気分ではなかったが、折角彼女が持ってきてくれたのだからと手に取って読み始め、読み終えた後、溢れ出てくる涙を澪依は止められなかった。
何度も何度も読み返してその度に涙を零した。
澪依に生きる希望をくれたのは影園先生だった。
今思い返すと紫苑には助けられてばかりだ。その紫苑に専属イラストレーターになって欲しいと頼まれた。
これほど嬉しいことは他にない。
前までの澪依なら間違いなく引き受けていただろう。
でも——
胸中に渦巻く不安の影。それは今日、久しぶりに学校へやってきた彼を見てから、より大きくなった。
紫苑は、深い悲しみの色を纏っていた。
彼が見せた色は、あの日の記憶を澪依に想起させる。
彼女が心を囚われる、雨に濡れた男の子の姿を。
彼の纏う色に最初は戸惑ったけど、その理由はさっきの会話でなんとなく察した。
水希さんが亡くなったから。大切なパートナーが亡くなってしまったから、あんな色をしていた。
もし澪依がこの依頼を引き受けたらきっとまた紫苑を悲しませてしまう。
断ることも考えた。紫苑は優しいからきっと笑って許してくれると思う。
断ってしまうことが最善。紫苑にとっても澪依にとっても。誰も悲しまずに済むのだから。
わかってる。わかってるけど、澪依には諦めきれなかった。
叶うのなら、少しでも長く紫苑の側にいたい。
他のことならば、まだ澪依は抑えられただろう。今までだってそうしてきたのだから。
澪依を救った影園詩月が、紫苑でさえなければ。
最後の最後で、欲が出てしまった。
ベッドから起き上がると、近くにある本棚から大切な宝物を抜き出してそっと胸に抱く。
そして心の中で呟いた。
ごめんね、紫苑君。こんな身勝手な私をどうか許して。




