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僕らが紡ぐ物語  作者: 花音瀬笛人
始まりの物語
2/12

始まり

 仄暗い路地裏、分厚い雲から微かな光が漏れている。冷たい雨が身体を打つ。視界に映る幼い手。これは誰のものだろうか。

 感覚が薄くなっていく。雨の冷たさを感じることも指先を動かすことでさえ出来ない。

 辺りを包む雨音。決して変わることのない視点。目に映るのは小さな身体と灰色の地面。他には何もない。

 段々と、意識が薄れてゆく。途切れる寸前、声が聞こえた。

 舌足らずな幼い声音。その声の主を探して最後の力を振り絞った。重たい瞼を持ち上げ、出口の方へと視線を向ける。

 途端、光が身体を包み込む。先程と違って温かな、優しい雨。差し出された掌。それに手を伸ばして──


 朝、屋根を叩く雨音で目が覚めた。

 自分はどれほどの間寝ていただろうか。時計を見ると六時九分、ざっと六時間と言ったところか、久しぶりにこんなに寝た気がする。

 あの日からずっと眠れない日が続いていた。 

 酷く憂鬱だと月影(つきかげ)紫苑(しおん)は思った。あの日の衝撃と哀しみが抜けないのもあるし、よりにもよってそんな時に雨の中、外へ行かなければならないのがとても憂鬱だ。

 紫苑は生徒会長の役職に就いている。あまり長くは休めない。今回は何の準備もしていなかったから皆には負担をかけてしまっているだろう。しかし雨の中行かなければならないという事実が紫苑のやる気を削ぐ。

 雨の日は、決まってあの夢を見る。曖昧な意識、灰色の世界。あれは一体何なのだろう。あのような光景を見た覚えはない。ただ唯一、気掛かりはある。不自然に抜け落ちた記憶の空白。雨の音を聴いていると、何か忘れてしまった記憶を刺激されているような、そんな気がするのだ。そして、その記憶は決して良いものではないとわかるからこそ、雨の日は好きになれない。 

 階段を降りて洗面所へと向かう。

 鏡の正面に立つと、酷い顔だ。と思わず声が溢れた。

 頬はやつれ、目の下には大きな隈が出来ている。まぁ、当然といえば当然なのだろう。食事もろくに摂らず、ずっとパソコンに向かっていたのだから。

 家を出る前に化粧で隠しておかなければ。

 手早く家事と支度を済ませ朝食の準備に取り掛かる。今日のメニューはどうしようか。

 お米を炊き、味噌汁を作り、魚を焼いて盛り付けて、サラダを和える。酷く一般的な食卓の景色。

 全てを1人でこなして、静かにご飯を食べる。

 この生活にも随分と前に慣れてしまった。

 家の中はとても静かだ。紫苑以外は誰もいないから。

 執筆をする上では、存分に集中出来るし、誰にも邪魔されな……いや、面倒な奴に邪魔はされるな。だが誰もいないというのはやはり寂しいものだと最近よく実感する。

 カバンを背負い玄関を出る。

「行ってきます」

 言葉を返してくれる人は、誰もいない。

 一度外へ出れば、より鮮明に聞こえる雨音。溜息を吐きながら手持ちの傘を差して歩き出す。

 しっとりと濡れた家々。水の滴る花や草木。雨に煙る街並み。景色はとても良いと思えるのだけれど、やはり雨は好きになれない。

 しばらく歩くと生徒達の姿が見え始めた。こちらに気付き、声を掛けてくる者もいる。それに応え、当たり障りのない会話をしていると、段々と学校が見えてきた。

 白い外壁、築数年の新しい校舎。

 紫苑の通う学校は小中一貫の義務教育学校だ。数年前三つの学校が合併されて設立された新しい学校。全校生徒は約六百人。東京とかと比べたら紫苑の住む街は田舎も田舎だ。このこの人数でもかなり多い方だ。

 二学期ももうすぐ終わる。テストが迫り、皆が勉強に追われる時期。本来ならこのまま休みたかったところなのだが、やらなければならない事ができてしまった。彼女は()()()を引き受けてくれるだろうか。

 冷たい風が紫苑の頬を撫でてゆく。

 あの日もこんな風が吹いていた気がする。

 そこでふと、あの人は今どうしているのだろうと思い至る。大切な妹を失い、絶望に打ちひしがれた僕の恩人。

 水希さんの葬式で会って以来、一度も連絡を取っていない。

 あの時の太陽さんはまともに見ていられなかった。

 ただ1人の家族を亡くして、どれほどの哀しみが胸の中に渦巻いているのか──、僕は少しだけ、理解できる。

 しばらくしたら、一度連絡してみよう。


 教室に入ると紫苑を心配してくれたクラスメイト達が言葉をかけてくれる。表面上は病気で欠席していることになっているので、

「病気はもう大丈夫なのか?」

 聞いてくるクラスメイトに対して優等生の仮面を貼り付け、

「大丈夫。もう完全に治ったから。心配してくれてありがとう」

 と返す。

 これが素の紫苑ではないと思う者は誰もいないだろう。

 彼らの前で素を見せたことなど一度たりともないのだから。

 よかったぁ、と胸を撫で下ろすクラスメイト達と適当に言葉を交わつつ紫苑は目的の人物の机へと近づき、その正面に立って話しかける。

 その人物は今日紫苑が学校に来た一番の理由。

「澪依ちゃん、ちょっといいかな?」

「何? 紫苑君?」

 彼女──花宮(はなみや)澪依(れい)は穏やかな微笑みを浮かべて答えた。

「少し、話したい事があるんだ。できれば放課後に残ってくれると嬉しいんだけど……時間はあるかな?」

 ここで断られてしまうと色々と厳しいな、と紫苑は内心苦い顔を浮かべる。

「いいよ。今日は特に予定も無いから」

「ありがとう。助かるよ」

 本心から礼を述べて彼女の側を離れる。

 ひとまず最初の課題は達成することができた。誰からも好かれる優等生を演じ続けてきた甲斐があるというものである。

 問題は次だ。

 思わず溜め息が溢れてしまう。

 本当に面倒な課題を残してくれたよ、あの人は……。


 

 

月影、という苗字の方は実際にいらっしゃるそうですね。

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