あなたのファンだから
だいぶ更新が遅れてしまい本当に申し訳ありません
静寂が町を包む深更、彼はパソコンと向き合い言葉を紡ぎ続けていた。やがて最後の文字を打ち終わると凝り固まった体をほぐす。
ふと、あることに気付いた。
太陽さんに電話をしていない。
執筆に熱中するあまりすっかり失念していた。いつもはこんなミスはしないのだが、一度書き始めると他を疎かにしてしまうのは紫苑の悪い癖だ。
この時間にかけて迷惑にならないだろうか。
少し迷ってから連絡先にある日山太陽の名前をタップする。
数秒コール音が鳴り響いた後、スマホから声がした。
『もしもし』
紫苑が憧れた、偉大な小説家の声。
大切な妹を失った、恩人の声。
「もしもし、お久しぶりです。太陽さん」
『ああ、久しぶり紫苑君。水希の葬式以来かな?』
太陽の声は暗く沈んでいて、未だに立ち直れていないことが伺える。
「太陽さん、ちゃんと寝れてますか? 以前五徹していた時より声に元気がないですよ」
『あー、二日に数時間しか寝れてないんだ。最近は、飯も喉を通らない』
太陽の状態は想定よりもずっと酷いようだ。それほど、水希の死が彼に与えた影響は大きい。幼い頃、両親を失って以来唯一の肉親となった妹の死。そう易々と立ち直れるほどの痛みでないことを、自分は身をもって知っている。
だから、紫苑は言葉を紡ぐ。折れてしまう前に、壊れてしまう前に、こちらへ引き戻さなければならない。
「太陽さん、そろそろ立ち直らないと体を壊しますよ。そんなことになったら水希さんが悲しみます。……どんなに辛くても、割り切るしかないんですよ」
心の奥底から引き摺り出す。今までに何度も自分自身に言い聞かせてきた、その言葉を。
『割り切るしかない、か……。紫苑君が言うと、重いね』
太陽は知っているのだ。ほとんど知る者がいない、紫苑の家族について。
「忘れなくたって、引き摺ったっていいんです。ただ、前を向いてください。貴方の物語を待つ人がいる。貴方の物語を必要としている人がいる。貴方の物語を愛している人がいる。だから貴方は、筆を持たなければいけない」
心からの言葉を彼に送った。絶えず本心を押し隠し、決して見せることはなく、しかしいつも自然体でいるように錯覚させる歪んだ少年の、偽りなき本音。
どうやら彼も、これには驚いたようだ。しばらく沈黙が流れた後、太陽は小さく呟く。
『もう、随分と筆を握れていないんだ、何か考えようとする度に水希の顔が頭をよぎって、物語が思い浮かばない。いつになったら書けるようになるか、わからない。そんな俺の作品を待ち続けてくれる人なんて、本当にいるだろうか』
「──いますよ」
彼にきちんと想いが届くように。心を込めて告げる。
「少なくとも、僕は二人知っていますよ。まず、ここに一人」
紫苑は誰にみせるでもなく、笑みを浮かべて指折り数える。だって、それはとても愉快な記憶だから。
「そして、もう一人。知ってましたか? 太陽さん。貴方の前ではいつも毒舌でしたけれど、僕と二人のときはとても誇らしそうに、はにかみながら貴方の本について語るんですよ——水希さんは」
電話の向こうで太陽が息を飲むのがわかった。
「一番のファンは僕だと思っていたんですけどね。水希さんの熱量はそれ以上。一度喋り出すと本当に止まらないんですよ、貴方の妹は。太陽さんの本を褒めるとまるで自分のことのように喜んで、心の底から嬉しそうな顔をするんです」
三人でいる時は太陽に対して刺々しい態度なのに彼がいなくなった途端、満面の笑みで褒めるのだ。
あの変わり様にはいつも心の中で笑っていた。
なんだかんだ言って、水希さんは心から兄を愛しているのだ。
「太陽さんが再び筆を握るまでたとえ何年かかっても待ちますよ。——僕らは、貴方のファンですから。水希さんもきっと、敬愛する作家の、愛する兄の帰りを待っている」
水希の魂を紫苑は見ていない。あの世と呼ばれるものは本当に存在しているのか。あったとして彼女はそこにいるのか。知る術はないし知ろうとも思わない。
けれどこれだけは断言できる。
「水希さんの為に貴方は帰ってこないとダメです。最高の作品を土産に帰ってきたら、僕の相棒は涙を流しながら喜びますよ、きっと」
最後は少し冗談めかして告げる。
『——ああ、きっと、帰って来るよ。……何年かかっても、必ず。ファンの期待には応えないとな』
泣き笑いの様なその声に、紫苑は思う。
ああ、やっぱり貴方はそうでなくちゃ。
貴方は人々の心を照らす、太陽なのだから。
「ええ、太陽さんの帰りを、心待ちにしています」
『──ところで代わりの絵師は見つかったのかい?』
まるで照れを隠すかのように話題を変えた太陽に紫苑は苦笑しながら答える。
「ええ、見つかりましたよ。生前、水希さんが唯一認めたイラストレーターです」
『それは、目にするのが楽しみだな』
今日まさにこの部屋で話をした彼女のことを思い返す。
力強い意志の宿った瞳で紫苑を見つめていた彼女の姿。
「本当に、楽しみです。それでは、おやすみなさい、太陽さん」
『おやすみ、紫苑君。──今日はありがとう』
その言葉を最後に通話は途切れた。
息を吐いて、大きく伸びをする。
少しは彼の助けになれただろうか。なれたらいいなと紫苑は思う。
「さて……」
頭の中にあった物語は全部吐き出したし課題も特にはない。そろそろ寝ようと立ち上がったそのとき、机に置かれた紫苑のスマホが震えコール音が響いた。
そこに表示された名前に少し驚く。
花宮澪依
つい先程まで考えていた彼女の名前が、画面には確かに表示されていた。
こんな真夜中にどうしたのだろう。
思いながら通話ボタンを押し、耳元に近づければ妙にテンションの高い澪依の声が鼓膜を揺らす。
「こんな時間にごめん紫苑君。実は質問したいことがあって。最終章で描写されてた花畑のことなんだけど……」
早口に捲し立てる澪依に対し、紫苑は冷静に答える。
「澪依ちゃん少し落ち着いて。あの花畑がどうかしたの?」
紫苑が問えば我に帰った澪依が「あぅ……」と項垂れる声が聞こえてくる。それがとても可愛らしくて彼は自分の頬が緩むのを感じていた。
「ご、ごめん紫苑君……。いきなりでびっくりしたよね」
「気にしなくていいよ。それより、どうしたの?」
柔らかな声音で彼は尋ねる。
「実は『魔女狩り』を読み終わったからさっきまでラフを描いてたのだけど、最終章で描かれた花園の咲くお花のイメージが中々つかなくて、もし元にしたお花があったら教えて欲しいなって……。あっ、今回の作品もとても感動させられました。やっぱり影園先生は──紫苑君は、凄いね」
その言葉に、体が震えた。想い人に認めてもらえることは、なんて尊いのだろう。
幸せを噛み締め、彼は答える。
「ありがとう。大切なファンにそう言ってもらえる以上に嬉しいことなんて、中々ないね」
電話越しに澪依が息を飲んだのがわかった。
「大切な……」
澪依の呟きを聞き取れなかった紫苑が尋ねる。
「ごめん。今なんて言った?」
「いっ、いや、なんでもないよ気にしないで」
少し慌てたような澪依の声が返って来る。
「……そう。なら、いいんだけど……」
紫苑がそう言ったきり、どちらも声を発さなかったがために気まずい沈黙が訪れる。
それを破ったのは紫苑だ。
「そうそう、終盤の花畑の件だけどモデルがちゃんとあるんだ。今、写真を送るから確認してくれる?」
「うん。……ありがとう」
フォルダから一枚の写真を選択し澪依に送る。それは、『あの場所』に関する写真の中で一番上手く撮れた写真。
彼女はこれを見たとき、どんな反応を示してくれるだろうか。
「──凄く、綺麗」
十数秒後、返ってきたのは感嘆の声。その声音で彼女がどれほどあの景色に胸を打たれたのかがわかる。
紫苑は思わず笑みを溢す。
「でしょう? 僕の、一番好きな場所だよ」
彼しか知り得ない秘密の花園。この写真を他人に見せたのは実は澪依が初めてだ。かつての相棒である水希にすら見せたことはない。他の誰にも知られたくないけれど、彼女には何故か、不思議と見せてもいいと思えた。
「このお花、名前はなんて言うの?」
彼女からの問いに、紫苑は一つ呼吸を置いて答える。
「その花の名前は、紫苑。僕の名前の由来になったであろう花だよ」
彼女がまた息を飲む。きっと、さっきとは別の理由で。
「紫苑の花言葉は、追憶。あの物語の最終章にピッタリでしょう?」
本当はもう一つ花言葉があるのだけれどそれについては言及しない。どうせ調べればわかることだ。それに……。
脳裏をよぎるのは家族のこと。この名前をつけたであろう彼ら。彼らはちゃんと、紫苑のことを──。
「紫苑君」
そこまで考えたところで、澪依の声によって現実に引き戻される。
「ん?」
「こんな夜遅くにありがとう。とても参考になりました」
「いえいえ。澪依ちゃんにはいいものを書いて欲しいからね」
電話の繋がる先で、彼女が大きく息をする。そして、力強い意思を感じさせる声で言い切る。
「紫苑君の一番好きな場所、絶対最高の出来にするから」
彼女のこんな声、初めて聴いた。
頬が緩み、心が踊る。
彼女は、どんな世界を描き上げてくるのだろう。どんな世界を魅せてくれるのだろう。
それは、とても──
「楽しみだね」
カクヨムの方でも掲載することに致しました。




