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Cousin

作者: 仁科 悠三


 山北孝の意識の中に梅沢芳子といういとこを意識するようになったのは孝が中学生になった時である。父方のいとこは全員名前と顔を認知していたものの、芳子は母方ということもあり、あまり会う機会もなく、存在感は薄かった。芳子には男の兄弟がいて、彼らとは多少の交流はあったが、異性であり年齢も8つほど年上の芳子とは子供と大人のように感じられて接点が少なかったとしても不思議はなかった。

 孝の父親の宗一郎が勤める企業が新たな事業所をS県のH市に開設することになり、宗一郎は立ち上げメンバーとして赴任することになった。子供たちの学校の区切りを待たずに宗一郎が故郷のA市からH市に単身赴任したのは宗一郎が43歳の時の6月。その時宗一郎は立ち上げ先の新しい職場の女子事務員の一人として姪の芳子を連れて赴任した。

 芳子は高校卒業時、故郷A市で市役所や銀行、農協、百貨店といった地元への就職を試みたがうまくいかず、親の知り合いを頼ってガソリンスタンドの従業員となっていた。他に良い働き口がないかと思っていた芳子の両親は、芳子の母の妹の連れ合いである宗一郎がH市に赴任するという話を聞き込み、その新しく誕生する職場をしっかりとした就職先とみて宗一郎に芳子の就職を交渉、芳子の身を預けることにしたのであった。

 宗一郎の家族は翌年の3月末H市に引っ越して合流することになっていたので、単身赴任中の叔父の生活をサポートする、という意味もあって芳子は深く考えず宗一郎と社宅で同居することを承諾した。自分の両親も宗一郎の妻である叔母も承知している同居である。そもそも晩熟おくての19歳の芳子には男女の微妙な機微には疎く、大人の女として思いを巡らすことはなかった。こうして43歳の宗一郎と19歳の血のつながりはない姪、芳子の同居生活が始まった。

 孝がこの時期の父と芳子の同居生活について気になり始めたのは自分が社会人になってしばらくたってからのことだ。特に何かを感じたということではないが、叔父と姪の同居は社会的規範からみて、問題はなかっただろうかというあくまで一般論としてだ。咎めだてをするとかそういうことではない。ごく下世話な心配である。確か島崎藤村の『新生』という小説は妻に先立たれた男と家事を手伝いに来た姪が道ならぬ関係に陥る話ではなかったか。芳子の両親も孝の母つまり宗一郎の妻も了解してのことだから、不義は起こるはずがないし、実際起こらなかったに違いない。何より年齢が違い過ぎる。息子の立場からは間違ってもあの謹厳な父がやっと成人になる年頃の芳子と何か間違いを犯すとは考えにくいし、何もなかったと思っている。つい手を付けてしまったというようなことがあったら本人たちだけの問題におさまらず両方の家庭に深刻な影響を与える問題だ。何事もなかったはずだから、下卑た妄想をすべきではない、と孝は当時自分を納得させた。



 宗一郎の新しい職場で一緒に働いてはどうかという話が母親を通じてあった時、芳子は即決した。生まれ育った土地を離れて暮らすというのも気に入った。この町から出たいという気持ちは県外に就職した高校の同級生たち以上に強かった。芳子も単調なガソリンスタンドの業務には飽き飽きしていたので喜んで転職に飛びついた。1年2ヶ月続けた単調なガソリンスタンドの仕事に見切りをつけられたのは良かった。今の仕事を変われるのなら何でもいいとまで思ったわけではないが、身分の安定した事務員として憧れのデスクワークに従事できることに満足だった。

 宗一郎にはもちろん過去に何度か会ったことはある。特に印象には残っていないが、年齢が二回り離れた真面目そうな普通のおじさんという印象だった。男性として意識するなんて考えられないし、考えたこともない。そういう状況で芳子は同居生活をスタートさせた。

 最初の3ヶ月ほどは仕事を覚えるのと、家事つまり炊事、洗濯、掃除、入浴の準備などをこなすのに忙しく、余計なことを考えている暇はなかった。

 朝、宗一郎は7時頃には芳子の用意してくれた朝食を摂り、7時半には社宅を出る。芳子はあわただしく朝食の後片づけと簡単な掃除をして8時に社宅を出て8時半に職場に到着する。帰りは芳子は5時半に職場を出て、帰途買うものがあれば買い物をし、6時過ぎには社宅に帰り着き、入浴の準備と夕食の支度に取りかかる。夕食の準備が整う7時頃に宗一郎が帰宅する。宗一郎が入浴したあと夕食となる。宗一郎の晩酌はビール大瓶1本である。食事中の会話はほとんどないが、宗一郎は「仕事は慣れたか?」といつも同じ質問をする。芳子の答えも「はい、だいぶ慣れました」といつも同じだ。芳子は気が向けば同僚の噂話をすることもある。宗一郎は関心があるのかないのか「そうか」とこれも同じ相槌を打つだけである。食事が済むと宗一郎は新聞に目を通し9時過ぎには自分の寝室に去る。芳子は夕食の片付けを終え、自分も入浴を済ませ、その後浴槽洗いと洗濯をこなし、11時ごろには自分の寝室に割り当てられた部屋に引きあげる。

 やっとその生活リズムに慣れ、仕事にも生活にも気持ちに余裕が出てきたかなと思えた時には3ヶ月が経っていた。



 その日、叔父は帰宅するといつものようにビールを開け、あたしにも「飲むか?」とすすめた。初めてのことである。厳密に言えばあたしはまだ19歳。飲んではいけないのだが職場の飲み会などで飲酒の経験はあった。自分では飲めない口ではないと思っている。だから叔父にすすめられた時、「じゃあ、一杯だけ」と言って台所からコップを持ってきてお相伴した。コップが空になった時、叔父はもう一杯だけ注いでくれ、それ以上はすすめなかった。そういうこともあって結局叔父はその夜はもう一本ビールをあたしに持ってこさせた。そう言えば今日は従業員の給料日だったということに気がついた。自分もしっかりいただいた。会計の責任者をしている叔父にとっては特別に神経を使う日である。無事に今月の支給が終わってホッとしているに違いない。心なしかいつもより疲れているようにも見える。もう一本ビールを飲みたくなる気持ちも理解出来る。お酌をしながら(お疲れ様でした)と心の中で呼びかける。(今度から給料日にはもっと喜んでもらえる夕食を作ろう)と思う。相手は叔父だけど、夫婦ってこんな感じなのかな。

 叔父が自分の部屋に引き揚げ、あたしは風呂から上がって髪もほぼ乾いた頃、叔父がお手洗いに立つ気配がした。通常はこの時間にはないことである。(眠れないのかな)と思ってしまう。考えてみれば無理もない。家族と離れて単身生活を余儀なくされている叔父である。夫婦間のことはよくわからないが、叔父も男盛りの40代前半。妻が恋しくなっても不思議はない。(かわいそう)と思い始めると思考がどんどんそちらの方へ行く。

 あたしは30分ほど悶々とし、一つの結論に達する。結論は(自分が慰めてあげなければならない)ということだ。叔父と姪であろうが親子ほど年の差があろうが関係ない。惚れたはれたの恋愛感情ではない。女としての肉体を持った自分がたまたまいて、その肉体で叔父だが一人の男の人を慰めてあげられるのなら喜んでそうするだけだ。あの時はそう思った。後に振り返ってみるとなんと短絡的で拙い考えだったのかと思う。

 あたしは全裸に浴衣一枚を羽織っただけの格好で叔父の寝ている部屋の前に立ち、「叔父さん………起きてますか」と呼びかける。返事はない。寝てしまったのか。

 もう一度「叔父さん」と声を掛けると「芳子か、どうした?」とはっきりした声で返答が返ってきた。

「すみません。入ります」と言ってあたしは叔父の寝間のふすまを開け、中に入る。

 薄暗い豆電球の薄暗い灯りの下、叔父は布団の上に起き上がっている。

「どうした?何かあったか?」と問う叔父にあたしは首を横に振って、浴衣を脱ぎ捨てると叔父の布団にもぐりこみ叔父の隣に横になる。

 びっくりした叔父は「芳子、どうした…」と言ったきり言葉が出ない。

 あたしは叔父の胸にしがみつき、叔父の手を取って自分の乳房に押し付ける。無言である。

 叔父は最初あっけに取られていたが、やがて「………芳子…寂しいのか」とつぶやくとあたしの身体を手で擦っていった。(まるで幼子を慰撫するようだ)とあたしは感じ、不満だった。もっと男女の「性愛」として濃厚に愛撫して欲しかった。しかし叔父はあたしを保護者としての態度で扱った。必死の覚悟で思い切った行動に及んだのであろう若い姪の心情を汲み、恥をかかせまいと出来る範囲でつき合ってくれたのであろう。当然、男女の性的結合という最後の行為には至るはずもなく、この夜のあたしの思い切った行動は(大事に至らず)独り相撲の空回りに終わったのだった。

 あたしが自分の寝部屋に引き揚げる時、叔父はポツリと、

「芳子、もうこんなことはするんじゃないぞ」と言った。自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 あたしは歳月が経つにつれてこの日の夜のことを思い出すと顔から火が出る思いになる。叔父に申し訳ないと思う。

 一回限りの行為ならばたまたまの「事故」と考えることも出来る。しかし二度三度と繰り返すと明確な意思を持った意図的な「背徳」となる。大人の叔父はこのあたりを良くわきまえていたのだろう。最初で最後の「事故」で収めようとしたのだ。だからこの背徳感いっぱいの儀式はただ一回で終わったのだった。



 宗一郎の残った家族がA市からH市に合流し、孝がH市の中学校に入学してから1か月の間芳子は宗一郎家族と同居を続けた。その間にアパートを探し、5月になってやっと芳子は晴れて一人暮しとなった。一人暮しは芳子にとって高校時代からの夢であった。

 芳子との社宅での短い同居中、孝は芳子を(家族の邪魔もの)と思っていた半面、中学生になった孝は男として若い女である芳子が異性として眩しかった。特に芳子の風呂上りの姿などを見ると孝は中学生の男の子としてムラムラしてくるのであった。なお、昔から芳子は孝のことを「たっか」と呼んでいた。その後も芳子が孝たち一家と長い期間に渡って密接に絡んでくることなどこの時分の孝には思いもよらない。

 一人暮らしを始めてからも芳子は休みの日などにはしばしば社宅に顔を出し、一緒に夕食を食べて行った。芳子は職場のバレーボールクラブに入っていたので、試合で真っ赤に日焼けした太ももに叔母に薬を塗ってもらっている光景を目にした時には孝は思わずドキリとしたものだ。

こういった孝と芳子が顔を合わせる機会は孝の東京の大学への進学で一旦途切れることになる。その後宗一郎も関東への転勤で一家はH市を離れ、芳子だけ一人H市に残ることになる。



 芳子は思い返す。あれは自分が28歳の夏、H市で一人暮しをしていた頃のことだ。

 孝は20歳、大学3年の夏休みの時だった。当時はやりの「カニ族」として一カ月ほど放浪旅行をする予定だがその途中に寄りたい、と連絡してきた。当時あたしは28歳。アパートで一人暮らしだった。孝はあたしの住むH市にも寄り、泊まるところは別に確保してあるが、アパートを訪ねて行くので一晩夕食を共にしたいと言ってきた。あたしは喜んで訪問を受け入れ、当日はごちそうを準備して孝をアパートに迎えた。食べる準備がほぼ出来たところで、あたしと孝は歩いて数分のところにある銭湯で汗を流した。

 あたしが孝と二人だけで食事をするのは初めてのことである。これまでは常に孝の家族がいた。高校生までの孝は知っていたものの大学生となった大人の孝に初めて再会してあたしはいとこである孝に眩しさとともに「男」を感じた。孝もあたしに「女」を感じてくれていたのだろうか。

 ビールを飲みながらの夕食も終わり、台所での後片付けを終えたあたしはひじ枕で寝そべってテレビを見ている孝の脇に膝を崩して座り一緒にテレビを見ていた。二人とも無言でただテレビの画面を眺めていた。目は画面を見てはいるものの二人の頭の中は別のことでいっぱいだったと思う。あたしは目いっぱい「男」である孝を意識していたし、おそらく孝もあたしを異性として意識していたはずだ。血のつながったいとこ同士であっても。

 時計はすでに8時を回り、孝が今夜の宿に引き揚げなければならない時は迫っていた。あたしもおそらく孝も今夜はこのまま何事もなく終わりたくない、という思いがあった。しかし二人とも口には出せない。

 じれったいその状態を打ち破ったのは孝であった。沈黙のまま行動で。孝は手を伸ばしておずおずとあたしの胸に触った。その時のあたしのいでたちは上はノーブラの素肌に薄いTシャツ一枚。下は膝丈のカジュアルなスカート。Tシャツの下でツンと乳首が立っていたことは自分でも承知していた。ちょっと刺激的過ぎるかなとは思ったが、風呂上りあえてそういう服装にした。男と女の「何か」が起こることを期待した上での誘惑的な格好だったと認めざるを得ない。そこにしっかり孝の「男」が反応した。孝の行動の責任は状況を作ったあたしにある。孝はあたしの敷いたレールに乗っただけだ。あたしは開放的な服装によってこのあとに性的な展開があっても(OKよ)のメッセージを出していたことになる。「据え膳」のサインということだ。

 食事中、あたしは孝の視線があたしの胸に時々行くのを感じていた。孝が男として女のあたしを性的に強く意識していることは確かだった。問題は男として勇気をもってそのあとの行動に移れるかどうかだった。孝は欲望を無理やり押さえ込む弱虫でなく男らしく堂々とあたしの期待に応える行動をとってくれた。あたしは孝がたくましい男に成長してくれていたことがうれしかった。

 今度はこちらが応える番である。Tシャツの上から乳首をなでられたあたしは(よしよし、来たわね、それでいいのよ)と心の中で答え、無言でTシャツを脱いで上半身裸となって乳房を曝した。そして孝の手を取って自分の乳房に押し付ける。孝はたまらず、あたしを畳に押し倒し、乳房にむしゃぶりついてくる。 

 やがて二人とも衣服をすべて脱ぎ捨て、性急に結合しようとする孝をいったん押しとどめてあたしはおもむろに避妊具を取り出す。何も今日のためにわざわざ準備したわけではない。かつて同僚と付き合っていた時、このアパートで一度関係を持ったことがある。1年ほど前のことだ。その後その同僚は仕事を辞め、故郷の北海道に帰ると言って職場を去った。それを機に交際は途絶え、今ではどこで何をしているのかさえ知らない。その時の避妊具の残りがあったのだ。今日孝をアパートに迎えるにあたってどういう連想か避妊具が残っていたことを思い出し、使う展開となるのを予感したのか期待したのか、何とはなしに所在を確認しておいたのだ。使う場面が来るとは思えなかったが確認は念のための安心材料であった。しかし、使う場面は現実のものとなった。

 孝は自分が避妊具を取り出してきたことをどう思っただろう。いつもこんなことをしている蓮っ葉な女だと思っただろうか。少なくとも処女ではなさそうだと思ったことだろう。あたしが初めてではないと孝がわかったことで孝の良心の呵責が軽減されるのならそれはそれでいいと思った。孝に避妊具を装着させて「初めて?」と聞くと孝は小さく頷く。自分も性についてはまだまだ初心者ではあるが、一生懸命に孝を導き受け入れた。こうしてあたしは孝と一生誰にも言えない罪深い秘密を共有することになった。



 その後、宗一郎はリタイアして故郷のA市に戻った。孝は結婚し、首都圏に一家を構えた。芳子は独身のままH市での勤務を続けていたが、実家の母親の介護のため定年を待たずに退職し、実家の敷地内に実家とは別に家を建てた。芳子は実家のほかに歩いて数分の山北家にもまめに顔を出して叔父と叔母を見守ってくれていた。やがて宗一郎も芳子の実家の母も亡くなり、一人暮しとなった孝の母親、芳子にとっては叔母の面倒も芳子は献身的に見てくれた。

 時が流れ、孝の母も老い、芳子自身も独身のまま年齢を重ねた。孝としてはいつまでも芳子に母の面倒を任せておくわけにもいかず、自分のもとに引き取った。空き家となってからの山下家の家は孝がいつ帰省しても泊まれるように芳子が管理してくれていた。自宅から歩いて数分だしたいして面倒なこともないから、と芳子は山北家の空き家の管理を苦にせずやってくれていた。


7


 孝は親戚の冠婚葬祭などで年に1、2回はA市に帰省し、実家に泊まる。たいていは一人だ。芳子は孝が一人で帰省する時は滞在中夕食だけはいそいそと支度をして食事につき合ってくれる。芳子は普段は一人で食べているので、孝と二人で食べるのは楽しい。料理の作り甲斐もある。夕飯の時一緒にビールを飲めるのもうれしい。まるで長い旅から帰った旦那さんを嬉々として迎える奥さんみたいだと思うことがある。食事は芳子の家でするが、孝は夕食の前にやって来て芳子のところでもらい風呂をさせてもらう。孝が風呂からあがったあと夕ご飯にするのが習慣となっている。


 ある年、孝は初夏に親戚の葬儀のため一人で帰省した。母が孝のもとに引き取られた翌年のことだから、芳子が73歳の時のことだ。孝ももう65歳になっている。葬儀の前日に到着して前泊し、葬儀後ももう一泊して次の日に戻るスケジュールである。

 最初の晩、いつものように二人でビールを飲みながら芳子心づくしの夕食を取っていた時のことだ。話題はだいたいいつも親戚の消息や両方の親のことが多いが、話題が共通のH市時代のことになった時、孝がポツリと言い出す。

「H市じゃ最初の頃は大変だったんじゃないの?」

「最初の頃?」と芳子。

「そう、我々家族が合流する前、おやじと暮らしていた時期があっただろう」

「ああ、あの頃ね。でも…たいして大変じゃなかった」

「だって一日の勤務先での仕事のほかに帰ったら自分以外の分の炊事洗濯もしなきゃいけない、主婦みたいに家事もこなさなきゃならなかったんだから」

「そうだけど、うちは母親が外で働いていたから、あたし、たった一人の女の子として中学生の頃から家事をやらされていたから慣れていたし、叔父さんには悪かったけど結構手を抜く方法も知っていたから。でも正直家族以外の人と暮らすのは気を遣ったかな」

「そこだよ。よそのオジサンと二人だけで暮らすというのは大変だったんじゃないの」

「それはあった」

「それでね………この歳になってふっと考えることがあるんだ………言いにくいんだけど………つまりあの時、おやじと芳子二人だけで暮らしてたじゃない。その期間中おやじとの間に何もなかったのかなって。その…男と女として」

「………」芳子は孝の直截的な質問に答えを失う。

「…ごめん、何も責めてるわけじゃない、…昔、おれとの間にも………あんなことがあったし、時々ふっと気になることがあるんだ。おやじとはどうだったんだろうって」

芳子は「……叔父さんとは………特に何も…なかったけど。子どもと大人だったし………叔父さんはあたしのことは女とは見ていなかったと思う」と否定する。

「そうか。おやじもあの頃は40代。当時の感覚では初老といえば初老か、今だったら40代というとビンビンの男盛りだ。おやじも聖人君子ではないはずだからそっちの欲望はあったと思う。同居しててなんかあったとしてもそれはそれで不思議じゃない。もし芳子がうまくおやじの相手をしてくれていたのなら息子としては(おやおや)とは思う反面、男同士としてはうれしい。少なくとも嫌な気持ちではない。感謝してる。ありがたかったなあって思う。非難するつもりはまったくない」

「………」

 芳子には孝の気持がわかるような気がする。同じ男として父親の背中を押しているのだ。

「そのおやじももう死んでしまったから仮に何かあったとしてももう時効。本当はどうだったのかなあって。あの世でバカなことを聞くんじゃないって怒ってるかも」

「………」孝は自分のことを多淫な女だと思っているのか。

「おふくろもおやじと芳子の間に何かあったとしても今なら相手が芳子だったら許す。しょうがないねえ二人とも、って言ってくれると俺は思う」

「………」

「ただ、そっちがその気も無かったのにおやじから無理に迫ったようなことがあったとしたら申し訳ない、と思って」

「………」芳子は微かに首を振る。

「………でも何もなかったんだ、残念ながら。何もなければないでホッとしつつ少し残念なところもある。矛盾してるけど」

「………」芳子は何と答えてよいのか。

「夕食の時になごやかに話す話題じゃないけれど、昔から機会があればいつか聞いてみたいと前から思っていたんだ。ビールの勢いでつい聞いてしまった。ゴメン。忘れて」

「そんな………」芳子としては(はいそうですか)と忘れられる孝の問い、ではない。孝は「責めているわけではない」と言ったけれどそんな単純な話ではないだろう。

「47年前に…自分たちの間にあったこともあるし、うちの男ども、おやじと俺のことだけど、芳子にお世話になったというか、とんでもないことをしてしまったんじゃないかって思うことがある、最近。俺も齢を取ったからか昔の行状が気になるんだ」

(それは違う、叔父さんとの時も孝との時もこっちが仕掛けたの)と口では否定しながら心当たりのある芳子は心の中で叫ぶ。

「でも、勝手に思うんだけど、謹厳実直に何もなかったよりも、人間として間違いを犯すくらいの方が人生としては楽しかったと思うんじゃないかな、死ぬとき」

 孝はこの話題をそこで切り上げたが、その後の夕食は言葉少なに気まずいままで終わった。



 翌日、親戚の葬式から戻り、夕食に訪れた孝に、いつものように芳子は明るいうちの入浴を勧めた。

 孝が入浴している時、芳子は夕食準備の手を止め、重大な覚悟を持って風呂場の脱衣場に立った。

「たっか………背中…流そうか?………」と浴室の扉越しに孝に声を掛ける。今までになかったことだ。

 孝からは少し間があって「………うん、ありがとう、頼む」と返事があった。上ずった声だ。孝にとっては予期せぬ展開だから無理もないはずだ。さぞびっくりしたことだろう。孝としてみれば想像だに出来ない芳子の申し出である。しかしそういう提案があった以上ここは男として断ってはいけない。イエスという答えしかないのだ。

 芳子は覚悟を決めて服を脱ぎ裸になると、「ごめん、入ります」と言って浴室の扉を開け中に入っていく。

 孝は湯船に浸かっている。芳子は「あまり見ないで」と言いながらも胸も下腹部も隠そうとはせず、孝の目に曝されるに任せている。自信があるというほどではないが73歳の身体にしては日頃の農作業で鍛えてあるので張りのある方だろうと自分では密かに思っている。乳房ももう垂れ気味だがまだ老婆のようにしなびてはいない。5、60代並の豊満な身体と言ってもいいのではないか、と芳子は思っている。もっとも最近同年代の同性の身体と比較したことはないのだが。

 孝はおもむろに湯船から出る。65歳にしては老けていない孝の裸体を芳子も品定めし、股間もしっかりと見届ける。芳子は湯船のお湯を汲んで自分の身体にザっとかける。

 芳子は孝を座らせたり立たせたりしながらゆっくりと背中だけではなく体の前も後も上から下まで孝の全身を洗い始める。洗いながら昨日の夕食の時の孝の質問に対する本当の答えを孝に伝える。自分と叔父との間に何もなかったわけではない。しかしアクションを起こしたのはあくまで芳子の方からであって叔父ではないこと、愛撫してもらっただけで最後の一線は越えなかったこと、後にも先にもただ一回だけのことだったなどあの夜の叔父との交歓を芳子は正直に包み隠さず孝に語った。

 それを自然に口に出せるようにするためにあえて芳子は二人とも裸という恥ずかしいが開き直った開放的な場を選んだのだ。身体を曝し、心もさらけ出す。隠すことは何もないという気持ちになるシチュエーションだ。孝なら風呂場での告白の意味を理解してくれるだろう。



 芳子の告白を聞きながら芳子が裸で父の布団に飛び込んだ時、父の「保護者としての理性」は「男としての欲望」と戦っていたのかもしれない、と孝は思った。

 芳子が孝の身体を洗い終わると当然の成り行きとしてお返しに今度は孝が芳子の全身を洗った。孝は父も母もお世話になった芳子の身体を感謝を込めて隅々まで優しく洗っていった。孝と芳子は45年前のH市の芳子のアパートでの一夜の交歓についても今となっては懐かしい思い出として語り合った。お互いに長い間胸の奥深く封印してきた、極秘の「あやまち」である。あの時若かった二人も今や高齢者となった。 長い時が流れた後に二人が再び全裸で相対し、フランクにあの日のことを語り合うというこのような機会が訪れるとは孝も芳子も思ってもいなかった。しかしこの後も死ぬまで二人だけの秘密であることに変わりはない。秘密を共有することは人の間の距離を縮める。

 互いの身体を洗い終わって、二人は腿が触れ合う向かい合わせの窮屈な姿勢で一緒にお湯に浸かった。初夏の陽の光がまぶしい浴室のお湯の中で年齢を重ねたいとこ二人のまったりとした至福の時が流れていった。


(終)


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