婚約破棄された私を慰めてくれた方が、ヤンデレになって領地へ押しかけてきたのですが
「ローズ・エーテルリンク! 貴様との婚約は破棄させてもらう!」
王族主催の夜会の場にて、私の婚約者であらせられる第二王子ダナム様が突然そう告げた。
ダナム様の隣には、綺麗な方がベッタリとくっ付いています。記憶が正しければ、最近貴族の仲間入りを果たした男爵家の御令嬢です。
私は反論しようにも、矢継ぎ早に「エリス男爵令嬢と真実の愛を見つけた!」と遮られ、「エリスに嫌がらせをしていた」と、全く身に覚えのない嘘をいくつも並べられる。
結果、あっという間に私への悪評とダナム様の新しい婚約者が夜会の場に広まった。
居並ぶ貴族たちは、皆、私の事をヒソヒソと話している。
(私は、ずっと王子の婚約者として慎ましくしていましたのに……! 王子の浮気癖だって、我慢していましたのに……!)
あんまりな事にその場を駆け出し、会場の外へ。
中庭で涙がこぼれそうになって、ギュッとドレスの裾を握って我慢します。
仮にも国の防備を担う辺境伯領で育てられた私は、女の身でありながら泣くなと教え込まれてきました。
ですが、
「こんな事って……」
観劇でよく見る悲劇を、私は体験している。
けれど私は、悲しみに暮れて泣くことさえ許されない。
私だって、本当は自由な恋をしたかったというのに。愛されることを望んでいたのに。
それを我慢して、政略結婚を承知で王子の婚約者になったというのに。いくら咎めても浮気をやめない王子に耐えていたのに……!
結局は、愛など欠片も得ることはできず、王族との繋がりもなくなったので辺境伯領に帰るしかないのだろう。
王都での日々を思い返しながらプルプルと震えていたら、後ろから足音がする。
誰かと思い振り返ると、見覚えのない男性が立っていた。
男性は暗然とした髪とは正反対の赤く輝く瞳で、私を見つめていました。
しばしの沈黙の後、男性は恭しく頭を下げ、「ローズ・エーテルリンク辺境伯令嬢とお見受けします」と、静かな声と礼節に長けた態度を見せた。
「先ほどの一件、私も見ておりました」
「そう、ですか……」
「第二王子ダナム様の行いに、貴女はご不満はないのですか?」
「……王族の決定以上に、この国で重んじることはないでしょう」
「では、貴女は婚約破棄を言い渡され、それを納得していると?」
そんなこと、あるわけない。涙は我慢できても本音までは我慢できず、「辛いですよ」と漏れ出てしまった。
咄嗟に口を覆った私ですが、この方は「でしたら泣くことです。涙は心を洗い流してくれます」と、優し気に言ってくださいました。
「私だって、泣けるものなら泣きたいです……。ですが、涙を見せては敵に付け入る隙を与えると、強く教えられてきましたから……」
「ですから、泣けないと?」
頷く私に、この方はいくらか頷くと、歩み寄って私を包み込むように抱きしめてくださいました。
突然の事に言葉を失っていると、囁く声が聞こえます。
「これでしたら、誰も貴女の涙を見ることはありません。貴女が厳格な家庭で育ったことは聞き及んでおります。その上での政略結婚からの婚約破棄……さぞ辛かったでしょう。ですから今は、我慢することなく泣いていいのですよ」
生まれてずっと厳しく育てられてきた私には、本当に久しぶりの優しさでした。
暖かな胸の中で、自然と我慢してきた涙が頬を伝います。気づくと、この方のスーツにもしみ込んでしまうほどの涙を、存分に流していました。
こんな優しい方が、私を見てくださっていた。きっと名のある家の跡取りなのでしょう。
存分に泣きながら、私はこの方への淡い恋心を抱いていました。けれど、辺境伯領に戻るしかない私には、この方が王都で名を馳せていく未来を見届けることはできない。
「……人が来てしまいましたね」
「あっ……」
「失礼」
私の相手をすることは、この夜会では王族を侮辱することにつながる。そう思ってか、私を離すと、去ってしまった。
そうしてやってきた第二王子の騎士たちは、私にすぐ帰り支度をするように命令が下った事を知らせた。
もう会うことはないだろう、名を聞くことのできなかった赤い瞳の男性。辺境伯領への馬車の中、彼の安泰を願いつつ、いつかもう一目会えたらと願うのでした。
####
「あの遊び人の第二王子なんかの婚約者にしたのが間違いだったのですよ!」「お嬢様のためにも、我らで王都へ攻め込みましょう!」
辺境伯領に戻ってから数日。国境の防備にあたる騎士団たちが、なんだか物騒な事を毎日のように話していた。
その度にお父様は「必ず報いは受けさせる、機を待て」と言っています。
いえいえ、たかが辺境伯の軍勢が攻め込んでどうなるというのですか。下手をしなくても、この家が国家反逆罪で訴えられます。全員断頭台行きです。
仕方がないので「私の事はいいですから」と、心にもない事を口にする日々。
別に、今更強がることにためらいはありません。
王族との婚約も、王都で過ごした日々も、あの夜の抱擁も、全ては過ぎ去った夢。
夢から覚めたのでしたら、今まで通りの日常を送るまでです。
今日も今日とて、鍛錬に励む騎士と行き交う行商人の荷馬車を屋敷の窓から眺めていた。
お父様も、しばらくはゆっくり休むように仰ってくださいました。
ですから、お言葉に甘えて心の傷を癒す事にします。
なんて、悠々自適な生活を送ろうとしていた矢先、私に訪問者がいるとメイドが知らせに来ました。
辺境伯領で女である私個人には大した価値もないというのに、どなたでしょう?
身だしなみを整えて屋敷の扉へ向かうと、目を疑いました。
「お久しぶりです、ローズ様。この度は突然の来訪をお許しください」
「あなたは、あの夜の……!」
「あの時は名乗れず失礼いたしました。私はナイルと申します。いえ、ホーキンス家の次男、ナイル・ホーキンスと名乗った方がよろしいでしょうか」
その家名に耳を疑いました。ホーキンスと言えば、宰相を務めるアニグマ様の家名です。弟がいるとは聞いていましたが、まさかこの方だったとは。
宰相であるアニグマ様はともかく、弟は表舞台に立つことがなかったので顔を知らなかったのですが、そのような方が、なぜ私の前に……?
疑問に思っていると、ナイルは私の手を取り、「素敵だ……」と呟きました。
「はい?」と首を傾げる私を他所に、ナイルは続けます。
「陽光に照らされる貴方は、月夜の姿より何倍も美しい……」
「え……え?」
「失意のまま悲しみに暮れているかとも心配しましたが、そんなご様子は微塵もない。素敵だ……流石は気高きエーテルリンク辺境伯の御子女です」
「あ、あの、いったい私に何の御用で……」
褒められ慣れていないので頬を赤くして問うと、ナイルは燃えるような赤い瞳で私を見つめた。
「この度は、婚約の申し込みに来ました」
「はいぃぃ!?」
「ああ、取り乱される姿も新鮮で素敵です……」
突然やってきて、突然褒め倒したと思ったら、婚約を申し込まれた。いくらなんでも理解が追い付かない私の所に、騒ぎを聞きつけてかお父様がズカズカとやってきた。
「なんだ貴様は! ローズに何の用だ!」
隠居するまでは騎士団で剣を振るっていたクマのような体格のお父様を前にしても、ナイルは一歩も引きません。
むしろ、口元が少しニヤッとしたように見えました。
「お初にお目にかかります、辺境伯様。私はアニグマ・ホーキンス宰相の弟、ナイル・ホーキンスと申します。この度は、御子女であらせられるローズ様に婚約を申し込みに参りました」
婚約と聞いて、お父様は声を荒げた。
「ローズが愚鈍な第二王子のせいで心に傷を負っているのを知っての事か! 第一、宰相ならともかく、その弟だと? そんな者にローズをくれてやると思うのか!」
「もちろん、第二王子の一件は私も見ておりました。大変な事でしたと思います。宰相の弟という身分も弁えているつもりです。ですので、婚約の申し込みにあたり、贈り物をご用意させていただきました」
贈り物だと? と、お父様が眉を顰めたとき、ナイルは乗ってきたのだろう馬車を指さした。
「ご覧あれ」
ナイルが合図を出すと、馬車の中から荒縄で縛られた第二王子ダナムが死んだような顔で連れてこられた。
いきなりの王族の登場に、私もお父様も言葉を失ってしまいました。
そのままナイルの横に連れてこられると、氷のように冷たい声で「跪け」と浴びせられる。
ダナムは怯えながら、ナイルの言うとおり、その場に跪いた。
「こ、これは一体……」
お父様がなんとか声を出すと、ナイルは「贈り物」と言って、経緯を簡潔に話した。
第二王子ダナムは王家の金を好き勝手使い様々な娯楽にかまけていた。何人ものメイドを遊び相手に夜を共にし、身籠らせたら追放していたのだ。
更に婚約者は体裁を保つために見た目と身分がよさそうな令嬢を適当に選んでいるだけだった。
流石に困った国王は、王族としていい加減に結婚もしてもらわなければならないので、国の防備を担う辺境伯者令嬢である私を婚約者にした。
しかし、ダナムはあろうことか成り上がりの男爵令嬢に真実の愛を見つけたと言い出し、私との婚約を破棄。
もはや国王も愛想が付きたそうです。それを察した宰相と弟のナイルが今までの悪行の証拠を全て提示し、ダナムは王位継承権どころか王族としても追放される身となった。
早い話が、ここにいるのは身から出た錆で平民に成り下がった、ただのダナムという事です。
話し終えたナイルは、ダナムへ殺意すら感じられる声を向けた。
「貴様のせいで美しきローズ様は大いに悲しまれた。夜会の場で恥をかくことになった。土下座して詫びろ」
「え……? いえ、そこまでしなくても……」
私が止めようとしても、ダナムはもはや言い返せないのか、私へ向けて土下座した。
「ふむ、これだけでは足りないな。そのまま靴を舐めて、あの晩の事を謝罪しろ」
これもまた断ろうとしたのだが、ダナムは舌を出して私の靴を舐めようとしてくる。
咄嗟に汚らしく思って身を引けば、続けてナイルが「また気分を害させたのか!」と怒鳴った。
「こうなっては、東国に伝わるという腹切りなるものをこの場にて行ってもらうしかないですね。それか私の手で斬首いたしますか」
「腹切り!? 斬首!? いえもういいですから! そんなに気にしていませんから!」
私の必死の声に、ナイルはぶんぶんと首を振るった。
「いえ、宰相の弟に過ぎない私がローズ様の婚約者となるには、相応の贈り物が不可欠なのです。宰相の弟というだけの私では貴女に相応しくないのですから。貴女に恥をかかせたこの男を死か絶望の淵に叩きこまなければならない」
ああもう、夜会の晩に見せた優しいナイル様は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
それにこのままでは、腹切りか斬首のどちらかが本当に行われてしまう。
「でしたらもう十分ですから! その婚約お引き受けしますから!」
と、勢いに任せて言ってしまったのだが、ナイルがニヤリと笑った気がした。
気のせいかと思っていたら、横からお父様が「いきなり婚約は認めん」と、なんとか止めてくれた。
「ただ、ナイルと言ったか。お前のローズを想う心は本物のようだ。ローズよ、この男とどういう関係を望む?」
あくまで、私に選択権をくれるようだ。私は悩みながら、あの晩に優しく包んでくれたナイルと、いきなり押しかけてきて婚約者にと迫るナイルのどちらが本物なのか分かりかねていた。
もちろん、どちらにしても私の事を大事にしてくれるだろう。それでも、やはり見極めるべきで……。
考え抜いた結果、私が口にしたのは、
「まずは、その、婚約者という形で、デートとかから……」
と、私はナイルの押しに負けて、デートの約束を取り付けてしまった。
####
私がローズ・エーテルリンク辺境伯令嬢を知ったのは、兄が宰相となり、兄弟で国の未来を導こうと誓いあった時だった。
それまで勉学に励むばかりで夜会などに出たことはなかったが、偶然王都へ来ていたローズを目にしたのだ。
一目ぼれだった。黄金のようなブロンドの髪にエメラルドのような瞳。エーテルリンク辺境伯家という、国の防備を担うどころか、クーデターでも起こされたら王都が陥落するほどの武力を持つ家の出。だというのに、そういった事を一切鼻にかけない慎ましやかな態度。
外見も中身も身分も、全てが完璧だった。しかし、私は宰相の弟だ。オマケのような存在で、共に国を導くと言っても、賞賛されるのは兄だけだろう。
兄もそれを気にかけてくれたのか、私に相応しい婚約者を探してくれた。せめて貴族の仲間入りを果たして欲しいという願いだった。
そんな時、前々から悪事の証拠を集めていた第二王子ダナムがローズを婚約者にする事となった。だが既に、ダナムは成り上がりの男爵令嬢と遊び惚けてばかり。今までの経緯からして、どこかで婚約破棄を言い渡すのは目に見えていた。
本来なら、婚約破棄を言い渡される前に助けるべきなのだろう。
しかし、私はそのころになると、ローズにとことん心を奪われていた。
どんな手段でも構わない。絶対に私の婚約者にする。その一念で婚約破棄を言い渡すまで悪事の証拠は隠していた。ローズについても調べ、泣くことのないよう厳格な父の元、育てられたとも知った。
後は簡単だ。婚約破棄を言い渡されたローズを抱きしめ、徹底的に優しくすればいい。結論から言って、この作戦は成功した。
兄は第二王子の悪行を暴いたことで実績を積み、私はローズとの関りを持てた。
それでも、ローズは心に傷を負っただろう。辛い目に合わせてしまっただろう。
その悲しみや心の痛みを思うと、胸が張り裂けそうで、私がずっと近くにいなくてはならないという使命感に駆られる。外敵から身を守るために部屋に鍵をかけて出てこられないようにすべきかとも、最近は考えている。
とにかくだ、
「この先、私がとことん愛して差し上げましょう……とろけるほどに優しく接して、離れられないほどに私と過ごして、私もまたそれに応えていきましょう……」
私の中には、ローズへの過剰な愛と、国最強の軍事力を持つ辺境伯家跡取りという二つの歪な感情が揺らめいていた。
「もうオマケではない……私が欲したものは全て手に入れて見せる……」
甘くも暗い感情が、私の胸の中に渦巻いていた。
【作者からのお願い】
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった!」、「ナイルもやりすぎないで二人で幸せになってね!」
と少しでも思っていただけましたら、
広告下の★★★★★で応援していただけますと幸いです!
執筆活動の大きな励みになりますので、よろしくお願いいたします!
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