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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蟻のごはん

作者: キラ子

わたしは蟻のご飯を食べたのかもしれなかった。生きてる蟻の乗ったご飯。

白いご飯の上に、すりごまと見間違えるくらい沢山の蟻がウゾウゾいた。いつも通っている保育園の洗面所に、お茶碗が置いてあって、それを食べた。お茶碗から落ちた蟻がピンク色のタイルの溝を這う。不味くはないから、食べ続ける。それにご飯を残すと、先生の前で「神様イエス様ごめんなさい」をしながらご飯を捨てないといけないから。

うん、多分夢だと思う。

でも寝る前も起きたあとのことも記憶が曖昧なせいで、それに夢にしては細かいことがはっきりと思い出せてしまって、夢なのか本当のことなのか、わからなかった。キウイやいちじくの種、焼き過ぎた明太子、それらの、もっと小さいのを噛み潰した時のような、ひとつひとつブチンブチンという食感。噛めなかった蟻がまだ生きていて、舌の上で藻掻いている感触。酸っぱさと苦味の中に感じる、ほんの少しお砂糖みたいな甘さ。

何人かと一緒だった気もするから、いつも一緒の誰かに聞いてみようかと思ったけど、まさか「蟻の乗ったご飯食べたよね?」なんて聞けないから、わたしはいつまでも本当に蟻を食べたのか、それとも夢だったのかわからないままだった。


「お姫様ごっこする人このゆびとーまれっ」

キンキンする。まゆみちゃんの声はいつもでかい。皆集まる。女の子はほとんど全員。


でもわたしは知っている。絶対に、絶対に、ぜぇーったいに、わたしたちはお姫様にはなれない。まゆみちゃんによる絶対王政。


まゆみちゃんは声だけでなくて、手も、足も、顔も、何もかもがでかい。粉をたっぷりはたいた大福餅に似ている。男の子に「ブース!」と言われても、絶対に泣かない。怒る。

私の役はろうやでお姫様に飼われている犬の役とか、お姫様があまりにも可愛すぎるので攫いに来たけど失敗してろうやに入れられる泥棒の役とか、お姫様の命令で顔のきれいな男の子を王子様としてスカウトする家来の役だ。何故かわたしは結構な確率で「ろうや」に入る羽目になって、ろうやこと長椅子の下で寝そべりながら本を読んでいるのだ。お姫様ごっこ、a.k.a 囚人ごっこ。因みに、隣の国のお姫様役は「ズル」なのでナシだ。もう嫌だ。皆も、絶対にお姫様になれないことに気づいているのに、それでもまゆみちゃんの号令があるとほとんど全員が集まる。皆仲良く。それが神様イエス様先生お父さんお母さんの望むいい子だから。悪い子は一日物置に仕舞われてしまうから。


*******


マンチカン。なんて可愛いんだろう。

ろうやで読んだ図鑑に載っていた。

どうせわたしたちは絶対にお姫様にはなれない。わたしはろうやを飛び出した。


「マンチカンごっこする人この指とーまれ!!!」


皆きょとんとしている。


誰もマンチカンを知らないし、皆お姫様になりたいのであって、いくら可愛くても、別に犬とか猫になりたいわけじゃない。わかってる。でも、お姫様にはなれないのに。私達誰も、絶対、絶対、絶対に、お姫様にはなれないのに。

マンチカンごっこなら、皆、家来じゃなくて、可愛いものになれるのに。白だって黒だって、銀色でもピンクでも水色でも、なれるのに。


*******


雨。ママの車は湿った臭いと煙の臭いがして、ああまた吸ったんだなと思った。チッカチッカと鳴るウィンカーの音と、降り続ける雨が車体を叩く音がずうっと響いている。


「まゆみちゃんって、あの…おっきい子?」ふは、と、ママから空気が漏れた。何故かママがすごくいやなものになってしまった気がして、窓の外の銀杏の木を眺めるフリをした。流れていく木々。耳にこびりついてしまった ふは、も、流れていけばいいのに。


「そっかー…でも智佳はちゃんと可愛くて良かったわぁ。ブスとか、デブとかだったら、ママどうしようかと思った!」

話が繋がってない。ママがまゆみちゃんをどういうふうに思っているのか、だけが鮮明に伝わってくる。

子供向けの優しげな声にニッコリとしてみせる。うん、わたしはちゃんと可愛くてよかった、とは思えなかった。わたしがブスとか、デブだったら、ママは一体どうするんだろう。ふは、は、こびりついたまま。


「それにしてもあんた可愛くないねぇワタシワタシって。お友達皆自分のことお名前で呼ぶでしょ?」


わたし、は、あいまいに笑う。



********


家に帰ると、玄関に丁寧に手入れされたベージュのローファーがあって、みちこちゃんが来てると気づいた。


「みちこちゃあん!!いらっしゃい」


みちこちゃんは、おばあちゃんのお姉さんだ。おばあちゃんはもう梅干しみたいに皺々なのに、心は荒れ狂った山みたいで、怒ったと思ったら笑っていて、その次の瞬間には泣いていて、とにかく穏やかでいることがない。

そのおばあちゃんの姉とは思えないほど、みちこちゃんは優しくて穏やかで、わたしはみちこちゃんが好きだった。


「ちかちゃんのち〜は みちこちゃんのち〜 よ」

みちこちゃんは何だか歌うみたいに話す。ずっとピアノをやっていたからかもしれない。

「なぁにそれ」

「おんなじ字を書くのよ、ほら ちかちゃんのちは、こう でしょ」


みちこちゃんは私の自由帳に万年筆で "智" と書いてくれた。きれいな真っ青のインク。流れるみたいなきれいな字。


「これはねぇ、色んなことをよぉく知っていて、賢いって意味よ。ちかちゃんにぴったり」

そうだろうか?気恥ずかしいし、自分を賢いと思ったことなんか無いけれど、みちこちゃんが言うとなんだかそんな気がしてしまう。

みちこちゃんは"智"の横に並べて”美智子” ”智佳” と書いてくれた。

「じゃあこれは?どういう意味??」

みちこちゃんの"み"の字、"美"を指して訊いてみる。

「これはねぇ、うつくしいって読むのよ

夢みたいにとっても綺麗で、ずうっとでも眺めてたいって意味よ」


自分で自分のこと褒めてるみたいでなんか恥ずかしいわねぇ、というみちこちゃんは、ふんわりとミルク石鹸や花みたいなにおいがして、わたしのおばあちゃんよりも、更にずっと歳上なのに可愛くて、お姫様、みたいだと思った。


********

わたしはシンデレラの靴を作っていた。

わたしの足に合わせて新聞紙を切って、上からセロテープを貼ってきらきらさせる。みちこちゃんのつやつやしたローファーみたいに。本当は銀色の折り紙を全体に貼り付けたかったけど、金色や銀色の折り紙は貴重だから、独占しちゃいけないことになっている。銀と、それからピンクと水色のを一枚ずつ使って、星型やハート型の飾りを作って貼り付けた。お姫様だから、ヒールは高く、高くする。

「…できた」

お姫様だ。

今、今だけは、わたしが、お姫様だ。

思わず正座になって、向かい合うみたいに、出来立ての靴を揃える。


ドキドキする。


「ああっお姫様の靴!」

でかい声。まゆみちゃんだ。刹那、まゆみちゃんのでかいクリームパンみたいな手がギュンッと飛んでくる。今出来たばかりの靴をむんずと掴んで、わたしのよりふた周りは大きくて平べったい足を無理矢理に突っ込んだ。壊れる靴。


「ど…泥棒!泥棒泥棒!!まゆみちゃんが、泥棒した!!!まゆみちゃんの泥棒!!!」


クラス中にわたしの声が響き渡った。

まゆみちゃんは泣かなかった。怒りもしなかった。はぁ?何を言ってるの?というような顔をしていた。お姫様が、お姫様の靴を履いただけじゃないの、それの何がいけないの?と言っているみたいだった。


まゆみちゃんは、泥棒で、ブスで、ドブスで、しかも巨漢のデブだ。

でもわたしはブスの泥棒とは言わない。武士の情け。

男の子がブスというのは別にいい。あいつらはその痛さを知らないから。でもわたしがブスと言うのは駄目だ。最後の一線だ。これを超えてしまったら、わたしは多分「いやなもの」になってしまう。ふは、といやなにおいの息が漏れる、いやなもの。どんなにまゆみちゃんが嫌なやつでも、わたしはブスとは言わない。


保育士による「双方謝りなさい」タイム。でもわたしは何を謝ったら先生が納得してくれるのか、悪い子の部屋に行かずに済むのかわからなかった。仕方がないから「泥棒と言ってごめんなさい」と言った。

握手。


まゆみちゃんの名札を見たら権田 真由美とあって、まゆみちゃんは、まゆ"美"ちゃんだと知った。


ガラスの靴は割られてしまった。

新聞とセロファンのごみを丸めて棄てる。



*********


神様いつも見ているよ

僕たち皆の行いを

仲良くお手手つないだら

キリスト様がおっしゃるよ

ニコニコ強い良い子だね


ニコニコ強い良い子だね


*******

わたしは新聞と銀の折り紙、それからセロファンでギロチンを作っていた。


「革命ごっこする人この指とーまれ!!」皆が集まってくる。

ああ、夢なんだな。だって革命なんてわけわかんないもの、皆やりたがるはずがない。

「ろうや」だった長椅子は今この時を以て「処刑台」とする。

縄跳びで縛られたまゆ美ちゃんはやっぱり はぁ?という顔をしていて、縄跳びが食い込んだ腕は鬱血してハムのような肉色になっていた。

蹴飛ばされたまゆ美ちゃんの上半身を長椅子に倒れさせ、肩を踏んで固定する。


「これより、処刑を執り行う!」

ギロチン、出来は最高。はぁ?という顔をした大福餅がごろりと転がる。

まゆ美ちゃんの首を掴んで掲げる。

「悪しき独裁者は死んだ!これからは、私達全員が、お姫様だ!!!」

ワッと歓声。首は処刑台に飾る。

まゆ美ちゃんの首から下がどんどんと輪切りになっていく。人間ドックの写真みたいだ。更に、更に細かく砕ける。あっというまにソーセージ。


「神様イエス様ありがとう、給食のおばさんありがとう、お父さんお母さんありがとう、手と手を合わせて、いただきます」


まゆ美ちゃんの肉を一口食む。水っぽくて締まりが無くてそのくせ脂っぽい。不味くて食べられない。


保育士は肉に夢中だ。席を立ったのにも気が付かない。

まゆ美ちゃんの額に、まゆ美ちゃんを、べぇと吐き出す。

まゆ美ちゃんの破片とわたしの涎が、まゆ美ちゃんの剥き出しの右目を伝っている。


こんなとこじゃ、救われない。

わたしも、まゆ美ちゃんも、救われない。お姫様には、絶対になれない。


「アーメン」


まゆ美ちゃんの乾いた上唇に、蟻が這っている。


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