漆黒の狼
さっきまでの硬くもなく柔らかくもなく、不思議な足元の感触とは違い、草や土の柔らかい踏み心地を感じる。
地面は木々が生やす葉っぱによって光と影が斑に揺らめいている。
たまに肌を撫でる風が自然の中にいることを理解させる。
天使、フレイの力でとうとうトーラと呼ばれる大地に転送された俺達は、いきなり森の中にいた。
「まったくわけが分からねえな。ここはどこだ?」
赤い毛髪に指をかけ、頭を掻きながら赤星はつぶやいた。
「やだ! 虫いや!」
小さな羽虫がそのなびく青い髪に誘われたようで、青薔薇は手で振り払う。
「ここはどこか分かりませんが、とりあえず人を探しましょう」
「人がいるようには見えないけどな」
俺達はここのことを何も知らない。というか知らされていない。
この世界で五大厄災を倒せと言いつつ、世界の一切を教えることなく、異能である律の説明も特になく、足早にトーラに転送したフレイ。
全くわけが分からない。
その感想は赤星と一致だ。
「と、とりあえず行きましょうか」
縮こまりながら手を震わせて山吹が提案する。
やはりまだ怖いのだろう。
「で、どっちに向かう?」
「開けた方向に進もうか」
紫水が指を指す方向に視線を移すと、確かに道が開けてる。というよりは整備されている。
おそらく街道か何かなのだろう。
俺達は紫水の案を採用し、街道に沿って進んだ。
森の中はとても静かなもので、風で擦れる葉の音はしても生物がいるような気配は今のところしない。
「俺達の律って何だろうなあ」
赤星は呑気にそんな話をする。
律――この世界、トーラに存在する所謂パッシブ系の特殊能力。
フレイの話によると、この大地に降り立った時に与えらえるという。
しかし、未だ俺達はその力に目覚めていない。
「必要に迫られたときに発言する......とかかな」
「えー、だったら私体系維持できる律とかがいいなあ。ダイエットの心配ないし」
「アホか。もっと強い方がいいだろ」
少しずれている青薔薇と、愚直な赤星。二人とも馬鹿にしか見えない。
「それなりの有用性と応用できる効果だと嬉しいね」
その二人とは対照的に、やはり冷静に俯瞰する紫水。
「......!?」
刹那、今まで耳にした環境音とは違う、明らかに何かが蠢く音がした。
俺達五人は今までの旅行気分を捨て、警戒を強める。
「動くなよお前ら。注意深くあたりを観察しろ」
赤星は一段と声を低くし、その真剣さを伝える。
俺達は周囲を観察し、異常を発見しようとした。
しかし、しばらくしても何も起こらず、俺達の心配はどうやら杞憂に終わったらしい。
緊張の糸が解ける。
「どうやら何にもないみたいだ......っ!?」
その瞬間、獲物の油断を察したように草の陰から黒い生物が赤星を狙って飛び掛かった。
「う、うわああああ」
「「篤人!!!!」」
赤星は寸前で黒い生物の噛みつきを腕でガードした。
しかし、生身の腕に黒い生物の歯が突き刺さり、鮮血が飛び散る。
赤星は痛みに喘ぐ悲鳴を上げる。
紫水と青薔薇もあまりの衝撃的な映像に声を抑えることができない。
次第に眼前の光景の処理が進み、赤星に嚙みついた生物は表皮が黒く染まった狼であることが分かった。
その爪は鋭く、体毛も逆立っていて本能的に恐怖を植え付けてくる。
その様相に怖気ついたのか、山吹は口に手を当てて動くことができないでいた。
赤星は腕に食らいつく狼を何とか引きはがそうと暴れているが、強靭な顎からは逃れられない。
「赤星! 今助ける! ......っ!?」
紫水が助けに入ろうと動こうした瞬間、紫水は動きを止めた。
赤星に噛みついた一匹以外にも、数十匹の狼が俺達を取り囲んでいたのである。
本格的にやばい状況だ。
「ね、ねえ、どうしたらいいの......」
いつもの強気の姿勢は失われ、青薔薇は震えながら紫水にしがみつく。
どうしたらいいも何も、ジエンド。
不思議と冷静でいる俺が到達した未来はここで全員終わりだ。
「こ、んのくそ狼があああああ!!!!」
刹那、赤星は追い込まれた獣の最後の叫び声をあげると、狼を剝がそうとした手から肌がひりつくほどの爆炎が放たれた。