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惹恋

作者: でもん

 僕はあの日、1枚の写真に心を奪われた。

 宇宙空間にポツリと浮かぶ蒼い惑星。

 それは恋とも呼べる程の狂おしい感情――

 僕は少年期の感情の出口を見つけるためにここへ来たのだと思う。



「やっぱり綺麗だなぁ」


 目の前に浮かぶ蒼く輝く地球。

 宇宙服のバイザー越しの姿だが、何度観見ても、その雄大な姿は綺麗という陳腐な言葉しか浮かばない。

 

 それはほんの数センチ程度のデブリだったのだろう。

 僕と宇宙ステーションを繋ぐ直径3センチのワイヤーは、時速数千㎞で飛んできた小石と奇跡的な出会いを迎え入れ、その代わりとして僕の身体を宇宙ステーションから引き離した。ついでにセルフレスキューのための小型推進装置SAFERの起動モジュールを丁寧にも破壊してくれるオマケ付きだ。


「ヒロ!」


 10秒も立たないうちにこちらの異常に気がついたのは地上管制のオペレーターだった。


「すぐに行かせる!」

「あ、ああ……」


 SAFERのタンクに穴が開いていたら噴き出す窒素で僕はあっという間に真っ暗な宇宙空間の闇へ吹き飛ばされていただろう。だが幸いにも姿勢を崩すことがなく僕は地球を正面に見た状態で浮いている状態だ。だが、切り離された際に咥えられたモーメントで、徐々に宇宙ステーションから離れていく。


「間に合うかな?」

「間に合わせる!」


 こういった事態に備えて控えていた同僚がゆっくりとした動きでこちらに向かってくる。距離と速度を合わせないと無重力空間に浮かぶ僕の身体を押さえることはできない。少し衝撃を与えただけで、僕の身体は一気に宇宙ステーションから離れてしまうからだ。


 ――だから。


 救出にきてくれた同僚達がほんの少しだけ届かなかったのは仕方が無いことだ。

 距離にしてわずか数メートルほど。


 それでも届かなかった。


「すまん、ヒロ。手を尽くす」


 地上から沈痛なオペレーターの声が響く。


「ああ、ベストを尽くしてくれ」


 僕は落ちついた声で答えた。

 彼らは間違い無くベストを尽くすだろう。地球上の精鋭を選りすぐって集まったベストチームだ。宇宙ステーションから一定の速度で離れていく僕の軌跡について、すでに計算が終わっているはずだ。間違い無く回収してくれる。そのことに関しては疑う余地も無い。


 遺体となった僕を――


「最初の遭難者になってしまったな」

「諦めるな、まだ希望はある」


 ありがとう。


 僕は声にださず心の中でそう言った。

 宇宙ステーションに来るための訓練は散々積んできたのだ。自分のこの先の運命など、容易に想像ができる。

 すでに船外活動で4時間程度の酸素を使っていることを考えると、呼吸を安定させ酸素の消費を徹底的に押さえたとしても―― 


「もって4時間」


 僕の命のリミットだ。


「5時間は持たせろ。5時間以内に救助隊を向ける」

「無理はするなよ。5時間以内にここまでくる機材は無いだろ」


「諦めるな。希望はある、ロシアからも協力の申し出があった。来週上がる予定だった日本の民間ロケットが緊急発射できるかの検討にも入っている。だから、諦めるな!」


 オペレーターはさっきと同じ言葉を繰り返した。

 宇宙ステーションは、すでに目算で300メートルほど離れている。


 地上では1分ほどで駆け抜けられる距離も、加速する手段の無い僕にとっては絶望的な距離だ。



「通信はいつまで持つかな?」

「問題無いはずだ」

「そうか……」


 いつまでという問いに対しての答えはなかった。

 酸素供給が切れるまでは持つということなのだろう。


「だから絶対に諦め……」

「お願いがあるんだ」


 僕はオペレーターの言葉を遮って、自分の願いを伝える。


「最期の時は通信を切ってもいいかな。静かに終わりたい」

「ヒロ! 諦めるな」

「そうだな。でも……頼むよ」


 息を飲む音だけで僕の頼みに答えはなかった。

 でも拒否はされなかった。

 

 あらためて僕は地球をじっとみつめる。


 宇宙に最初に上がったガガーリンは「地球は青かった」と言ったそうだ。だが言葉よりも写真は鮮明に語っていた。この宇宙の上でポツリと浮かぶ蒼い宝石。



 だから恋をした。



「綺麗だな」

「ヒロ? どうした?」

「やっぱり地球は綺麗だ……本当に……」

「そうだな」


 僕の気力を持たせるために、僕の独り言もオペレーターは拾って答えてくれる。


「ヒロ?」

「どうした?」

「ご家族と……つながった」

「そうか」

「話すか?」

「頼む。感謝を伝えたい」


 しばらくすると、少しのノイズとともに田舎の両親の声が聞こえてきた。

 すでに事情は聴いていたのだろう。

 ただただ、希望を捨てるな、諦めるなという励ましを僕にくれる。

 

 そんな父母に、僕はゆっくりと落ちついた声で先に逝くことになって申し訳ない……と伝えた。母は僕に涙声で「諦めれないで」と言い、父は「僕を誇りに思う」と押し殺したような声で告げた。


「ありがとう」


 もう一度、僕はそう伝えオペレーターに通信を切ってもらった。

 これ以上の通話は両親にとっては辛いだけだろう。

 

 それに僕にはこの時間を堪能する必要がある。

 死への恐怖を凌駕するほどの大きな気持ち。

 僕は目の前にある僕の思い人と自分の最後の時間を過ごしているのだ。


「ヒロ……すまない。我々はベストを尽くしたが……間に合わない」


 4時間を経過した頃、オペレーターが悲痛な声で僕に僕の最期を伝えてきた。

 

「ありがとう。ベストを尽くしてくれたことは一つも疑っていない。僕達は良いチームだったよ」


 その時、ボンベの残量がもう僅かであることを示すアラームが鳴り始めた。


「これは煩いな」

「どうしたヒロ? ……もう一度ご家族に伝える言葉があるのか? だったらすぐ通信を……」


 僕のぼやきをひろってオペレーターが声をかけてきた。

 

「違うんだ……一つ頼みがあるんだけど、これ、外せるかな?」


「これ?」

「バイザー……ヘルメット部分でもいいんだけど、ここで外せるかな」

「ちょっと待て。ヒロ、そんなことをしたら……」

「もう時間的に余裕も無いし、最後くらい我が儘を言わせて」


 僕の言葉に、オペレーターは戸惑った声を上げたが「時間をくれ、検討する」と答えてくれた。しばらくするとエンジニアから通信が入り、非常用の脱着方法の説明をしてくれた。若干操作が複雑だが僕の望みはどうやら叶うようだ。


「ピーピーとアラームがうるさいから、そろそろ終わるね」

「ヒロ……すまない。必ず……必ず回収するから」

「ああ、身体が無いと親が悲しむと思うから……頼んだよ」


 宇宙空間にこのまま放置してくれとはデブリが原因での事故を体験した僕には絶対に言えない。このままでは宇宙服を含め質量が100㎏を超えるデブリとなるのだ。早急な回収を望みたい。


「じゃぁ、通信を終わる。良い人生を!」

「本当に残念だ。すまない。良い旅路を」



 オペレーターは僕の最初の頼みを聞いて通信を切ってくれた。


「やっぱり綺麗だなぁ」


 僕は改めてそう呟くと、先ほど教えてもらった説明通りの手順でヘルメット部分の脱着に入る。意識を失うまでの2分弱。僕に残された最後の贅沢な時間を、僕は僕の望みを叶えるためだけに使おう。


 急激な減圧から耳に痛みが走る。

 だが、僕は手をゆるめない。

 やがて耳の周りの空気が流出したせいか外部の音が全て消えた。そして――


 僕は初めて自分の目で直接、思い人をみつめた。

 バイザーやレンズ越しでは知ることのできなかった本当の姿だ。


 真っ暗な虚空に浮かぶ蒼い瞳。


(本当に君は綺麗だ)


 僕の初めての恋。全てを賭けた僕の恋。惹かれ、惹かれ続けた、たった一つの存在。


 真空に晒され放出する肌の水分が、瞬間的に凍りつき僕の顔を白く覆う。それでも僕はただひたすら君だけを見つめる。両手を伸ばし思ひ人に近づく。


 ああ。

 ――僕の恋は成就した。

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