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ことのなりゆき 1

 テーブルに並べられた料理を前にして、コーデリアは緑青の目をまばたかせた。

 雉のローストにブラックプディングのパイ、根セロリのスープ。付け合わせにはマッシュした豆と人参のサラダ、それからチーズに焼き立てのパン。雉のローストはオーブンから出したばかりらしく、湯気と芳しい香りが立ち上っている。

 ぴかぴかに磨かれたカトラリーに、曇りひとつないグラス、丁寧に折り畳まれたナフキン。

 どこかのレストランに来たのかと錯覚しそうになるが、ここはイライアスが借りているアパルトメントの一室である。

 休日の噛み合わないコーデリアとイライアスだったが、付き合っている振りをする以上、まるきり顔を合わせずにいる、という訳にはいかない。嘘を突き通すには、信憑性と説得力が必要不可欠だからだ。

 それで安息日前に夕食を共にすることを決めて、今日がその最初の夜だった。

 食べに出かけるのではなく、会合場所をイライアスのアパルトメントにしたのは、外部に漏らす訳にはいかない話をするためだ。そこに色っぽい雰囲気は欠片も無かったが、親密さを装う一助となったのは、思わぬ産物と言えるかもしれない。

 しっかりと糊の利かせてあるテーブルクロスの上に、手土産の葡萄酒を置いてから、コーデリアは面白がる口調で言った。

「まさかこれって、全部おまえの手作りか?」

 外したエプロンを椅子の背に掛けたイライアスは、肩肘を張るふうでもなく頷いてみせた。

「下手の横好きだが、料理は趣味でな。皿を空けてくれる相手がいる時は、思う存分に張り切ることにしている」

「ふたり分にしては量が多すぎる気もするが……まあ、いいか。せっかくだし、ありがたくご相伴に与ろう」

 言いながら差し出した手に、イライアスは戸惑うことなくコルク抜きを渡してくれる。彼のこの手の察しの良さは度々発揮されていて、コーデリアにとってそれは、思いの外居心地の良いものだった。

 慣れた手付きでコルクを抜いて、タイミング良く差し出されたグラスに葡萄酒を注ぎ入れる。

 酒屋に勧められるまま買った安酒だったが、どうやら大当たりを引いたらしい。

 充分な熟成を示す深い真紅色に、馥郁とした香り。飲まずとも美味いと判るそれに、思わず喉が鳴る。持ち上げたグラスを揺らしていたイライアスも、感じ入ったふうに目を細くした。

「素晴らしい香りだ。家庭料理に合わせるには、いささか勿体ないくらいだな」

「合わない訳でもないなら、美味い分には別に構わないだろ。それよりも、さっさと食べよう。冷めたら勿体ない」

 料理は温かいうちに食べるのが一番だ。

 コーデリアがいそいそと席に着くと、イライアスも苦笑しながら腰を下ろした。グラスを軽く掲げる。主神ベルサに捧げる祈りの代わりだ。

 敬虔な信徒であれば食前に聖句を唱えるものだが、コーデリアもイライアスもそこまで信心深くはない。こういう感覚の近さも地味にありがたいと思う。振りとは言え親密な距離を取らなければならないのだから、少しでも気疲れせずに済む方が良いに決まっている。

 コーデリアは内心だけでそう呟いてから、グラスに口を付けた。

 森の香気に似た芳しさが鼻を抜けていく。喉を滑り落ちていくなめらかさと、舌に残る豊かな余韻に、コーデリアはうっとりと息を吐いた。

「これのために生きている、と言っても良いな……」

「飲んだくれの言い草だな。だが、そう言いたくなる気持ちは分かる」

 しみじみ言うイライアスは、土産の葡萄酒がずいぶんお気に召したらしい。あっという間にグラスを空にして、手ずから二杯目を注いでいる。

 コーデリアはそれをよそ目にカトラリーを手に取った。

 雉の切り分けはイライアスに押し付けて、ブラッドプディングのパイに手を付ける。バターたっぷりのパイと、香辛料を効かせたブラッドプディングが、重めの葡萄酒のあてに丁度良い。

 せっせとフォークを動かし食べて飲んでいると、不意に目の前に皿が差し出された。

 見れば皿には雉の腿と胸肉、詰め物の栗と付け合わせとが美しく盛り付けられている。オレンジ色のソースが目に鮮やかで、コーデリアは口端を笑みの形に吊り上げた。

「これだけの腕があるなら、引退しても余裕で料理屋が勤まりそうだ」

「それだけで上手くいくほど、客商売は甘くないと思うがな。とは言え世辞はありがたく頂戴しておこう」

 機嫌良く言うイライアスから皿を受け取って、コーデリアは今度は雉に取り掛かることにした。

 酸味の利いたオレンジソースと、こんがりとローストされた皮目の香ばしさが素晴らしく合っている。パイを少しばかり食べ過ぎていたことも忘れて、気付けばコーデリアはぺろりと皿を平らげてしまっていた。

 イライアスとふたり、多いと思っていた料理を粗方腹に収めて、コーデリアは満足気に息を吐いた。空になった皿は既に下げられていて、テーブルには葡萄酒の二本目と、チーズだけが残っている。

 食後に相応しい甘口の葡萄酒を味わいながら、コーデリアはようやく本題を口にした。

「クレア・オドネルを覚えているか?」

 そう問いかけると、イライアスは僅かに考えてから言った。

「騎士を辞めて、医者になったオドネルか」

「うん、そのオドネルだ。今年の夏からクリーグ砦に赴任予定だったんだが、色々あってシトラ宮にいる。それで今はオーサントの留学生たちを担当してるんだ。――そのことは?」

「……話には聞いている。配属された経緯までは知らなかったが」

「付き合いのない相手だと、まあ、そうなるか。それはともかく、士官学校の同期がシトラ宮にいるなんて渡りに船だろう? だからこの間の休日に、話を聞きに行ってみたんだ」

 恐らくクレアにも事情があるのだろうが、それにしてもずいぶんと融通を利かせてくれたものだと思う。

 コーデリアがシトラ宮で話してくれた、オーサントについての諸々を伝えると、イライアスはうんざりと溜め息を零した。

「物語と現実を混同するとは、まったく理解に苦しむ。物の道理も知らない幼子なら、まだ分からなくもないんだがな」

 苦り切った顔のイライアスから目を逸らして、コーデリアは手の中のグラスに視線を落とした。ぽつりと言う。

「……そうかな。幼子ではないからこそ、空想に逃げ込まずにはいられなかったのかもしれない。あの子の振る舞いは褒められたものじゃなかったし、ベルサリウスに対する無理解は不愉快極まりないものだった。妄執を向けられたおまえの苦労も分かる。それでも私は、彼女たちが置かれている境遇を哀れだと思う」

「おまえらしくもない言い分だ。……まさかとは思うが、酔ってるんじゃないだろうな」

 どこか警戒するように訊ねてくるイライアスに苦笑する。

「馬鹿を言え、この程度じゃ飲んだうちにも入らない。ただ……ほんの少しだけ、感傷的になっただけだ。それよりも、あの子の処罰はどうなったんだ?」

 事が聖域である森の侵入だけならば、立聖府ですべての片がつけられただろう。だがさしもの立聖府も隣国の人間を相手に大鉈は振るえず、外務府が挟む嘴を拒むことが出来なかったのだ。

 結果としてことはすべて外務府の管轄となり、関係者であるコーデリアですら情報の締め出しをくらっている。辛うじて知らされたのはアリシア・ハイドが謹慎処分を受けたことと、オーサントに厳重な抗議が行ったことくらいだ。

 シトラ宮の警護を任じられている近衛騎士は現状、外務府の下で動いている。ならば得られる情報もあるだろうと思って訊ねたのだが、イライアスは困惑したふうな表情を浮かべた。

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