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招かれざる客人 1

 イライアスとの情報の擦り合わせは、さして時間も手間もかからなかった。

 これまでさほど関わり合いの無かった相手だが、戦闘における思考や指揮のとり方は、互いに熟知している。作戦行動の準備と思って遣り取りすれば、嘘のための下地は呆気ないほど簡単に整ってしまった。

 辻褄合わせをするためだけでなく、士官学校の同期という立ち位置は存外役立つものであったらしい。お互いに奇妙な達成感を味わって、日付が変わる少し前に解散となった。

 神殿騎士の勤務形態は至ってシンプルだ。二日の日勤と二日の夜間勤務を明けて、休日が三日の繰り返しだ。

 休日の二日目は細々とした私事に費やすのが常だったが、コーデリアはそれらを放ってシトラ宮へ足を向けた。謹慎処分を食らって、身動きの取れないイライアスの代わりに、少しでも情報収集をしておこうと思ったからだ。

 留学生を預かるシトラ宮は警備の関係上、人の立ち入りを厳しく制限している。騎士であるコーデリアもそれは例外ではなく、詰め所で四半刻ほどの待機を余儀なくされた。

 いくつかの書類に署名を入れ、護身用の短剣を預けてから宮殿内に足を踏み入れる。顔見知りの近衛騎士に軽く声をかけつつ、向かったのは宮殿内にある医務室だった。

 ノックをしてから扉を開けたコーデリアを、臨時の医務官であるクレア・オドネルはにっこりと微笑んで迎え入れてくれた。

 シトラ宮の医務室は、留学生を迎え入れるにあたって急拵えで設えられたと聞いている。元は使用人の待機室だったものを転用しているからか、室内は簡素で装飾も無く、広さも充分とは言い難い。書き物に苦心しそうな小さい机と棚、診察用のベッドを押し込むのがようやくな有様で、息苦しさを感じるくらいに窮屈だ。

 だがクレアはそれを気にした素振りもなく、明るく朗らかな口調で言った。

「やあやあ、コーディ。久し振りだね。わたしの任官祝いに飲んだきりだったかな。きみがわたしを訪ねてくるなんて、珍しいこともあったものだけど、ともあれ会えて嬉しいよ。わたしは相変わらずだけど、きみも元気そうでなによりだ」

 消毒液で荒れてしまった指先が、鼈甲の眼鏡フレームを押し上げる。下手な宝石よりもずっと高価なそれが、理知的な美人であるクレアによく似合っていた。

 以前かけていた物と違うのは、恐らく度が進んでしまったからだろう。

 士官学校の同期であった彼女は、だが優秀な成績だったにも拘らず、課程の修了を待たずに退官している。視力の急激な低下が原因だった。眼鏡を掛けても身体規定のそれを下回り、已む無くの処遇だった。

 それでもクレアは腐らず医学の道へ進み、医師となった素晴らしい才女である。長い黒髪をきっちり結い上げて、羽織る白衣には染みひとつない。

 騎士団所属の医官に支給される暗緑色の制服を隙なく着こなす姿には、自信に裏付けられた有能さが滲み出るかのようだった。

 すらりと長い脚を組み替えて、クレアはあっけらかんと言った。

「お茶くらい出してあげたいんだけど、ここにはその手の設備がまるでなくてね。まあ、適当に座って。と言ってもベッドくらいしか、座れるような場所もないんだけど」

 言われるままベッドに腰掛けて、コーデリアは狭い医務室を見回した。

「話には聞いていたが、本当に急拵えなんだな。おまえが引っ張り出されたこともそうだが、能吏ばかりの外交官のやることとも思えない」

「ああ、うん。彼らもずいぶんと苦労してるみたいだよ。なにせ事前会談で話を詰めたはずが、蓋を開けてみたら若い女の子が盛りだくさんだったからねぇ。なにか間違いがあっては困るし、疑いをかけられることも避けたいのさ。彼女たちに罪はないけれど、まったく振り回されるこっちの身にもなって欲しいよ」

 クレアはしみじみぼやいて、椅子の背もたれにだらりと寄りかかった。

 ずいぶんと不遜な物言いだが、そう口にしたくなる彼女の気持ちはよく分かる。なにせ留学生を受け入れるあたって、最も割りを食ったのがクレアだったからだ。

 国外からの賓客には普通、侍従職に属する医師が必ず付けられる。本来ならば騎士団所属医が関わることなどないはずが、ところが侍従職に女医がひとりもいなかった。

 そもそも侍従職に所属する医師自体が少ないのだ。かと言って少女たちに男性の医師をつける訳にもいかず、それで急遽呼び出されたのがクレアだった。

 赴任直後で配属先への影響が少なかった、という点も大きかったのだろう。

「暇で時間が有り余っているのは助かるけどね。おかげで勉強はし放題だし、持ち込んだ文献も読み放題。国家試験で中座していた理論の構築も完了したから、いつでも実験に手を付けられる。後は、お役目から解放されるのを待つばかりさ」

「おまえにしてはやけに暢気だが、任期は決まっているのか?」

 コーデリアの問いかけに、クレアは軽く肩を竦める。

「一応はね。……彼女たち留学生の受け入れは、半年間って決められている。そもそもこの待遇が温情なんだよ。期間が過ぎればすぐ、国元に突き返されることになっている」

「確かに人質なら姫君ひとりで十分だな。数が増えれば管理が面倒になるだけだ」

「まったくだよ。国だってそれで調整していたのに、姫様の付き添いやら話し相手やら、そういう名目で貴族のお嬢さんたちが送り込まれてきたから迷惑な話だ。でも、か弱い女の子ばかりだからね。必要ないからって樽に詰め込んで送り返すわけにもいかないし、それで体裁を整えた結果が現状だよ」

 クレアの語った内容は、初めて聞くことばかりだった。おそらくこれは間違いなく機密に触れる内容だろう。嫌な予感がひしひしする。

 コーデリアは警戒心を平静な表情で押し隠して、平板な口調で問いかけた。

「そういうことを私に話してしまって良いのか? これが表沙汰になれば、間違いなく面倒ごとになるぞ」

「きみが他所に漏らすはずがないのに、面倒ごとなんて起こるわけがないよ。それにコーディだってこの件の渦中か、それに近い場所にいるんだろう? じゃなきゃ、わたしに会いに来たりしないはずだよ」

 違うかい、となんのてらいもなく問われて、コーデリアは軽く息を吐いた。

「……クレアを相手に腹芸が出来るとは思ってなかったが、小細工すらさせて貰えないとはな」

「森に立ち入ったお馬鹿さんの話が、こっちにも回って来てるからねぇ。その当事者のひとりだったきみが会いに来たんだから、それと関連付けて考えるのは当然のことだよ。なかなか興味深い噂も耳にしたしね。真っ先に面会許可を出したのだって、きっと面白い話を聞けるだろうと思ったからさ」

 好奇心に目をきらきらさせるクレアから、そこはかとない圧を感じる。

 時間が有り余っている、と言ったのはどうやら誇張した表現ではなかったらしい。クレアの良い暇潰しになっていることは間違いなく、コーデリアはげんなりとした気分で口を開いた。

「面白いかどうかはともかく、奇妙だったのは確かだな。……クレアは運命の番、って言葉を聞いたことはないか?」

「おっと。それは、また……興味深いね。実は受け入れ当初、そんな感じの話でちょっとした騒ぎがあったんだ。ええと、確か……」

 言いながら、クレアは机の引き出しを漁る。きちんと整頓されたそこから取り出したのは、薄青の表紙が目を引く仮綴じ本だった。

 タイトルは記されておらず、表紙の真ん中に小菊のような花が描かれている。それを差し出して、クレアは面白がる口調で言った。

「オーサントで出版された娯楽小説だよ。大陸共通言語じゃなくて、あっちの言葉で書かれている。タイトルは『運命に連れ去られて』。中身は可愛らしい夢の詰まった、女の子が好みそうな甘ったるい恋愛小説だ。良家の子女で読んだことがない者はいない、ってくらいに流行ったらしいよ」

 クレアの手からそれを受け取って、ぱらぱらと捲ってみる。オーサントの言語に明るくないコーデリアには、なにが書かれているかはさっぱり解らなかったが、印刷技術の確かさだけは見て取れた。

 ところどころのページに開きぐせが付いているのは、この本がよく読まれてきた証左だろう。

 コーデリアには読むことの出来ないそれを返して、クレアに問いかけた。

「どんな話なんだ?」

「様々な対立関係を乗り越えていく、恋愛戯曲さ。物語の主人公は貴族の婚外子で、父親とその家族に疎まれた彼女は、物心つく前から孤児院に預けられているんだ。そんな不幸な生まれと育ちにも拘わらず、その女の子は心優しく清く美しく育つ。ある日のこと、彼女は迷子になった森の中で、ひとりの男性と出会うのさ。銀の髪に狼の耳を持ったその男性は、なんとベルサリウスの獣人だった」

 コーデリアは驚きに緑青色の目を瞬かせる。

「少し聞いただけでも突っ込みどころしかないんだが、それは真面目に書かれた小説なのか? 思想誘導や、ベルサリウスへの敵愾心を煽る目的ではなく?」

「むしろ逆じゃないかなぁ。獣人に対する不正確な描写はともかく、ずいぶんときらきらしく美化されているからね。銀髪に碧眼、整った顔立ちに逞しい体つき。少女の理想を詰め込んだような姿だよ。そしてその獣人は主人公に出会うなり、こう言うんだ。きみは我が愛しき伴侶、天に定められし運命の番、ってね」

 クレアのいやに芝居がかった物言いに、思わず苦笑が漏れる。

 なるほどそこに繋がるのか、とコーデリアはクレアが手にしている本に視線を落とした。

 正直に言って初対面でそんなことを言う相手の、どこがどう良いのかさっぱり解らなかった。だが異文化が時として、神秘的に映るだろうことはコーデリアも知っている。

 オーサントにとってベルサリウスは長い間、近く見知らぬ隣人だったのだ。刺激的で意外性のある物語を作るのに、これほど便利なものはないだろう。

 ベルサリウスの人間がそれに興味を持てるかはともかく、アリシア・ハイドの言っていた運命の番が、なにを所以としたのかは理解出来た。夢見がちなそれに内心で呆れながら、コーデリアは首を傾けた。

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