狩りと贈り物 4
「いや、さすがにそれは……私だって、おまえに面倒をかけてるじゃないか。お互い様だろ? それに本を正すなら、そもそもが外務府の失態だ。私なんて迷惑をかけられた挙げ句に、年明けの休暇まで減らされたからな」
「休暇が減る? なぜだ。神殿が閉じるのに、おまえたちが動く必要がどこにある」
冬が深まり太陽が最も力を失う日、女神ベリサは人の世に降臨する。
新年の祝とは、すなわち女神の降臨を寿ぐための宴だ。ベルサリウスに叡智と力を齎した女神を讃え、変わらぬ愛と祝福に感謝を捧げる。
かつて祝は供物を奉納し祈るだけのものだったが、時代が下るにつれて社交の側面を持つようになった。領地からすべての貴族が集まるのだから、それも已む無い変化と言えるだろう。
だが女神の降臨は今も変わらず、純然たる事実として存在する。
在り方の異なる神と人とは、隔たられなければならない。故に女神が人の世に留まる間、神殿も聖域である森も完全に閉ざされるのだ。
森は理から外れ神域となり、祝福を得た神殿騎士団でさえ立ち入ることが出来なくなる。護る対象が無いのに、騎士だけがいても意味がない。それで女神降臨の間、神殿騎士には長期休暇が与えられるのが常だった。
人手不足に喘いでいる彼らにとっては貴重な休みだ。それを削られるなどよほどのことでもない限り有り得ない。警戒した顔になったイライアスに、コーデリアはからりと笑って言った。
「必要というより必然だな。新年の祝に留学生たちを参加させるんだから、警護の手はどれだけあっても足りることはない。それで私を含めた神殿騎士の一隊が、会場外の警護を任されることになったんだ。迷惑極まりないが仕方がない。おまえだって休み返上で動員されてるんだから、上からのお達しは大人しく受けるさ」
「……ずいぶんと耳が早いな。どこから知った?」
「ん? ああ、ロクサーヌさまが手紙をくださったんだ。おまえにはなんとなく言い難かったんだが、実はこの間の晩餐会から親しくさせて貰ってる。文通友達になったんだ」
そうあっさり返されて愕然とする。
「――は? 友達? 俺の母親と?」
「やっぱりそういう反応になるよな。気持ちは分かる。だから私もあんまり言いたくなかったんだ。でもおまえに情報源を秘すのはどうかと思うからな」
「そういう問題ではないだろう。……信じられん。あの人はいったいなにを考えているんだ」
そんなもの、と言ってコーデリアはからりと笑う。
「情報収集の一環に決まってるだろう。社交界を取り仕切るロクサーヌさまにも、目の届かない場所というものは存在する。そういうところを見られる目に、私はちょうど良かったのさ」
絶対に違う。母が言ったであろうそれはおそらく建前で、本音はコーデリアと友好を深めたかったがために決まっている。
なにをやっているんだ、と口の中で呟いて、イライアスは深く溜め息を吐いた。
「……手紙が頻繁で煩わしいと感じたなら、適当に無視してくれ。俺からもきつく言っておく」
「煩わしいだなんてとんでもない。手紙は興味深く読ませて貰ってるし、返事を書くのも楽しいんだ。それに私の碌でもない父親についても、ロクサーヌさまには色々と気を遣っていただいている。ありがたい限りだ」
父親、と苦い声で言われて面を上げる。それに絡んで、コーデリアに報告しなければならないことがあるのを思い出したのだ。
「マイア・ブロシアを知っているか?」
問うというより確信を込めて訊ねると、コーデリアは辟易したふうの表情を浮かべた。
「……私の碌でもない父親の愛人だ。それが?」
「今日、出先で会った。偶然を装っていたが、あれは俺を待ち伏せていたのだろう。実に分かりやすく誘いを受けた」
「それは……すごいな。おまえほど火遊びに向かない相手もいないと言うのに。社交界に出ているくせに、まさかディグラント夫人を知らないのか?」
「俺に訊くな。それよりも、他に言うことはないのか?」
他? とコーデリアが不思議そうに首を傾ける。コーデリアは唇に指を当てて考え込んでから、困惑の滲む声で言った。
「……誘いには乗らなかったのか?」
「おまえがいるのに乗るわけがなかろう。……そういう意味で訊いたわけではないが、まあ、いい。それよりも、どう思う。俺はマッケイどのに面識がない。伝聞でしか為人を知らないのだが、娘の恋人を遠ざけるために、そういう手を打つような御仁なのか?」
コーデリアはこくりと頷く。
「残念なことにそういう奴なんだ。あれは基本的に下世話で、しかも女好きで手が早くて堪え性がない。挙げ句に男はみんな自分と似た考えをしていると思い込むような、血の繋がりがあることが恥ずかしくなる類の男だ。愛人を利用することに躊躇はしないだろう」
「では、次はどう出る。すげなく返された相手を、また寄越してくるとは考えにくいが」
「そうだな……まずは打つ手は変えずに、相手を変える可能性が高い。差し出した愛人が断られたのは好みじゃなかったからで、それなら別の誰かを充てがえば良い、と考えていてもおかしくないからな」
なるほどコーデリアが碌でもない、と言うだけのことはある。イライアスがうんざり息を吐くと、コーデリアが微苦笑を浮かべて言った。
「色仕掛けが駄目だったら、次は社交界に手を回すだろう。だが社交から遠ざかっているおまえに、普通の根回しをしても影響などほとんどないはずだ。そもそもロクサーヌさまがいらっしゃるから、根も葉もない噂を立てても効果がない」
「まったくないとは言い切れないが、確かに効果は薄いだろうな。そもそも俺は騎士爵があるだけの三男だ。商売に手を出している訳でもなし、落とすだけの評判もない。傷になる可能性があるとすれば異性関係だが、ディグラントは狼だからな」
「ああ……うん、そうだな。おまえといると忘れそうになるが、狼なんだよな……」
コーデリアが呆れとも、苦笑ともつかない顔になる。
狼であるディグラントは、恋多き一族だ。伴侶を定めてしまえば一途だが、それまでは派手に遊ぶことは決して珍しいことではない。
つい最近では母方の従姉妹が三人を手玉に取って、決闘するかどうかの騒ぎになった。結局はそれとは別の相手を伴侶として、今は結婚に向けて全力疾走している。貴族の子女として決して褒められない所業だが、狼だから、のひと言でなぜか許されてしまう風潮がある。
イライアスの名誉を損なう噂が流れたとしても、さして傷にならないだろうことは、火を見るより明らかだった。
「残るは実力行使だが、さすがに私の一件で懲りただろう。足のつかない下手人を探すのも一苦労だしな」
そう言えば、とコーデリアを見る。
「おまえを襲った連中は口を噤んだままか?」
「いや、あっさり吐いたそうだ。だが知り得ないことは自白のしようもないからな。依頼された相手の名までは分かっても、そこから先は辿れなかったらしい」
イライアスは思わず眉根を寄せる。
女性を相手に五人の破落戸が危害を加えようとしたのだ。その対処にしては、ずいぶんと手ぬるいように思えてならない。
騎士団から手を回すことも考慮した方が良いかもしれない。イライアスがそう思ったのを察したかのように、コーデリアはぱたぱたと手を振った。
「おまえは余計な手出しをするなよ。この件に関して、警邏はよくやってくれている。それなのに変に拗れるのはごめんだ」
そう言われては仕方がない。イライアスは小さく溜め息を吐いてから、うっかり外れてしまった話題の手綱を引き戻した。
「……話を戻すが、年明けの休暇はどうなっている。削られたと言っても、すべではないのだろう?」
「ん? ああ、新年の祝を含めた後ろ三日分だ。事態が落ち着いたら補填するとは言われているが、人手不足の現状じゃあ難しいだろうな」
「なるほど。では二日は確実に休める、ということか」
呟くように言って、イライアスは意識して姿勢を正した。
緊張に渇いた喉を、すっかり温くなった葡萄酒で潤して言った。
「年明けの休暇は普通、家族と過ごすものであることは承知している。だから無理にと言わない。だが、もし良ければ俺と共に過ごさないか。食事は腕によりをかける。酒も上等なのを用意しよう。それ以外に不足があったら言ってくれ。おまえが望むものを完璧に揃えてみせよう」
イライアスの申し出が予想外だったのか、コーデリアは目を瞬かせている。
それはイライアスの望んでいた反応ではなかったが、ともあれ混乱させたのなら丁度いい。このまま強引に押し通すのみだ。そう胸の内だけで呟いて、イライアスは後を続けた。
「おまえと共に過ごす新年は、間違いなく素晴らしいものになるだろう。……俺がそう思うのは、迷惑だろうか」
敢えて殊勝な態度で問うと、コーデリアは慌てたふうに首を振った。そんなことはない、と返す彼女に笑みを向ける。
「ならば休暇を俺と過ごすことになんの問題もないな。――ああ、そうだ。休暇の申請をしなければならないから、予定が決まったら教えてくれ」
「あ、うん。分かった」
なし崩しに得た了承だが、約束を取り付けられたことに変わりはない。イライアスは浮かべる笑みの裏で、ほっと安堵の息を吐いた。