狩りと贈り物 3
新年の祝を間近に控え、季節はすっかり冬の様相を呈している。薄曇りの空から小雪がちらつく中、イライアスは人混みであふれる城下街を歩いていた。
コーデリアとの夕食に使う材料はすでに揃えてあるし、下拵えも完璧に済ませておいてある。にも拘らず出歩いているのは大事な別件があるからだ。
ベルサリウス王都の城下街は、ざっくり大別すると四つの区域に分けられる。商店が立ち並ぶ商業区、工房が軒を連ねる工業区、下町を含めた居住区に、貴族の邸宅が点在する区域だ。
イライアスが足を向けたのは商業区で、その中でも上流地区に当たる場所で店を構える宝飾店ローランシアだった。
ローランシアは老舗で格式ある店だが、口利きがあれば貴族でなくても利用することが出来る。御用聞きを呼ぶのではなく、店に足を運ぶという手間はかかるが、その気軽さが貴族の子弟たちに受けているらしい。
取り扱う品も質は良いが大げさ過ぎず、欲張らなければ一介の騎士にも手が届く。新年の祝に贈る品を選ぶのに、これほど適した店もないだろう。
事実、通りから見た店内はずいぶんと人で賑わっていた。混雑に構わず扉を自ら開けて店に入ると、お仕着せ姿の男性従業員が愛想良く近付いてくる。
ようこそおいでくださいました、と恭しく頭を下げる従業員に見覚えはなかったが、この手の対応はさして珍しいことではない。大店で接客に立つ従業員は大抵、主要貴族の顔と名を把握しているからだ。
奥へどうぞ、と案内されるままイライアスは店内を進む。分厚い絨毯が敷かれた階段を上った先、中二階が貴賓スペースになっているらしい。
よく磨かれた一枚板のテーブルに、止まり木椅子が並ぶさまは、一見すると邸宅にあるシガールームのようだ。本当のそれのように閉じた空間ではないが、階を挟むことでいくらか騒がしさが遠のいて感じた。
止まり木椅子に腰を下ろすと、案内した従業員とは別の男性がカウンターの向こうで頭を下げた。
「ローランシアにご来店くださいまして光栄に存じまず、ディグラントさま。本日はどのような品をお求めでしょうか」
慇懃な口調で言って、にこりと微笑む。それに軽く頷きを返して、イライアスは口を開いた。
「新年の祝に贈るに相応しいものを見せて欲しい。石はエメラルドか、グリーンサファイアを」
「かしこまりました。色々と取り揃えてございますよ」
かちりと鍵の開く音がする。
どうやらカウンター下は収納庫になっているらしく、引き出されたストックボックスが次々テーブルに並べられていく。
華奢な金鎖が美しいネックレスに、小振りの石が連なるイヤリング、指輪にバングルと、確かに良い物が揃えられている。
どれもこれもコーデリアに似合うだろうが、せっかくならば普段から愛用される品を贈りたい。並ぶ品を真剣な顔で眺めていたイライアスは、ストックボックスを指して言った。
「指輪とバングルは邪魔になるだろうから必要ない。そのネックレスと耳飾り――ああ、そのふたつともだ。それを良く見せてくれ」
ベルベット貼りのトレイに、イライアスが指した品が並ぶ。
普段遣いを考えるならネックレスが良いだろう。だが値段が手頃な分、ネックレスひとつでは物寂しい。それならイヤリングも一緒に、と思うのだが、揃いで付けるには選んだ品にまとまりがなかった。石の品質に差があるのも気に入らない。
イライアスは顎に手を当てて、ふむと小さく呟いた。宝飾品から視線を上げて言う。
「この耳飾りに合わせて、ネックレスも共に誂えてもらいたい。それとどちらも石の品質を上げて欲しいのだが、可能だろうか」
「ええ、もちろん。喜んで承らせていただきます。ただ、今からのご注文ですと、少々慌ただしい時期のお渡しになります。それでも構いませんでしょうか?」
「新年の祝に間に合うならば問題ない」
イライアスの要望も返答も考慮済みだったのだろう。従業員は穏やかな表情も変えずに頷いてみせた。
「お任せくださいませ。ディグラントさまのご期待に添えるよう、最高のものをご用意させていただきます。仕上がったお品物のお届けは、お屋敷でよろしいですか?」
「いや、私が引き取りに来る。先に半金を預けた方が良いだろうか」
「ディグラントさまに、その必要はございません。品物が仕上がり次第、こちらから遣いを向かわせましょう。連絡先を頂戴してもかまいませんか?」
つい、と差し出されたカードに、イライアスはアパルトメントの住所を記して署名を入れる。これがあればローランシアの遣いが守衛に追い返されることはないだろう。
よろしく頼む、と言ってイライアスは席を立つ。背後に控えていた従業員が先導しようと動き、だが階段の手前で足を止めた。それを訝る間もなく階下から上がってくる人の気配がする。
従業員にエスコートされて現れたのは黒髪の女性で、鉢合わせたその人はイライアスを見て目を丸くした。
「まあ、ディグラントの若さまではございませんか。このような場所でお会いできるとは、まさか思ってもおりませんでした」
そうたおやかに言って、彼女は紅を引いた唇を笑みに吊り上げる。
「わたくし、マイア・ブロシアと申します。いつぞやの夜会でご挨拶をさせていただいたのですけれど、覚えておいででしょうか」
「……ここしばらくは社交から遠ざかっている。出る夜会は限られているのだが、申し訳ないが記憶にないな」
「それは……残念ですけれど、イライアスさまはお忙しい方ですものね。どうぞお気になさらないで。それにわたくしのことなら、今日を機会に知っていただければ十分ですわ」
マイアは輝くように微笑んで、優雅な足取りで近付いてくる。彼女は当然のようにイライアスの腕に触れると、黒目がちの瞳を潤ませて言った。
「ここでイライアスさまにお会いできたのは、きっと女神ベリサのお導きでしょう。偉大なる女神に感謝を捧ぐためにも、なにか記念になるような物が欲しいわ。ねえ、イライアスさま。どうかわたくしに見立ててくださいな」
慣れた風情で腕を絡ませ、柔らかな胸を肘の辺りに押し付けてくる。
潔癖な質ではないイライアスだが、こうもあからさまなのはうんざりする。これでは商売女の方がよほど品があるだろう。イライアスはそう内心で吐き捨てて、上機嫌に微笑む女を冷ややかに見下ろした。
どれだけ振る舞いが愚かでも、さすがに空気を読むことは出来るらしい。マイアはさっと顔を青くして、イライアスの肘から腕を放した。
取り繕ったような笑みを浮かべて言う。
「あら、わたくしとしたことが。大変失礼いたしました。イライアスさまにお会い出来て、嬉しさのあまり少し浮かれてしまったようです。どうかご無礼をお許しくださいませ」
「……理解していただけてなによりだ。それでは失礼する」
見送りに動こうとする従業員に手を振って下がらせる。マイアのまとわりつくような視線にげんなりしながら、イライアスはローランシアを後にした。
コーデリアを迎える準備があると言うのに、不愉快な相手にかかずらっている余裕などない。足早に帰宅して料理に取り掛かり、万端整えてコーデリアを招き入れた。
話しておくべきことは山ほどある。食事を進めながらクレアからの情報を伝えると、コーデリアが翠の目を丸くした。
「ただの思いつきが、まさか大当たりするとは驚いた。それにしても些細な情報も零さず、この短期間で結果を出したクレアはさすがだな」
「それだけ行き詰まっていた、ということなのだろう。コーデリアにはきちんと礼がしたい、とオドネルが言っていた。この一件が片付いたら必ず連絡をする、いつものところで飲もう、だそうだ」
「ああ、それは楽しみだ。おまえも一緒に来るだろ? 忙しいのに連絡役になってくれたんだ。ちゃんと労わないと」
楽しそうに言って葡萄酒を飲むコーデリアを、イライアスはじっと見つめる。
「……思いの外おおごとになっているが、そもそもの発端は俺の不始末、至らなさにある。礼をすると言うならば、俺こそがせねばなるまい。だから希望があったら言ってくれ。どんなことでも、すべて叶えてみせよう」
それで恩に報いきれるとは思ってはないが、彼女の望みであれば全力で尽くすつもりだ。
空になったグラスに注いでやりながらそう言うと、コーデリアが目を瞬かせた。