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狩りと贈り物 2

 差し出されたのは茶色の薬瓶だ。中には親指の先ほどの小さな塊が入れられている。遮光ガラスのせいで色は判然としないが、円錐形をしたそれは見るからに脆そうだ。

 よくよく見ると角が落ちていて、周囲には粉状のものが散らばっている。薬瓶に触れず眺めていたイライアスは、短く問いかけた。

「これは?」

「見ての通りのお香だよ。と言ってもベルサリウスの神官が使うのと違って、呪術的な役割があるような代物じゃない。聞いたところによると、オーサントでは香水と似たような使い方をするそうだ。部屋に煙を充満させて匂いを楽しんだり、あとは焚いた煙で衣服を燻して、その匂いを移したり。つまるところ嗜好品の類さ」

「……なるほどな。シトラ宮に臭いが染み付いていたのは、やはり香が原因だったか」

 思い出すだけで鼻の奥に、あの不快な臭いが蘇ってくるかのようだ。知れず苦くなった声に、クレアは苦笑を浮かべて頷いてみせた。

「そういうことだね。わたしには判らなかったけど、ずいぶんと威勢良く燻してたようだよ。なんでも留学生の子たちが言うには、オーサントでは恋の駆け引きにも香を使うらしい」

「それは……なんとも理解し難いな。なにをどうしたら、あれが駆け引きになると言うんだ」

「彼らとわたしたちの嗅覚は違う、ってことさ。なにせオーサント人にとって、あれは官能を呼び覚ますものらしいからね」

 唖然としてクレアを見る。

「悪趣味にも程がある。あの臭いでは使い物にもならんだろう」

「そんなこと、わたしに言われても困るよ」

 拗ねたような困惑したような声音で言って、クレアは大きく溜め息を吐いた。

「ともあれ彼女たちの目的は明白だ。ベルサリウスで手頃な誰かさんを見繕って、都合の良い手蔓とするつもりだったんだろう。著しく品性には欠けるけれど、古典的で確実な手だよ。ただ……まあ、気の毒だったのは、それがまったく功を奏してなかったってことだね」

「どころか逆効果だろうな。……それで、分析は済んだのか?」

「ある程度は。犬や狼――きみたち特定種族に被害が集中した理由も特定済みだよ」

 言いながら薬瓶を取り上げる。

 瓶の中で転がったそれを見つめるクレアの灰茶色の目が、眼鏡の奥で冷徹な光を帯びる。

「興味深いのは、香料自体に毒性が含まれていない点だ。材料のほとんどが植物性で、しかもごくごくありふれている。木の皮に樹脂や果物の抽出物、料理に使うハーブなんかも入っている。成分はどれもこれも揮発しやすく、そのせいで香りが残りにくいみたいだね。留学生たちが普段付けている香水と混じって、それでわたしたちには気づけなかったんだろう」

「つまり嗅覚が鋭い種族のみが、それを感じ取っていたということか。だが香料に毒性が無いと言うなら、なぜ体調に異常が出る」

 イライアスがそう問うことは想定済みだったのだろう。薬瓶から視線を戻したクレアは、にっこりと微笑んで言った。

「問題があったのはつなぎ――って言って分かるかな。粉末にした香料を固めるために、油脂を混ぜて練り込むんだけど、それに微量の毒物が含まれていたんだ。油脂は動物性のもので、しかも加熱されることによって成分が変性する。それが嗅覚を感じる器官に悪影響を及ぼすんだ。種族によって程度に違いが出たのは、匂いを取り込める量に差があるからさ」

「なるほどな。理屈は解った。それで、オーサントの者たちから回収は出来たのか?」

「もちろん、と言いたいところだけど、相手は外国の貴族だからね。荷を漁ったり、身体検査が出来たりした訳じゃない。丁寧にお願いして提出してもらったけど、隠し持ってる可能性は充分にある。護衛騎士に警戒をさせても限度があるしね」

 言ってなにか思い起こすことがあったのだろう。クレアはうんざりと息を吐いた。

「警戒と言えば、きみに纏わりついて、ずいぶんなやらかしをした子がいただろ?」

「……アリシア・ハイドか。貴族の令嬢とも思えん態度だったが、臭いも最悪だったな」

「いや、あのねぇ。気持ちは分からないでもないけど、こっちだって妙齢のレディなんだ。もうちょっとお上品な物言いで頼むよ」

 げんなりと言うクレアに、イライアスはちらと苦笑を浮かべた。

 話題と状況のせいでうっかり感覚が麻痺していたが、他人の匂いについて口に出すのは普通、眉を顰められる振る舞いだ。夫婦間や恋人同士でも許されるかどうかだと言うのに、縁の薄い元同期に言って良いことではないだろう。

 イライアスが謝罪を口にすると、クレアは微苦笑を浮かべて肩を竦めた。

「ほんとに頼むよ。――それで話を戻すけど、あのアリシア・ハイドがここ最近になって妙な動きをしてるんだ」

「妙、とは?」

「きみに固執し続けていることは、言わずもがなだね。それ以外にもなんて言うか、様子がおかしいんだ。いや様子のおかしさは当初からなんだけど、最近はその程度が酷くてさ。それなのに彼女を新年の祝に参加させなきゃいけない。本当に、本当に困っているんだよ」

 少しも困っているようには見えない顔でそう言って、クレアはイライアスをじっと見つめる。

 その意図をたっぷり含んだ眼差しに、覚えずイライアスは溜め息を落とした。

「……鼠取りは、狼の領分ではないのだがな」

 ほとんどぼやきのような呟きは、だがクレアの満足いくものであったらしい。

 クレアは手にしていた薬瓶をぎゅっと握り込むと、にっこり微笑んでみせた。

「きみは話が早くて本当に助かるよ。――それじゃあ、本題に入ろうか」

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