はた迷惑な侵入者 2
意味の分からない妄言を堂々と言い放った少女を、コーデリアはまじまじと見つめた。
港の使用権を求めた隣国オーサントが、遊学と称して王族の姫と貴族令嬢を人質に送って寄越したことは、政治に疎いコーデリアでも知っている。
そも隣国とは言え、今まで殆ど国交の無かった相手だ。ベルサリウスとは文化も習慣も異なっていて、対応を任されている者たちは大層苦労していると聞く。言語は大陸共通のものを話しているが、言葉が通じるからと言って、真に意思疎通が出来るとは限らない。実際、アリシアが何を言いたいのか、コーデリアにはまるで理解出来なかった。
朽ちかけ苔生した倒木を乗り越えながら、はてとコーデリアは首を傾げる。
「先ほどもそのようなことを仰っていましたが、番とは一体なんのことです?」
「なんのこと、ってあなたたちは獣人じゃない。獣人は運命の相手と番うものなんでしょう? 運命の相手と番ったら、その人だけを心から愛して、余所見もしないって聞いたわ。あなた、獣人なのにそんなことも知らないの?」
当たり前のことを訊くな、と言わんばかりに嘯くアリシアに、コーデリアは唖然とするしかなかった。思わず足を止めてアリシアの顔を見ていると、殿を務めていたイライアスがコーデリアの側で囁くように言った。
「一事が万事この調子だ。運命の番なんてものは無い、と言ってもまるで理解しようとしない。挙げ句に、俺がその運命の相手だと思い込んでいるらしい」
「……なるほど」
同じく小声で返して、コーデリアは止めてしまった歩みを再開させた。
妙に親しげな態度を取るイライアスだが、おそらくは偶然居合わせたコーデリアを、体のいい風除けにすることにしたのだろう。そうしたくなる気持ちは分かるのだが、巻き込まれた身としては甚だしく面倒くさいし迷惑極まりない。とは言え同期のよしみで彼を見捨てることは気が進まず、コーデリアは小さく息を吐いた。アリシアに向かって言う。
「レディ、どうやらあなたはなにか勘違いなさっておいでです。運命の番なんてものは、この国には存在しません」
「ええ、分かっているわ。だってとてもデリケートなことですもの。……こういうのって公然の秘密、と言うのでしょう?」
全然違う。コーデリアは呆れて言葉を無くしたが、それを気にも止めずにアリシアは歌うような調子で続けた。
「でも隠していても、わたくしには分かるのよ。だってイライアスさまを初めて見た時に運命を感じたんですもの。それから目と目が合って確信したわ。イライアスさまもわたくしが感じたものと、同じものを感じているって」
思わずイライアスに視線を向けてしまう。
気の毒な彼は死んだ魚のような目で、宙空のあらぬ方向を見つめている。ずっとこの調子だったのだろう、というのが透けて見えたが、それでもコーデリアはなるべく温和な口調で言った。
「あなたがどう感じようが自由ですが、それは我々の常識にそぐうものではありません。正直、あなたの振る舞いは奇異に映ります。オーサント国の代表としていらしてるのですから、もう少し考えた言動を取るとよろしいですよ」
「まあ、やっぱり無礼者なのね。あなた、コーデリアさんと言ったかしら。いいからイライアスさまと別れるとおっしゃいな。わたくしという運命の番がいるというのに、ただの恋人が纏わりついては、イライアスさまも迷惑なだけよ」
自信たっぷりに言っているが、やはりなにを言っているのか微塵も分からない。聞く耳を持たないだけならともかく、意味不明なことを真実の如く言い放っているのだから、まったく始末に負えない。
もしやオーサント人とは、みなこんな風に常軌を逸した考え方をするのだろうか。そう真剣に首を捻ったところで、今まで黙っていたイライアスが口を開いた。
「――レディ・アリシア。迷惑と言うなら、あなたこそ身を引いていただきたい。公言することではないので黙っていましたが、彼女こそが私の番です」
おまえはなにを言っているんだ、と言いかけたのをすんでのところで飲み込む。どうやら話の通じない相手と関わって、纏わりつかれた彼は我慢の限界を超えてしまったらしい。
この状況からどうにかして逃れたい気持ちは分かるが、だからと頭のおかしい相手に合わせるなど悪手が過ぎる。破れかぶれになるのは構わないが。頼むから巻き込まないでくれ。そう内心で嘆いたコーデリアの思いを知ってか知らずか、イライアスは据わりきった目で言った。
「コーディ、すまない。秘するべきことだと言うのに、こんな形で打ち明けてしまって悪いと思っている。だが真に心を捧げるおまえがいるのに、嘘を吐き続けることは不可能だ」
「いや、ちょっと待て。おまえ、いくらなんでもそれは――」
「戸惑う気持ちは分かる。だが真実を打ち明けるなら、人目のない今が絶好の機会だろう。俺の唯一であるおまえに要らぬ恥をかかせてしまうことについては、どれだけ非難してくれても構わない。だがおまえに対する愛の証と思って、俺の不甲斐なさには目を瞑って欲しい」
そう淀みなく話すのを聞いていると、とても適当なことを言っているようには感じられない。実はコーデリアが知らなかっただけで、実はそういう習性があったのかもしれない、とうっかり信じそうになるくらいだ。
なんだかもう唖然とするしかないコーデリアを他所に、アリシアが半ば叫ぶように甲高い声を上げた。
「そんなこと、信じられません! だって、だってわたくしこそが運命の番ですのよ! ねえ、イライアスさま。本当は分かっていらっしゃるのでしょう?」
必死な様子で言いながら、アリシアはイライアスに身を寄せる。だがイライアスは逃げるように一歩、二歩と後退って、渋い顔で首を横に振った。
「……申し訳ありませんが、私には理解しかねます。さきほども言った通り、私の番はコーディだけです」
「そんな……。どうして、こんな、そんなはずはないのに……」
アリシアは今にも地面に崩れ落ちそうな様子で言う。その姿だけを見れば気の毒に思えるが、これまでの散々な言動のせいで、慰めの言葉を掛ける気にもなれない。
もうとりあえず森から追い出してしまおう、とコーデリアは何も言わずに歩き出した。
微妙な雰囲気のまま黙々と進んで暫し、ようやく森の外れに辿り着いた。
地面には聖域と俗世との境目を示して、石灰岩の砂礫が敷き詰められている。迷いのまじないが効くのはここまでだ。はた迷惑な迷子を無事に連れ出せたことに、ほっと安堵の息を漏らしたところで、悲鳴のような甲高い声が響いた。
「アリシアさま! どちらにいらっしゃったのです。ずっとお探ししていたのですよ!」
長いスカートの裾をからげて駆け寄ってきたのは、暗紅色のお仕着せに身を包んだ年嵩の女性だった。
ベルサリウスではあまり好まれないその色を見るに、恐らくは彼女もオーサントからの客人なのだろう。
白のメイドキャップに、白いエプロン。これぞメイドという姿をしたその女性は、コーデリアたちには見向きもせずに、アリシアの腕を掴んで言った。
「さあ、参りますよ。授業はもう始まっております。あなたがたには、国の威信と行く末がかかっているのです。怠けること許されません」
「わ、わかっているわ。だから、わざわざこんな場所まで来たんじゃない。わたくしだって、やるべきことくらい理解しているのよ。ねえ、ちょっと。腕が痛いわ。お願いだから手を離してちょうだい。ねえ、ねえったら……!」
哀れっぽく懇願する声を無視して、メイドはアリシアを引き摺って行ってしまう。一言もなく去ってしまったふたりを見送って、コーデリアは深々と溜め息を吐いた。
休日前の仕事終わりだと言うのに、とんでもない目に遭ってしまった。コーデリアは辟易した表情を繕いもせず、隣に立つイライアスをちらと見上げた。
「……分かっているとは思うが、森に侵入した件については報告を上げるからな」
「ああ、承知している。俺もこの後、立聖官のもとへ出向くつもりだ。……数日の謹慎で済めば良いんだが」
「故意でないことは分かっているからな。大げさなことにならないよう、一応の口添えはしてやろう。だが、あまり期待するなよ。おまえはともかく、あちらの言動はいささか目に余る」
無知を理由にしたとしても、アリシアと名乗ったあの令嬢の振る舞いは許容出来るものではなかった。そもそも国の施策で留学しているくせに、ベルサリウスの文化に対する理解がまるでないのは、いったいどういうつもりだと言いたくなる。なにより運命の番などという妄言は、聞いて気持ちの良いものではなかった。
不快さに眉を寄せ、コーデリアは苦り切った声で言う。
「それで、さっきのはいったいどういうことなんだ?」
「……話せば長くなる。おまえ、この後は?」
「夜勤明けだからな。さっきのことを報告したら、後は寮の部屋に帰って寝るだけだ」
「そうか。では、そうだな。今日の夜に時間をくれ。さっきのことも含めて説明させて欲しい。……眠る黒猫亭で構わないだろうか」
イライアスが口にした店の名はコーデリアもよく知っている。下町にある大衆向けの居酒屋だ。
給仕の子たちが評判の美人揃いで、出される料理も酒も素晴らしく美味くて居心地も良い。騎士団寮からほど近く、それで当然のように騎士たちの溜まり場になっている。
ちょうど食堂の代わり映えしない食事に飽き始めていたというのもあって、コーデリアはイライアスの提案に一も二もなく頷いた。