狩りと贈り物 1
クレア・オドネルが統括役に収まって以降、体調不良を訴える騎士はその数を減らしている。
医療体制が見直されたことにより、情報の吸い上げが正しく行われ、適切な治療が行われるようになったためだ。
イライアスが橋渡ししたコーデリア曰くの思いつきも、彼女は正しく取り扱ってくれたらしい。
あれからすぐに警備配置にも手が入り、今は種族を考慮した編成が運用されている。
正しい治療で復帰するものが増え、新たに体調を崩すものが減ったことで、人員も幾分か余裕を取り戻しつつある。就任当初は年若いクレアを軽んじていた者たちも、さすがはオドネルだ、などと今では見事な掌返しを見せていた。
そのクレアから面会申請が出ていると報告を受けて、イライアスは副官のルイス・セヴァンを見返した。
「――オドネルが来るのか? ここに?」
ええ、とルイスが無感動な声音で言う。
「どうしても話しておきたいことがあるから、と。ですが狼のあなたをシトラ宮に来させる訳にはいかないし、騎士たちの様子も見ておきたいからこっちが足を運ぶ、だそうですよ。出来たら今日の午後に都合をつけて欲しい、とありますがどうしますか?」
「午後か。……フィンの復帰は今日からだったな。念のためにドーソンを付けてやってくれ。報告は明日に。オドネルとの面会は、午後一なら問題ないだろう。調整を頼む」
「了解しました。第二応接が空いているようなので、そちらを抑えておきます」
「第一が埋まっているとは珍しいな」
「ミラー隊長に客人があるようです。気になるようでしたら探りますが……」
いや、と首を振る。
「いくらミラーでも本部で下手な真似はしないだろう。客人が誰かだけ確認しておいてくれ」
頷くルイスが執務室を出ていくのを見送って、イライアスは手元の書類に視線を落とした。
午前いっぱいを事務処理に当て、昼食を終えてから第二応接室へと向かう。その道すがらに、騎士を捕まえて話し込む白衣姿のクレアを見かけて、イライアスは小さく息を吐いた。
「――オドネル、そんなところでなにをしている」
知れず苦くなった声に、クレアに捕まっていた騎士がびくりと固まる。
泡を食って敬礼しようとする騎士に、気にせず下がるよう手で指示してから、イライアスは呆れた表情で言った。
「様子を見るのは構わないとは言ったが、頼むから邪魔はしないでやってくれ。ただでさえ騎士たちには、要らぬ苦労をさせているんだ」
「邪魔だなんて酷いなぁ。これも大事な調査だよ、調査。そんなことより、きみこそどうしたのさ。もしかして、わざわざ迎えにきてくれたとか?」
「……ああ、そうだな。そういうことにしてやるから、黙って大人しくついて来い。おまえ相手に立ち話をする気にはなれん」
話し始めれば立て板に水の如くのクレアだ。相手にするだけで気疲れするのだから、せめて腰を落ち着けたい。
きょろきょろと周囲に目をやっているクレアを促して、イライアスは第二応接室に足を向けた。
応接室とは言っても設置期間も決まった司令本部、そのほとんどが急ごしらえだ。室内は長椅子とテーブル、飾り棚が置かれただけの簡素さで、むき出しの板壁には壁紙一枚すら貼られていない。
良く言えば質実剛健という有様の室内を、だがクレアはまるで気にした風もなく長椅子に腰かけた。
その正面に腰を下ろしたイライアスを見て、クレアは首を傾げる。
「あれ、そう言えばきみのところの副官は?」
「セヴァンなら執務室に置いてきたが、必要だったか?」
「いやいや、別にそうじゃないんだ。ただきみの人選にしては、ずいぶんと面白いことするなあって思って。だって彼、元々は文官だろう?」
なんでもないことのように言われて、イライアスは僅かに目を瞠った。
「良くそれに気付いたな。……もしかして知り合いか?」
「いや、全然。ただ書類や手紙の書き方でなんとなく分かるんだよ。癖が出るからね」
言ってクレアは小さく息を吐いた。
「騎士でありながら、一方で文官の気質も残っている。便利すぎて羨ましいかぎりだよ。わたしも似たようなものだから分かるんだけど、武と文では、どうしたって互いに理解しきれない溝があるからね。色々と面倒なんだよ。ましてや今回みたいに共同戦線を張ってると、それが顕著に表れる」
「……苦労しているようだな」
「他人事のように言わないでくれよ――って、まあ、実際他人事なんだろうけどさ。本当に参ったよ。ただでさえ外務府の後始末で苦労してるのに、あっちもこっちも言いたい放題で、まったく腹が立つったらない」
そうクレアが吐き捨てたところで、扉がノックされる。それに応えを返すと入ってきたのはジャック・オーリンで、彼は侍従よろしく茶器の乗った銀盆を手にしていた。
ジャックは普段のいい加減さが嘘のように丁寧な給仕をして、礼儀正しく退出する。彼を視線で見送っていたクレアは、ティーカップを持ち上げながらしみじみと言った。
「彼も良いよねぇ。これぞ子犬、って感じで見てるだけで癒やされるよ。そりゃあうちの子たちだって可愛いし、仕事は出来るんだけど、肝心の愛想があんまりなくてね……」
遠い目をしてぼやくクレアをさらりと無視して、イライアスは問いかける。
「それで、用件はなんだ。ただ無駄話をしに来たわけではなかろう?」
「無駄って言い方はないだろ。言っておくけどね、愚痴は精神の均衡と正常化に無くてはならないものなんだ。少しぼやくくらい良いじゃないか。そもそもきみとコーディが楽しく親睦を深めている間、わたしはものすごく頑張ってたんだからね。むしろ感謝して拝聴してくれても良いくらいだよ」
「ああ、分かった。分かったから喚くな。後でありがたく拝聴してやるから、さっさと本題に入ってくれ」
面倒になって手を振る。クレアは仕方がないというふうに肩を竦め、手にしていたティーカップをソーサーに戻した。
指揮を執るように、指をすいと挙げて言う。
「まず報告が一点。これは後できみたちの上から伝達されるだろうけど、今教えても問題ないから言っておくよ。王宮で催される新年の祝に、オーサントの留学生たちが参加することになった。当初は姫様ひとりだけだったんだけど、それだと外聞が悪いらしい」
「……それで?」
「警護の人員と配置に変更が出る。なにせ禁足地の一件があるからね。こっちで注意はもちろんするけど、あの彼女たちのことだ。馬鹿をしでかしてもおかしくないし、警戒はするに越したことはない。陛下も参加なさる以上、万全を期すのは当然のことだ。その煽りを食らうきみたちには、災難なことだろうけど」
「上の都合に振り回されるのは慣れている。問題ない」
身体が空けば新年の祝にコーデリアを誘うつもりでいたが、無理を通すほどの拘りがあった訳でもない。それよりも後日に休暇を合わせて、のんびり気兼ねなく過ごすほうが良い。
料理も伝統的なものにすれば、仕込みはともかく手間はかからないだろう。酒もコーデリアが気に入りのものを幾つかと、新年を祝うのに相応しいものをすでに用意してある。後は彼女に相応しい贈り物を選び、花と焼き菓子の手配をすれば万事問題ないだろう。
そうつらつらと思考を巡らせながら、イライアスはクレアに視線を当てた。
「それよりも体調を崩した者たちはどうする。留学生たちに近付けてまた倒れられては、警護どころではなくなるぞ」
「いやだなぁ、対策ならちゃんとしてあるよ。コーディときみがくれたありがたい助言のおかげで、体調不良の原因が確定できたからね。万事解決とは言わないけれど、これ以上の被害は出すつもりはない。そして今日わざわざここに来たは、功労者であるきみへの報告があるからだ」
言いながら白衣のポケットを探り、クレアはそれをテーブルに置いて、ついと滑らせた。