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与えられる寄る辺 2

「獅子の復古は王家の悲願だったからな。少しでも獅子に血が近く、次代が産まれる可能性が高くなるなら、中身はどうでも良かったんだろう。言うなれば種馬を選ぶようなものだ。人でなしの所業ではあるが、少なくとも結果が出ている以上は、失策とは言えないんじゃないかな」

「馬鹿を言え。そもそもディナルドは、滅びるべくして滅びた一族だ。その愚かさのつけをひとりの女性に押し付け、かかる負担を当然と思うなど恥知らずにも程がある。挙げ句に愚かな種馬を放置するなど言語道断だ。おまえに、もしものことがあったらどうする」

「……意外に心配性なんだな、おまえは」

 呆れて言うと、イライアスは深く溜め息を吐いた。

 手を、と言われてコーデリアは首を傾げる。イライアスが何をしたいのか、よく分からないまま言われた通りに差し出すと、手のひらに硬い小さな物が落とされた。

「……鍵?」

 手のひらに収まるそれを、しげしげと眺めて言う。それは問い掛けというより呟きに近かったが、イライアスは律儀に頷いてみせた。

「この部屋の合い鍵だ。いざという時に逃げ込める場所は、多いに越したことはないだろう。そうでなくても、おまえがここに来たいと思うときに、好きに使ってくれて構わない」

 イライアスはそう言って、コーデリアの手を包み込むようにして鍵を握らせる。驚いて見返すと、その視線から逃れるようにイライアスが目を伏せた。

 本当は、と呟くように言う。

「おまえの部屋を用意するつもりだった。厄介事の相手がおまえの父親ならば、騎士団寮にいるよりここの方が安全だろう。幸い部屋は余っているし、客室なら今すぐにでも受け入れられる。だがそれをすると、共に暮らす、ということになる」

「ああ……うん、そうだな。さすがにそれは、色々と不味いだろうな……」

 自由恋愛が当たり前となった昨今だが、それでも未婚の男女がひとつ屋根の下に暮らすのは、不道徳な行為とされている。

 そも獣人にとって生活を同じくするのは、すなわち番うということを意味する。番うなら婚姻を結ぶのが当然で、それをしないということは疚しいことがあるからだ、と周囲に受け取られかねない。貴族の子弟にあるまじき不名誉である。

 コーデリアとしてはそれでも別に構わないのだが、イライアスは巻き込まれた被害者だ。そんな彼に不名誉を背負わせては騎士の名折れだろう。

 なにより避難場所を提供するためだけに、鍵のやり取りをするのは違う気がする。

 鍵を渡すという行為には、他に親密な意味もあるのだ。コーデリアは手の中の鍵を返そうとして、だがそれをイライアスに押し留められた。

「俺を気遣うつもりなら、なおのことこれは持っていてくれ。おまえには確実に安全に退避できる場所がある、と俺に思わせて欲しい。それにこれを実際に使うことがなくても、牽制くらいにはなるだろうからな」

「……分かった」

 考えた末に頷くと、イライアスがほっとした顔になる。

 彼はコーデリアの手を惜しむ風に放してから、ふ、と表情に笑いを滲ませた。

「一応伝えておくが、ここをいつでも使ってくれ、と言ったのは冗談ではなく本気だからな。むしろ今日、このまま泊まってくれても構わないぞ」

 まったく彼らしくない類の軽口に、コーデリアは白けた目を向ける。

「外泊申請も出してないのに、そんな真似が出来るか」

「ああ、それがあったか。残念だ。ならばせめてどこかで共に食事でも、と思ったが……今日のことを考えれば、外を出歩くのは得策ではないな。まだ人通りの多いうちに、寮に戻った方が良い」

 送ろう、と言ってイライアスは立ち上がる。当然のように差し出された手を取って、コーデリアも腰を上げた。



 寮の自室に戻ったコーデリアは、改めて預かった鍵に視線を落とした。なんの代わり映えもない黄銅色の小さな鍵だが、渡された経緯を思うとどうにも面映ゆい。そわそわと落ち着かない気分になったが、少しも嫌な感じがしないのが不思議だった。

 少しばかり特殊な家庭環境で育ったせいで、コーデリアは庇護されることに馴染みがない。

 母は世間一般のそれとはかけ離れているし、姉はコーデリアにとって守るべき対象だった。まだ幼い弟妹は言うに及ばず、義父は信頼はしても寄りかかって良い相手でない。要するにコーデリアの手は誰かに差し出すものであって、救いを求めるものではなかったのだ。

 そのことに寂しさを覚えこそすれ、不満を感じたことは一度もない。だが今日こうして寄る辺を与えられて、そのことに胸の奥が温かいもので満たされるのだと知った。

 コーデリアは愛おしむ手付きで鍵を撫で、そこではたと面を上げた。

 合い鍵を借り受けたは良いが、どう保管するかまで考えが及んでいなかったのだ。

 名家であるディグラントの子息が借りているだけあって、彼の住まいであるアパルトメントは相応に格式が高い。門には守衛が立っているし、ただ鍵だけあれば立ち入れるものではないが、だからと言って適当に扱って良い代物ではない。当然紛失するわけにはいかないし、本音を言えば宝物のようにしまいこんでおきたい。だがそれではいざという時に使うことが出来なくなる。

 コーデリアは少し考え込んでから、護身用の短剣を取り上げた。

 牛革の鞘には幾つかの飾り紐が括られていて、燧石を下げている以外は無用の長物と化している。その一本を解いてきつく編み直し、鍵を括ってから鞘に戻した。

 吊り下げた鍵を眺めて、コーデリアは満足げに息を吐いた。

 鈍く光る真新しい鍵が、年季の入って古びた鞘に不思議と馴染んで見える。コーデリアはそれをしみじみと眺めてから、文机に短剣を置いて椅子に腰掛けた。引き出しを漁って便箋を取り出す。らしからず浮かれてしまったが、まだすべきことが残っている。

「さて、なんと書くか……」

 ペン先をインクに浸しながら、そう独りごちる。

 伝えるべき内容は決まっている。だが用件だけを記せば、報告書じみたものになってしまう。

 滅多に顔を合わせることのない母だが、だからと言って親しみを感じていない訳ではない。ただどう相対すれば良いのか迷いがあるだけだ。

 頭を捻って文面を整え、蝋で封をしたころには消灯時間が迫っていた。

 夜間勤務が珍しくない騎士たちに、消灯時間など定める必要などあるとは思えないが、決まりは決まりとして守らなければならない。

 コーデリアは寝支度を整えると、規律正しく煌石灯の明かりを落とした。

 翌朝一番に出した手紙の返信は数日後、思いの外早くコーデリアのもとに届けられた。手紙は母らしい直截な文章で綴られていて、中身は近況報告が少しと、残りは父に関することだった。

 父の奸計を母が把握していることはディグラント夫人が語った通りで、それ以外に養父がこの件で動いていることが記されていた。

 養父ウィリアムは、かつては王宮内で辣腕を振るった文官だ。母と結婚するに当たって職を退き、今はロリンズ家と母を内に外にと支えてくれている。次代のロリンズ家を継ぐ双子の父親だが、実子と区別することなくコーデリアと姉に接してくれる得難い人物だ。心から尊敬している相手だけに、自分の事情で要らぬ迷惑をかけたことがすこぶる心苦しい。

「取り敢えずイライアスに連絡と……後は養父(ちち)に礼が必要だな。まったく、この年の瀬の忙しい時期に、余計なことばかりしてくれる」

 実父と縁を断ちきれないことを、これほど忌々しく思ったことはない。

 コーデリアは思いつくかぎりの罵詈雑言を吐き捨ててから、深く長く溜め息を落とした。

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