思いがけない協力者 3
美術品の鑑賞に特段の興味は持たないが、優秀な解説役が隣にいるなら話は別だ。それでコーデリアは晩餐が始まるまでの僅かな時間、歴史ある美術品の数々を眺めて楽しんだ。
定刻通りに始まった晩餐会は、名家で催されるに相応しい格式高いものだった。
ディグラント夫人の案内で通されたパーガスホールは、主に身内の催しに使われているという。幾つかあるホールの中では一番手狭らしいが、とは言え二十名を超える客人を収容して十分な余裕がある。
よくよく磨かれた白い石床と、高い天井。大きな掃き出し窓の向こうには、煌石で照らされた庭園の美しい眺めが広がっていた。
コーデリアが案内された席次は、夫人側主賓の右隣だ。
そもそもが身内の集まりだから、一番の年長者を形式的に主賓として据えているらしい。つまりその右隣に座るコーデリアこそが、晩餐会の中心であるということだ。
広く名の知れた母を持つせいで、耳目を集めることに慣れてはいる。だが便宜上のパートナーとは言え、その親族から品定めされるような状況は初めてのことだ。
向けられる視線が好意的なのは救いだが、あまり居心地の良いものではない。それでもそつなく社交をこなしつつ正餐を終えて、するとディグラント夫人が優雅に立ち上がった。
「さあ、紳士の皆さま方は遊戯室へ。淑女の皆さま方はサロンへ参りましょう」
たおやかなその声を合図に、めいめいが席を立つ。
男女別れての社交にコーデリアも混じろうとして、だがホールを出る手前でディグラント夫人に引き留められた。
「コーデリア卿、少しよろしいでしょうか」
にこやかに微笑む夫人に、コーデリアは笑みを返して頷く。
「ロクサーヌさま。ええ、もちろんです」
「では、こちらへ。ご案内いたします」
言って軽やかに身を翻したディグラント夫人を追って、コーデリアはパーガスホールを後にした。
案内されたのは客室で、夫人曰くごく親しい相手のみに使用されているという。よく使い込まれた絨毯と、暖炉の前に並べられたカウチソファ。座り心地の良さそうなソファの背もたれには、毛織りのブランケットが掛けられている。
壁に掛けられた肖像画には素描が多く混じっていて、室内はくつろいだ雰囲気を感じさせた。
夫人に勧められるままカウチソファに腰を下ろす。すると見計らったように現れた執事が、茶を供してくれる。
白地に青色の花が可愛らしいカップとソーサーだ。質は良いが気取らないデザインなのは、家族のように受け入れているという証なのだろう。歓待はありがたいが、仮初めの恋人である身にはすこぶる後ろめたい。
とは言え真実を語れる筈もなく、コーデリアは感じる気まずさを茶で流し込んだ。
礼儀正しく茶と茶器を褒めると、正面に腰掛けたディグラント夫人が穏やかに微笑む。
「コーデリア卿をおもてなし出来る日が来るとは、夢にも思っておりませんでした。我が息子ながら、イライアスは狼に珍しい堅物でしょう? 老後の心配をしなければと考えていたところを、まさか卿のような素晴らしい方を連れてくるとは思いもしませんでしたの」
「お言葉はありがたいですが、買い被り過ぎですよ。イライアス卿は、私には勿体ないくらい素敵な方です。……とは言え彼が堅物であることは、否定しませんが」
茶目っ気を込めて言うと、ディグラント夫人が目を丸くする。品良く口元に手を当てて、ふふふ、と笑いを零した。
そうしてひとしきり楽しそうに笑ってから、夫人はさらりと居住まいを正して言った。
「本題に入る前に、どうか謝罪をさせてくださいませ。お伝えすべきことがあったとは言え、礼儀を失した振る舞いであったことは事実。大変申し訳ありませんでした」
コーデリアゆらりと首を振った。
「いいえ、どうぞお気になさらず。そもそも私に謝罪など必要ありません。本来であればこちらから挨拶に出向くべきところを、意図して口を噤んでいたのですから。それよりも私に伝えたいこと、ですか?」
「……ええ。あなたのお父上のことです」
ティーカップを持つコーデリアの指が、ぴくりと動く。思わず歪みそうになった表情を意思の力で押し込めて、コーデリアはにこやかに返した。
「確かめるまでもないことは承知の上ですが、敢えてお訊ねする愚をお許しください。ロクサーヌさまがおっしゃる父とは、ロリンズではない方のことでよろしいでしょうか?」
貴族の娘として何不自由なく育ったコーデリアだが、少しばかり特殊な生まれをしている。異質、と言っても良いだろう。
ロリンズ家当主である母はコーデリアを含めた四人の子持ちだが、その子どもたちの父親はひとりではない。かつて母には配偶者候補が三名充てがわれていて、その内のひとりがコーデリアの実父だ。その名をジョージ・マッケイという。
歴史ある豹の一族で、見目が良く血筋だけは確かだが、性根の腐った碌でもない人物だ。コーデリアが産まれた際に愚かにも暴言を吐いて、それが原因で母から絶縁を言い渡されている。
しかし血の繋がりは容易に断ち切れるものではなく、それで実父はことある毎に傍迷惑な干渉をし続けている。
あの男のことだ。イライアスとの関係を知れば、余計な口出しをしてくるだろうことは想像に難くない。
内心の辟易した思いを肯定するように、ディグラント夫人が気遣う声音で言った。
「残念ながらマッケイさまの方です。……かの方に、イライアスとのことは?」
「あれは血の繋がり以外に関わりのない方です。これまで私の個人的な話をしたことも、しようと思ったこともありません」
そう切り捨てるように告げる。
コーデリアの親を親とも思わない口振りに、だが夫人は当然とばかりに頷いてみせた。
「マッケイさまがロリンズさまのご不興を買った一件は、わたくしたちもよく存じております。同じく子を持つ親として、到底許せるものではありません。ましてやロリンズさまの御心を煩わせるなど言語道断。邪魔な芽は早々に摘み取るべきです。ですから警戒対象として、以前より目と耳を張り巡らせておりましたの」
さらりと恐ろしいことを言って、ディグラント夫人は微笑む口元に手を当てる。
「あの方には親しいご友人がたくさんいらっしゃるでしょう? 中には口の軽い方もいて、それでとても興味深い話を聞かせていただきました。なんでもマッケイさまのご息女は近々、いずこかの素晴らしい家の方と縁付かれるのだとか。ご息女にはイライアスという恋人がいらっしゃるのに、とても奇妙なお話ですわね」
「それは――実に興味深い話です。あれが実子と認めている娘は私ひとりきりのはずですが、縁談の話など聞いたことがありません」
「ええ、本当に。ロリンズさまも大層呆れておいででした。ですが王宮にオーサントの客人を抱え込んでいる現状、ささやかであっても波風を立てるわけには参りません。それでわたくしが伝令役と、後方支援を買って出た次第です」
予想外の言葉に、コーデリアは目を瞬かせる。
「母もこのことを?」
「もちろん、把握していらっしゃいますよ。コーデリア卿と愚息の件が耳に入って、すぐにご挨拶に伺ったのですけれど、その時にわたくしからお話させていただきましたから」
さすがは武勇の家、ディグラントの奥方である。機を見るに敏を絵に描いたような行動力だ。
「今回の件に関してのみ言えば、イライアスには良くやったと褒めてやらねばなりません。こうしてコーデリア卿とお話しする機会を得て、そのうえ大手を振ってお役に立てるのですから」
コーデリアは困惑の目を夫人に向けた。
そもそものきっかけから考えると、ずいぶん大事になっているような気がする。
「お心遣いには感謝しますが、ロクサーヌさまをロリンズの事情に巻き込む訳には参りません。そのお気持ちだけ、ありがたく頂戴したく思います」
「まあ、遠慮なさる必要はありませんのよ。これはディグラントに売られた喧嘩も同然なのですから。狩りは我が一族の得意とするところ。獲物を追い詰める群れの優位性というものを、ぜひともコーデリア卿にお見せしたく存じます」
つまり申し出を断ることは不可能であるらしい。
コーデリアはそれと気取られない程度の溜め息を吐いてから、苦笑の含んだ声音で言った。
「……ではここはおとなしく、ロクサーヌさまのお言葉に甘えるとしましょう。ああ、そうだ。この件についてイライアス――ご子息と話をしても構いませんか?」
「どうぞコーデリア卿の良いように使ってやってくださいませ。慎重が過ぎるきらいのある息子ですが、卿に降りかかる火の粉を避ける程度には、お役に立てるでしょう」
夫人がたおやかに微笑ったところで、ノック音が響いた。部屋に控えていた執事が扉に向かうのを目で追うと、ディグラント夫人が声に呆れを滲ませて言う。
「堪え性のない息子で、お恥ずかしい限りです。待てと言っておいたのに、聞く耳すら持たないとは本当に嘆かわしい」
そう溜め息を吐いたところで、無遠慮に扉が開いた。現れたのはイライアスで、不機嫌そうな顔をした彼は、コーデリアを見て僅かに表情を和らげた。
大股に部屋を突っ切って、夫人を見下ろして溜め息混じりに言う。
「――母上。私に黙ってコーデリアを連れ去るのは、止めていただけませんか」
「許しを得るより前に、部屋に入るとはなにごとです」
咎める声で言って、ディグラント夫人は呆れた顔になる。
「そもそもコーデリア卿をお招きしたのは、このわたくしなのですよ。大切なお客さまを厚くもてなすのは当然のことでしょう。それを狭量にも母に対して悋気を見せるなど、恥ずかしいとは思わないのですか」
「小言は結構。それよりもコーデリアは返して貰います。ただでさえ無理を言って付き合わせていると言うのに、これ以上引き留めれば明日に差し支える」
コーデリア、と言ってイライアスは手を差し出した。
「すまなかったな。寮まで送ろう」
手を取る前に夫人に視線を向ける。目が合うと夫人は口元に笑みを浮かべ、いたずらっぽく片目を閉じてみせた。
むっつりと唇を引き結ぶイライアスと、明るく愉しげなディグラント夫人と、並ぶ顔立ちに似通うものはあるのに、中身はまるきり正反対だ。思わず吹き出しそうになった笑みを飲み込んで、コーデリアは夫人に向かって軽く頭を下げた。
イライアスの手を借りて立ち上がる。
「ロクサーヌさま、今宵はお招きくださってありがとうございました。この御恩はいずれ改めて、些事の片付けが済んだ後にさせてください」
「その必要はありません――と言いたいところですけれど。コーデリア卿とまたお会いできるのでしたら、全力で食らいつかねばなりませんね。わたくしはロリンズさまの信奉者であると同時に、ご息女であるコーデリア卿を崇拝しておりますもの。ですから卿にお声掛けいただけるのを、一日千秋の思いでお待ち申しあげております」
素晴らしい微笑み浮かべて言う夫人に、隣でイライアスが苦い顔をしている。
コーデリアは笑いを噛み殺しながら礼を取り、イライアスに急かされるようにして客室を後にした。