思いがけない協力者 2
寮を出た目の前に、二頭引きの箱馬車が停まっている。コーデリアはイライアスにエスコートされながら、従者が開けてくれた扉から馬車に乗り込んだ。
それに続いたイライアスが椅子に腰掛けると、すぐさま馬車が滑らかに走り出す。
さすがはディグラント家と言うべきか、板バネの利いた車体は素晴らしく乗り心地が良い。御者の腕も良いようで、石畳を進む蹄の音には一分の乱れも無かった。
軽快に響くそれに耳を傾けながら、コーデリアは隣のイライアスに問いかけた。
「今日の晩餐会に参加するのは、結局のところ何人になったんだ?」
「二十名ほどだ。急な話だっただけに、予定を合わせられない者が多かったからな。ただ奇妙なことに、いつにも増して女性の参加が多い。中にはパートナーが不在でも来る、と言っている者もいるそうだ」
「……それってもしかして、おまえの御母堂と同世代の方か?」
イライアスが不思議そうにコーデリアを見る。
「そうだが、なにか心当たりでもあるのか?」
「うん、まあ、ちょっとな」
言ってコーデリアは微苦笑を浮かべた。
「私の母が、王室護衛騎士なのは知ってるだろう? 身内の自慢をするようで面映ゆいんだが、母は王妃さまのお気に入りなんだ。だから公務や社交の場では、ほとんどと言って良いくらいに側近に着いている。つまり御婦人方や、御令嬢方の目に付く機会も多くなるってことだ」
「俺も公務の席で、何度かお見かけしたことがある。女性を評するに相応しい表現ではないのだろうが、覇気のある方だったな」
コーデリアは苦笑を深くする。
「うん。つまり母はああいう見てくれだから、御婦人方に人気があるんだ。実際、母が叙任されて以降に社交デビューした御令嬢の大半は、私の母に初恋を捧げたらしい。恐らくおまえの御母堂もそうだったのだろう」
「……は? いや、ちょっと待て。初恋?」
「男のおまえには少し理解が難しいかもしれないが、女性は恋に夢を見るものだからな。しかもデビュタントたちは、あの年代特有の潔癖さを持っている。だからむくつけき男性よりも、凛々しい女性の方が好まれやすいんだ」
恋に恋する乙女たちにとって、コーデリアの母は正に理想的な相手だった。
高い身長に、長い手足。顔立ちは中性的で、髭のない肌は滑らかだ。甘さや華やかさに欠ける風貌だが、さりとて男臭さは微塵も感じさせない。加えて意匠に男女の差がない騎士お仕着せは、体つきの女性らしさを覆い隠してしまう。
腰に剣を佩き颯爽と立ち、王妃の側近に控えるその姿は、当時の御令嬢たちの心を根こそぎ浚っていったという。
「実を言うとディグラント夫人には、一度だけお会いしたことがある。私の社交デビューの舞踏会で、ありがたいことに声を掛けてくださったんだ」
「それは、初めて聞く話だ」
「私もつい最近まで忘れてたからな。母の信奉者だという方々に話しかけられ過ぎて、あの時は顔と名前を一致させることも出来なかった。今になって思い返して、ああ、そう言えば、って感じだ」
「……記憶に残っているということは、なにか余計なことをしでかしたのだろう。すまない、今回の無茶な招待のことも含めて、よくよく母には注意しておく」
親のすることに複雑な感情を抱いてしまうのは、どこの家でも同じであるらしい。
苦々しく言うイライアスに微笑って、コーデリアはひらりと手を振った。
「その必要はない。デビューの時は丁寧な挨拶を頂いただけだし、今回のことだって興味の対象は私の母だろう。こういうのは、別に珍しいことじゃないから気にするな」
「だとしても迷惑を掛けたことに変わりないだろう。おまえの休日を潰して、挙げ句に夕食を共にする機会を失ったのも気に食わない」
「ん? ――ああ、そうか。おまえの手料理を、二度も食べ損ねたことになるのか。それは確かに惜しいことをしたな」
しみじみ言うと、イライアスが嬉しそうに微笑んだ。
イライアスはコーデリアの手を取り、目の高さまで持ち上げると、恭しく指先に口づけた。
「ならばすぐに次の機会を設けよう。今まで以上に腕によりをかけるから、楽しみにしてくれ」
「……財布に無理のない範囲で頼む」
しかつめらしく言ったところで、馬車が軋みを立てながら止まった。
どうやらディグラント邸に着いたらしい。ややあって扉をノックする音がして、イライアスは惜しむ風情でコーデリアの手を放した。
従者が開けた扉から先ずイライアスが降りて、エスコートされてコーデリアもそれに続く。手を引かれながら見回す広い前庭は煌石灯で赤々と照らされて、車寄せの脇には幾台もの馬車が整然と停められていた。
並ぶ馬車から馬は既に外されていて、聞けば屋敷の裏手に厩舎と馬場があると言う。街中にあるには御大層な設備だが、いざ国難があれば駆け付けるのに必要不可欠であるらしい。
さすがは武門の名家ディグラントである。
感心しながら屋敷に足を踏み入れると、イライアスが玄関ホールで立ち止まった。彼の視線を追った先、濃緑色のドレスを着た貴婦人の姿がある。
優雅な足取りで近付いてきたその貴婦人は、コーデリアを見て表情を輝かせた。
「ようこそおいでくださいました、コーデリア卿。ディグラントが妻、ロクサーヌでございます。急な招きにも拘わらず応じてくださって、深く感謝いたします」
貴婦人のお手本のような礼をするディグラント夫人に、コーデリアも丁寧に膝を折った。
「こちらこそ、お招きくださってありがとうございます。以前お会いした時は、禄にお礼も出来ず申し訳ありませんでした」
「まあ、覚えていてくださったのですか? コーデリア卿のデビューの貴重な瞬間に、ご挨拶が出来ただけでも光栄と思っていましたのに。お礼までいただけるなんて、ああ、どうか一生の記念にさせてくださいな」
貴婦人らしく上品に、だがぐいぐいと来る圧が凄い。
内心で苦笑していると、隣でイライアスが溜め息を吐いた。
「……母上。久し振りに帰った息子を無視するのは止めてください。コーデリアも、あまり母を構わないでやってくれ。調子に乗って止まらなくなる」
イライアスのうんざりとしたぼやきに、ディグラント夫人が眉をきりりと吊り上げる。
「なにを愚かなことを言うのです。帰って来いと言われるまで家に寄り付きもしない、おまえのような情の薄い息子よりも、コーデリア卿にご挨拶する方が大事に決まっているでしょう」
「コーデリアを大事と言うなら、こんな場所で長々と引き止めないでください。――アーサー、コートを」
ディグラント夫人の傍に控えていた男性に、イライアスが声をかける。促されてコートを従者らしき男性に手渡すと、すぐさま腰にイライアスの腕が絡みついた。
「晩餐まで、まだ少し時間がある。待合室は用意してあるが、どうする。暇潰しに屋敷内を案内しても構わないが」
「イライアス! 母を無視するとは何ごとです!」
話は済んだとばかりに歩き出すイライアスに、ディグラント夫人は柳眉を吊り上げている。
とは言え本気で怒っている訳ではないのだろう。
それを証左に振り返るコーデリアと目が合うと、夫人は一転して優雅な貴婦人の笑みを浮かべてみせた。それに目礼を返して、コーデリアはイライアスに視線を向ける。
「……話の途中だったのに、良かったのか?」
「気にするな。ああでもしないと、無駄に話が長くなるばかりだ。なにより母が若い娘のようにはしゃぐ姿は、正直言って見るに堪えない」
「そうか? 私からしてみると、とてもお可愛いらしい方だと思うんだが」
コーデリアにとって母親とは、近くて遠い存在だ。
滅多に家に寄り付くことはなく、その身と剣は常に王家へと捧げられている。頼もしくはあるが厳しい人で、コーデリアには母に優しく甘えさせて貰った記憶がない。
注いで貰った愛情を疑ったことは無いが、一般的なそれとは随分とかけ離れているものだと思う。それに比べればディグラント夫人は、コーデリアが思い描く母親像そのものだった。
お節介で少し厳しく、優しくて温かい。コーデリアの声には少なくない羨望が混じっていたが、イライアスはそれに気付くふうもなく溜め息を吐いた。
抱いていた腰から手を離して、代わりに腕を差し出して言う。
「それで、どうする。時間潰しならロングギャラリーをお勧めするが」
「ディグラント家のギャラリーか。それはなかなか見応えがありそうだ」
コーデリアは頷いて、イライアスの肘に手を添えた。