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はた迷惑な侵入者 1

 目覚めたばかりの太陽が、鬱蒼とした木々の縁を淡く照らしている。秋の分点日を間近に控えて夜は随分と長くなったが、明けて指す陽射しは未だ夏の気配を濃く残している。茂る葉を透かす朝日が、寝不足気味の目に眩しい。コーデリアがそれから逃れるように視線を上にやると、青々と茂る緑の向こうに淡藍色の空が見えた。

 雨季のベルサリウスには珍しい、雲ひとつ無い晴天である。絵に描いたような行楽日和だが、あいにくとコーデリアには出掛ける予定も相手もいなかった。用事らしい用事と言えば、溜まった洗濯物を片付けることくらいで、休日の過ごし方としてはなかなか虚しいものがある。さりとて安息日でもないのに友人を呼び出しては、ただ迷惑をかけるだけだろう。

 不規則な勤務形態は騎士の常ではあるが、こんなふうに友人や知人と縁遠くなっていくのかもしれない。コーデリアは内心で苦笑してから、知れず止めていた歩みを再開させた。

 神殿を最奥に抱くガレアンの森は、静謐な空気をたたえてしんと静まり返っている。聞こえるのは鳥の鳴き声と葉擦れの音ばかりだったが、そこに混じる微かなものに気づいてコーデリアは眉根を寄せた。

 気配を殺しつつ足を速め、耳をそばだてる。

 人と豹との二形を持つコーデリアは、人の姿を取っていても尚、鋭い聴力を有している。歩を進めるごとにそれがはっきりと耳に届いて、コーデリアは覚えず眉間に深く皺を刻んだ。

 人の話し声だ。

 男性と女性のふたり分、声は抑えているものの明らかに言い争う雰囲気がある。大声で話をする侵入者など無いだろうが、とはいえ不審者であることには変わりない。コーデリアは小路から外れて木々の合間に身を潜ませると、長剣の柄に手をやった。

 足音を立てずに近づいて、だが聞こえてきた声に思わず目を瞬かせた。

「イライアスさま、どうして分かってくださらないのです! わたくしはあなたの番、運命だと言っているではないですか……!」

「いえ、ですから……何度も申し上げておりますが、そのようなことを言われても困ります。レディ・アリシア、どうか部屋にお戻りください」

 声の調子だけを聞けば修羅場のそれだが、言っている内容の意味がさっぱり分からない。とは言え警戒するような事態ではないことは明らかで、それでコーデリアは剣の柄から手を離した。

 茂みを掻き分けるようにして姿を現すと、言い争っていた男女が弾かれたように振り返った。

 見覚えのある片方の男性に、おや、と思いながらコーデリアは告げた。

「ここは主神ベリサの聖域、許可無き者は足を踏み入れることは許されていない。今すぐに立ち去ることだ。警告に大人しく従うなら、命まで取りはしない」

 そう言うと見覚えのない方、レディ・アリシアと呼ばれていた少女が不満そうに顔を歪めた。勝ち気そうな顔をつんと上げて、居丈高に言う。

「聖域? ただの森ではありませんか、ばかばかしい。どこのどなたかは存じませんが、わたくしの邪魔はなさらないでくださいませ」

「……レディ・アリシア、お願いですから口を謹んでください。ここは禁足地です。礼を失し無断で立ち入れば、罰として首を落とされても文句は言えません。そう説明されたのをお忘れですか?」

 焦りの感じさせる声で言って、見覚えのある方の男性はコーデリアに向き直った。

「――すまなかった、自然公園を抜けようとしている内に、いつの間にか紛れ込んでしまったらしい。だが、ここで会えたのがおまえで助かった、コーディ(、、、、)

 いやに馴れ馴れしい口調に、思わず眉根を寄せる。

 所属は違えど彼も同じ騎士、それも士官学校の同期であるから、一応は見知った相手である。イライアス・ルーサー・ディグラント、古い一族である狼の獣人だ。その見目の良さと血筋と腕とを買われて、近衛騎士団に抜擢された精鋭である。だがこれまで気安い態度を取られたこともないし、ましてや親しげに愛称を呼ばれるような間柄でもない。

 コーデリアは訝るような視線を向けたが、イライアスはそれをまるきり無視して続けた。

「言い訳は後でさせてくれ。ひとまずは急ぎ森を出たい。迷惑を掛けてすまないが、道案内を頼めるだろうか」

 聖域であるガレアンの森には、迷いの守護が張り巡らされている。許しを得ずに立ち入れば、たちまち惑わされて道を見失う。ベルサリウスに住まう者なら誰でも知っている常識だ。歩きを覚えたばかりの子らが、真っ先に親から学び教わることでもある。それでも意図せず森に立ち入り込んでしまう迷子は、年に幾人かは必ず現れる。その対処も神殿騎士であるコーデリアの大事な仕事のひとつだった。

 明らかに迷子とは言い難い侵入者ふたりに、思うところはあるのだが、追い返せるなら道案内もやぶさかではない。

 コーデリアは小さく息を吐いてから、迷子ふたりに視線を当てた。

「……案内します。はぐれないよう後を着いてきてください」

 言って踵を返す。

 ついてくる背後の足音を聞きながら、藪をかき分けて森の中を進んでゆく。

 立ち入る物すべてを惑わす森だが、女神の祝福を得ているコーデリアには慣れ親しんだ庭も同然だ。それで迷うことなく森の中を進んでいると、背後から弾む呼吸混じりの声が響いた

「……ねえ、あなた。その恰好なのだから、あなたも騎士なのよね?」

「ええ、神殿騎士を拝命しております。コーデリア・ディ・ロリンズと申します、レディ」

「なによ、とんでもない無礼者かと思ったら、ちゃんと礼儀を知っているじゃない。それで、あなた。あなたってイライアスさまの恋人でいらっしゃるの?」

「……はい?」

 すこぶるにつけ奇妙なことを訊かれた気がする。

 思わず視線を背後にやると、イライアスがあからさまに焦った顔でコーデリアに視線を注いでいた。頼むから話を合わせてくれ、と言わんばかりのその必死な様子に、コーデリアはひとまず返答を避けて言った。

「どちらのお嬢様かは存じ上げませんが、見ず知らずの相手に訊くことではないと思いますよ」

「まあ、騎士なのにわたくしのことを知らないの? わたくしはアリシア・ハイド。オーサントの由緒正しき伯爵家の娘よ。国王陛下の命で、オーサントがベルサリウスに留学生を出したことは知っているでしょう?」

「……では、あなたがその?」

「ええ、そう。わたくしが選ばれたうちのひとり。そしてイライアスさまの番、運命の相手よ」

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