表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

嫌なことがあった日に読んで欲しい物語

作者: 海那 白

 嫌なことや辛いことがあった日も、元気を出すことができるような、自分の悩みをちっぽけに思えるような、今日に希望をもって明日から明るく生きていけるような、そんな物語をめざして書いたものです。

 嫌なことがあった人でも、なかった人でも、この物語を読んで、少しでも元気を出してくれたなら、僕にとってそれ以上に嬉しいことはありません。

 悩みなんてないほうがいいのですが、生きているだけで悩みが絶えることはありません。

 誰もが悩みをもっているのです。

 あなたにとっての今日が、少しでもいい日でありますように。

 僕は、それだけを願っております。


 それでは本編をお楽しみください。

 冷たい雨が、降っていた。

 行く宛もなく、私は歩いていた。

 いや、行く宛はあった。

 ただ、そこに行く勇気がないだけだった。

 でも、今日こそは行こう。


 私は、バーが降りていく踏切の中へ入り、立ち止まる。

 電車が、一定のスピードで近づいて来る音がする。

 大丈夫。

 この踏切は、駅からも遠く、スピードも遅くはない。

 ブレーキをかけたとしても、止まることができない。

 このまま私が動かなければ、そのまま楽になれる。

 

「おねえさーんっ!」


 小学生の男の子だろう。

 私のことを呼んでいるのか?


 そう思って振り返ると、ランドセルを背負った男の子が体当りしてきた。

 私は、驚きに目を見開いた。

 なぜなら、その子が私の代わりに、電車に弾かれていたからだ。

 目の前で、血しぶきが上がる。

 私は、踏切のバーに背中から思いっきり当たり、目の前を電車が通過していく。

 その度に、ギギギギというブレーキ音とともに、飛び散っていく血しぶきが上がる。

 

 なんで?

 なんで私じゃなく、あの子が犠牲にならなきゃいけないの?

 なんであの子は私をかばったの?


 電車が通り過ぎると、そこには…………あの子が血だらけになって倒れていた。

 手足がありえない方向に曲がっていて、臓物がむき出しになっていて、元の人型の原型をとどめていなかった。

 ひどくなりゆく雨だけが、あの男の子の体に触れていた。

 

 やがて、救急車が近づいて来る音がした。

 今の一部始終を見ていた誰かが呼んだのだろう。

 救急車が近くに止まると、中から担架を持った救急隊員たちが出てきて、男の子を救急車の中へと運び込んだ。

 救急隊員たちのうちの一人が、私に話しかけてきた。


「ご無事ですか?」

「……はぃ」

「立てますか?」


 そう言って右手を差し出されたから、ありがたくそれに私の右手を乗せさせてもらい、立ち上がる。

 そしてそのまま、救急車に乗らされた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 救急車の中の椅子に、座らされていた。

 カタコトという揺れが、怖いくらいに気持ちがいい。

 私は、ぼーっと考えていた。


 私は、なんでまだ生きているんだろう。

 あの子は、なぜ私をかばったのだろう。

 なぜあのベッドの上にいるのは、私ではないのだろう。


「おねえさんっ」


 あの時と同じ、男の子の声がした。

 でも、周りを見ても、なんど見回しても、誰もいない。

 さっきから私の頭の中に響いてるこの声は、いったい誰が、どこで発している声なのだろうか。


「なんで踏切の中にいたの?死んじゃうよ?」


 危機感も何もないきょとんとした声でそう聞かれたから、思わず驚く。

 でも、この気持ちを告げずにはいられなかった。


「……死にたかったから」

「なんで?なんで死にたいの?」

「もう、生きていたくないから。こんな世界なら、死んだほうがマシだから。私が、死ぬべき人間だから」

「なんでそう、言い切れるの?」


 私は、少しいうのをためらった。

 声に出して、気持ちのよくなる話ではなかったからだ。


「僕はね、お姉さんに生きていて欲しいんだ」

「なんで、そう思うの?」


 分からない。

 あの男の子が私を助けた理由なんて、何も。

 私が死なない理由なんて、何も。


「僕のお父さんが、僕をかばって死んだんだ。だから僕、もう、一人ぼっちなんだ」


 返す言葉に、困る。

 だって、そんなこと……。


「お、お母さん……は?」

「分からない。生まれた時から、いなかった。だから、僕のお母さんが誰なのか、どんな人なのか、なんにも、分からない」

「じ、じゃあ、なんで私をかばったの?」

「もう僕は、目の前で人が死ぬ光景を見たくないんだ」


 そんな理由で……。

 助ける価値もないこの私を、そんな理由で……。


「なんでそんな理由で……。私なんか、助ける価値もないような人間なのに……」

「価値なんか、関係ない。僕は、お姉さんを助けたかったから助けたんだ」

「だからって……」

「僕は、お姉さんにこの先の人生を、笑って過ごして欲しいんだ」


 笑う……?


「お姉さんは、踏切の中にいる時、笑っていなかった」


まあ、そりゃ……笑えないでしょ。


「お父さんは、僕が信号を無視して飛び出したばかりに死んじゃったんだ。僕が……僕が、お父さんを殺したんだ。僕は、ごめんなさいって気持ちでいっぱいだった。なのに、お父さんはその時、死ぬとき、「お前を守って死ねて、よかった」って言って、笑ったんだ。だから……だから僕も、お父さんみたいに誰かを守って、笑って死にたいんだ。それに、個人的に、笑った死んだほうが、幸せな気持ちで死んだほうが、いいと思うから」


 いいな。

 そんな、お父さん。


「だからさ、おねえさん。……笑ってよ。僕は、「なんで」より「ありがとう」って言葉のほうが嬉しい」

「私は、死にたかったの。助けて欲しくなかった」

「え……でも……」


 なんて言えば納得してくれるだろうか。


「私……私ね、裏切られたの。全てに。両親が「お金に困ってるから、お金を貸してほしい。絶対に利子をつけて返す」って言ったから貸したのに、返してくれる前に死んじゃった。友達なんか一人もいなかったし、夫は一人だけいたけど、子供だけ作らせて、作った子供を連れて逃げちゃった。会社も、ちゃんと産休・育休くれるって言ったのに、もらったとたんに会社を辞めさせられた。」


 いつの間にか、目からはポロポロと生温かい涙が流れていた。


「みんな、信じてたのに、裏切られた。こうなるなら、信じなきゃよかった。どうせ、私はみんなに裏切られるような存在なんだ。こんな世界なら、私、生きていたくない。死んじゃったほうが、マシだ」

「ぼ、僕は……」

「まあ、こんな気持ち、小学生にはわからないよね。ごめんね。変な話しちゃって」

「変な話なんかじゃないっ!」


 いきなりの大声が、頭の中に響いた。

 驚いて、私は少したじろいでしまった。


「僕には……僕にはおねえさんの気持ちは分からない。でも、お姉さんのその話が変な話じゃないことくらいは分かる」

「……そんな」

「だっておねえさんは、その時、全力だったんでしょ。一生懸命だったんでしょ。頑張ったんでしょ。だったらそれだけでいいじゃん。十分だと思う。そんな努力を変な話とか言っちゃいけないよ。少なくとも僕は、そう思う」


 初めて、そんなことを言われた……。


「おねえさんがやったことは、間違ってなんかいない。おねえさんは、何も悪くない。おねえさんは、生きる価値がなくない。おねえさんは、この世界に生きていていい。それは、このぼくがほしょーするっ」


 私はまだ、生きていてもいいの……?


「だからさ、生きてよ。笑ってよ。じゃないと、僕がおねえさんをかばって死んだ意味、なくなっちゃうじゃんか。それにさ、やっぱり僕、おねえさんに生きていてほしい。笑ってほしい」


 誰かに、似てる気がする、この子……。


「あの、あなたのお父さんの名前は?」


 彼が言ったその名前は、私の、夫の名前だった。 

 ということは、この子は……


「あ……あなた、は……私、の……!」

「え、おねえさん、僕のお父さんの名前、知ってるのっ?」

「知ってるもなにも、私の、元夫の名前」

「え、てことは……おねえさんは、僕のお母さん?」

「そう、なんだね……」


 私はもう、ここが救急車の中だということを忘れていた。


「はじめましてっ、お母さんっ。最後にお母さんと会えてよかったよ。お父さんには守られちゃったけど、お母さんは守ることができてよかった。だから、ありがとう、お母さん」

「ううん。こちらこそ、守ってくれてありがとう」


 私はその瞬間、その子を、私の息子を抱きしめたい気持ちでいっぱいだった。

 その子が実体化していないことを悔やんだ。


「あ……僕、もう行かなきゃいけない」

「え……」

「ごめんねお母さん。本当はもっと、ううん、これからもずっと、一緒にいたかった。一緒に生活してみたかった」

「じゃあ、なんであなたは死んじゃったの?」

「僕は、お母さんを守って死んだことに後悔はしてないよ。僕は、一番好きな方法で死ねたんだから。それに、いつかは死ぬんだし。それがさっきだったってことだけ。だから僕は、死ねてよかったよ」

「……うそ」

「嘘なんかじゃないよ。僕の命を無駄にしないでなんて言わない。ただ僕は、僕のしたいことをしただけ。そこに後悔なんて文字はない」


 私は、いつだって後悔してばっかだった。

 でもそれは、私がやりたいことをしただけ。

 やりたかったことなんだから、そこに後悔という文字はないんだ。

 じゃあ、私は、今までなんでこんなにも悩んでいたのだろう。

 なんで私は後悔していたのだろう。

 今、私はそう思う。

 ううん。

 だからこそ、私はそう思う。


「ありがとう。最後にあなたに会えてよかった。あなたの顔を見ることができてよかった。あなたと話すことができてよかった。本当に、ありがとう。私を助けてくれて、ありがとう。私、これから生きるよ。笑って、生きるよ」


 私はそう言って、笑ってみせた。

 今までで一番だと思える笑顔で。


「ありがとう、お母さん。最後にお母さんの笑顔を見れて良かった。さようなら」

「うん。さようなら」


 私はなぜか、すがすがしい気分になれた。

 そして…………

  

 生きたい

 

 と思った。

 

 ありがとう。

 あなたのおかげ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 悲しさが和らぎますね [気になる点] …強いて言うなら子供の口、達者すぎかな? [一言] ほっこり、とはまた違うがそこはかとない安堵と儚さの残る物語 母親が子供と一緒に笑い合ってるような…
2020/11/14 12:11 退会済み
管理
[良い点] 少し悲しいですが、運命的な繋がりを感じさせるストーリーでした。 借金や育休などの社会問題を絡めてあることで、リアリティも感じ、より胸に迫るものがありました。
[良い点] 凄い…ストーリーラインから伏線の繋がりまで全てが綺麗で感動しました。自分はなんのために生きるのか、この瞬間、彼女にも読んだ僕たちにも生きる意味が付与されたような気がします。感動をありがとう…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ