薔薇の丘
月日が経ち、私が二十五のときの夏の終わり、薫様に呼ばれました。
またご友人の庭を手入れしてほしいと言われるのかと思っていたら、「有島から連絡がありました」と言われたの。
「あなたに会いたいそうよ」
いまさらどうしてと思っていたら、薫様は「落ち着いて聞きなさい」と言葉を続けたの。
「跡継ぎの息子さんが亡くなったそうです」
薫様の言葉に、私は衝撃を受けたわ。
家を出たままかもしれないし、和解して真琴さんと共に家に帰ったかもしれない。どちらだとしても、若様は真琴さんと家庭を築き、きっと幸せに暮らしていると思っていたから。
亡くなったなんて、とても信じられなかったわ。
翌日、私は有島の家を訪ねました。
七年ぶりに訪ねた有島のお屋敷を見て驚いたわ。ずいぶんと荒れていたの。人が住んでいないようにさえ思えたわ。
訪ねた私を、有島の人は涙を流して出迎えてくれた。「立派になったな」「元気そうでよかった」て、まるで娘か孫が帰ってきたみたいに喜んでくれた。
それは、御当主様と奥様も同じだったわ。
「……ごめんなさいね」
丈部の名代としてのお悔やみを申し上げた私に、奥様はやっとのことで声を絞り出しておっしゃられた。両の目から涙をこぼし、何度も私に謝ってくださった。
私がハンカチで奥様の涙を拭うと、奥様は私の手をとって大声で泣き出してしまったわ。それを見て、恨みも何もなくなったの。どうしてかしらね、奥様のせいで酷い目にあったのに。
「戻ってくるのが遅くなり、申し訳ありません」
私の口からは自然とそんな言葉がもれて、気がつけば奥様と抱き合って泣いていたわ。
……ごめんなさい、あの時のことはあまり話したくないわ。私と有島の奥様だけの、内証話にさせてちょうだい。
ああ、でも一つだけ。
その日、私は有島の家に泊まったのだけれど、庭に出て本当に驚いた。完全に荒れ果てていたの。
「庭は、住む者の心を表すんだ」
師事していた庭師の親方はいつもそう言っていた。だから、その庭を見て心が締め付けられた。これが有島の人の心だとしたら、放っていていいわけがない。私に人の心を癒せるかはわからない、でも庭を美しくすることならできると思ったわ。
だって、私は庭師ですから。
庭を美しい姿にするのが仕事。庭師の誇りにかけて、この庭を蘇らせようと決めたわ。
「ええ、そうよ。こんな庭、いけないわ。そうですよね、おじいさま、若様」
それが、有島に受けた恩を返すために私がやるべきこと。
何年かかっても絶対にやり遂げてみせると思ったわ。
そうね、私が庭師として本当の意味で独立したのは、その時だったかもしれないわね。
◇ ◇ ◇
そこは、閉鎖された鉱山を中心としたさびれた町だったわ。
山は荒れ果て、花はおろか草木もまばら。乾いた土とゴツゴツとした岩石が転がる山道をなんとか登り切り、私はようやく目的地に着いたの。
「素敵」
肩で息をしながら、私は笑いました。荒れ果てた丘の上に小さな花壇があって、ノイバラがたくさん咲いていた。素朴だったけど、とても美しく咲いていたわ。
私は花壇の前にしゃがみました。花に埋もれて小さな石があり、その石には二つの名前が刻まれていた。
若様と真琴さん。二人の名よ。
「若様、真琴さん。遅くなりました」
そのさびれた鉱山の町が真琴さんの故郷。そこで生まれ育った真琴さんは、事故で家族を失った後、私が住む町へ来て園芸を学んだ。若様と出会って恋に落ち、その恋が認められず仕事も失った彼女は、この町へ戻ってきたの。
若様は、そんな真琴さんを追いかけて行き、そこで一緒に暮らしたの。
真琴さんは、その荒れた地に緑を取り戻そうとしていたわ。若様はその町で子供に勉強を教えながら、真琴さんが夢を叶えるのを助けようとしていた。それがどれだけ困難なことか、庭師である私にはわかったわ。
「とても仲の良い夫婦だったよ」
若様と真琴さんをよく知る人はそう言っていた。決して裕福ではなかったけど、きっと二人は幸せに暮らしていたわ。だって、誇りに思える仕事をしていたのだから。
「若様、真琴さん。これ、お屋敷のお庭で咲いた薔薇の苗です」
私は持参した薔薇の苗をお墓に埋め、代わりに、咲いていたノイバラを摘んだの。
「少し貰っていきますね。ふふ、ノイバラですから、植えたら庭を占領しちゃうかもしれませんね」
気がついたら泣いていたわ。泣くまいと思っていたのに、やっぱりダメだった。
若様と真琴さんは、若様の教え子である子供達を山崩れから守るために命を落としたの。それはきっと誇らしいことなのでしょう。有島の家の者として、血はつながらなくとも妹のような者として、若様とその奥様である真琴さんの勇敢な行為は、誇りに思うべきことなのでしょう。
でもね、私はとても悔しかったわ。
「いけませんよ……死んじゃ、いけませんよぉ……」
生きて帰りましょうよ。帰りを待っていた人がたくさんいたんですよ。私だって待っていたんですよ。私が立派な庭師になれたことを自慢したかったんですよ。子供を助けたことは尊いですけど、助けた子に重荷を背負わせちゃダメじゃないですか。
「なんで……なんで、帰ってきてくれなかったんですか……真琴さんと一緒に、帰って来ればよかったじゃないですかぁ……」
誰もいない花壇の前で、私は恨みつらみを吐き出し、大声で泣いたわ。
イケないな、三十路手前の女の泣き顔なんてみっともないよ。
そんな悪態でもいいから若様のお声をもう一度聴きたくて、私はいつまでも一人泣いたわ。
◇ ◇ ◇
若様と真琴さんのお墓を屋敷の庭に移すという話も出たけど、二人はあそこで眠る方がいいだろうと思い、そのままにすることになったわ。持ち帰ったノイバラはお屋敷の庭に根付いて、見事な花を咲かせてくれた。素朴で白く美しい花に、御当主様も奥様もとても喜んでくれたのよ。
その後、有島の家は養子を迎えたの。
本当は私を養女として婿を取る、という話が出たけれど、薫様が頑として許さなくてね。
「この子は丈部の養女にします」
薫様はそう宣言し、有島の奥様と丁々発止のやり取りよ。
最後は、私が丈部の養女となって、有島の家へ嫁に行く、ということでまとまったわ。当人である私の意見も聞いて欲しかったけど、あの二人を相手にやりあう気力はなくて。一旦話がまとまると物事は怒涛の勢いで進んで、もう後戻りできる状態でもなかったし。
でも、有島の家に迎えられた養子は、穏やかでとても素敵な人だったわ。私の事情はよく承知してくださっていて、温かく包んでくれるような人柄に惹かれたわ。
ええそうよ、あなたたちのひいおじいちゃんよ。とても素敵な人だったのよ。
男の子二人に女の子一人。
三人の子宝にも恵まれ、有島の屋敷は再び活気に満ちた賑やかなものになったわ。
その後も色々あったけど、一人じゃなかったもの、平気だった。
気がつけば子供も大人になって、孫が生まれて、曾孫が生まれて。その孫と曾孫があなたたち。私はとても幸せだわ。
はい、これが私が庭師になった理由よ。
少し悲しいけれど、素敵なお話でしょ?