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薔薇の花壇

 「イケない、これはイケないな」


 それが有島の若様の口癖だったわ。

 その口癖は若様のおじいさまから受け継いだもの。若様はおじいちゃん子でしたから、きっと口癖もうつったのでしょう。

 え、私もよく言う?

 そうね、若様には妹のように可愛がってもらったから、うつってしまったのね。


 雨がしとしとと降っていた、ちょっと肌寒い日だったわ。

 その頃私は有島の家で小間使いとして働いていました。若様は、確か掃除中に、わざわざ私のところまで来てどっかり腰を下ろし、「イケない、これはイケない」と言ったんです。

 若様がどういう人だったか?

 そうね、イケメンでしたよ。私より十歳年上で、背が高くてスラリとして、お顔も整っていたわ。白馬に乗った王子様という言葉があれほど似合う方もいないわね。

 あら、おませな子ね。ええ、若様が初恋の人ですよ。


 「はいはい、今度は何がイケないんですか?」


 私がお掃除の手を止めて聞き返すと、「庭だよ、庭」と言うの。


 「地味だ」

 「はあ……」


 その頃の庭は今とは違って、純和風庭園だったの。お庭の手入れはおじいさまがしていたから当然ね。それはそれで素敵だったけど、華やかさには欠けたわ。


 「もっと若々しい庭にしたい。私やお前がウキウキするような、ね。さあ考えるぞ」

 「お掃除の後じゃだめですか? 奥様に怒られるんですけど」

 「おふくろには言っておくから。ほら来い、私とお前の庭だぞ、お前も考えろ」


 恋している相手にそんなことを言われたら、ときめくに決まってます。私は「仕方ないですね」と言いつつ、ちょっとうきうきしながら考えたわ。


   ◇   ◇   ◇


 いろいろ考えているうちに本当の両親のことを思い出して、私は若様に「薔薇を植えましょう」と言ったの。


 あら、話してなかったかしら?

 私は七歳の時に、有島の家に引き取られたのよ。強盗に家族が殺されてしまってね、一人になった私をおじいさまが引き取ってくださったの。犯人は長い間見つからなかったけど、おじいさまが八方手を尽くして探し出し、警察に突き出してくれたわ。


 「お前の人生はまだこれから。あんなつまらぬ者にとらわれていてはいけない。恨みも悲しみも、すべてこの私に預けなさい」


 そう言って、おじいさまは私に仕事と教育を与えてくださったの。誇りを失わぬように仕事を、道に迷わぬよう教育を。いつもそう言って私を励ましてくださったわ。


 ああ、話が逸れたわね。

 私の本当の両親も庭いじりが好きで、お庭に小さな花壇を作っていたの。花壇には薔薇を植えていて、花が咲くととても綺麗だった。そのことを思い出したのよ。


 「薔薇か。華やかでいいな」


 若様も賛成してくださって、早速薔薇の花壇作りが始まったわ。

 だけど、これがうまくいかなくて。

 その頃は私も草花のことなんてほとんど知らなかったから、理由がさっぱりわからない。素人ではどうにもならない、てことで、有島の家に出入りしていた庭師に相談したの。


 そうしたら、花に詳しい若い者がいるから、て呼んでくれたわ。

 それが真琴さんよ。


 初めて会った時は「まずい」と思ったわ。だって、若様とお似合いの素敵な女性だったんですもの。十五の小娘だった私が太刀打ちできる相手ではなかったわね。なかなかにメンドクサイ性格の若様ともすぐに打ち解けて、日が経つにつれ若様が真琴さんに惹かれていくのがよくわかったわ。

 でも仕方ないわ、本当に素敵な人だったもの。

 草花を心から愛していて、花を愛で微笑む姿は見とれてしまうほど優しくて素敵だった。若様が魅了されるのも当然ね。草花のことなんて何も知らない私にも、薔薇の手入れ方法を一から教えてくれたわ。「あなたとても筋がいいわ」と言って、庭師として商売の種ではないかということまで教えてくれたのよ。


 そのうち、真琴さんが若様の奥様なら、きっと温かな家庭を築くだろうな、て思うようになってね。


 だから自分の初恋は早々に諦めて、若様と真琴さんの恋を応援することにしたわ。

 おかげで、なかなか行動しない若様にやきもきすることになったけど。本当に若様って恋愛事はダメだったわ。最後は私が尻を蹴り飛ばして告白させたのよ。


 結果? もちろん成功よ。


 二人が恋人になった頃に、薔薇の花壇も完成したわ。一年がかりの大仕事でしたね。ええそう、庭にある古い煉瓦の花壇よ。若様と真琴さんの初めての共同作業、と言ってもいいわね。

 まあ、若様ってほとんど何もしていないのだけれど。

 薔薇が満開になった時、若様も真琴さんもとても幸せそうに笑って花壇を見ていたわ。それを見ていた私もとても幸せな気分になったものよ。


   ◇   ◇   ◇


 でも奥様は若様と真琴さんの仲を認めなかったわ。

 真琴さんが、私と同じで、天涯孤独の身だったから。

 有島の家は旧家であり名家。跡取りである若様は、それにふさわしい嫁を迎えるべき。親もおらず出自もわからぬ女を嫁に迎えるなどありえない、て猛反対したの。


 あらあら、あなたが怒ってどうするの。


 そういう時代だったのよ。その頃、有島の事業がうまくいってなくて、よけいに奥様は意固地になられたのかもね。

 真琴さんは有島の家へ出入禁止になったわ。しかも奥様は、真琴さんを雇う庭師に圧力をかけて解雇させたの。何もそこまでしなくてもと思ったけど、私も拾われた身だから意見なんてできなかった。

 若様は、それはもうお怒りでした。まさに激怒ね。


 「仕事を、人の誇りを奪うような者を、家族と呼びたくはない!」


 若様は、真琴さんとの仲を裂かれたことよりも、真琴さんの仕事を奪ったことが我慢ならぬと、奥様と怒鳴り合いの喧嘩をしたわ。

 そこからはもう大騒動。

 若様は有島の家を出て真琴さんと暮らすと言うし、奥様は若様を部屋に軟禁して一歩も出させないようにするし。御当主様がなんとか取りなそうとしたけど、お互いに聞く耳持たぬという感じで、ほとほと困り果ててしまったわ。


 真琴さんは、若様と奥様の仲違いを、庭師の親方に聞いたのでしょう。

 その親方経由で、真琴さんから若様宛てに手紙が届いたの。その手紙には、自分が原因で若様が家族と仲違いしてしまったことを詫び、自分は故郷へ戻るから自分のことは忘れて家族と仲直りして欲しい、と書いてあったそうよ。


 「イケない……イケないよ、真琴。こんなのはイケないよ」


 真琴さんの故郷がどこなのかは書かれておらず、庭師の親方も知らなかった。追い掛けようにも、どこへ行けばいいかさっぱりわからなかったの。

 若様はそれから何日もじっと考え込んでいたわ。真琴さんの手紙のことは御当主様や奥様にも知られていたわ。別れを告げられて落ち込んでいるのだろう、はしかみたいなものだ、落ち着けば忘れるさ、なんて言われていたわね。

 でも私は、簡単に諦める若様ではないと信じていたわ。

 だって、私の家族を殺した犯人を何年もかけて探し出した、おじいさまの孫なのよ?


 ええ、私の思いは正しかったわ。


 若様が家を出たのは二ヶ月後。屋敷の誰もがもう諦めたのだと油断していたときよ。


 「すまない、お前も巻き込んでしまったね」


 夜明け前、そう言って出て行く若様を見送ったのが今生の別れとなったわ。

 それに、私が若様の家出を手伝ったことはすぐバレて、その二日後に、私も有島の家を追い出されてしまったのよ。

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