闇夜の熱
うだるような暑さだった。
シェイドは湿った服をおもむろに脱ぎ捨て、体に夜の風の爽やかさを感じながら
逸る心を抑えてゆっくりと泉に入った。
水温は人肌より少し涼しいぐらいで、激戦をくぐり抜けたシェイドにはとても心地良かった。
辺りを照らす蒼い月は故郷で見た輝きと寸分違わない。
「早く浴びようぜ、ルナ。気持ちいい」
静謐な空気の中、シェイドは濃厚な森の匂いを吸い込みながら言うと
「急かすなよ。結界張りを押し付けたのはそっちだろ」
月色の髪をしたルナが闇夜からゆらりと現れた。
「いつも張ってるのは私なんだから、本当に感謝しろよなシェイド」
「あぁそうだともルナ。俺がいつも安眠できてるのはルナのおかげ」
「そうだそうだ、もっと言え!」
ルナは得意そうな顔をしていたが、シェイドが見ているのに気づくと
「いやらしい目でみんな。あっち向いてろ」
と睨みつけてきた。
素直にあらぬ方向を向く。
ガチャガチャと重い鎧や飾りを外す音が聞こえてくる。
夜の森は変わらず闇深く、鳴き声一つない静けさが漂っている。
息を呑んで唾も飲む。
布がすれる音が止んで、ルナも泉に入ったのか柔らかな水音がした。
「はぁぁ 確かにいいね~ 火照った体が鎮まる鎮まる~」
「だろ?」
シェイドはルナを見て言う。
胸元から上の白い肌に水跡が走り艶めかしい。
肩から首筋にかけては…なんと言えばいいのか、
骨ばった硬さと肉が乗った柔らかさがコントラストを描いており、
指でなぞりたい造形美を湛えていた。
「これまでいろんなことがあったよな…」
「…そうだね」
ルナはシェイドの目線に物申したかったようだが
結局は何も言わずに相槌をうった。
「まずレンガと3人でカルナ村を出て、いきなりベリアルと遭遇しちゃったしね」
「そうそう~普通は王に会って、仲間が揃い、力つけてから初めて強いやつなのにな」
シェイドはしみじみと、そう遠くない過去に思いを馳せた。
「あれは本当にね… 魔将の中で一番弱かったけど一番キツい戦いだったよ」
「ルナもあの頃は中級の魔法1発撃つのが限界だったしな…慣れるまではマジで死ぬかと思った。
あいつが殴る蹴るしかしないバカで良かったよ」
「そーそー マグナガルでは普通にフェイントや強化魔法を使ってたから
あいつ、完全に使うの忘れてたよね。バカだよバカ!」
「言い過ぎだろ~」
ニヤニヤと笑うルナに釣られてシェイドも笑みを浮かべる。
たった3人でベリアルを撃退した時の達成感と強烈な生の感覚は今でもハッキリと覚えていた。
「まぁ助かったけど。近接戦の基本は固められたもんね」
「確かに。レンガが完全に舐めきってベリアルを†先生†呼ばわりしてたのは腹よじれましたヨ」
「ほんとに...シェイドって小さい頃から悪運の元にいるよね」
「ルナだって人のこと言えない…ってか悪運が強いのは俺じゃなくてルナなんじゃないのか?
「いいや、シェイドよ。私だって証拠があるなら見せてよ!」
証拠も無しにシェイドのせいにしたルナが証拠を要求してむくれている。
そんな身勝手で甘えた姿にシェイドはつい嬉しくなってしまう。
仲間以外には猫を被って慇懃になる幼馴染のそんな姿を、シェイド以外に見る者はもういない。
「王都で初めてイアス王と面会した時に、何もない絨毯で躓いて転んでたくせに」
「あれはガチガチに固まっていたシェイドの緊張をほぐすためにやったの、わざと。借り1ね」
「じゃその後のパーティ結成式で、酒飲みすぎてゲロって初対面のラクスに介抱させたのは?」
「バ...バカ!!!」
すっかり忘れていたのか、予想外の恥ずかしい出来事を突き付けられてルナは頬を真っ赤にした。
「それは悪運でもないし自分に適切な酒量を把握するのに必要だっただけ!!!」
赤い頬に朱が増して、ルナのまなじりがじりじりと上がる。
そんな今にも噛みつきそうなルナに触れたい気持ちがあふれてきたのは
シェイド自身、きっかけがよく分からなかったが、そうするのが当たり前のように感じた。
「ルナは村にいた時から可愛かったよな」
そう言ってシェイドは両の掌でルナの頬を包んだ。
「っつ.........!!! 誤魔化さないで! そんなこと言っても許さないんだから」
「許してもらいたくて言ったんじゃないよ、ルナ。
ただ、旅を振り返ると…レンガが死んでラクスも死んでハクレンも…ロイドは寝返った。
「……」
シェイドはルナへの胸ときめく感情をどうしても伝えたくて、
内心奥深くをただただ正確に正確に伝えようとした。
「その中でルナだけは俺の側で変わらずに戦い続けてくれた。
苦労をかけた分、大人っぽくなったけど表情はやっぱり子供の頃のままだな、ルナ。」
「…バカ」
ルナが頬に添えた手に噛みつく。
思わずシェイドは目をつむった。心なしか全身にまとわりつく水の感じが増してきた。
「…がるるるる」
「…っっっ」
掌が甘く痛む。
ガブリガブリと噛むルナの上目遣い。
「ゆりゅしません」
そう言うルナの表情は今までに見たことがないくらい嬉しそうだったし、
瞳はシェイドをまっすぐに刺しつつ、これ以上をねだっていた。
シェイドは掌に触れるルナの柔らかい唇を楽しみしつつ、
ルナの口元に指が来るように少しずらしてやった。
「……」
シェイドの試すような視線に対して、何も言わずに指をくわえるルナ。
間違いなくルナは被虐の歓びを感じている、シェイドはぼんやりとした頭で思った。
微かな水音をさせる唾、指に絡みつく熱く厚い舌、吸う場所と強さによって様々に形に歪む桜色の唇。
心臓の鼓動だけがとてもうるさい。
シェイドはあくまで仲間だったルナにこんなことをする背徳感に焼かれていた。
いつものルナならこのような要求をしたところで怒って文句を言うだろう。
今だってもしかすると怒るかもしれないが、その瞬間にこの空気は破壊される。
崩壊までの長い一瞬にシェイドは酔っていた。
「シェイド…」
黙っていたルナがそう言うと、おもむろに立ちあがった。
白い裸身が露わになる。
微かな、しかし無数の傷跡が見える。これまでの戦いの歴史だった。
シェイドをじっと見つめるルナ。
夜を沸き上がらせる熱を帯びていた瞳はいつの間にか色を失っていた。
「明日はどうなるのかな」
「ルナ…」
「明日の夜もこうしてシェイドといられるのかな…?」
ルナはそっと、まだ浸かっていたシェイドの頭をかき抱く。
シェイドはルナの不安に気づけなかったことを恥じた。
当たり前だった。明日はたった2人で、この世で最も強い者を殺さなければならないのだから…
なのに最後の仲間である自分が気づけなかったなんて!
シェイドは立ち上がり、ルナを優しく抱きしめた。
「安心しろ…なんて無責任なことは言えない。
でもな、どんな敵でもどこまでも、ルナとならいつも全力で戦ってきた。そうだろ?」
「…そうだね」
「カルナ村からこの地の果てまで一緒だった。そして倒せなかった敵はいなかった。
だからルナ…信じよう。これまで共に過ごした俺たちを。」
「これまで?これからは?」
「勿論、これからも一緒だ」
「つまり?」
「つまり……」
「つまり???」
「ルナを愛している。心から。豊かなアンズを司る愛の女神に誓って」
「ラクスのことは?」
シェイドはとっさに何も言えなかった。
かつて聖女ラクスは恋人だった。
王都で会った時にお互いに一目惚れしたのだ。
体つきは細いが信仰を捧げる者に共通する芯が通った雰囲気をまとい、
しっとりとした黒髪と琥珀色の瞳が魅力的だった。
物を知らないざっくりとした考えのシェイドと
都会的で洗練された物腰のラクスは何故か性格も合った。
一緒に過ごした日々を今でも思い返す。
「確かに俺はラクスを愛していたし、今でも恋しくなることはある」
「…それで?」
「でも、もうラクスはいない。俺にはルナしかいないんだ」
「……」
必死に言葉を手繰った。
そして心の中でラクスに謝り、別れを告げた。
「だからルナ…俺の心を塗り替えてくれ。
二度とラクスを恋しく思い出さないように…
俺をルナの一番大事な人にして欲しいんだ」
「本当?」
「本当だ」
「なら…分かるよね?」
ルナは口から赤黒い炎を漏らした。
シェイドは唾を呑んだ。『闇夜の炎』だ…
『闇夜の炎』は身の潔白を示す際に使う魔法で、対象が使用者に対して重要な真実を隠蔽していた時、
全身を延焼させて殺してしまう大変危険なものだった。
シェイドは一瞬迷った。死んでしまっては、この旅自体が無意味なものになる。
辞めるよう説得しようとしかけたが、しかし、ルナの瞳はとてもとても真剣で、シェイドへの信頼を湛えていた。
「ルナ…やってくれ」
「いいのね」
「頼む」
シェイドは腹を括った。
これで障りなくいければ信頼関係も深まり、明日へと弾みがつく。
しかし何より、ルナに対して誠実でありたい気持ちがあったのだ。
「シェイド…ずっとずっと昔から、誰よりも深く愛しているわ」
そう言ってルナはシェイドにキスをし、炎はシェイドの中に入っていった。
全てが溶け合った。シェイドはルナのもので、ルナはシェイドのものだった。
ルナの全身が例えようもない歓びで満たされていた。
カルナ村にいた頃からずっとシェイドが好きだった。
ろくに戦えもしないのに旅に付いていったのは当たり前だった。
シェイドがラクスと付き合い始めた時は、辛いでは言い表せなかったほどだ。
勇者と聖女なんだからお似合いだと周りは祝福したし、自分もその通りだと思って我慢した。
それでもなんでもない振りをして、ラクスにどのようにシェイドと過ごしているのか、聞かずにはいられなかった。
おそらくラクスには全てが伝わってしまっていただろう。
しかしラクスは表面上、そのような素振りを全く見せずに
ルナを一個人として尊重した振る舞いをしていた。
そのため、ルナは恋敵ではあったがラクスを心から尊敬していた。
「ルナ…」
シェイドは生きていた。ルナを心から愛していたのだ。
ルナはもう恥ずかしがらなかった。
自分でもとんでもなく崩れた顔をしているのが分かっていたが、どんな顔であってもシェイドに見てほしかった。
一瞬たりとも自分から目を離してほしくなかったのだ。
ルナの漏れた吐息が熱くシェイドの肌に触れて昂らせる。
2人はもう何も言わなかった。
シェイドはルナの腕を引いて泉から出て、闇夜に消えた。
木々のざわめき以外何も聞こえなくなり、残ったのはただ熱のみだった。
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統一歴012年、勇者シェイドと魔法使いルナが魔王ベルギリウスを撃破した。
2人はシェイド朝ルナリアスを開き、これを機に魔の時代から人間の時代に代わる。
当初は6人いたパーティが2人に減ったにも関わらず、魔王を撃破できたのは
『闇夜の熱』という強力な保護魔法を討伐前夜、神の啓示により得たことが要因とされている。
愛しあう2人が真実の愛を見つけた時に習得するこの魔法は
王族の結婚に必須とされ、庶民の間でも習得した夫婦は広く祝われ尊敬されたという。