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紅葉の駅員

作者: 深雪紅葉

自分の好きなものと、考えをぶち込んだお話です。

 あか黄金こがねが交わる紅葉の中に、一つの駅が佇む。

 線路に挟まれた駅は、紅葉の葉で埋め尽くされ、線路は草葉が積もり、枕木には苔が生い茂っている。

 小さな木造の駅舎には本を読んでいる者が一人。

 白髪のショートヘアに紫色の目を持つ端正な顔立ち。

 着物を着た駅員は、遠くで鳴り響く滝の音と時計の秒針の音しかしない空間で、本を読み進めていた。

 ページをめくって次の文を読もうとしたとき、不意にホコリを被った通信機器からノイズ混じりの音声が流れる。

 駅員は内容を聞くと、本にしおりを挟んで棚に置き、駅舎から出た。

 外は紅葉の木々が囁きあい、上り車線の端っこにある川からは、ぼちゃぼちゃと絶え間なく声を上げて下流へと流れていく。

 そこに一両だけの木造列車がゆっくりと止まり、一つしかない扉が開いた。


「……なんて綺麗な景色だ……」


 二十代後半か三十代手前のホームレスのようなやつれた男性は、列車の中から出ると目の前に広がる紅葉の森にため息を漏らす。


「こんにちは。長い旅路で疲れましたでしょう。どうぞこちらへ」


 そよ風が白髪をなびかせ、男性はその姿に何故か一筋の涙を流していた。

 本人も何故出たのか分からず、腕で涙をぬぐうと駅舎へと向かった。




「粗茶ですがどうぞ」


 陶器の湯飲みで出された茶をすすると、男性はまたしても涙を流す。先のような一筋の涙ではなく粒の涙が頬を伝う。


「すみません……先ほどから……。とても。とても美味しいです」


「喜んでいただいて何よりです。重ねてですが、ここまで永い道のりでしたでしょう」


「……えぇ。本当に……本当に永かったです……。それこそ……」


 男性は窓の外。紅葉に赤く染まった山々の方に目を向ける。

 これまでのことを振り返るような哀愁めいた、しかしどこか恐れを抱いているような複雑な面持ちだった。


「数えきれないくらいに?」


「……えぇ、そうですね」


 時計の秒針が、駅舎の中で一定のリズムを取って。それ以外の音は、微かに遠くから聞こえる滝の音。

 この二つの音しかしない空間で男性はそっと白髪の駅員に尋ねた。


「駅員さん。私はいつここを離れるのでしょうか」


「そうですね。まだ時間はありますよ。貴方がここに来るまで、というほどではありませんが」


 男性は苦笑しながらお茶をすすった。


「差し支えなければ聞かせてもらえませんか? どうして貴方はここに?」


 男性は湯飲みを置くと、腫れ物に触るような表情へと変わっていき、少しの沈黙の後、男性の重い口が開いた。


「……仕事漬けの毎日でした。量が尋常ではない上に、期日はあまりに短い。しかし間に合わなければ上司に、社長に怒鳴り散らされ、周りからもあざ笑われる。そんな日々でした」


「周りの方達は期日までに間に合うほど、仕事が早かったのですか?」


「いいえ、そんな事はありません。皆同じです。ただ……」


「矛先を貴方に向けやすかった……という感じですか?」


 駅員の返しに言葉を詰まらせた男性は、軽く息を吐いて話を再開した。


「逃げる道なんて、本当はいくらでもあったはずでした。……でも私は視野が余りに狭すぎたのです」


 駅員は呆れるわけでも、同情するわけでもなく、淡々と話を聞いていた。


「そうして逃げ込んだ先は……私が思っていたほど甘くは無かった……。あの日々が、まだ優しかったと思うほどに」


「……と言うと?」


「……時間が来ると、私の意思とは無関係に体が動いて、あの時と同じ恐怖と痛みを味わうのです。助けを求めても届かず、逃げようとしても時間が来れば元に戻されて……」


 駅員は紫色の瞳で男性を見ていた。

 外は日が沈んで暗くなり始め、それに伴って駅舎の中も真っ暗になっていく。

 駅員が電気をつけると、男性は目に見えるほど震えていた。

 脅えきった顔からは涙がポトポトと落ちて、嗚咽も徐々に大きくなっていく。


「駅員さん。私は……私は、怖いのです。出来るならここを離れたくない。ここにずっといたいです」


「……残念ですがそれは出来ません。逃げた事の清算は、必ず果たさなければならないのです」


 男性は「そんな……」と言いながら顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。


「出来ません……! 私には……出来ません……!」


「心中はお察しします。しかし清算とはそういう事なのです」


「無理です! 私にはまたあの日々を過ごして、選択を間違えるのが目に見えています! そうしてまたあの地獄を味わうのも……」


 ーー男性の脳裏に蘇る記憶。

 全てに絶望し、生きることを諦めて逃げた先に待っていたのは果てのない地獄。

 鳴り響く警笛。車輪の甲高い悲鳴。全身に伝わる重厚な衝撃と、裂けるような鋭い痛み。

 同じ時間。同じ場所。同じ痛み。同じ恐怖。

 死んでも元に戻り、繰り返される死の瞬間。

 無限に思うほどの時間と回数を重ね、朽ち果てた彼の魂が最後の罰を味わった時、彼の耳に誰かが囁いた。


『お前は今日までの記憶を無くし、もう一度この運命を味わうのだ』


 罰は終わらなかった。

 叫んで拒もうとした時には、すでに列車に揺られていた。

 彼はあの鈍色の場所から離れられた嬉しさは束の間で、この後に待つ運命を恐れていた。


 ――時が経つにつれて近づいてくる転生の時。それは男性にとって生前に味わった絶望以上のものでしかなかった。

 転生し、これまでの悲壮を知らぬ無垢の赤子となって生まれ落ち、もう一度前の運命を征くことになる。

 刻一刻と『その時』が近づき、男性はついに声を出して泣き始めた。

 駅員はおもむろに立ち上がると、泣きじゃくる男性の頬を伝う涙を拭きながら言う。


「あの地獄を味わったからこそ、ここに来れたのです。迷う時が来ても、貴方にはもう道の選び方が分かっています」


 男性が駅員の顔を見ると、それはまるで慈母のように柔和な表情だった。


「今は沢山泣いても構いません。お話がしたいなら喋りましょう。お休みになりたいならゆっくりお休み下さい。今は貴方のしたいことを好きなだけしましょう」


 駅員の言葉に気が和らいだか、男性はしばらくの間泣いた後、泣き疲れて深い眠りについた。



 ――列車の光が、夜の霧がかった世界にポツンと照らされ、駅へとやってきた。

 乗客は誰もいない。列車の中は琥珀と夕焼けのような暖色に満たされている。

 列車の行き先には一文字。


(うつつ)


 別れの時が来た。そして男性にとっては始まりの時が来た。

 列車に乗る前に男性は駅員の方へと振り向く。


「駅員さん……。私は臆病者です。今、この瞬間も、本当は恐怖に震えて、乗るのをためらっている。だから……最後のお願いです。私の中の恐怖を……退かせてもらえませんか?」


 駅員はその願いを聞くと、紫色の瞳が夜の世界にほのかに光り、襟から薄藤色の扇を取り出して静かに開く。


「旅路を外れ、永きに渡る罰を受けた者よ。今一度新たな命と成って再び歩みたまえ。貴方の道に光を射す。再び夜が来るその時まで、その足を止めるなかれ。……貴方にはいつでもその光が導くから……」


 扇を掲げると紅葉の山に風が吹いた。

 紅と黄金色の葉が舞い、地平線から昇る朝日が、紅と黄金と緑に染まる世界を輝かせる。

 紅は情熱を奮い立たせるように紅く。

 黄金は希望に満ちあふれているように黄色く。

 緑は汚れを落とすように青々と輝いた。


「……あぁ……なんて綺麗なんだ……」


 男性はその光景をしばらく見続け、列車に乗り込んだ。

 駅員は、子を見送るように「いってらっしゃい」と優しく言い、男性は「いってきます」と静かに言うと、扉がゆっくりと閉じ、列車は滝をまたぐ鉄橋を渡って霧の中へと消えた。

 駅員は駅舎へと戻り、しおりを挟んで置いていた本を手に取ろうとした時、通信機から青年の声が舎内に届く。


『――さん? 聞こえますか? 聞こえますよね? 先の人はどうしましたか?』


「いつも通りです。彼の運命に光を射した。ただそれだけです」


『……またですか……。自殺という大罪を犯した人ですよ? 私たちからすれば、到底許されるべき事ではありません』


 駅員は通信機越しからの不平を並べる相手に、目を閉じて静かに鼻で笑う。


『最近は彼のような軟弱者が増えてウンザリしているっていうのに……。貴女は少しお人好し過ぎませんか?』


 駅員は、本を開きながら通信機越しの相手に向かって堂々と言い放った。


「私はそう思いません。貴方達の見るところが高すぎるからそう思うだけです」


 そう言い終えると通信を切断し、本へと目線を移した。

 駅舎には再び秒針が時を刻む音以外はしない静寂の空間となった。


 あか黄金こがねが交わる紅葉の中に、一つの駅が佇んでいる。

 小さな木造の駅舎には本を読んでいる者が一人、今もいる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写が一つひとつ本当に美しく、すぅっとその景色の中に連れて行ってくださいました。 すごく素敵な世界観で、大好きです! 生きていくことに疲れ、でも逃げてしまえばそれもまた罪となる…… 淡々…
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