開幕エンドロール
本当にすみません。滅茶苦茶待たせました。
『ヒスイはいい子だ』
ぼんやりとした意識の中で、低い声でそんな言葉をかけられる。
現実味がない世界で動揺していると、頭にポンと何かを乗せられる。
物かと思っていたそれは、私に声をかけてきた者の手らしく、どこか懐かしい感じがある。
その手はといえば、そのまま頭を撫でられる。
「ちょっ……」
状況を確認しようと視線を動かそうとするが、目がまるで接着剤か何かで止められたみたいに、殆ど開いてない状態で、何も見えない。
『ヒスイはそのままでいいから』
優しい言葉がまたかけられるが、言葉なんて残るはずもない。気がついたら、こんな状況にされているのだから。
もちろん、頭に乗せられた手を引き剥がそうと、抵抗を試みる。
しかし、彼の撫で方が、次第に私が馴染んできたものであると記憶が理解し、払おうとする意思はいつの間にか無くなってしまった。
されるがままにすると、もっとして欲しいと求めて、気持ち良さげにしてしまう。まるでペットが飼い主に甘えてるみたいな。
自分の中でも撫でられることが懐かしく思い、嬉しくなるが、同時にとても悲しくなるという謎の感情が心を包む。まるで、それは嘘だ。有り得ないと意識が語ってくる。
私の感情は無視するように、嬉しそうに強請る姿を見てなのか、さらに優しく頭を撫でられる。
誰なんだろうと確かめるべく、手が乗せられてる方に顔をあげようとすると、撫でていた手に力が込められ、がっしりと鷲掴みにされる。
「痛いよ……」
思わず漏れた声は、いつも発してる声に比べ、幼いような気がしたが、そんなことは気にも止まらなかった。
私を撫でているこの男は誰なのか。それだけが知りたい。何故それを隠すのか。
むしろ、それ以外は別にどうでもよくなってくる。私が幼いのではないかとか、私の心を支配する感情が何なのかとか。そんなことは別に知らなくてもいい。
「あなたは一体……」
『ごめんな、ヒスイ。俺は世界を変えたかっただけなんだ』
質問に被さるように言葉を言われ、そのまま頷くことしか出来ない。しかし、その言葉はとても身近で、大切だった人がよく口にしていた。
「もしかして……」
胸につかえる言葉を吐き出そうとすると、髪をグシャグシャにされる。その撫で方は、とても荒々しいのに何故か優しさを感じる。ただ、その行為は私を真実に近づけないとさせるようにも感じる。
ぼんやりとした意識がかすれ、薄れゆく中で、撫でていた人の顔は、やはり靄のようなもので捉えることは出来なかった。
だけど、その人が私にとってかけがえのない1人の恩人だと、感覚、意識が伝えていた。
*****
「──き!!」
つかえていた呼ぶべき人の名前を口に出し、さっきまでが己の望んだ夢だったのだと気付く。
やがて、自分の耳に自分が発した名前が届き、酷い後悔を覚える。
いるわけない。──、彼は……手が届かないところに行ってしまったことは、他でもない私が1番知っているのに。
「……こんな記憶、エビングハウスが唱えた忘却曲線に入ればいいのに」
ちなみにエビングハウスというのは人の名前で、その人が発表したのがこの忘却曲線。要するに、興味が無いことはすぐ忘れるということだ。
ただし口では、忘れたいとは言ってるが、本心は少しも望んでない。だからずっと残り続けるし、忘れない。よっぽどのショックで記憶喪失にならない限り。
「はぁ……」
最悪な目覚めのせいで、ため息が零れる。
気分が少しでも良くなるかと二度寝を考えつつ、枕元に置いてるスマホを見ると6時前だった。もう少し寝ても平気な時間帯ではある。
「……でも起きようか」
漢詩の春暁みたいに寝坊してしまうかもしれないし、また同じような夢を見てしまうかもしれないという気持ちから、自然と目が冴えた。
そのままベッドから起き上がり、横の窓に掛けられたカーテンを引く。
レールの音が空気を伝って、こちらの耳に届く。鼓膜から頭に起きてと促されるような感じ。
カーテンに遮られていた窓から移る空は、もう闇の色はなく、濃紺のグラデーション。
その中にポツリとかすれてぼやけた月が浮かんでいて、目を逸らせばあっという間に、消えてしまいそうな薄さである。もはやそれに輝きはない。
きっとぼんやりとした月は、もうすぐ登り始める日に、サッサと場所を譲りたくてうずうずしてるのだろう。
「世界は静かな夜から騒がしくなる」
今日も平凡で、退屈な1日が始まるとなんとなく実感させられる。
「……春はあけぼの」
有名な枕草子の始まり。千年以上前に書かれた作品の中で、良いと言われた時間は今でも、通用するもので、本当に美しいと思った。
もっとも、水無き月は暦では夏に当たるかもしれないが。
そして、私たちがいつもと変わらず平凡に過ごしている今、どこかでは残虐な事件が起きているのだから、つくづく不平等に思う。虐待だったり、自殺だったり。事件でなくとも将来、異端者として扱われる者は生まれていたり。
「──みたいな人が今もどこかで芽吹いて……」
火炙りにされた聖女だって、独裁国家を作った者だって、国を騒然とさせた教祖だって、最初からそんなことをしようと、目指そうとしたわけじゃないのに。
あの人だって、そうだ。
『俺は世界を変えたい。』
いつだって、そう言っていただけだ。
ただ、彼は完璧すぎた。
最初は天才だと持て囃されていたが、次第に大衆からは、尊敬から畏怖に変わり、結果としてあんな終焉を迎えただけだ。
私はといえば、どこかの誰かのおかげで、その終焉の原因となった事件との関係性は隠匿されていて、平凡な学生として、この学校に通えている。
もっとも、そんな厳重には扱われてないし、同級生で事件のことを覚えてる人は少ないと思う。
現に毎日毎日、私より少し長く生きた大人達が、偉そうな顔で、全てを知り得ている口振りで、話す日々を過ごせているのだから、先生でも知らない人は多いのかもしれない。
「無知は罪?」
そんな言葉があるが、知らないからこその幸せはある。
私だって、個人情報が保護されていなければ、きっと今頃彼のせいで、吊し上げられ、見知らぬ人から憎悪を向けられるだろう。
知らなくていい事まで知る必要はないだろうから。誰が私の家族とか、そんなことは知らなくていい事。
「……誰かがヘマしたら、終わる平穏」
そんなことを思いながら、ぐっーと体を伸ばす。
目覚めたばかりの身体は、ボキボキと骨が鳴り、それは身体への目覚まし時計のようだ。
「今日は、普通に頑張るか……」
*****
「おはよう、汐宮」
教室に入るや否や、仁王立ちの体育委員から挨拶をかけられ、こちらに近づいてくる。こういう時に限って、ほかのクラスメイトは何故かいない。
(電車通学少なかったからかな……)
今日に限って電車が遅れてたせいで、普段より来るのが遅かったからもしれないけど。
「競技の時に身につけてなかった点数にならないから、絶対に、手放すなよ」
こちらのことなんて気にも止めない様子で、ハチマキを渡してくる。
「麥……」
「さっさとグラウンドに来いよ。遅れたら承知しないからな」
言いかけた言葉は彼の言葉に上書きされたように掻き消される。
彼はといえば、自分の背中を軽く叩き、教室を出ていく。
「あ……分かってるだろうけど、グラウンドだからな」
振り返り、こちらを指指しながら睨む。その目つきで、思わず背が伸びてしまう。
「ま、練習通りで行けば勝てるだろうから大丈夫……意気込むなよ」
そう吐き捨て、彼は本当に教室から去っていた。
(……麥瀬なりのエールみたいなものなのかな)
そう捉えながら、さっさと更衣室に向かった。あんまり遅いといつもの態度になりかねない。
*****
更衣を終え、グラウンドを駆ける。日差しのおかげで心地よい風が腕に触れる。
(いよいよ、始まるのか……)
少し面倒くささを感じながらも、自分のクラスの列に並ぶ。
「おはよう、汐宮」
列に入ると、既に列の中にいた出席番号が真後ろの少年が声をかけてくる。
(ついこの前、名前を聞いたから流石に分かる)
この前話した際に教えてもらった名字を口に出す。
「四嶋」
「あ、よかった。覚えててくれてたんだー」
そう言うと、四嶋は特徴的な眉下げ笑顔を見せる。彼とはあまり関わりがなかったので、とりあえず以前のことの感謝を口に出す。
「……この前は、ありがとう」
「この前?……あぁ、アイツらの彼女論のこと?」
コクリと頷くと、そんな気にしなくてもいいのにと、表情を変えずに言ってくる。
「ちなみにあの後も、30分ぐらい話し込んでたから帰って正解だったよ?」
「あ、そうなんだ……」
まぁ、あの様子だとすぐ解散ではなさそうだったので予想はつくが。
「麥瀬から言われてると思うけど、ちゃんとハチマキ巻いといた方がいいよ」
「聞いた……付けてないと後が怖い」
「確かにねー」
そのまま会話になるかと思ったが、さらに後ろの男子生徒から名前を呼ばれていたので、頑張ろうか。と言って、会話は切れた。
元々、彼と話すほど仲が良いだけではないので、当たり前といえば当たり前なんだが。
(流石に今日は、いないか)
そう思いながら、辺りを見渡す。
自分を含め、周りには半袖の体操服に身を包む人ばかりで、サッと見た限りでは、長袖の紺色上着は見えなかった。
天気予報でも今日は30度を超えると言っていたし、現在でも日差しが照りつけているので、普通に暖かい。むしろ、少し暑くも感じる。
(入場行進の時に、朝礼台の前で何かするんだったよなぁ)
昨日の予行で、誰か(多分、応援団長あたり)が明日の本番で今から言うことやってねと無茶振りな要求を告げてきた。
(……やらなかったら浮くよな)
確か、せーのの掛け声でちょっとしたダンス?か身振りをするとか言っていた。
(まぁ、それが終わって、一発目に短距離走したら、午前は観戦になるし……)
当分は、ゆっくり出来るので、覚悟を決めて入場行進まで列で待機した。
****
「世界中で争いが、否、全ての事象が争いになるそんな時代。剣を取らずして、争いを収めようとした者がいた」
2、3分、あくびを噛み殺しながら、待機していた際にマイクから聞こえてきたのは、そんな意味のわからないものだった。
「多くの国が存在したが、争いの中で4国に絞られた。彼、彼女は若くして、王や女王になった……」
先に言っておくが、こんな設定は初耳だ。
(なんでたかが体育祭の入場で、こんな壮大な設定が盛られてるんだ……)
凄くつっこみたくはなるけど、多分気にしてはいけないことなんだろう。
「今年も、──な……」
「いつもあれ読む──は大変だろ──思うわ」
近くの先輩達は、ボソボソと何かを言っていて恐らく毎年恒例のことなのだろう。なんというか癖が強い。
「4国はそれぞれの国の色を赤、青、緑、黄と掲げ、また自分達のこともそれぞれの色の名前を語った。本当の名を捨てるように……」
そして、先程から聞こえている声が、聞いたことあるような気がする。
(元の声が一緒なのか……)
さっきからナレーションをしているこの声は誰なんだろうという疑問と、このつまらない茶番の幕切れはいつなのかということが、きっと全校生徒の脳を支配している。
「──我が名は、スカーレット!!燃えるような赤を」
「私がシアンですの。凍てつくが如く、颯爽とした青を貴方に」
「僕は、ビリジアン。生い茂る草木の緑を……」
「メイズ……閃光の煌めきを見せてあげるわ」
本当にこの状況が何なのか。誰か教えてもらいたい。
(なんだよ、凍てつくが如くって。最後に至っては、色言ってないし……)
「彼らは敵対すべき、王国の者。だが、どこかでは幸せになれる世界があると信じていた。そう、これは、彼らが選び望んだ世界の話だ」
壮大なナレーションがそんな世界へと誘うが、騙されては行けない。
(これはただの体育祭に過ぎないのだ……)
そう言い聞かせながら、その茶番を眺めていた。
今月はしっかり更新出来たらいいなぁ…じゃなくてするんだ私




