私の生きる理由
私はどうしてこの世界に生まれてきたのですか。
お父さんとお母さんに望まれたからではないのですか。
お父さんとお母さんにお前なんて産まなければよかったと言われたら、私はどうすればいいのですか。
私が望んでこの家に生まれたわけじゃないのに……。
見るだけで嫌悪するなら、どうして私を産んだのですか。
どれだけ頑張っても愛してもらえないなら、せめて無視してくれませんか。
お前に生きている価値はないと罵るのは止めてもらえませんか。
私を全否定するなら、私が家を飛び出しても探さないでくれませんか。
世間体を気にするなら、私を否定するのは止めてくれませんか。
お父さんとお母さんの言葉はナイフよりも突き刺さります。
私は生きていてはいけないのでしょうか?
この世界に私の居場所はどこにもないのでしょうか?
誰か、私に生きる理由を下さい。
……ずっとそう思って生きてきた。
死ぬ勇気なんてなかったから。
きっと広いこの世界のどこかに私を必要としてくれる人がいるに違いないと、自分に言い聞かせて歩いてきた。
そう思わないと心が砕けてなくなりそうだったから。
みんな親に愛されて、怒られて、許されて。
兄弟姉妹と喧嘩しては仲直りして、とてもうらやましかった。
喧嘩できる人なんて私にはいない。
どうやって許せばいいのか、どうやったら許されるのか私には分からない。
みんなはどうして自分の気持ちを言えるんだろう?
ずっとずっと不思議だった。
でも、ある時気づいてしまった。
みんなはお父さんとお母さんに愛されているんだね。
毎日お前なんて消えてなくなれって言われないんだね。
お前なんて生まれて来なければよかったなんて言われないんだね。
みんなは生まれてきてよかったんだ。
死んだりしたら泣いてくれる人がいるんだよね。
そこが私とは違うんだね……。
私は一体何が悪かったんだろう?
お父さんとお母さんに好かれるようにがんばってきたのに。
わがままなんて言ったことはないのに。
勉強も運動もがんばってきたのに。
先生はいつもがんばっている子ですねとほめてくれたのに。
一度も喜んでくれたことがない。
私は先生にほめられるために生まれてきたの?
先生にほめられた先には何があるんだろう……?
そう聞いても誰も答えてくれなかった。
困った顔をするだけだった。
きっと自分の役目じゃないって思ったんだろう。
結局私は何のために生まれてきたのか分からない。
本当に私はどうして生きているんだろう?
……高校になると、親から逃げるように遠いところに進学した。
私は意気地なしなんだ。
親に何かを言うこともなく、不良みたいに世の中に反抗する勇気もない。
ただ、誰かに否定されたくないから、目立たないようにひっそり生きているだけ。
死にたくないから生きているだけの人形だった。
誰にも相手にされない三年間。
ううん、用事がある時だけは話しかけられる。
それ以外の時は誰とも話さない、そんな生活。
でも、それでもよかった。
どうしてお前は生きているの? なんて言われることはなかったから。
誰も話しかけて来ないけど、お前が存在している意味はないなんて言われなかったから。
それだけでは不安だったから「何か」が欲しくて落とし物を届けたり、親とはぐれて泣いている子を交番まで連れて行ったりする。
その子は小学生なのにも関わらず泣き虫だなと思ったけれど、言葉にはしなかった。
私だってもう高校生なのに毎日心で泣いているようなものだったから。
おまわりさんに事情を説明して交番を後にする。
私は誰かに親切をすることによって、自分はここにいてもいいのだと思おうとしたのだ。
自己分析すれば落ち込んでしまう。
……そんな日々もやがて終わり、私は就職する。
使える奨学金を探せばよかったのかもしれないけど、そんな気力は残っていなかった。
それよりもまず安定してお金が入ってくる生活をしたかった。
幸い、アパートからバス一本で通えるところにあるあまり大きくない会社に就職できた。
どうして私が採用されたんだろうと思ったけど、怖くて聞けない。
そしてこの会社に必要とされたんだと思えば、とてもうれしかった。
生まれて初めて誰かに必要だと判断されたのかもしれない。
そう考えるだけで心も体も震えた。
恥ずかしかったからとても言えなかったけれど。
もし口に出していれば、周囲から変な目で見られていたかもしれない。
それに耐えられなかった。
もしかしたらこんな私でも居場所ができるかもしれない。
そんな淡い希望を抱いていた。
だからそれを自分の手で壊すような発言はできなかったのだ。
天の上から垂れた細い蜘蛛の糸にすがるように私は働いた。
「あの人は暗い、何を考えているか分からない、気味が悪い」
という風評が聞こえてきた時、やはりダメなのかと思ってしまった。
私は気味が悪い生き物なのか。
人の輪に入っていけない異分子に過ぎないのだろうか。
そういった暗い考えが首をもたげてくる。
この会社でも拒絶されてしまえば、私はどうすればいいのか。
風評を打ち消そうと自分で行動するなんてとても考えられない。
だって実の親ですら一度も分かってくれなかったのだ。
ただの一度も愛されず、抱きしめられた覚えもなく、言葉も意見も受け入れられたことがない。
どうしてこの会社の人ならば大丈夫だと思えるのだろう。
……あるいは私を採用してくれた人ならば違うのかもしれない。
でも、誰が私の採用を決めたのか知らされていなかった。
上司に一度だけそっと訪ねたことがあるけど、「上が決めたことだ」とそっけない答えが返ってきただけだった。
ひょっとするとこの人も内心では「何でこんな奴がうちの会社に」なんて思っているのかもしれない。
という嫌な考えが頭をかすめて、それ以上は何も言えなくなってしまった。
結論から言うと私は会社を辞めされられることはなかった。
誰かにとって気味が悪いというだけで人を一人辞めさせるようなところではなかったのだ。
あるいは私が必死に働いていたのを認めてくれて、反対意見が出たのかもしれない。
人の輪に入れないけれど、辞めさせるにはもったいないと思われるような人になりたい。
そうすればきっと会社には置いてもらえる。
ひたすらそう信じこもうと思った。
だって私には他に何もないから。
相変わらず世界は闇が多いけれど、かすかな光もある。
そう信じ続けていったいどれくらい経っただろうか。
いつしか私も後輩を持つようになった。
「新人教育をやれ」
と私に命じた上司の顔には「こいつにできるのか」と書いてあったけれど、命令は撤回されなかった。
上司個人の意思ではどうにもならない理由でもあるのだろう。
そう考えれば上司も気の毒な人だと思えてくる。
きっと私なんかに同情されたくないだろうけど。
私の後輩としてつけられたのはとても良い子だった。
明るく親しみやすく素直で、小さな声でぼそぼそとしゃべる私の話も真面目に聞いてくれる。
そんな素晴らしい子だった。
おそらく担当が私だというのには不満だったに違いけど、それを態度に出さないだけの分別を持っていた。
そんな後輩にいつしか惹かれていったのはおそらく仕方ないことだと思う。
それでもすぐに割り切れたわけじゃない。
私に誰かを好きになる資格はあるのだろうか?
私に誰かから好きなってもらえる資格はあるのだろうか?
そのような暗たんとした想いが大きかった。
だいたい告白されても迷惑ではないだろうか?
後輩自身は言いふらさなくても、何かのきっかけで知った人たちには笑われるんじゃないだろうか?
そうなってしまったらこの会社にいられなくなってしまうかもしれない。
とまで考えた時、私は自分の気持ちを封印することにした。
ようやくできたかもしれない居場所を失うほど、後輩のことを好きだったわけじゃない。
誰かに聴かれたわけでもないのに言い訳しながら仕事をする日々になった。
私は臆病で他人の目を気にして、それでいて自分から行動できない卑怯者だ。
やがて後輩は恋人ができたとうれしそうに報告してくる。
何も聞かないのにしゃべるような人ではない。
浮かれている様子だったから何かいいことでもあったのかとたずねたのだ。
後悔することになるとも露知らず、ほんの軽い気持ちで。
後輩のうれしそうな笑顔を見ると幸せな気持ちになるとともに、ちくりと刺すような痛みが胸に走った。
どうすればよかったのだろう?
本当に何もしなくてよかったのだろうか?
そんな疑問がグルグルと頭をめぐったけど、答えは出なかった。
結局最後には自己嫌悪に陥って、自宅のベッドに行って夢の世界に逃げ込むのだ。
それでも時間が流れるとやがて痛みも小さくなった。
時間はある意味私の味方なのだと言えるのかもしれない。
他にもう一つ、私は部署を異動になった。
初めての仕事を覚えるのに忙しく、いちいち悲しいことを思い出しているヒマがなくなってしまった。
それからしばらくが経過して再び私は異動を命じられる。
ほんの一年しか経っていなかったので驚いた。
理由を聞いてもやはり教えてはもらえず「上の命令には従え」とだけ言われる。
逆らうつもりなんかない。
ただ、理由が知りたかっただけど、そんな思いは考慮されかった。
私は小さな会社の小さな歯車にすぎないという事実を忘れてはいけないと言葉を飲み込む。
そんな私に一人の人がつけられる。
この会社の社長の末っ子だという。
社長の一番上の子どもは東大法学部を卒業し、弁護士になった。
二番めの子どもが会社の跡継ぎで、今は他社で修行中だという。
そういう話は自然と聞こえてくるものだ。
この会社みたいに同族経営の会社は社長次第でがらりと変わってしまうものだから、従業員としては無関心ではいられない。
幸いなことに次期社長はまじめで従業員想いな性格を今の社長から受け継いでいる立派な人で、年上の人たちは「あの人が次期社長になってくれるなら大丈夫だろう」と口を揃えている。
人格はともかく会社の経営能力はどうなのだろうか?
なんて思ってしまった私は嫌な性格だと思う。
うちのような会社は社長の実力を頼りにしている部分が大きいせいだ。
不安を抱えながら末っ子と会ってみると、その人ははにかみ笑いを浮かべながらたずねてくる。
「私のこと、覚えていますか?」
あまりにも予想外の質問で私は固まってしまった。
目の前にいる人にはまるで見覚えがない。
だいたい私は社長一族とは接点がまったくないのだ。
営業部のエースのベテラン、総務課を長年切り盛りしてきたあの人なら分からないけれど。
私の反応にがっかりしながらもその人はあきらめなかった。
「ほら、昔、みんなとはぐれて泣いていた私の手を引いて交番まで連れて行ってくれた」
えっ?
またしても思いがけない言葉にぎょっとしてしまい、穴が開きそうなくらいにその人の顔を凝視する。
「もう大きくなったんだからそんなすぐに泣くなと親兄弟には言われていたのですが、あなたは何も言いませんでしたよね」
それは私も人のことを言えなかったから。
「あの後、親はお礼を言いたいと言っていたのですが、あなたが名乗らずに去ったため探せなかったそうです」
だって私が小学生を助けたのは困っている人はほうっておけないなんて立派な気持ちじゃなかったから。
お礼を言われる資格なんて持っていないと思っていたから。
「ですからあなたがうちの会社の面接に来た時はびっくりしましたよ。あ、あの時の人だってすぐに分かりましたから」
ほんのちょっとしか一緒じゃなかった相手のことなんて、そんなに覚えていられるものだろうか。
一目見てすぐ分かるものなのだろうか。
不思議に思っていると社長の末っ子は困った顔になる。
「あなたは鈍感な人ですね……あなたのことが好きだから覚えていたんですよ」
……頭が真っ白になり、心臓が止まりそうになった。
この人はいったい何回私を驚かせるつもりなんだろうか。
いつの間にか私の手は握られていた。
きれいな瞳でまっすぐに見つめられる。
「からかってないですよ。私は本気なんです」
「ど、私のどこが?」
「真面目で忍耐強く、それでいて優しさを持っているあなただからいいのです」
その人は言い放つ。
「こ、困ります」
とっさに口をついて出たのはその一言だった。
この会社は決して大手ではないが、小規模企業というほど小さくもないそれなりの会社だ。
そんな会社の社長一族ともなれば、それなりの相手と結婚するべきなのではないだろうか。
遠回しに、相手を傷つけないように言うとその人は目を丸くする。
「今時そんな政略結婚なんてありませんよ。そりゃ身元調査や素行調査はあるかもしれませんが、あなたなら親も反対しないでしょう」
何が何だかよくわからない。
それが私の率直な感想だった。
どうしてとつぜんフィクションみたいな展開が起こり始めたのだろうか。
「い、今は勤務時間です」
我ながら間が抜けているチョイスだと思ったけれど、相手には効果があったらしい。
実に気まずそうな表情になった。
「し、失礼しました。長年の想いがようやく叶ったのでつい」
とりあえず冷静さを取り戻し、仕事にとりかかった。
一緒に働いて分かったのは社長一族だからと甘えていられないということだ。
社長は従業員想いな分、上に立つであろう子どもたちには厳しい。
「我々子どもたちと従業員はどっちが大切なんだって話ですよ」
根負けして一緒にご飯に行った時、珍しくこぼしていた。
「そしたら父は従業員って即答しましてね。兄はカンカンでしたよ」
兄とは一番上の子どものことで、だから親に反発して弁護士になったという。
反抗心だけで東大に受かって弁護士になるとか、とてもすごいことではないだろうか。
「私には優しい自慢の兄ですけどね」
なんて照れ笑いする様子は可愛かった。
……このようにいつの間にか相手のペースに乗せられてしまっていて、社内で私たちが交際しているのではとうわさが流れるようになってしまった。
白眼視を覚悟していたけれど、思いのほか周囲の目はあたたかった。
と言うのも相手の人がどれだけ必死に初恋の相手を探していたのか、私よりも年上の人はほとんどが知っていたからだ。
だから長年の想いが実ったことを喜ぶ人が多く、私としては気恥ずかしかった。
ただ、そればかりではない。
口さがない人たちには「おとなしい顔してやる」と嫌味や陰口を叩かれてしまう。
それでも平気だったのは親しい友人なんていなかったせいだろう。
親しい人たちが離れていったとすれば耐えられた自信はないけれど、私には最初からいなかったのだ。
社長とそのご家族にも紹介されたけれど、誰も反対しなかった。
「へえ、この子がそうなのか」
みんなそう言った賛成してくれた。
いったいこの人はどれだけの人数にどれだけの話をしていたんだろう。
思うだけで恥ずかしかったけれど、それだけ愛されているのだと思えばうれしかった。
ただ、懸念がなくなったわけじゃない。
私の両親のことがある。
隠していてもいつか分かってしまう日が来るだろうと思い、私は打ち明けることにした。
その人は黙って私を抱きしめてくれたし、社長とその夫人は
「私たちこそがあなたの家族だ」
と言ってくれた。
両親が何かを言ってきても何も心配することはないとそっと肩を抱いてくれる。
弁護士の長男も私を守るために全力を尽くしてくれるという。
この人たちによって私は救われたように思う。
……私が生きてきた理由は、この人たちに会うためなのだ。
いつしかそう思えるようになっていた。
この世界は闇ばかりじゃないのだと、今なら信じられます。




