5話 非常識な世界
彼女が出て行ってから部屋の中を見渡してみた。
今は手足を伸ばしても余る大きさの毛皮の上に座っている。
ここで寝ていたって事は布団の代わりなのかな。
床には隙間なく石が敷き詰められていて、天井を見上げると木枠が剥き出しになっている。
壁を見ると四角い石が交互に重なっていて隙間は土で埋めてある。
味わい深いというか、時代を感じる部屋の造りだ。
寝室だとは思うけど化粧机もなければクローゼットもタンスもない。
質素というか本当に寝るためだけの部屋みたいだ。
木の窓を開けて外を見ると月や星がとても綺麗に見えた、地元ではこんなに綺麗に見えない。
見渡しても似たような家が並んでいるけど、どこも灯りが付いてない。
人口の光が無いとここまで星が綺麗に見えるんだろうか。
近くには草原が広がっていて、奥には森があるみたいだけど真っ暗でよく見えなかった。
月が明るいなと思いながらも、ここが自分の知らない場所なのは分かった。
どうして彼女が日本語を喋っているのかは疑問だけど、言葉が通じているからここが日本なのは間違いないはず。
この人達は山奥にひっそりと暮らしていて、そこに僕が何かしらの方法で迷い込んだんだろうか。
獣人を実際に見ることが出来て本音を言えば嬉しかった、でもこのまま居座られても迷惑なはずだ。
この人達にも生活があるんだから、この後家に帰っても誰かに言おうだなんて思わない。
誰かに喋った結果、この人達がどうなるのかを考えるのが怖い。
今日の事は見無かったことにして、僕も自分の生活に戻ろう。
でも、自分の住んでいる場所が都会とは言い難いけど、数時間歩いただけで行ける距離に山や森はない。
見る限り財布も携帯も何も持っていない状況でどうやって帰ろうか。
とりあえず、こんなに自然の多い場所じゃ外に出ても熊や猪に襲われる可能性もあるし、明るくなるまで居させてもらえるようにお願いしよう。
目を覚ましたのかこの場所で良かった、これが森の中だったら本当に洒落になってなかった。
そんな事を考えていると彼女が服を持って戻ってきた、胸の布は巻き直してあった。
「大人しくしていたみたいだな、服を持ってきたからこれを着るといい」
「迷惑を掛けたのに服まで貸して頂いてすみません」
「気にするな、それに元々その服は使う予定が無かったから返さなくていいぞ」
「助かります」
上着を手に取って広げてみるとジャケットのような物だった。
元々のデザインなのか大きさが違うせいなのか、前が閉まらないし袖が短い。
半裸で前の開いたジャケットを着ても暖かさはあまり感じない。
獣人は自前の毛皮があるからこれで十分なんだろうか。
次にズボンを広げるとひざ上程のハーフパンツだった。
流石に下着は無かったみたいだし、とりあえず直接ズボンを穿こうと思って腰の布を取ろうとしたけど、彼女がこちらを向いたままだ。
「すみません、ズボンを穿きたいんですが…」
「すまない、後ろを向いておく」
「覚えてないとはいえ、大事なものを勝手に使ってしまってごめんなさい」
「大丈夫だ、破いたり切ったりしていないなら気にはしない」
腰の布を確認したけど特に問題は無かった、破れたりしていなくて本当に良かった。
すこし腰回りがキツイけどズボンの履き心地は悪く無い、夜中で少し肌寒いけど耐えれない程でもない。
今が夏で助かった、冬にこんな格好をしていたら流石に寒い。
「着替え終わりました、やっぱりこれは洗って返したほうがいいですよね…」
「気にするな、それより着心地はどうだ」
「少し風通しがいいですが、悪く無いです」
「確かに人族では肌寒いかもしれないな、だが手持ちに全身を覆うような服が無くてな」
「これでも十分です。ここまで助けてもらって申し訳ないんですが、朝までここに居てもいいですか?」
「私も幾つか聞きたいことがあるから構わない、それと呼び難いので名前を教えてほしい」
「リクです」
「リクか、呼び捨てでも構わないか?」
「はい、大丈夫です」
「私はルルテナだ」
「ルルテナさんですか」
「私のこともルルテナと呼び捨てていいぞ、言葉遣いも普通でいい」
「会ってすぐに呼び捨てにするのは少し抵抗があるので、慣れたら言葉遣いと一緒に変わると思います」
「そうか、分かった」
「それで聞きたい事とは何ですか?」
「まずは何故魔力が無いのかだ、何かのキッカケで失ったのか?それとも生まれつきなのか?」
最初の質問が難問だった。
最初も魔力がどうとか聞かれてたけど魔力ってなんだろう、念力とか気とかそういうのだろうか。
見えないものは信じてないから、言われてもさっぱり感覚として分からない。
魔力が無いと断言してるのは何なのだろうか。
人間には感知できない何かが見えてる、もしくは感じられるのだろうか。
知ったかぶって話に付いていけなくなっても困るし、素直に聞いておいた方が良さそうだ。
「根本的な質問なんですけど、魔力ってなんですか?」
「本当に魔力が何か分からないのか?」
「知識としては作り話というか、そういったもので聞いた事はあるんですけど、その魔力がルルテナさんの言っている魔力と同じ物かが分からないので」
「どんな環境にいたら魔力関わらずに生きてこれるのか想像できないな…。魔力は力の源だ、身体能力を高めたり、火や水を作り出すことも風や土を動かすことも出来る、無尽蔵ではないから使い続ければ減っていく、同じ種族でも魔力の総量に差はあるが休んでいれば徐々に回復する、体力と似たような物だな、私の知識としては大雑把にこのくらいだ、聞いていた話と同じか?」
「はい、ほとんど同じですが…」
「信じていないって顔だな」
「実際に目にしないことには…、もしかしてルルテナさんも火や水を作り出せるんですか?」
「期待させて悪いが、私達フウル族は魔力を他のものに変えたり干渉させて操る事が苦手なんだ。その代わり魔力を使って身体能力を強化することに関しては他の種族に比べて飛び抜けている」
「なるほど、って他にも違う種族がいるんですか!?」
「何を驚いてる…、まさかとは思うが他の種族の事も何も知らないのか?」
「ルルテナさんを見たのが生まれて初めてで、人間以外の種族が居るなんて聞いたこともないです」
話を聞いたルルテナさんが固まってしまった。
常識のように話されたけど、他にも種族がいるという事実に驚いた。
日本ってそんなに未開の地が多かったのか。
何かあればネットですぐに情報が拡散する時代で、今まで人に見つからなかったのは凄いと思う。
でもルルテナさんは人間のこと知っていたみたいだし、人と会ったことはあるんだろうか。
考えてみても分からない。
「えっと…」
「あぁ、なんだ?」
「大丈夫ですか」
「少し考え事をしていただけだ。変なことを聞くがずっと監禁されていて逃げてきたというわけではないのか?」
「いえ、今まで普通に生活してましたけど」
「そうか…、周りが魔力の存在を隠していたのか…?でも何故そんなことを…」
「そうだ、先ほど僕の肩を掴んでいた時に魔力を使っていたんですよね」
「ん?」
「凄い力だとは思っていたんですけど、あれが魔力による肉体の強化なんですよね」
「知らないというのは恐ろしい事なんだな…」
「あれ、何か違ってました?」
「あれはただ掴んでいただけだ、そして人族でも筋力を強化すればあの程度なら振り解くことは可能だ。尤も、そんな事をしていたらリクは今頃死んでいたかもしれないな」
あの時の目は本気だったのか、自分に力が無くてよかった。
それよりも気になる部分があった、人族でも筋力強化が可能という言葉。
掴まれたから言える、あれは気合とか踏ん張りで普通の人間が振りほどける力じゃない。
それにルルテナさんが人間を知っているなら、普通の人間には魔力が無いことを知っているはず。
それなのに魔力があることを前提に話を進めてる。
話が食い違ってる気がする、ルルテナさんの言う人族は本当に人間なんだろうか。
それに魔力の存在をまだ信じているわけではないけど、魔力に関する話がハッキリしすぎてる。
地面が揺れるとか、竜巻が発生するとか、洪水が起こるという話なら自然現象だと思えた。
でも魔力で火や水が作り出せて、さらに干渉して動かすことも出来ると言った。
言葉が通じるから日本だと思っていたけど、ここは本当に日本なんだろうか。
所持品を何も持たない裸の状態でこんな山奥に1人で居るという状況はあまりにも現実離れしてる。
目を覚ます前の記憶が靄が掛かったように思い出せない、直前まで何をしていたのか。
広い草原の真ん中に多くの家を建てているこの人達が、人に気づかれること無く生活できるんだろか。
話によれば別の種族もいるんだ、不可能に近い。
頭の隅に押し込んでた1つの仮定、真っ先にそれが正しいと思える程、純粋じゃない。
でもその可能性の大きさに気づいたら確認しなくちゃいけない。
ルルテナさんに聞けば確かめられるんだから。
「この世界は種族に関係なく皆魔力を持っていて、それが使えるんですか?」
「当然だ、動物や植物ですら魔力を宿している、リクが特殊すぎるんだ」
「すみません、自分でも今混乱してて」
「気にするな、リクが悪い訳ではない、きっと何かしらの理由があったんだ」
魔力が存在していることを当然のように話すルルテナさんの言葉で疑惑が確信に変わった。
ここは日本どころか地球ですらないのだと。
分からないことは沢山ある。
何で言葉が通じるのか、どうやってここに来たのか、どうして何も持っていないのか。
「人族が住む場所からここは大分離れているが、どこから来たんだ?」
「えっと、それが…」
「住んでいた場所も分からなくなったのか?」
素直に言うか迷った。
今の僕には住んでいた場所も帰る家もない。
でも違う世界から来ましたなんて言って信じるんだろうか、先ほど怪しまれて死にかけたばかりだ。
別世界への移動がありえるなら魔力の知識がないと分かった時に聞かれたはず。
それなのに別世界話が出てこなかった。
仮に世界間の移動が可能だったとしても、ルルテナさんはそのことを知らない。
だけど、このまま外へ出たら駄目なことは分かる。
魔力がある事が前提のこの世界では僕はとても弱い存在だ、きっと子供にすら力で勝てない。
それにこの世界の生き物を元の世界と同じ基準で考えちゃだめだ。
下手をすれば相手が小動物のような存在でも命が危ない。
悩んでも仕方がない、この場所から離れたら生きていけるか分からない。
正直に事情を説明して、この場所に居させてもらうしかない。
「そのことなんですが…」
「言い難いことなのか?」
「自分でもまだ確実とは言えないんですが、どうやら違う場所から来てしまったみたいで」
「違う場所?違う大陸ということか?」
「いえ、なんというか別の星から来たというか」
「どういうことだ、空から降ってきたのか?」
「違う空間から来たって言えばわかりますかね…」
「空間…?」
「うまく説明できないんですが、こことは違う次元の、別の世界から来たみたいです」
「そうか…、なんとなく言いたいことは分かったが、信じられないな…」
「そうですよね、自分で言ってても信じられなくて…」
「それが本当だとして、自ら望んできたわけではないのか」
「僕の居た世界でも、違う世界に行くなんて出来ない事なんです、何が原因なのか見当すら付かなくて…」
「魔力を持っていないリクが言うんだから、その可能性が無いとは言い切れないか…」
異世界から来たと言われても、普通は信じないし相手にしない。
でも魔力は無いというだけで、その可能性を検討する程の事なんだろうか。
「魔力が無いっていうのはそんなに特殊な事なんですか?」
「もし魔力が何なのかと問われても正確に説明できる者はいない。
この世界がどうやって出来たのか、いつから在ったのかを説明出来る者がいないのと同じだ」
「それなら、魔力がない生き物が居る可能性もあるんじゃないですか?」
「だが分かっていることもある。生物は生まれた時から魔力を持ってる、生まれ持った魔力を失うのは例外なく死ぬ時だけだ。生きている者から魔力を奪うことはできないし、生きながらにして魔力を失うこともできない。魔力が無いというのは死者が動いて喋っているようなものだ。一説では魔力が体の機能維持してるとも聞いたことがある」
「では魔力を使い過ぎると死ぬ事もあるんですか?」
「魔力は減りはしても使い切ることは出来ない、ある程度まで減ると魔力が残ってても使えなくなるんだ」
「そうなんですか」
「だから魔力が無いリクが存在している事で、別世界の存在も信じられるんだ」
「僕はそんなに不思議な存在だったんですね」
心臓が動いてないのに歩きまわってるような感じか。
そう考えると結構気持ち悪い。
「それでこの先どうするんだ、人族の住む町に行くのか?」
ここからが重要だ。
僕は自分の身を守る手段を持っていない。
元の世界でも未だに魔女狩りは存在しているし、価値観や宗教の違いで戦争も終わらない。
話を聞いた限り僕は他人から見れば化物だし、運が悪ければ見つかったら殺される。
この世界の人がどんな考え方を持っているのか分からないからこそ人が怖い。
それなら今は良心を持つ人に頼るのが最善策だ。
「人の住む場所へ行く事も考えたんですが、今の話を聞く限り人に受け入れてもらえるか分かりません。得体の知れないよそ者が人の輪に入るのは難しいっていうのは分かるんです。もし怪しまれて捕まったら、話を信じてもらえる可能性はないですし、殺されてしまうかもしれません。例え住むことが可能だとしても、読み書きも出来ず力仕事も無理だとなると、生きる事が難しいです」
「確かに言われてみればそうだな、ではどうするんだ」
「迷惑を承知の上でお願いします、僕をここに住まわせてください」
「ここに…住む…?」
「家の中に置いて欲しいとは言いません、外でいいんです、出来ることは何でもするのでお願いします」
「待ってくれ、よそ者が生きるのは難しいと言ったではないか、ここは人族の住む場所ですらないんだぞ」
「それは承知の上です、僕がここに居ることでルルテナさんの迷惑になるようなら出ていきます」
「なぜ私の近くで生きようとするんだ、同族と他種族どちらと生きるかと聞かれれば普通同族を選ぶ。それに、知識が無いから仕方ないとは思うが、人族と私達は仲が良いわけではない。お前を生かしているのは単なる気まぐれだ、気が変われば殺すかもしれないぞ」
「それでも大丈夫です、どちらにしろ僕が1人で人間の町に辿り着くことが難しいことは分かってます。無事に町へ辿り着いても拒絶をされたら1人では生きられません。ここに居ることが出来れば1番安全なんです」
「私の気まぐれと人族の町で生き残る可能性を比べて私を選ぶのか?」
「人の顔色を見て生きてきたから分かります、ルルテナさんは優しい人です、その優しさを利用するのは心苦しいですが」
「何を言い出すのかと思えば、先ほど会ったばかりで私の何が分かると言うんだ」
「ルルテナさんを知るには十分な時間でした、先程も人の町へ行くように後押しをしてくれたんですよね。確かに僕が思っているよりもこの世界の人間は優しいのかもしれないです。それでもルルテナさんは今この世界で1番信頼できるんです」
「ぐぬぬ…知ったような口を…」
「お願いします、邪魔なら邪魔だと言ってください。人間と仲が良くないというのが本当なら、僕がここに居ることで迷惑をかけることは分かってます。見ず知らずの僕に、ここまでしてくれただけでも十分感謝しているんです」
「あ~~!、分かった、分かった!ここに住めるように母様に掛け合う!」
「僕の我儘を聞いてもらってすみません」
「散々人の良心を抉っておいて白々しいな…」
「でも、僕が居ることで都合が悪くなるようなら構わず言ってください、すぐに出ていきます」
「私も覚悟を決めた、悪いようにはしないから安心しろ、その代わり何でもすると言ったな?」
「あ、あれは言葉のあやというか、出来る範囲というか…」
「言ったよな?」
「はい、言いました…」
「よし決まりだな、たのし…大切な打ち合わせと行こうじゃないか」
気のせいじゃない、絶対に楽しいって言いかけてた。
悪戯を企む表情に不安を覚えるけど任せるしかない。
この世界で最初に出会えたのがルルテナさんでよかった。
もしも僕が原因で問題が起こりそうなら、その時は自分からこの場所を離れよう。