表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

枚数別のご案内――原稿用紙5枚程度の掌編

着ぐるみ先生とその弟子

作者: 陣 杏里

 着ぐるみの中の達也は、迫ってくる出番にごくりとつばを呑んだ。

「大丈夫だ、落ち着け。この日のために、君は毎日稽古に励んできたじゃないか」

「あ、ああ。ありがとう、先生」

 彼は着ぐるみから聞こえる声に礼を言い、白猫の上半身をかぶって、背中のファスナーを苦労して上げた。

 入院生活の長い子供達への慰問公演。それが、劇団に入って一年ほどの彼の初舞台だった。緊張で固くなりがちのところを、着ぐるみが動きを助けてくれる。

 そのお陰で、劇は拍手喝さいのうちにカーテンコールを迎える事ができた。

「公演の成功を祝して、乾杯!」

「……私は飲めないんだがね」

「まぁ、そう言うなよ。空のコップでもいいからさ。感謝したいんだ」

 慰問公演の後片付けも終わり、人気の無い大道具室で達也はビールを開けて、白猫の着ぐるみと紙コップをくっつけあう。

「先生、今日は本当にどうもありがとう。あの日先生に出会ってなかったら、今日の俺はなかったぜ」

「殊勝な心がけだな。最初は私を疑っていたのに」

 白猫はニヤリと笑みを浮かべたが、開いた背中のファスナーの中身は何もない。空っぽなのだ。

「だってさ、可愛い猫の顔で『私は生きた着ぐるみだ』とか言われても説得力がなぁ。しかもモノが着ぐるみだし。フツーは中の人の仕業か、と思うだろ?」

「あの時は誰も入ってないと分かる状況だったじゃないか。何人もの劇団員が、私を修繕して大事に使ってくれたのだぞ? もっと敬いたまえ」

 ふいっとそっぽを向く白猫を見ながら苦笑い。達也は、ひと月前のことを思い出した。



 いつものように稽古を終えて、後片付けをしていたある日。大道具室の隅で、ダンボール箱に詰められた白猫の着ぐるみを見つけたことが、全ての始まりだった。

『団長、ウチに白い猫の着ぐるみなんてあったんですね』

『あぁ、それ? 昔、劇団をたたむ友人が譲ってくれたものでね……懐かしいなぁ、まだあったんだ』

 事務所で帳簿をつけていた団長の話では、その友人も、また別の劇団から譲られたのだとか。

『なるほど。じゃあ、いろんな劇団を渡り歩いてきたベテランってわけですね』

『まぁ、そうなるかな。友人はこの着ぐるみだと、キレのある演技が出来るって言ってたけど。俺はこの足だから、どうだかね』

 達也が劇団に入る前は、団長も舞台に立っていたそうだが、事故で足を痛めてからはもっぱら指導と事務方になっている。

『団長、この着ぐるみ、洗ってもいいですか? ずっと箱詰めのままじゃかわいそうだし』

『もちろんいいとも。……そうだ、君が着てみたらどうだ? 一月後に病院の慰問公演あるだろ。達也君もそろそろ舞台に出てもいい頃だ』

 この着ぐるみを着てからぐんぐん成長していった団員がいた、なんて昔話を聞き、すっかり気をよくした達也は、天気のいい日を見計らって、おしゃれ着用洗剤でていねいに手洗いを実行。

 物干し台に干そうとしたその時に『ふぅ、生き返った』と喋った着ぐるみに腰を抜かしたのも、今ではいい思い出だ。



 当初は混乱するばかりだった達也も、次第に事の重大さが分かってきた。なにせ、何人もの俳優の演技を吸収してきた着ぐるみだ。中の人間に演技指導をすることもできれば、固くなった達也をフォローすることも朝飯前なのだ。

 きれいにしてくれた礼だ、という白猫を達也は『着ぐるみ先生』と呼んで師事することにした。

「俺、これからもっと稽古して着ぐるみを極めるよ。子供が喜ぶ顔っていいよな」

「ふふ、師匠冥利につきるとはこの事だな。君の大成を楽しみにしているよ」



 慰問公演を終えてからというもの、達也はめきめきと実力をつけていった。師が良いのと元々努力家だったのがあいまって、飛ぶ鳥を落とすかのような勢いだ。イベント関連の仕事はもとより、テーマパークに呼ばれることも多くなった。収入も増えて、住まいはアパートからマンションに変わった。

「新居引越しを祝して、乾杯!」

「あぁ、乾杯」

 引っ越したばかりのマンションで、達也は缶ビールをあけ、着ぐるみ先生とグラスをくっつけあう。

「聞いてくれよ先生! ついに、今度の四月からテレビの仕事をもらえることになったんだ! 歴史の長い、有名な子供むけ教育番組なんだぞ」

「そうかそうか、それはめでたい。これで君も、ついに出来上がったというわけだな」

「出来上がった? まだ飲み始めたばかりじゃないか。全然酔ってなんかいないよ」

 グラスに半分残ったビールを飲み干し、達也はごろりと横になる。

「テレビの仕事ということは、これからは私を着る機会はなくなるのかね? どうだろう、最後に一度着てみてはくれまいか」

「最後だなんて、さみしいこと言うなぁ。先生のことはこれからも大切にさせて頂きますよぉ」

 達也はニヤリと笑って体をおこし、これまで幾度となくそうしてきたように、着ぐるみのファスナーを開けた。サテンのような内張りが、するりと達也を迎え入れる。あまりにもすべらかで実に心地よく、達也は思わず、体を預けて眠ってしまいそうになった。

 今までに一度だって、仕事中に眠気をもよおしたことなどなかったのに。

「私は人間の食べ物は受け付けないのだが、人間そのものは好きなのだよ。なぜかわかるかい?」

 頭はぼんやりしているが、先生の声だけはやけにクリアに聞こえた。

 背中のファスナーが閉まる、じー、という音も。

「君のような人がいてくれると、うれしくてたまらなくなるよ……理想に燃える若者のたましいほど、美味なものはないからな」

 ファスナーを開けようにも、指先一つ、動かすことができない。

「せん、せ……?」

 息を吸おうと開いた口から、漏れた声に先生は応えた。

「さらばだ、我が弟子よ」


◆◇◆


「先輩、倉庫に備品リストにない着ぐるみがあるんですけど。白い猫の」

「え、そう? おかしいなぁ、こんな着ぐるみあったかな」

 とある劇団の倉庫。

 首をかしげる女性二人の前に、白い猫の着ぐるみがくたりと横たわっている。

「まぁ、あって困るもんでもないし。洗濯して使えるようにしときますか。クリーニング屋さん手配しとくから、リストに追加ヨロシク」

「はーい!」

 先輩と呼ばれた女性は、着ぐるみのほこりを払い、ていねいにハンガーにかけてラックに吊るした。

 二人が外に出る際、開けたドアから光がさしこみ、着ぐるみの顔を照らす。

 白い猫の黒い目が、きらりと光った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ほのぼの系、と見せかけてのホラー!ブラックユーモアな感じもしますね。 陣さんのスゴいなーと思うところは、短編ごとに趣の異なる作品を発表し続けているところ。ホント懐が深いですよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ