塞がれた道
ゴブリン迷宮、その中心に近い場所。
ソレはフワフワと漂うと、時たま針路を変えながら、大空間の闇の中を滑るように移動していた。
……誰?
誰かが呼んでいる。
誰?
私を呼んでいるの?
私を呼ぶのは誰?
助けを呼ぶ声?
か弱い、でもとても芯の強い声。
……ここはどこ?
私は誰?
誰?
誰かが私を呼んでいる。
今にも消えそうな声。
助けてほしいの?
私の力を借りたいの?
どこにいるのかしら。
私を呼ぶ声。
行って見よう。
私を頼っている者がいるのなら。
ちょっと待って、今、行くから。
でも、ここはどこなのかしら。
静かで、暗い場所のよう。
何故、私はここにいるのかしら。
ついさっきまで、ここには誰かがいたようね。
静かだけれど、生活の気配を感じるわ。
ここにいた人達はどこへ行ったのかしら。
こっち?
この上ね。
ああ、ここね。
え?
一段と広い空間に、衰弱しきった生き物達が縄に括りつけられている。
そこは怪しい場所だった。
まるで、檻の中に入れられ、管理された食料庫のようであるかのような、嫌らしさを感じる気分の悪い場所だった。
なんなの?ここは。
誰?
誰なの?私を呼んだのは?
どこにいるの?
あなたに呼ばれて私は来たわよ。
ブルルル、と存在を気づかせるためたてられた音。
その先の視線。
そこにいたモノ。
それは、足の骨を無残にも砕かれ、立ち上がる事の出来なくなった一頭の馬であった。
「ああ、あなた?あなたね。私を呼んだのは」
元気であれば、それは素晴らしく上等な牝馬であったろう。
その腹は見事なまでにぷっくりと膨らんでいる。
「あなた、お腹に子供がいるの?」
深い緑とも、緑がかった藍色とも見て取れるフワフワとした存在が、うずくまる牝馬に話しかけた。
牝馬の目に力が宿る。
その馬は目の前に到来したソレを確認すると、鬣を白く輝かせ、立ち上がれるはずの無い足を震わせながら、踏み固められた固い地面に六本足を立たせた。
「どうして立つの?あなたの足、どう見ても折れているわ。無理をしないで。駄目よ。何をしようとするの?私、なんの力にもなれないわよ」
六本足のスレイプニル。
空間を自在に駆ける事の出来る、天馬の一種。
だが腹に子を抱えたその牝馬は、慌てふためく静止の声を聞こうともしない。
スレイプニルはこの時を待っていたのだ。
焦るように周囲を飛び交うフワフワした存在に意を介す事もなく、ブルブルと体を震わせ立ち上がり続ける母馬は、命の力を振り絞るかのように、全身全霊をかけていきみ始めた。
数分後。
一頭の馬は二頭となった。
産み落とされた幼子はすぐに立ち上がり、母の乳房に吸い付き、思う存分乳を飲んだ後、満足そうに地面に寝転がり眠りに入った。
そして、それを確認した母馬は体を静かに地面へつけると、子の横に横たわり、フワフワとした存在に後を託すかのように顔を向け、力尽きた。
「立派よ。スレイプニル。貴方は私にこの子を預けたかったのね。それで私を呼んだのね。こんな私に何が出来るのか分からないけれど、貴方の気持ちは十分伝わったわ。この子は貴方の希望なのね。あなたの大事な希望の子、私が護れるといいのだけれど」
フワフワとした存在のソレは自分の置かれた状況を振り返る事もなく、静かに事を見守りながら、我知らず出る唄を小さな声で歌いはじめた。
おやすみ
おやすみ わたしの かわいいあなた
おやすみ おやすみなさい かわいい わたしのあなた
めをとじて あなたはねるの
あなたのそばに わたしは いるわ
いまはゆっくり おねむりなさい かわいいあなた
おやすみ
おやすみ わたしの だいじなあなた
おやすみ おやすみなさい だいじな わたしのあなた
ゆめをみて あなたはねるの
だいじょうぶ わたしは いるわ
いまはゆっくり おねむりなさい だいじなあなた
わたしはうたを うたいましょう
あなたのそばで うたいましょう
しんぱいごとは なにもないわ わたしが あなたをみているわ
おやすみ
おやすみ わたしの ちいさいあなた
おやすみ おやすみなさい ちいさい わたしのあなた
めをとじて あなたはねるの
あなたのそばに わたしは いるわ
いまはゆっくり おねむりなさい ちいさいあなた
―――――――――――――――
静かに迷宮内に入り込む、俺達パーティ。
「怖いか?」
獣族の子へ尋ねるキース。
「……ちょっと怖い」
そう答えたのは弟のはナキ。
「ナキ、ヨタ。俺がついている。頑張ろうな」
「うん。精霊さん。キースおじちゃんもいるしね」
兄のヨタが健気に声を出す。
本当はこの子も怖いだろうに。
「お前らの人生はここから逃げるわけにはいかねーんだ。逃げちゃいけない。ケリをつけさせてやる」
厳しい言葉を子供に投げる、人間の男、キース。
それに応えようとする獣族の兄弟、ヨタとナキ。
それに付き添う精霊の俺。
俺は迷宮へ入る瞬間から、周囲の気配に気を配りつつ、ゴブリンの動向を探っている。
キースはともかく、子供らに危険な目にあってほしくない。
ミイラ取りがミイラになってはまずかろう。
不思議な事にこの迷宮内、汚い環境であるにも関わらず、迷宮内の空間は異臭もさほどせず、空気の淀みも感じない。
悪毒の存在も感じさせず、不気味なほどに静まり返ったゴブリン迷宮。
嵐の前の静けさか、蛆虫だらけのぬかるんだ地面に、Gの這い回る壁をイメージしていた俺には拍子抜だ。
「静かすぎる」
用心深く先頭を行くキースが呟く。
「さっき入った時はこうじゃなかったのか?」
「全く違う」
「ゴブリン達いないね」
「風も動いていないよ。皆、寝ているのかな?」
「ゴブリン共がいなくなった。何が起きている?さっきの妙な力のせいだろうか?」
俺が決死の覚悟をしていた、虫の姿も感じない。
「キース」
「何だ?」
俺は警戒を解かずに先を行くキースに語りかける。
「この辺にゴブリンの気配は感じない。皆どこかに移動したんじゃないか?」
「そうなのか?」
「ああ、この洞窟内のずっと、ずっと、かなり下の方に多くの闇黒素を感じる。いるとすれば多分そこに大部分がいるんじゃないかな。そこには相当な数のゴブリンがいると思う」
「ふうん」
キースは少し考える風だったが、そのまま目的の場所へと足を運ぶ。
「うわぁ!」
キースが何の骨かもわからない、まだ肉のついた、骨のが散らかる部屋へと入って行った。
喰い散らかした骨付き肉。
湿った部屋。
酸鼻を極める光景だ。
すさまじい悪臭がするだろう、目を覆いたくなる光景。
腐臭。
腐りきって、蛆が湧いている骨と肉。
奥へ進むにつれ、惨状はひどくなる。
たまらず、声をあげてしまった俺。
黒い中に、白く脂肪の固まる体液の溜まり場。
大量にもげた虫の足や顔。
その夥しい数々。
明らかに人の物ではないだろう、極太な骨に刃傷が残って見えるものもある。
転がり積まれるモンスターの頭。
腐りかけの指。
皮の残る頭蓋骨、目玉がドロリと垂れさがる。
蛆の卵がビッシリとついている、まだ軟骨を残したアバラ。
屍累々。
阿鼻叫喚図とはこのことだ。
そんな中、ヨタやナキはなんでもないようにその骨の山を踏み越えて行く。
グチャグチャ、ガラガラと彼らの歩く場所から嫌な音が聞こえてくる。
――浮いて歩けばいいじゃない――と思ったが、口には出さなかった。
彼等にコーティングした水属性の膜は、こんな汚物などモノにもしないはずだ。
心配するだけ無駄だろう。
逆に俺を心配して欲しい。
部屋を抜けるまで、生きた心地がしなかった。
「しっ。奴らだ」
さらに歩くと、迷宮内では初めて見るゴブリンの姿を確認した。
「何だ?あいつら、いると思ったら何をやっている?」
ゴブリンの住まうゴブリン迷宮。
その、まだ入口に近い付近の場所で立ち止まり、変わった行動を取っているゴブリンらの様子を伺うキース。
そこには、奥へ向かう通路へ入って行ったと思ったら、間髪入れずに戻ってくる数匹のゴブリンの姿があった。
「ホントだ、何してるんだろうね」
「何やってんだろう?」
「目障りだな。あいつらは片付けて行くか。その前にヨタ、ナキ、ちょっと気になってたんだが、戦闘になったらナイフは利き手で持て。持ち方は、そうだな逆手持ちがいいだろう。お前らの手は大きいが、まだ力が足りない。親指でしっかりハンドルの端を押さえて突き立てるんだ。下手に振りまわすなよ。振り回すのはお前達の生まれ持ったその爪で間に合わせろ。それが叶わない場合のナイフだからな」
獲物を前に、キースが獣族の子らにナイフの持ち方をレクチャーする。
確かに、下手に振り回されても危ないし、持っているナイフを弾かれてしまったら元も子もないから、しっかりと握れるその方がいいのかも知れない。
何となくだけれど、転んだ拍子に手からすっぽ抜けて、こちらに向かって飛んでくるお約束が想像できた。
しっかりと握って、自分で自分を切るような事だけはしないでもらいたい。
それはそうと、
「キース、俺に、彼らへの恨みはないんだけどな。それでも殺していかなければならないのかな」
「糞ゴブリンに彼らなんて丁寧な言葉使うなよ。ま、精霊さんに無理強いはしねぇよ。あんたはこの子らを護ってくれるだけでいい。奴らを殺って行くのは俺の役目だ。奴らの事は俺に任せてくれていい」
「…分かった」
その判断が良いか悪いか、分からない。
俺は、キースの覚悟に甘える事にする。
キラリと光る長剣を手にするキース。
キースはゴブリンに気づかれても構わぬとばかりに勢いよく駆け寄ると、鈍く白光する長剣の切っ先を一匹のゴブリンに滑り込ませた。
「おあっ?!」
「ナンダ」
「グェエ」
「ニンゲンカ!」
狩る方と狩られる方、双方が同時に声をあげる。
慌てて臨戦態勢を取ろうとする残りのゴブリンに対し、だが、キースの刃は容赦ない。
初動の力をそのまま生かし、血糊をも切り裂きながら、流れるような動きで次々にゴブリンの体を薙いでいく。
見ている方はまるで、演舞の鑑賞をしているかのようだ。
それにしても、キースの最初の驚きは何だったんだろう?
生半可な知恵で剣にエンチャントを掛けた弊害が出てしまったか?
見事な切り口で切り伏せられたゴブリンの横、剣を眺めなが茫然と立ちすくむキースに駆け寄るヨタ、ナキ、俺。
「どうした?問題でもあったか?」
「この剣…すげえ。すげぇよ精霊さん。こんな剣、切れるなんてモンじゃねえ。骨を断つのにまるで手応えが無かった。驚いちまった。こんな刃、研いで出来るモンじゃあねえ。いや、そもそも地鋼が違うモンになってねえか?」
「なんだ。何事かと思ったよ。その剣、これまでと変わりなく使えそうかい?」
「使えるも何も、こんな剣持っちまったら、もう他の剣は持てそうにねえぞ!こりゃあ。ああ、これは……これはもの凄いモノだ」
良かった。
不具合での戸惑いではなかった。気に入ってもらえたようだ。
「おじちゃん強いねー」
ナキの目が輝いている。
「ナキ、おじちゃん凄いんだよ。ナキを助けるのにナイフでゴブリンあっという間に倒したんだから」
ヨタがキースの凄さを説明している。
ナキはキースの雄姿をじっくり見るのは初めてだったのか?
しかし、こんなリアルスプラッターを見て目を輝かせるとは、獣族の子、恐るべしだ。
「ん?あれ?ヨタ?」
「あれー?」
「アレレー?」
こちらのとの会話を終え、ゴブリンの屍を超えて、その先へ一歩踏み入れたヨタ。
一歩先へ行ったはずのヨタとナキがお互い向き合って、こんにちはをしている。
二人が向かい合う図。
ナニ?
今度はナキがヨタを超えて先へ行く。
ドン、ナキがヨタの肩に後ろからぶつかった。
「あれー?」
「ええー?」
俺も子供らに倣って奥へ行く、と目の前にキースがいた。
「あれ?どうなってんだ?」
キースがハッと地面に転がるゴブリンの死体を見る。
「こいつら、まさか、置いて行かれたのか?」
「置いてかれた?」
「ああ。もしかしたらこの通路、塞がれちまったんじゃねぇのか?」
そう言いつつ、キースも先へ行こうとし、先ほどのゴブリン達と同じような結果を体験し顔色を変えた。
「っぐ、しまった。やつら、この入口を捨てるつもりだ。ここから先へ行けないようになっている」
出たり入ったりの繰りかえしを続けるヨタとナキ。
「結界か」
空間魔法でこの空間が捻じ曲げられているのだ。
「おじちゃん。どうするの」
「どうもこうもねえ、ここまでだ。俺達はここから先へはいけない。ここまでだ」
悔しそうに唇を噛むキース。
「そうなの?精霊さん」
「うーん。行けなくもないかなあ」
「本当かよっ!」
「ああ、このくらいの結界どうってことないと思うんだけれど。そうだ、キースこの迷宮の分かっている範囲内でのマップを見せてくれない?」
「これのことか?マップ?」
エルフから借り受けたというマップと、キースの素体で構築された立体マップを比較する。
「本来なら、この先にはこのルートがあるんだな。よし、見てみよう。俺って透視ってできないのかな?」
やってみなくちゃわからない。
迷宮内を通りながらうつらうつら考えてみた事。
このマップを元に透視が出来ないかを試してやる。
あ、無理っぽい。
キースが創ったマップの様に、全体のルートを360度の視点から見たかったのだけれど、これはどうも不可能だ。
視点が合わない。
周りが閉じられた場所では、その場に立ったストリートビューのような視点でないと無理のようだ。
うーん、じゃあエコーでも利用してみようか。
潜水艦のソナーのように、音を利用してルートを調べる?
面倒臭そうだ。
どちらにせよ、地面の中では俯瞰図、鳥瞰図的な透視は無理のようだ。
現実的でない。
やり方があるとすれば、キースが作成したように一度通ったルートをマッピングして、それを3D化する事だろう。
そんな事を思いながら、迷宮内の道筋に沿って先を見て行くと、何かしらの歌が聞こえる。
こんな場所で、歌?
気のせいか?
気のせいだな。
俺は今、見ているだけなんだし。
ぼんやりしながら、さらに見る。
こっちには水が流れている。
あ、ゴブリンだ。
ゴブリンみっけ。
この辺りにはまだゴブリンは残っているのかな。
捨て置かれたと言う言葉がピッタリの、土のベッドに横たわる、死に体のゴブリン。
否、良く見るとこの辺にいるゴブリンのほとんどは既に死んでいる。
仮に問いかけてたところで、返事はないだろう。
唯の屍のようだ。
もしかするとこの辺りは弱ったゴブリンの療養場だったのかも知れない。
そして、置いて行かれたのだ。
中にはまだ、息のある者もいるのだろう。
ヨタとナキが向かう場所はここなのかも知れないな。
戻ろう。
ココへなら、簡単に来る事が出来るはずだ。
「この先を見て来たよ」
「おお、行けそうなのか?」
「ああ、ココから先は何も無い。大丈夫、簡単に行けるはず。ついて来て」
マップを袋にしまい、立ち上がるキース。
キースに並ぶヨタとナキ。
目の前に立ち塞がる結界の層はほんの数センチ。
今の彼らなら、軽めの空間属性魔法は使えるが、結界のこじ開けとなると、空中を歩くのとは訳が違う。
この壁を超えるのは、今の俺にしかできない技だろう。
向こうと、こっちを繋ぐ空間を創作し、三人を通す。
「精霊さん様サマだな。感謝してもしきれねえ。俺だけだったら、いったい何度詰んでいる事やら」
「精霊さんて、凄いのかな?」
ナキがヨタに尋ねる。
「凄いよ、ナキ。精霊さんがいなかったら僕達、助からなかったんだから」
「そうなの?」
「そうだよ」
「そっか、ボク、空も歩けるようになったしね」
「ふふっ、君らは可愛いなあ」
「ふん。可愛いのは今の内だけだぜ、こいつら獣族はあっと言う間にデカくなっちまう」
「子供ってのはそういうモノだろう?」
「まあな。ああ、この道はこっちだ」
先頭を行くキースに迷いはない。
俺達はひっそりとした迷宮内をスピードを上げて歩いて行く。
さらさらと水音が聞こえてくる。
と同時に今にも消えそうな弱々しい命の力も感じる気がしてくる。
やはり、この先に見たゴブリン達の一体が、キースの言うマスターゴブリンなのだろう。
キースらに渡した俺の素体は、この辺にいる大概の生物の素体の状態を見切れるはずだ。
その弱々しく瞬く儚い素体の力は俺だけではなく、他の皆も感じている事だろう。
そこにいるはずの、マスターゴブリン。
キースらはそのゴブリンの命を絶ちに行く。
今さらながら、冷たい感情が俺に流れる。
ヨタとナキ。
この子らに、仇討のような真似をさせてしまって良いのだろうか?
キースは落とし前と言ったが、結局はこの子らに、自分らを虐げたゴブリンの息の根を止めさせようと言うのだ。
この世界ではそれが普通なのか?
幼い子に、ゴブリンの命を簡単に奪わせていいのか?
判断がつかない。
このままではこの子らにトラウマが残ると言われ、俺はキースに反論出来なかった。
弱っているはずのマスターゴブリン。
ヨタと、ナキにひどい目を合わせた本人はもうすぐ其処にいるはずだった。
―――――――――――――――
次回サブタイトル予告です。
~邂逅~
お楽しみに。




