三、双影(上)
少年有王はかつて俊寛に仕えた童。鬼界島の俊寛の言葉を伝えに俊寛の愛姫が元へと赴くのだが。芥川龍之介と菊池寛の『俊寛』をモチーフに。
その法師は冷たい海へと漕ぎ出でた。
――生きながらえてくりゃれ。
と命じた、幼き日のあるじの姿を思い起こしながら。
有王は物心ついてより、童として俊寛僧都に仕えてきた。その年月は十数年を越える。かれのあるじたる俊寛が、平家転覆の謀主とされ、遠き島に流されて久しい。北の方と若君も、失意に世を去った。そして俊寛の家にはただ独り、幼い姫君のみが残された。その姫君も、京極の屋形も鹿ケ谷山荘も闕所に遭いしのち、人手に渡ったあとは、大和に住まう伯母御前の元へと引き取られた。後日、有王は人づてに姫の元を訪ねたが、そのとき、姫の手になる文を託された。
そして一年余の歳月を経る。取次ぎを頼んだ有王は、ひとたびは家の小者に邪険にされた。長者然とした方のとりなしで、どうにか姫との会見を許されたが、この扱いには有王も、一抹の不安を覚えたのである。
物音に有王が縁の庭を振り返ると、几帳の影から艶やかな彩りが見えた。有王は思わず唾を飲み込んだ。
凜とした顔立ちの少女がしなやかに立ち、有王を見下ろしている。あわてて有王は出来得る限り低く、頭を下げた。きぬ擦れの音、次いで、不可思議な芳ばしさが、有王の五感に届いた。
「おもてをお上げなされ」
その声はすぐ近くから届いた。わずかに顔を上げる。すると目の前に、かの姫は座していた。有王はあわてて床に頭を擦りつけた。しかしその華やかに過ぎる彩りは、目に焼き付いたままだった。
「鬼界島より吉日、お戻りとか。遠路御苦労であらしゃいました」
「もったいなきおことば」
「有王。おもてをお上げ。わらわに父さまの最期、話してくりゃれ」
「では、ご無礼つかまつります」
有王が顔を上げた。姫は目をつむり、有王の話に耳を傾けた。