8≪時忘れの館≫―5
意外に、このシン・イラディレイトというらしいお兄さんは普通のお兄さんでした。しかも優しい。
………まぁ、異世界のお兄さんだけど。
何故か今は二人で湖のほとりに座り込んでまったりしてます。何故かってお兄さんに凄まじい勢いで移動を拒否られたからです何故か。
現在地から動かないのは迷子の基本ですね。
「へえ、ミユキって深い雪って書くんだ?」
「そう、私が産まれる時に雪が降ったからこの名前にしたんだって聞いた」
実際はもう少し掘り下げた意味もあるのだが、シンプルで分かりやすいだろう。
しかし、深雪が産まれた場所はそうそう雪が降るような土地ではない。それで娘が産まれたことと滅多に本物の雪は見ないことも相まって、夫婦でおおはしゃぎしたとかいらんエピソードまで聞いてしまった。
というか、我が母上さまだが、普通出産したばっかの母親は疲労困憊するものではなかろうか。同じ女として些か疑問である。
「オレのとこはそう言うのないなぁ………ただ、シンていろんな意味に通じるから効果的に使えって言われたけど」
真、進、森、臣、清―――
空中に様々な文字を書きながら、お互いの名前について語る。
シン曰く、≪時忘れの館≫の中にいる間は自動的に言葉が翻訳されるらしい。なんて便利な。
「効果的?」
「ホラ、話すときは相手と場所とその場の雰囲気で違うでしょ?」
上司なら、忠節な"心"を表す名前なんですと言えば、少なくとも悪い気はしないだろう。
にっこり笑うシンに、深雪は「それは慎ましさではなく強かさの間違いだろう」と思ったが、口には出さなかった。
「そういえば、深雪ちゃんて此処に保護されてるんだっけ?」
「ええ、実はちょっと拾われまして」
いつの間にか保護されてました。
もう≪時忘れの館≫の中で迷子とか言う前に自分の身体から迷子だと気付いてちょっと悲しくなった。普通はならないだろうそんなもの。
そういえば、とふと思う。
「シンさんて、此処に来るの初めてじゃないんですか?」
いきなり湖に落っことされた事には驚いていたが、此処が≪時忘れの館≫だと気付いた時にはすっかり冷静になっていた。
一度は来たことがあるのだろう。
「え、え〜っと………まぁ、無い訳じゃない、かな」
うろうろと視線を泳がせながら言う彼に、何やら突いてはいけないところを突いてしまったのか。
しかし不可抗力だと思い直した。だってお互いに初対面だし。
「へぇ、そうなんですか。シンさんの居たところってどんなところです?」
だから、ここは日本人の気遣い精神を発揮してスルーしました。
「どんなところって言われると困るけど………そうだね、見えないと思うけど、オレの職業っていわゆる傭兵なんだ」
「ようへい?」
「うん、荒事もする雇われ兵ってとこ。大陸を網羅する≪協会≫っていう、オレみたいな人員を派遣するところがあってね。そこで依頼を受けて、報酬を貰って生活してる」
今は大陸をあちこち移動してるんだーと笑うシンさんは、意外にバイタリティ溢れるお兄さんだったらしい。なら、腰に剣を吊っているのも理解できる。
「楽しいことばっかりじゃないけど、それなりに楽しいよ。今のところは大きな戦もないし、割りと平和かな」
「じゃあ、シンさんの仕事って具体的には?」
平和なら、仕事って案外少なかったりするんじゃなかろうか。何と無く"傭兵"という言葉には、殺伐としたイメージのある深雪である。現代日本には縁遠いせいもあるが。
「オレが受けるのは、八割ぐらい護衛任務かな?対象は人だったりモノだったりするけど。≪協会≫も流石に入る人間は選ぶしね、そーゆー≪協会≫からあぶれたのが破落戸とか盗賊とかになったり」
他は農耕期に合わせて纏めて派遣されたり、大規模な公共事業の人足になったり、武芸に秀でていれば指導役になったりと色々らしい。人手はいて困る訳じゃない。
後は外見の勝利?
にっこり笑うシンさんは、確かにそんなに、言っては難だが強そうに見えない。
「ああ、そうそう、深雪ちゃんにちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「もしかしてだけどさ、今≪時忘れの館≫に≪石榴の君≫が居たりする………?」
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