20・たとえ赦しを乞われとも、悔いることすら赦されぬ
「氷月さんは、どうしたいの?」
彼女の目的は分かった。
だが、深雪は敢えてこの問いかけをした。
※※※※※
その頃、≪時忘れの館≫の主である≪聖母金華≫───通称≪金華≫は自分の部屋にいた。
淡い純白で統一された私室は、時に目に眩しい。しかし、夕日のような橙色と淡い赤色のランプを付けると白い部屋によく映える。まるで夕陽を部屋の中に取り込んだように。
大人と子供が混在する顔立ちを陰らせながら、≪金華≫は遠い日の約束を思う。
彼女の望みは叶うのだろうか。
≪聖母金華≫には、願いを叶えることは出来ない。ただ、心と身体の傷を癒す時間を与えることしか出来ない。
この広大な、≪時忘れの館≫という温室の中で、死ぬことも出ていくことも出来ぬまま存在するだけ。
かつて逢った、氷の華のような彼女を預かるしかできなかった。
謝罪すらできなかった。謝罪なんて真似は赦されないことをしてしまったから。
『でも、貴女達がいなければ、私達はきっと出逢うことも───産まれることすら、出来なかった』
出逢いを後悔しているわけじゃない。出逢えたことに、心からの感謝を。
その言葉にどれ程救われただろう。
「≪金華≫様、≪石榴の君≫様が面会を求めていらっしゃっております。火急の件だそうですが、如何致しますか?」
「こちらの部屋へ、お通しください」
≪時迷いの館≫の警護兼管理人の一人のルイ・ルナが知らせてきた。
すぐ近くにいたのだろう≪石榴の君≫は≪彼女≫を抱えたまま入ってきた。
長いまっすぐな黒髪に、黒い服。普段は落ち着いた赤みのある瞳は今は燃え盛るような激情を湛えていた。腕の中には≪彼女≫。
「どういうことかご説明願おうか、≪金華≫様」
「………眠っているのね、彼女達は」
≪石榴の君≫が彼女を抱えたまま、≪金華≫は深雪の状態を確認した。ついで、自分がさっきまで腰掛けていたソファに下ろさせる。
「やはり、貴女様はご存知でしたか」
「ええ、言ったでしょう。≪貴方のところに落ちてきたことに意味があるかもしれない≫と。これは、彼女の願いだから」
「………≪彼女≫?」
「そう、自分の生まれ変わりが≪時忘れの館≫に来るのをずっとずっと待っていたの。心の欠片を私に預けて、箱と鍵が揃うのを待って、やっと彼女の願いが叶う」
「………まさか、」
「貴方もよく知っているでしょう。誰よりも彼女に愛された貴方は」
氷水華
ひゅ、と殀芽の喉がなった。脳裏に、懐かしい氷色が浮かぶ。
「誰よりも理解されながら、貴方は彼女を死なせる選択しか出来なかった。王であることを選択したが故に。───彼女の死を選択することによって、あれ以上の貴方達を産み出さないために。自分の幸せではなくて‘終焉’を望んだ」
「………元凶が、よく言えたものだな。感心するぞ≪聖母金華≫」
「ええ、貴方達をそうさせたのはわたくしですもの」
怒気を孕んだ、凄みのある声音に、≪聖母金華≫は淡々と答えた。それだけのことをした、自覚がある。
≪聖母金華≫も、恨まれる覚悟でしたことだから。
「今、≪彼女達≫は魂の底にありましょう。≪彼女達≫の願いは叶いましたわ」
もう一人の自分と会うこと───来世の自分に、自分の願いを叶えて欲しい。来世の自分が本当に私なら、きっと≪時忘れの館≫に来る。
『私は予言者ではないが、私は未来を予言するぞ。来世の自分が、少なくとも‘私’ならば、きっと此処に来る。たとえどんな手段を使ってでも。なんなら賭けようか?』
そう、まるで確信しているように傲慢に言ってのけた。その自信を、≪聖母金華≫は信じてみた。
「………どうして、そんなことを」
「≪時忘れの館≫は魂と心の居場所ですわ。脆い心を私が慈しむことはおかしいかしら?」
※※※※※
「───氷月さんは、どうしたいの?」
深雪は、目の前にいる氷月に問う。
氷月に見せられたのは、氷月自身の過去。≪石榴の君≫と氷月、氷水華の関係と因縁。───今の理由も。
「実のところ、私ですらどうしたら良いか分からない。だが、あの男はいい加減解放されるべきだ」
当の氷月は、困ったように苦笑した。実際、他人から見ても因縁が深すぎてどうしたら良いかも分からない。だが、何かが引っ掛かる。
何かが、違う。まるで、パズルのピースがすっきりはまらないような、そんな違和感。
「解放されるって、それは、何から?」
「え?」
「氷月さんと≪石榴の君≫の関わりは、今見せてもらった。だけど、≪石榴の君≫が抱えてる問題とは別だと思う」
氷月の記憶が間違いではないとは言い切れない。だが、氷月と≪石榴の君≫の関係性は、悲しい程にお互いに一途で、納得しない訳にいかないのだ。
お互いに何かを後悔しているわけではない。
「もっと、何か深いところの、別の問題なんじゃないの?」
すると、氷月は眼を見開いた。まるで気付かなかった、と言わんばかりの。
その表情に、深雪は確信した。≪石榴の君≫が抱えているのは、氷月との関係ではない。
氷月は、おそるおそる口を開いた。当時の噂だが、と前置きして。
「………あいつ、今も≪石榴の君≫という名前で通しているだろう。この名前は元々は王号でな。名前の一つではあるが、本名とはまた別だ」
それは深雪にも何となくわかる。日本の天皇と同じだろう。明治天皇の明治は天皇の名前ではないのと同じだ。
「人としての名前は≪殀芽≫。だが、本来は全く違う名前が用意されていたのでは、と言われている」
確証はないがな、と氷月は続けたが、少々躊躇った後、空間に指で名前を浮かびあげた。
「私も本人に確かめた訳じゃないが、この噂が広まった理由がコレだ」
≪殀芽≫
確かに変わった字面だが、特に何か深い意味があるとは思えない。昨今のキラキラネームより余程マトモに見える。
「≪殀≫は、本来ならば≪夭≫と書く。意味は若くして死ぬこと。草木が折れ曲がる。人が頭を抱える姿から出来た字だ。≪芽≫は可能性を表す。≪殀芽≫という名前は、≪死んだ可能性≫だ、と、」
つまり、出来損ない。
深雪はあまりの悲惨な名前に背筋に悪寒が走った。知らなかったとはいえ、まさかの情報に青ざめる。
氷月の顔色も良いとは言えないが、それでもつづけた。
「≪石榴の君≫の≪石榴≫も、本来ならば違う名前だったとも言われていた。名前以上に確かめようもない噂だったが、王号としては不吉過ぎると批判を食らったらしい」
「………不吉?」
「石榴の実を知っているか?深紅色の小さな実が、掌ほどの大きさの実の中にぎっしり詰まった果物なんだが………」
こんな感じ、と氷月は空間に石榴の枝を出した。
恐らく氷月もそこまで詳しくないのだろう。浮かび上がった映像は何となく絵画っぽい。が、確かに深雪もよく知っている石榴だ。あまりそのまま食べることはないが。
「石榴は、とても古い歴史を持つ果物の一つだ。それ故に伝承も多い」
死後の世界の食べ物で、一度食べると永遠に死後の世界に囚われる。
人間の臓物の身代わり。
人に道を踏み外させる罪の果実。
「私の≪雪冥の六花≫と同じように、殀芽にも分身の剣がある。その名前が≪破威の石榴≫。王号の≪石榴の君≫というのもここからだと言われているが………実は、もう一つ名前がある」
「もう一つ?剣の名前なのに?」
「私もそこまで詳しく知らん。知ったのも死ぬ間際だったしな。だが、そのもう一つの名前も、深雪に指摘されて疑問でな。罪の果実と書いて、≪罪果≫という」
あまりにもあっさり死ぬ間際とか暴露した氷月だが、深雪は何となくそうだろうなとは思った。
そして、≪名前≫。これが多分鍵だ。
見せてもらった氷月の記憶の中の≪石榴の君≫は、どこかぴりぴりと張り詰めた一本の糸のよう。深雪が知っているだけだからよく分からないが、今はそういう‘張りつめた’感じはしない。どちらかと言えばすっきりした顔をしている。
ただ、氷月の話からの推測だが、絡まった糸の最後の結び目がほどけていない。なら。
「ねぇ、氷月さん。私の身体を使っていいから≪榴の君≫と会って欲しいの」




