8. 入学式
ジェシカは俯いたまま、硬直している。
頭の中は大混乱だ。
(いるはずがないじゃない!)
では、どういうことだろうか。
めちゃくちゃな状態の頭で、必死に説明を考える。
ジェシカは家を出てからここに来るまでの間、セシルの質問に答えるために、懐かしい思い出を掘り起こす作業をしていた。
それら過去の記憶は、正門をくぐってからは、この学校の空気によって息を吹き返し、鮮やかに蘇った。
結果、過去と現在との境界が曖昧になり、目の錯覚を起こしてしまった──
(そうよ! それ以外考えられないわ)
そう思う一方で、疑問が浮かぶ。
新入生のひとりに当時の彼の姿を重ねるわけでも、保護者の誰かを数ヶ月前に偶然会った大人の姿の彼と見間違えるわけでもなく、なぜ教員だったのか。
(それに、目が合ったと思ったのは?? あの人と見間違えた教員が、たまたまこっちの方角を見ていただけ?)
そんな偶然が重なることが果たしてありえるのだろうか。
考えれば考えるほど、恐怖が増幅する。
まだこっちを見ている気がするのは、恐怖ゆえだろうか。
周囲の声量を落とした会話は、もうまともに耳に入ってこない。
ただの音でしかなくなった。
自分が石像にでも変化してしまったような気分だ。
しかし、その魔法がふっと解けた──
「これより入学式を開式いたします。新入生が入場しますので、拍手でお迎えください」
先ほどから感じていたはずの視線も消えた。
(顔を上げないと。セシルはA組だから、すぐに入ってくるはず)
これだけ保護者がいるのだ。
セシルはジェシカのことを見つけられないだろう。
けれど、ジェシカはセシルを見つけ、拍手を送ってやりたい。
マーサとリアナも、そのためにジェシカを入学式に送り出してくれたのだ。
(あっ、来たわ!)
誕生日が遅めのセシルは、ほかの新入生よりも比較的体が小さい。
けれど、胸を張って堂々と入場するその姿はとても立派だ。
(あの人も教員席から見ているのかしら……)
手を叩きながら、まだあの教員のことが気になった。
彼ではないと頭の中で必死に否定していたはずなのに、半分くらいは彼なのかもしれないと思うようになっていた。
(もしそうだったとして、問題になるのは何?)
また食事に誘われること。
それから、ジェシカに息子がいるのを知られること。
このふたつだろうか。
(だったら、彼が今ここにいても構わないんじゃない??)
食事は固辞し続ければいいだけの話だ。
セシルのほうにしたって、視界に入ったところで、セシルが何者かまでは分かりようがない。
たくさんいる新入生のうちの1人としか認識できやしないのだ。
そこまで考え至ると、ジェシカの気持ちは少し落ち着いた。
もし捕まってしまって話しかけられたときには、甥っ子の入学式に出席していることにしよう。
いや、性別も変えて姪っ子ということにしたほうがいいかもしれない。
『どの子が姪か』と訊かれても、『今見失ってしまってどこにいるか分からない』とでも言えばいい。
セシルと合流して帰るときだけ、見つからないように気をつければ──
ジェシカは途端に哀しさを覚えた。
セシルのことを隠さなければならない。
それもセシル父親から。
そのことが胸を締め付ける。
(ということは、私はあの人にあの子のことを見てほしいのかしら?)
セシルが誰の子か気づかないなら、見てほしいかもしれない。
あの子の晴れ姿を。
完全なる自己満足だ。
分かっている。
ジェシカはこっそり教員席を窺った。
(ああ、ハンスだわ)
なぜここにいるのかは分からない。
それでも確かにハンスだ。
あなたの子だとも私の子だとも一生知らないでいて。
だけど、優しい、とてもいい子なの。
魔法の才能もあってね。
きっとあなたから受け継いだんだわ。
あの子が今日ノーステリア州立魔法学校に入学した、という事実だけ知っていてくれたらうれしい。
これから、あの頃のあなたや私のように楽しい学校生活を送るのよ──
セシルの父親が、セシルのほうを見て拍手をしている。
それだけで十分だと思った──
式は短い時間で終了となった。
それでも6歳児たちには苦痛だったらしい。
終盤は、かなりの数の児童がもぞもぞしていた。
セシルが最後までじっとしていられたことに胸を撫で下ろした一方で、そういう子どもたちのことも可愛いと思う。
これから新入生が退場する。
再び各教室に戻るのだ。
が、ジェシカたち保護者はそのまま講堂に残り、連絡事項を聞くことになっている。
それが終わり次第解散し、保護者は教室まで子どもを迎えにいくよう指示を受けている。
新入生がいなくなった後、一部を除いて教員も退場していった。
その中にハンスも含まれていた。
ジェシカは気を緩め、ほっと息を吐く。
ところがそれを見計らっていたように、ハンスがこっちを向いた。
目が合うと、ハンスは口角を上げた。
ジェシカの肩に思わず力が入る。
ハンスはまたすぐに出口のほうに向きを変え、出て行ったが、ジェシカの心拍数はおさまらない。
(ここからは気を引き締めて行動しないといけないわ)
ハンスは、ジェシカがここにいることを知っているのだから。
ハンスが講堂から退出してしまった今、次にハンスと出くわす可能性がある場所がどこなのか、想像もつかない。
ハンスに見られることなく、セシルと合流し帰宅するというミッションを何としてでも成功させなければならない──
(それにしても……)
保護者席にいるジェシカが、教員席のハンスに気づくのはそれほど難しいことではなかった。
けれど、ハンスのほうは、よくぞジェシカに気づいたものである。
(すごい才能をもっているのね。ハンスも私に気づいたとき、びっくりしたのかしら?)
けれど、入学式開始前に目が合ったとき、ジェシカと違って向こうは驚いていなかったように見えた。
それはつまり、ハンスのほうが先にジェシカに気づいていたということだろうか。
(一体いつ私に気づいたの?)
「……連絡事項は以上となります。保護者の皆さんは、お子さんを迎えに行ってあげてください。明日から元気に登校してきてくれることを期待しています」
ジェシカは周りに合わせて席を立った。
そうして、ゆっくりとした足取りで出口を目指す保護者たちの流れに紛れ込んだ。
あえて、ひときわ保護者が密集して混雑している辺りを選びながら、慎重に歩く。
教室の前までたどり着くと、廊下はちょっとしたカオスになった。
狭い廊下は保護者たちでぎゅうぎゅうだ。
皆、我が子を探そうと背伸びをする。
しかし、ジェシカに至っては、保護者の背中しか見えない状況だ。
保護者と子ども、両方の声が飛び交う。
そんな中、『パパ!』という声がして、ジェシカの傍にいた男性の元に女の子が飛び込んだ。
「あっ、ママもいた!」
「さあ、帰ろうか」
「混み合ってるから、早くここを抜けましょう」
ようやく隙間から教室の中を覗けるようになった。
しかし、まだ大半の保護者と子どもが残っていて、セシルを見つけられない。
(セシルはどこ?)
その後も、子どものほうからお父さんを見つけるパターンが続いた。
やはり背が高いと見つけやすいのだろう。
無事に会えた親子が笑顔で目の前を通過していく。
徐々にだが、確実にひと気は少なくなっていく。
(人混みに紛れて帰りたいのに!)
焦りが募る。
(いた‼︎)
講堂ではあれほど堂々としていたセシルだったが、少し不安げにしている。
「セシル」
ジェシカは小さく名前を呼び、胸の前で控えめに手を振る。
「ママ!」
表情がぱあっと明るくなり、駆け寄ってきた。
「すぐに見つけてあげられなくてごめんね」
軽くハグをする。
「さあ、帰りましょう」
セシルの手を引き、前を行く集団の後に付いていく。
もうすぐ校舎を出られる。
そうすれば、正門を抜けるまであっという間だ。
あともうひと息──
ところが、ジェシカの思い通りにはいかなかった。
(だから、どうしてなの⁉︎)
校舎の正面玄関脇に、ハンスがゆったりと立っていた。
しかし、薄々と予感はあった気がする。
「やあ、ジェシカ。待ってたよ」
(あわわわわ! 『待ってた』って何⁉︎ セシルのこと、何て言えば……)
セシルの前でセシルのことを『甥っ子よ』などとは言いたくない。
第一、そんな下手ば嘘を吐いたころで、すぐさまセシルから突っ込みが入り、あっさり露呈するだろう。
セシルが、“あわわわわ”しているジェシカを見上げる。
「ママの知り合いなの?」
(『ママ』って呼んでしまったわ‼︎)
「君のママと僕は同じ魔法学校に通ってたんだ」
ジェシカではなく、ハンスが答える。
「ハンスだ。よろしく」
「セシルです。えっと、よろしくお願いします」
ふたりは自己紹介し合い、握手を交わす。
「と、ところで、あなたはどうしてここに?」
「僕は……あー、でも、積もる話もあることだし、場所を変えて話そうよ」
「積もる……何……?」
「ジェシカ、僕らには話すべきことがあるよね?」
「何のことかしら。そんなものはないと思うわ」
「この間は断られたけど、今夜食事でもどう?」
慌てるジェシカに、ハンスは目を細め、にっこりと笑いかける。
「もちろん、セシルくんも一緒に。セシルくんの話も聞きたいな」
「っ‼︎」
(バレてる⁉︎⁉︎)
ハンスは絵に描いたような優等生だった。
成績優秀で、品行方正。
おまけに誰にでも等しく優しくて。
その頃と全く同じ笑い方。
怖いと思ったのははじめてだ。




